194. 炎水二重奏
息を殺し、草木のわずかな隙間から様子を窺う。
前方の開けた空間に隠れるでもなく堂々と佇む、黒マント姿の男たちが三人。
(……魔闘術士……)
『十三武家』は杖の家系が若手、ハザール・エンビレオは、最初の目標である魔闘術士の一味を発見し、遠巻きにその動向を観察していた。
(ちっ……)
そして思わず内心で舌を打つ。
剣の家系から参加したエルゴが突然「別行動をする」などと言い出し、話が終わらないうちに他の参加者から奇襲を受け、何とか凌ぎはしたものの――
今この場には、ハザール一人しかいない。ダイゴス、エルゴの両名とはぐれたまま、誘引対象である魔闘術士を先に発見してしまっていた。
本来、役割分担をしてこなすべき任務だ。ハザールだけで実行するのは難しい。
(……連中、動く気配はないな)
遥か前方。広場に佇む黒影たちは、三人で談笑している。一人だけ倒木に腰掛けている――ひどく痩せぎすな、逆立った黒髪の男。あれが首領のジ・ファールであることは事前に確認済みだ。
そして一つ、予想外だったのは――
(他の連中はどうしたんだ……?)
総勢十一人の魔闘術士のうち、三人しかそこにいないのだ。入場の時点で、八・三に別れたのは確認していた。だが、北側がジ・ファールを含む八人。南側が三人だったはずだ。自分たちが入場したのも北側。予想より五人も足りないことになる。
すでに倒されたのであれば、ああも呑気に雑談などに興じているはずもない。
つまり、個々で分散し行動しているということになる。
(おいおい……思った以上に厄介だな、こりゃあ……)
十一人という、参加者たちの中でも最多の徒党を組んで参加している集団。当然、固まって動けばそれだけ有利となる。敵に見つかる可能性も増すが、そもそも数で圧倒できるのだ。
となれば当然、連中は全員で一丸となって行動する――のだと、そう思っていた。南北に分けられたなら、まず合流しようとするものだと思っていた。ドゥエンですら、それを前提としてこの作戦を組んだのではないか、とハザールは想像する。
(さて参ったな。どうしたもんかね……?)
まさかバラけているとは。自信家の集団と聞いてはいたが、よもや天轟闘宴を個々で闘えると判断したのか。
(だとしたら舐めてやがるな、余所者風情が)
最初から個人で参加したならともかく、数の利点を自ら放棄するなど愚かにすぎる。
黒の集団に動く気配はない。
このまましばらく留まっているつもりなら、不幸中の幸いとでもいうべきか、それはそれで好都合かもしれない。今のうちにエンロカクを捜し出し、奴をここまで誘導して、魔闘術士らへぶつけることも可能か。この場は飲める水が流れている川も近い。向こうも『乗る』だろう。
(出会った瞬間、エンロカクに殺られなければ……の話だけどな)
思わず引きつった笑みが浮かび、ハザールは溜息を吐き出した。
……馬鹿らしい。気張るなと命じられた任務。エルゴが土壇場で馬鹿なことを言い出し、ダイゴスも妙な様子で、全員が散り散りになった状態。
どうして俺だけが真剣に、こんな――
それは、ヒヤリとした感触だった。
首筋に伝う、違和感。
「……!?」
ハザールは硬直し、視線だけを下へと動かす。
今、己の立っている草むら――足元が、わずかに歪んで見える。まるで、間に透明な何かを挟んでいるかのように。
「なぁ。何してんだぁ? コソコソとよー」
その正体は、不可視の刃。
背後から音もなく接近した人物が、ハザールの首筋へ透明な刃を宛がっていた。
形状は――湾曲した、巨大な鎌。おとぎ話の死神が持つ大鎌を模したような、水の巫術。
このまま持ち主が手首を少し閃かせたなら、ハザールの首はあっさりと摘み落とされるだろう。
(……馬鹿、な……この俺が、気付けなかっただと……?)
