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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
6. 雪桜のスペクトラム
181/667

181. それぞれの昼下がり

「よし……」


 一息つき、流護は天轟闘宴の参加登録会場となっているその建物を振り返った。

 普段は違う用途で活用しているのだろう。何の変哲もない、レンガ造りの平たい建造物。流護がぼんやり眺める間にも、屈強そうな男がまた一人、中へと入っていく。


「……あとは出場するだけ、だね」


 同じように眺めていたベルグレッテが、ぽつりと呟いた。おう、と流護は力強く頷き返す。


 天轟闘宴への参加登録は、実にあっさりと終了した。

 必要なものは名前の記入と参加費用の十万エスク。代わりに、注意事項や規定の書かれた簡素な用紙を受け取った。

 出自は問わない。名前すら最悪、偽名でも構わないのだろう。

 流護も念のため、レインディールの遊撃兵であることは伏せておいた。

 ならず者めいた、すねに傷のある者も少なからず参加するといわれる闘いの場。『兵士』というだけでいらぬ反感を買い、目をつけられることもありうるからだ。

 滞りなく登録を終えた流護だったが、対応していた案内係の女性の冷めた声が、今も耳に残っている。


『お客様が天轟闘宴へ参加されることによって、どのような事態が起ころうとも、当方は一切の責任を負いません。全て自己責任であることをご了承願います』


(……上等だ)


 流護は鼓舞するように、自らの拳を手のひらへ軽く打ちつけた。

 と同時、


「それじゃあリューゴ!」

「お、おう?」


 いきなり鼻息荒く眉を吊り上げるベルグレッテに、思わずのけ反る。


「私、これまでの天轟闘宴について色々と調べてみる。過去の回を振り返れば、何か対策も立てられるかもしれないし」


 ここへ来る道すがら、漠然と話していたことだった。


「おう……サンキュな。はは、何だかマネージャーみたいだな、ベル子」


 自分のことみたいに奮起する少女騎士を見て、ふと空手部のマネージャーを務めていた先輩の顔が流護の脳裏に浮かんだ。


「まねーじゃー?」


 小首を傾げるベルグレッテに苦笑しつつ、元・空手部の少年は周囲へ首を巡らせながら問いかける。


「調べるっても、具体的にどうするんだ?」

「うん。ひとまず、図書館に行ってみるつもり」


 過去の勝者や、常連に関する情報。どんな術を使う者がいたか等々。

 天轟闘宴についての機関紙も数多く発行されており、それらが図書館に保管されているとのこと。劇的に有利となる何かが得られる訳でもないだろうが、こういった地道な下調べというものは確かな礎となる。


「よし、じゃあ行ってみるか――」

「あ。リューゴは、宿に戻ってて」

「え? なんで?」


 ビシッと言われ困惑する流護に、ベルグレッテはピッと人差し指を立てて言い募る。


「リューゴは、当日まで体調を整えることに専念して。宿に戻って、身体を休めて」

「え、お、おう」

「参加する以上、せめて万全の状態で臨めるようにしましょう。あっ、修練する場合はほどほどにね。この暑さだし、倒れちゃったら元も子もないから」

「あー、うん、はい」

「もらった規定用紙も読み込んで、内容をよく把握しておくこと!」

「えーと、はい」


 うん、これはマネージャーだ。

 密かに期待した図書館デートを惜しみつつも、確かに今は天轟闘宴へ向けて備えるべきだろう、と気合を入れ直す。


 お互いに気をつけてと言い合って別れ、二人は雑踏の中をそれぞれ反対方向へと歩いていく。

 ミョールがあのような目に遭った昨日の今日。魔闘術士メイガスの他にも無法者がいないとは限らない。基本的にはどこも人波で賑わってはいるものの、人気ひとけのない道を通るのは厳禁。トラブルに巻き込まれないよう、注意して――


