189. 爆発待機
『さぁ間もなく開始となります! 第八十七回・天轟闘宴!』
澄み渡った青空に響き渡るのは、通信の術によって増幅された女性の声。
それを合図としたかのように、観客席前方の黒水鏡に映された場面がパッと切り替わる。現れたのは、テーブル席に横並びで座った三人の人物。
中央に座る活発そうな雰囲気の若い女性が、目線を合わせて手を振った。それに合わせて、長い栗色の髪がさらさらと揺れる。どこか都会的な、華のある雰囲気を纏った女性だった。
『はい! 先ほども少し自己紹介させていただきましたが! 今回音声を担当させていただくのはこの私、シーノメア・フェイフェットと申します! 天轟闘宴の観戦はこれが初めてです! 今回は微力ながら、天轟闘宴を盛り上げるお手伝いをさせていただければと思います。よろしくお願いいたしますー!』
音声担当は状況の説明などを担う役割だが、通信技能の高さに加え、天轟闘宴についてあまり詳しくない者が選ばれる傾向があるのだという。回を重ねるたび、観客たちも増えている。初観戦の者も多いため、素人目線で解説担当に質問できる人間がほしいということらしい。
次いで、右隣に座る小柄な女性へと視界が移動する。
『うふふ。場面の提供を担当する、ツェイリン・ユエンテじゃ』
『はい! 皆さんに天轟闘宴の様子をお届けするにあたって、絶対に欠かせない方がこのツェイリンさんです。ツェイリンさん、本日はよろしくお願いしますっ』
『よろしゅう』
そしてシーノメアの左隣、糸目をした男へと視点が移る。
『解説を担当させて頂きます。ドゥエン・アケローンです』
『はい! 皆さんご存知、矛の家系が当主にして無敗の王者、レフェ巫術神国最強の戦士と名高いドゥエンさんです! 今回は解説担当ということで、お話など伺っていきたいと思います。よろしくお願い致します!』
『こちらこそ』
気合充分といったシーノメアとは対照的に、矛の長はどこまでも落ち着いた佇まいだった。
(………………、)
黒水鏡に映し出された一連のやり取りを眺め、桜枝里は半ば呆然となっていた。
特殊な鏡を介して天轟闘宴の様子を見聞きできると知らされてはいたが、予想以上だった。日本からやってきた少女の目から見ても、もはやテレビの生中継と変わらない。
これが……国内にわずか二名しか存在しないといわれる、『凶禍の者』の片翼――ツェイリン・ユエンテの能力。
そこでまたも、パッと場面が切り替わった。
映し出されているのは――ややぼけっとした表情の、巫女衣装を着た黒髪の少女。あ、なんだか私に似た娘だなぁ……などと考えた桜枝里は思わずハッとする。同時、鏡に映る少女もハッとする。
似ている、ではない。映っているのは、紛れもない自分自身。
「え、ちょっ!?」
気付いた桜枝里は反射的に顔を隠し、身を丸めた。無論映っている少女も、寸分違わず同じ動きを見せる。
『あはは、現「神域の巫女」となるサエリ様ですが……照れてらっしゃるのでしょうか? 奥ゆかしいですね~』
なぜか歓声と共に拍手が起こる。
(い、いきなり映さないでよ~……!)