ハザールが息をのむ間に、
「まー何でもいいけどな。とりあえず、お前を殺したのは魔闘術士のバルバドルフ様だ。覚えて逝けよ――っとくらぁ」
雑草を刈る気軽さで。
バルバドルフがあっさりと鎌を薙ぐ。
ハザールの首筋にて――がきん、と火花が散った。
「!?」
目を剥いたのはバルバドルフ。ギョロリとした両眼を、殊更大きく見開く。
「――卦ェッ!」
ハザールの呼気に従って現れた赤熱の炎杖が、魔闘術士の腹を打ち据えた。
両者の間合いが離れる。
「……む、うゥ?」
なぜ鎌が弾かれたのか、首を落とせなかったのか理解できないのだろう。バルバドルフは打たれた腹を押さえながら不思議げに首を傾げる。
「はん、馬鹿が……タイゼーン老の話、聞いてなかったのか? お前が質問してたんだろ?」
ハザールは自らの首を指し示し、巻かれたリングをトントンと叩く。
「外れればただの紐になっちまうが、機能してるリングってのは防具になるぐらいカタいんだ。そんなので守られてる首を狙うなんざ、素人のやることだっての」
鎌が喉笛を掻き切ろうとした瞬間。ハザールは咄嗟に首を傾け、リングで凶刃を防いだのだ。正直なところ冷や汗ものだったが、そこは不敵に笑ってみせる。
「ほぉう、そうかそうか。そりゃぁ大したモンだ。いいぞいいぞ。けど俺様は、否定されるとヤリたくなっちまう性質でよぉ。女食う時ゃ、相手が嫌がりゃ嫌がるほど興奮する。首を狙うのはダメ、なんて言われちまえば」
すっ――と。
黒装の凶人は、透明な鎌を両手で握り、構える。
「意地でも、その素ッ首落としたくなっちまう」
はためく黒衣の裾。手にした大鎌。その容貌はまるで、本物の死神。
「忠告はしたぞ」
しかし対するハザールも、杖の家系が誇りし武闘派。臆すことなく、炎の杖を突きつけて構える。確かに視認しづらい水の刃だが、透けて見える向こう側の景色が歪んでいる。それによって正確な形状、取るべき間合いを把握した。
一呼吸の静寂。
次の一拍、その瞬間に交えられた三合の鍔迫りが、静寂を破って打ち鳴らされた。
弧を描く不可視の水鎌、迎撃する真炎の錫杖。炎と水がぶつかり合い、相殺し合う。連続して吹き上がる蒸気が、視界を薄い白靄に包む。
「おぉゥ!? いぃーね、やるじゃねぇかよ!」
「――……」
楽しげなバルバドルフに、ハザールは黙して答えず。
間合いを取ったその勢いを利用して――くるりと反転し、逃走を開始した。
「はぁ!? おっ、何いきなり逃げてんだぁオイ!?」
遅れ、慌てたようにバルバドルフが追う。黒装の男がついてきたことを確認し、杖の若手は速度を上げた。
そもそも『十三武家』から任務として出場しているハザール・エンビレオの目的は、魔闘術士を倒すことではない。
そのうえ、今の交錯で確信した。このバルバドルフという男――強い。それに加えて、すぐ近くに他の魔闘術士が三人いるのだ。今の小競り合いで気付かれた恐れもある。
(ったく、面倒だぜ畜生め……!)
しかしどんな状況だろうと、任務を全うする。それが自分に課せられた役目なのだから。
胸中で悪態をつきながらも、ハザールは背後から飛んでくる水撃を躱しつつ疾走した。
炎と水で牽制し合う二人が消えていった獣道の向こうを眺め、その男はふむと重々しく頷く。
(実直に動いているな、ハザール)
剃り上げた坊主頭に、純白の民族衣装。武祭の判定員たる白服である。
(……しかし)
白服は横目でチラリとそちらへ視線を向ける。
開けた広場にたむろする、三人の魔闘術士。倒木に腰掛けている、その男。黒き無法集団の首領、ジ・ファール。今のハザールとバルバドルフの競り合いには気付いていないようだ。
それよりも、
(……私の予想が正しければ――)
もう少し近い位置から観察できていれば、ハザールも気付いていたかもしれない。
ジ・ファールは、ただ無為にこの場へ留まっている訳ではない。あまり動きを見せないその男は、おそらく――
(ジ・ファールか……、民らの間で優勝候補と目されるのも伊達ではないな。此度の武祭では……最強の詠術士やもしれぬ)