「……っと」


 ぐるる、と流護の胃が空腹を訴えた。

 懐中時計を取り出してみれば、とうに昼を過ぎている。桜枝里のところにいた時点で昼前だったのだから、それも当然か。


(ベル子と一緒にメシにしときゃよかったかな……)


 わずか後悔しつつ、思案する。

 宿へ戻って昼飯にするのもいいが、せっかくやってきた異国の地。たまには違う店でも食べてみたい。

 帰る道中で、よさげな店を見繕ってみよう――と歩き出す流護だった。






「らっしゃーァアアァ――――ッ、セェッ! 一名様ァ、アご案内ッッ!」


 威勢のいい声に迎えられて入った店の内装は、流護の知るところでいえば寿司屋に近しい印象だった。幾重にも輪を描く木目美しい柱や梁、床。それに合わせたのだろう、茶色や黒を主とした調度品で飾られた、どことなくわびさびを感じさせる空間。

 昼時を過ぎていることもあってか、客の入りはそこそこだ。カウンター席に横並びで腰掛けた数人が、食事しながらの談笑に興じている。民族衣装の者と旅装の人間の割合は、半々といったところか。

 中々いい雰囲気の店だな、と流護は胸中で満足しながら頷いた。


「ではこちらのお席で。ご注文がお決まり次第、アラッセッセアアァーッス!」


 ……気合が入りすぎて何を言っているのか分からない。

 ともかく案内されたカウンター席に腰掛け、メニューへ目を通す。和の趣が感じられるとはいえ、さすがに寿司や和食などというものはなく、この店は多種多様な丼物を売りとしているようだった。

 相も変わらずメニューを見たところでよく分からない。……ザルバウムは扱っていないようだ。

 お勧めの一品を注文し、何となく周囲へ視線を巡らせる――


「!? っ……ッんげっ……」

「おっ」


 ――までもなく、至近で目が合った。


 流護は喉の奥で呻き、相手は緩やかに口角を吊り上げる。

 燃え上がるような髪に紅玉の瞳。整っていながらも恐ろしく冷めた顔立ちをした、その男。


 ディノ・ゲイルローエンが、よりにもよってすぐ隣の席で茶をすすっていた。


 トラブルに巻き込まれないよう気をつけよう、どころの話ではない。破壊の集大成みたいな人間に遭遇してしまった。ていうかこいつ、お茶とか飲むのかよ。

 慌てて前を向く流護だったが、さすがに気付かなかったふりをするには無理がある。


「……クク」

「……、何だよ」


 反応しなきゃいいじゃん俺、と思いつつもジトリと視線を向けてしまう流護。


「イヤ……昨日の今日でコレだ。思ったより狭ェ街だと思ってな」

「あ? ああ、………そ、そうだな」


 …………。

 気まずいとかそんなレベルの話じゃない。注文する前にコイツがいるって気付いてれば、店変えてたのに……と心中で後悔する流護だったが、時すでに遅し。じりじりとした待ち時間が居心地の悪さに拍車をかける。

 チラリと様子を窺えば、落ち着かない流護とは真逆に、堂々とくつろぐ『ペンタ』の姿。

 しかしそれにしても、見た目だけなら腹が立ってくるほどの美形だ。『イケメンが入ったら爆発する箱』へ真っ先に入れなければならない存在といえるだろう。……箱に入れて爆発させるも、薄笑いを浮かべながら平然と出てくるディノの姿が思い浮かんでしまった。強い。


(……って、よくよく考えたら俺、コイツに勝ってるんだし……何を意識する必要があんだよ、くそっ)