生徒会副会長として人前に立つことには慣れていた桜枝里だが、さすがに三万人の前となれば緊張の度合いは別次元だ。
視界がスッと横に動き、白ひげを蓄えた老人が映される。
『先ほどの開幕式でもご挨拶いただきましたが、我らが国長、カイエル様です。本日はよろしくお願いいたしますっ』
シーノメアの挨拶を受けて、国の長は押し止めるようにスッと手を掲げた。
『うむ。余のことはよい。皆も、年寄りの長話を聞きに来た訳ではなかろう。本日の主役は――あそこにおる、勇敢果敢な戦士たちじゃ』
その言葉に従い、風景が切り替わった。
わずか俯瞰から森の中を見下ろす視点。木に括りつけられている鏡から送られた映像が、観覧席にある黒水鏡へと投影されている。
(すごい……)
鮮明な映像に、桜枝里は思わず感嘆の溜息を漏らしてしまう。
さらには監視カメラのモニターのように分割されて、森内部の場面が複数表示された。
何人か、森を歩く参加者たちの様子が捉えられる。……ダイゴスの姿は、見当たらない。
『さて、いよいよ戦闘開始まで五分を切りましたが……ドゥエンさん、開始直後の見所など、ありますでしょうか』
『開始直後であれば……やはり、初撃破でしょう』
初撃破。
天轟闘宴において、一番最初に敵を撃破した者に送られる褒賞である。黒水鏡にズラリと並ぶ数字と名前。そのうちの一つが消えた瞬間、判定が下される。
己の生き残りを懸けたサバイバル。そんな潰し合いの出足となれば、まずは静かに、慎重に様子を見ようとする者が多い。
その心理を逆手に取ったのがこの初撃破で、他の賞と比しても高めの金額が設定されている。誰よりも早く敵を倒せたなら、大金が得られる――という誘惑。
しかし開始直後は当然、全員が心身共に充実している。迂闊に交戦し、体力を削られてしまう事態は避けたい。また、最も人数が多い時期でもある。戦闘によって否が応にも目立ち、他の者たちの格好の的となってしまう可能性もあった。
そういった危険を伴うため、迂闊に狙える賞ではない――とドゥエンは言い結ぶ。
『なるほどー。……あれ、でも――』
『何か疑問でも?』
『あ、はい。例えばですけど……何が何でも賞金がほしい! って人がいた場合、初撃破さえ取れれば後は負けてもいいや、と考えて特攻したりしませんか?』
『無論、それも有りでしょう。もっとも……初撃破というものは、特に審査が厳しくなっていますがね』
初撃破狙いのやぶれかぶれな特攻はまだしも、この賞において最も懸念されるのは『不正』だとドゥエンは語る。
『例えば仲間内で出場し、開始と同時に一人が自らリングを外す。そして別の一人が、そのリングを手にする。極端な話、こうすることで初撃破の条件は満たせてしまいます』
『あっ、そうですよね……』
『ですので……初撃破が発生した場合、白服や役員が厳正な審査をし、それが有効であるか否かを判断する事になります。否と判定された場合、そのまま繰り上げなどはせず、初撃破の授賞者は無しとなります』
これに限らず、仲間と複数人で参加している場合、常に不正を疑われる傾向があるため、個別褒賞の獲得には不向きなのだとドゥエンは補足した。
『な、なるほどー……』
響くシーノメアの声に、桜枝里も自然と頷いた。
そういった不正などを通さないようにする目的で、レフェの兵が必ず出場するのかもしれない。ダイゴスも元々、エンロカクの件に関係なく出場を命じられていた。
『逆に……優勝のみを狙うなら、常に数の利で押し切れる複数人での出場は、非常に効果的ですがね』
『確かに、そうですね……!』
不利な点があれば有利な点もある。一長一短ということだろう。
『さて、ではこの最初の見所ともいえる初撃破についてですが――平均して、開始から十分前後に達成される傾向があるようですね。私としては、思った以上に遅いかなーなんて思ってしまうんですけど』
『先程も少し触れましたが……開始直後というのは、傷も疲れもなく皆が万全の状態にある時期です。参加者も、腕に覚えのある戦士たちばかり。そう易々と脱落するものではありません。無論、一概には言えませんが』
『はい。手元の資料によれば、最長で一時間近く最初の脱落者が出なかった回もあるようですね……』
そこでシーノメアの声が、ぐっと熱を帯びる。
『しかし! その逆、初撃破の最短記録は――なんと、わずか九秒! その記録保持者はドゥエンさん! つまり開幕からわずか九秒で相手を倒し、初撃破を成立させてしまったと。す、凄いですね』