 気を揉むのが馬鹿らしくなった流護は、開き直ってどっかと背もたれに身を預けた。


「なあ……ディノさんよ」


 名を呼べば、茶をすする超越者の真っ赤な瞳が、わずかに動いて流護を捉える。


「一応訊くけど……お前、もう……ミアを狙うことはねぇんだよな」


 その問いを、赤髪の男は鼻で笑う。そして、挑発するように問い返す。


「狙う――つったらどーすんだ?」



「メシ食ったら表に出ろ。ブッ潰す」



 即答。

 その流護の声は、決して大きなものではなかった。むしろ、周囲の喧騒に紛れてしまう程度の声量だったろう。

 しかし刹那、店内が静まり返った。二人から発せられる、『何か』に当てられたかのように。

 次第にざわめきが戻ると同時、目を細めて超越者が笑う。


「ハッ……昨日はバカみてぇに腑抜けちまってて何事かと思ったが、ちったぁマシなツラになったじゃねェか」

「うるせー。で? どうなんだよ」


 ディノは心底馬鹿にしたみたいに鼻を鳴らした。いや――事実、馬鹿にしたのだろう。


「記憶喪失だか何だか知らねェけど……少しは『仕組み』ってのを理解しとけよ、勇者クン」

「あ? 仕組み?」

「オレがあのチンチクリンをさらったのは、仕事だったからだ。オメーとったのも仕事。ソレが依頼人の要望だったからな」


 茶を一口、『ペンタ』は試すように笑った。


「例えばの話、オメーやあの小娘が金を払って依頼するなら、オレはオメーらの味方にだってなり得る。あの世界の稼業ってのは、そういうモンなんだよ」

「…………、」


 傭兵であるゴンダーもそうだった。報酬次第で、敵にも味方にもなる。私情は挟まない。それが、『彼ら』の在り方なのだろう。


「……ふーん。それじゃ俺から一つ、仕事依頼してえんだけど」

「ほう?」


 運ばれてきた食事を受け取りつつ、ディノが目を細める。


「内容は、天轟闘宴についてだ。ディノさんよ、金出すから出場辞退してくんね?」

「ふーん。そうだな、千五百万ってトコで請けるぜ」

「ざけんなこの野郎」

「ハハ。一千万をフイにしろって言ってんだぜ、オメーはよ。なら、相応の対価は払ってもらわなきゃな」


 一千万エスクの獲得――つまり、自らの優勝を微塵も疑っていない。相変わらずの自信家っぷりに、流護は辟易としそうになった。

 肉の切り身を口へと運びながら、その自信家は続ける。


「何だ、オメーも出るワケか」

「まあ……」

「そうかそうか」


『ペンタ』のその声には、間違いなく愉悦が混じっていた。

 先ほどの『依頼』は冗談半分(つまり半分は本気)だったが、やはりこの男との激突は避けられないらしい。

 流護は諦めの溜息と共にぼやく。


「つーかお前、何でこの国にいるんだよ……いきなり学院辞めるとか言い出すし」

「昨日言ったろ。アレ以外の理由はねェよ。だったら、オメーの方がよっぽどだぜ。学院の勇者クンが、何でこんなトコにいんだ。仕事とか何とか言ってたみてぇだが」


 ようやく運ばれてきた丼物を受け取り、流護は渋々頷く。


「遊撃兵になったんで」

「はァ? 遊撃兵? レインディールの? オメーが?」

「……何だよ」

「……イヤ別に。ワザワザ兵隊なんぞになるたァ……物好きなこったな」


 それはどんな感情だったのだろう。珍しく困惑したような顔を見せるディノだったが、すぐに食事を再開し始めた。

 しばし、他の客たちの談笑と食器の音のみが響く。


「……そうだ。もう一つ、訊いときたいことがある」


 いい機会だった。有力な情報が得られるとは思えなかったが、やはり確認しておくべきだろう。

 流護は食べる手を止めて問いかけた。


「レドラックがどうなったか、知らねぇか?」

「おっ。そりゃ、遊撃兵としての聞き込みか?」

「茶化すんじゃねえよ」

「フフ。オレはあの任務を『失敗』したワケだしな。後のコトなんざ知りもしねェが……」


『失敗』の原因となった流護を意味ありげに見やり、続ける。


「レドラックってのは、テメーで下着を穿けるかどうかも怪しいブタだ。あの件で、部下や繋がりのあった連中との縁も切れたろう。日常生活も覚束ねェブタがたった一人で逃げ延びるなんてこた、まず考えられねェ」