『恐縮です』
『これは……どういった経緯で、このように圧倒的な記録が……』
『結果としてそうなった、というのが正しいでしょう』
誇るでもなく、その偉業を成した無敗の王者は淡々と語る。
『開始前から私を尾けていた参加者がいましてね。不意打ち狙いだったのでしょう。始まると同時に仕掛けてきたため、迎え撃った結果がその記録になります。言い方は悪いですが……期せずしてそのような状況になった、といえますね』
偶然による部分が大きい、とドゥエンは感慨もなさげに言う。
『なるほど~……、運にも大きく左右される、といったところでしょうか。ありがとうございました! さて、では間もなく始まります第八十七回・天轟闘宴! まず初撃破を獲得するのは誰なのか! また、いつ達成されるのか! そのあたりに注目しつつ、開始の合図を待――』
そこで、ちりん――と、通信に軽やかな鈴の音が交ざった。
『……ふふ。面白いものを見つけたぞよ』
彼女が頭を傾げれば、髪にあしらわれた小さな鈴が涼やかな音を立てる。最初の挨拶以降、一言も発していなかったツェイリン・ユエンテだった。ドゥエンとシーノメアが話している間も、黒水鏡に映し出される場面は目まぐるしく切り替わっていた。そちらの操作に集中していたのだろう。
『ツェイリンさん? どうかされました?』
『ふふ。映そうか』
説明するより見たほうが早いとばかりに、黒水鏡が大きくその光景を投影する――
『こ、これは!?』
『――ほう』
シーノメアの驚愕と、ドゥエンの興味深げな反応が同時に響く。
「……、あ!」
自分の前に設置された大きな鏡。そこへ現れた映像を見て、桜枝里も思わず声を上げていた。
「…………!」
その場面を目にして、ベルグレッテは持っていた水筒を落としかけた。
周囲の観客たちからは、おお……とどよめきが起き、
「……フフ。これはまた」
右隣の席に座る礼服の紳士も、長い脚を組み直して笑う。
やや俯瞰の視点から映っているのは――鬱蒼と生い茂った緑に、その中を割いて通った狭い獣道。
そんな道の中央で、向かい合う男が二人。
一人は、いつもベルグレッテのそばにいるあの少年。
そしてもう一人は、蝙蝠を彷彿とさせる黒マントを羽織った長身の男。
『二人……参加者が二人、身を潜めるでもなく堂々と向かい合っています!』
観衆たちも困惑したようにざわめく中、シーノメアが推論を口にする。
『これは……、まさしく初撃破狙いでしょうか?』
『いえ……初撃破を狙うのであれば、最も効果的なのは奇襲です。正面から闘り合うのは得策とはいえません』
『で、ではこの状況は……』
『後先を考えていない無策か、もしくは仲間内で不正を画策しているのか。そうでなければ――』
と、ドゥエンの口ぶりに楽しげな色が混ざる。
『――開始が待ち切れない程の因縁を抱えているか、でしょう』
「……アウリミ、ウリリューゴってぇのはテメーだな。バルバドルフから聞いてんぜ。あ、人違いだったらどうすっか。まぁ、どっちにしろ潰すからどーでもいーけど、おぽぉ」
ギョロついた眼で見下ろしてくる黒マントの痩躯の男――だったが、その視線は流護と噛み合わない。
目は虚ろ。鼻や唇といったパーツも歪んで曲がったような印象で、肌も病的に白く、ただただ不健康そうな雰囲気を漂わせている。ありきたりな恫喝の口ぶりも、どこか呂律が回っていない。
それでいて、聞き及んだだけで初対面の流護をしっかりと認識している。切れるようでいて壊れているような、奇妙な印象の男だった。
この早期での遭遇。流護と同じく、南側の橋から入庭したのだろう。
「おれぁ魔闘術士のヒョヌパピオ。残念だったなぁ? テメーは、おれに捕まらねーよーもっと周りに気を付けるべきだった、あぁああ」
面白みもない典型的な前口上を、少年は鼻で笑い飛ばす。
「ちゃんと喋れよ、品種改良に失敗したニワトリみてえなツラしやがって。フライドチキンにしたら品質問題になりそうだな。名前もダセぇときた。もう生まれ変わった方がいいんじゃね? 手伝うぜ」
「………………」
ヒョヌパピオは小首を傾げ、ぼうっと呆けた表情を見せる。流護の言葉の意味を咀嚼しているのか、「うん、うん」と虚ろな目で呟く。
――瞬間。
横から飛来した拳が、鞭のように流護の頬を打ち据えた。
「……、!」
同時、
「オイッ、113番ーッ! 何をしている!」
どこに潜んでいたのか、薮を突っ切って白服が飛び出してきた。
「まだ始まっていない。開始前の二十分間、暴力行為は禁止だ!」