「ってことは……」

「見つからねェなら、どっかで人知れず転がってる……ってのが妥当なトコだろうな」

「……、」


 かつてミアを連れ去るようディノに依頼した、マフィアのボス・レドラック。

 行方知れずとなったまま、今もその消息は掴めていない。川に転落してそれきりとなっているため、ディノの言う通り、そのまま死亡している可能性もある。走ることすらままならなかったあの体型で、泳ぎが達者とも思えない。


 ……が、流護としてはどうにも腑に落ちない。

 レドラックが転落した川は、ディアレーの街へと続いている。仮に死んでいるなら、街やその周辺で死体が見つかっているのではないかと思うのだ。かつて流護が目撃した、あの『エクスペンド』の娘のように。無残に川岸へと打ち上げられていた、あの奴隷の少女のように。

 ディアレーの街は大きい。死体が誰にも見つからず、引っ掛からずに流れていったとは考えにくい。


 ディノはもう興味なさげに茶をすすっている。

 レドラックはあのとき、この男の臓器をも狙っているかのような発言をしていた。二人が今も繋がっていることはないだろう。

 孤立したレドラックなど、もはや気にする必要はないのかもしれないが……。


 無言で食べ続けることしばし、先に食べ終えたディノがおもむろに立ち上がった。威勢よくやってきた店員に支払いを終え、踵を返す。


「じゃーな、勇者クン。天轟闘宴……楽しみにしてるぜ」


 朱色をした男の瞳は、心なしか爛々と輝いているように見えた。

 ――ああ、リベンジする気マンマンだこいつ。

 流護は、ただ深々と溜息を吐き出すのだった。






 ビャクラク王立図書館。

 都市の大きさに見合った三階建ての巨大施設は、蔵書の数も百二十万超に及ぶ。

 白塗りの壁に、瓦と呼ばれる建材を敷き詰めた黒い屋根。王城と同じ、皓楼式こうろうしきと呼ばれるレフェ独自の不思議な趣ある建物を前に、ベルグレッテは気合を入れるように小さく頷く。

 ……のだが、くるる、と気の抜けるような音が腹から鳴り響いた。


(あぅ……リューゴと一緒に、お昼ご飯にしておけばよかったかも……)


 流護の参加登録や、調べものをしなければ――という思いに突き動かされるあまり、食事のことも忘れてしまっていた。

 幸いにして、図書館の一階に食堂があるらしい。昼食はそこで済ませてしまえばいいだろう。


(……それにしても)


 おかしなものだ、とベルグレッテは思う。

 流護の天轟闘宴参加に、全面協力しようとしている自分。どんな理由があるにせよ、間違いなく咎められるだろう行い。

 アルディア王は全く読めないが、クレアリアや『銀黎部隊シルヴァリオス』の長であるラティアスは確実に眉をひそめるだろうと予想できる。それでもクレアリアは最近丸くなってきた感があるので、説明すれば分かってくれるかもしれないが、咎を受けるようなことがあれば、両親だって驚いてしまうだろう。

 結局のところ、様々な人たちに心配や迷惑をかけることになる。


 それでもやはり、ミョールや桜枝里を放ったまま戻ることが正しいとは思えない。何より、正誤の問題ではなく、そんなことはしたくない。

 ……以前の自分ならば、どうしていただろうか。これほど早く決断できず、いつまでも悩んでいたかもしれない。先日の夜、流護が指摘したように。


(変わった……のかなぁ)


 昨夜の話を思い出す。流護と出会ったことで、確かに自分は変わりつつあるのかもしれない。

 漠然とそんなことを考えながら、少女騎士は図書館の扉を押し開けるのだった。






 威圧するように高々と立ち並ぶ、膨大な数の本を蔵した棚の群れ。

 レインディールの図書館よりも遥かに規模が大きい。どことなく漂う厳かな雰囲気に、ベルグレッテは思わず気圧されてしまう。


 そしてやはり、同じことを考えている者は少なくなかったらしい。

 図書館内には、学問や勉学とは縁遠そうな荒々しい男たちの姿が散見された。

 これより始まるは、強者ひしめく闘争の宴。

 正面からぶつかるだけで勝てるような闘いではない。いかにリスクを排し、無駄を避け、効率よく動けるか。そういった部分を追求するのであれば、過去の武祭の記録を洗うのは必然ともいえる。


「……相棒よ。これ、何て書いてあるんだい?」

「あー、どれどれ……んー? なんだこりゃ? 面倒臭ぇが、調べながら読むとするか」


 クマのような体躯の男たちが、小さな紙束を前に四苦八苦している。

 出身地にもよるが、教育を受けておらず、字の読み書きができないという者は少なくない。この二人もそうなのだろう。彼らにしてみれば、正面から敵と激突するほうがよほど気楽なはずだ。そんな剛の者であっても、下調べに奔走する。それが天轟闘宴という武祭。


「兄貴ィ、資料見つけてきましたぜ!」

「よし、でかしたガドガド……って、『巫女の歴史』……? これ、天轟闘宴関係ねぇじゃねえか。お前、まだまともに字ィ読めるようになってねえのか。勉強しとけって言っただろうによ」

「す、すまねえ兄貴ィ。……うーん、それにしても巫女かぁ。そういえば今回の巫女は、えらい別嬪だって話ですぜ。親身になって話も聞いてくれるとか。俺っちも一目会ってみてぇなぁ、ぐへへへ」

「お前みたいな悪人ヅラの怪しい奴でも、相手してくれるもんなのかね」

「ひ、ひでえよ兄貴ィ。だいたい顔のこと言ったら、兄貴だって……いてっ! ぶたないでくれよぉ」


 こちらは共に不精ひげを生やした二人組みだった。小太りの男――まだ少年といっていい年齢の弟分らしき人物が、ひょろりとした男に咎められている。何やら桜枝里の話題も出ていたが、やはり武祭について調べものをしようとしているようだ。


(よーっし……まずはご飯にして、それから調べるとしましょうか)


 長い戦いになりそうだ。少女は奮起して、まずは食堂へ向かうのだった。






(うーん……)


 資料のページを繰る手を止め、ベルグレッテは小さな息をつく。


 天轟闘宴の舞台は、『無極むきょくの庭』と呼ばれる広大な森。首都西部に位置し、周囲を川に囲まれた深緑の聖地である。ここは古くから霊場となっており、その満ち溢れた魂心力プラルナゆえか、森の木々は異常進化を遂げている。強靭に育った樹木は生半可な神詠術オラクルではびくともせず、炎の術すら容易に弾くという。霊場の常であるが、気配察知などの術は用を成さない。乱立する木々はその頑丈さから、天轟闘宴においては遮蔽物や盾としても機能する。


 複雑に入り組んだ森林での闘い。

 当然だが、初参加というだけで流護は不利だ。常連ならば、森の地形を把握していてもおかしくない。一方的な不意打ちを受けることもありうるだろう。

 目を通していた資料に大まかな森林の見取り図を発見し、念のため手書きで紙に写していく。かなりの高さを誇る崖や丘、湖などもあるようだ。


(それにしても、この顔ぶれ……)


 過去の受賞者について記されている資料へ目を通す。

 毎回参加し、安定した好成績を残している者も多い。ドゥエン不参加の回を狙い、必ず出場している者もいる。そういった人物は今回も当然ながら参加してくるはずだ。


 ちなみに各地から様々な強者が集うこともあってか、今回の魔闘術士メイガスのように粗暴な行いの目立つ輩が現れることもやはり珍しくはないらしい。

 過去には手に負えないような悪漢が出場しようとしたこともあったようだが、なぜか武祭前になって失踪してしまったという事例が数件記載されている。

 散々息巻いたものの、いざ本番を前に不安になって逃亡したのだろう――との仮説が添えられていた。


 それはともかくとして、ここで気にするべきはやはり常連。それも、好成績を残している者たちだ。


(特に、この……)