流護とヒョヌパピオの間に割って入り、厳しい表情で一喝する。
「おっほ。悪い、悪い。いひ」
悪びれた風もなく、魔闘術士の男は両手を上げた。
「おれぁ、どーも我慢ってーのが苦手でよぉ」
きひ、と涎すら垂らしながら、男は楽しげに笑う。
「我慢、する必要がなかったんだ。腹が減ったら飯を食う。ヤリたくなったら女を食う。邪魔な奴はぶっ殺す。それで、やってこれた。何でも自由にできるぐれーに、おれぁ強いからだ。それが、魔闘術士だからだ」
このヒョヌパピオに『不健康そう』という印象を抱いた流護だったが、『そう』ではない。
事実、不健康なのだ。
我慢や自制をすることなく自堕落な暮らしを続け、実際に身体が崩壊しかけている。虚ろな目や呂律の回らない喋り方からして、薬や酒の依存性である可能性も高い。
例えばあのバルバドルフはどこか狡猾な雰囲気を漂わせていたが、この男にはそれが感じられなかった。
「この祭りで金貰ったらよ、次はレインディール……? って国に行くんだと。ひひ。何年か前に、そこで同胞が恥晒しちまったみてーでな。確かに、このままナメられっ放しってのも癪だしな、はははぁああぁ」
「……!」
突然出てきたまさかの国名に、流護は目を見開く。
五年前。幾度となく聞いた、王都テロの話。暴れ回った魔闘術士の一団を、ナスタディオ学院長が制圧したという話。
その再現とでもいうべきか。
天轟闘宴を終えた後。
こいつらは、レインディールへやってくる。
「…………、ふ、はは」
自然と。少年の口からは、笑いが漏れていた。
「は? 何がおかしいんだ、何がおかしいんだ? あ?」
「何でも、ねえよ」
――ああ。兵士としての理由も、できたじゃねえか。
レインディールの遊撃兵として。
ここでこのクソ共を、完全にブッ潰しておかねぇとな――
「念の為に告げておくが……開始まであと二分を切っているぞ」
傍らで佇む白服の声に、
「了解、っす」
「ぃひひひひ、ひひひ」
両者はその場から動く素振りすら見せず、ただ嗤った。
『開始まであと二分を切りました! ……しかし、今ほどのヒョヌパピオ選手の暴力行為には驚きましたが……認められるんですか、あれはっ』
シーノメアの声にも、若干の困惑と憤りが入り交じっている。
しかし尋ねられたドゥエンは、どこまでも感情を滲ませることなく答えた。
『無論、違反です。制止に入った白服は注意で済ませましたが……そのあたりの判定も、状況や役員個々の裁量によって左右されます』
禁則事項を破って注意を受けた場合、授賞にも響き不利となる。反省がみられず、再び悪質な行為に及ぶようなら、失格もありえるだろう――とドゥエンは締め括った。
『なるほど……。詳しい解説、ありがとうございましたっ。……あっ! いよいよ開始まで一分を切りました! 依然、124番のリューゴ・アリウミ選手と113番のヒョヌパピオ・ベグ選手は向かい合ったまま! これはもはや……開始と同時に激突すると考えて間違いないでしょうか!?』
『ええ、そうですね』
『ということは、初撃破もこのどちらかが獲得……いや、注意を受けたヒョヌパピオ選手は授賞できない可能性もありますね』
『初撃破を獲得するのは……この二人「以外」の可能性の方が高いかもしれません』
当然のように言ってのけるドゥエンへ、シーノメアはきょとんとした視線を向ける。
『鏡越しなので私にも掴めませんが……恐らくこの二人の周囲では、他の参加者が身を潜めている筈』
『え!? そうなんですか!?』
『互いに認識し合い、正面から激突する両者……その意識の外から不意を打てば、楽に仕留められる公算が高いですから』
不意打ちとは、ある意味で天轟闘宴における基本なのだ。
可能な限り力を温存し、反撃を受けず、速やかに討つ。これを追求していくと自然、奇襲という形に終着する。
『むむむ……二人が激しく火花を散らすのか、それとも伏兵が背後から二人を仕留めるのか!? 開始まで二十秒!』
総勢三万名の観客たちが見守る中、黒水鏡に浮かび上がるは二人の雄。
124番、リューゴ・アリウミ。
113番、ヒョヌパピオ・ベグ。
『十! 九、八、』
いよいよ迫る開幕。
「……っ、流護くん……」
見守る巫女の視線は『画面』に釘付けとなり、
「リューゴ……!」
同じく黒水鏡を注視する少女騎士の握る手には力が篭もる。
『二、一ッ……』
『――始めっ!』
シーノメアの掛け声と共に、天轟闘宴開始を告げる大きな花火が高々と鳴り響いた。