 グリーフット・マルティホーク。

 バダルエ・ベカー。


 前者、グリーフットは前々回の撃墜王として認定されており、優勝を飾った西の『ペンタ』、レヴィン・レイフィールドと最後まで覇を競っていたとされる詠術士メイジである。

「せっかくドゥエン氏不在の回を狙ったのに、まさか『ペンタ』と争うことになるとは悲しい。次こそは優勝したいものです」とのコメントを残している。

 そして、実際に対峙したレヴィンのコメントはこうだ。


「恐るべき氷術の使い手でした。文字通り、背筋が凍りつきました」


 隣り合う国の騎士同士ということで、ベルグレッテはレヴィンとも親交がある。謙虚な彼らしい一言といえるだろう。しかし。

 ……当時十三歳とはいえ、『ペンタ』に――あのレヴィンにここまで言わしめる男。ドゥエン不在の今回、参加してくる可能性は極めて高いはずだ。


 後者のバダルエは、ジェド・メティーウ神教会の敬虔な信者。朝起きて祈り、食事前に祈り、出かける際に祈り、寝る前に祈り――と、深い信仰を捧げる信徒の一人。

 などといえば、聞こえはいい。だが問題は、そこに記されたバダルエの所属する組織名だった。


(……、『イル・イッシュ』……)


 各地に支部を持ち、信者数も四十万名を超えるジェド・メティーウ神教会。その中の一つ、数ある宗教派閥の中でも殊更に異端視される、とある一派の名称。

 一言で表現するならば――狂信者。信仰のためには己の命すら投げ出す集団。自らの生すら省みぬ者たちだ。他者に対してどうであるかなどは、説明するまでもないだろう。極めて危険な一派だった。

 厄介なことに、権力者や実力派も多い。その盲信ゆえ誰よりも神詠術オラクルを信じ磨き上げるため、結果として優秀な術者が生まれるのだ。

 このバダルエも、天轟闘宴の常連だという。信仰を広めるために参加しているなどと書かれているが……ともかく、注意すべき相手に違いない。


 そして。

 エンロカク。ディノ。魔闘術士メイガス。ダイゴスの他に、『十三武家』からも何名かが出場するという。そのうえ現時点で、すでに過去最高の参加人数が見込まれている。まだ見ぬ強者もいることだろう。


(これって、もう……)


 ドゥエン不在の『当たり回』などではない。強者が鎬を削る、熾烈な激戦の舞台となりつつある。

 ちなみにエンロカクについても調べてみたベルグレッテだったが、それらしき資料は見つからなかった。不自然なほどに。

 しかし、あのドゥエンをして『国の暗部』と言わしめる存在。表沙汰にできない事情を抱えた、異質な何者かであることは違いない。

 レフェの人間であることは間違いなさそうだったため、ゴンダーにも尋ねてみたのだが、心当たりがないとのことだった。ちなみに、たまたま話を聞いていた彼の父親は「聞き覚えがあるような……」と首を傾げていたが、思い出すには至らなかった。

 そもそも、同名の人間だっているかもしれない。せめてあの男のフルネームが分かれば、何か情報が得られたかもしれないのだが……生まれの事情で苗字を持たない者もいれば、様々な事情で捨てたり剥奪されたりする者もいる。

 エンロカクという名前だけでは、これ以上の情報は得られないかもしれない。入城できるうちに、ダイゴスに尋ねておくべきだったか。

 ただ現時点で確実なのは――紛うことなき強敵である、ということ。


(リューゴ……)


 いくら彼とはいえ、この闘いを勝ち抜けるのか。本人は自信満々だが、あえてそう振舞っているようにも見える。

 さすがに不安が――


「あっ」


 ばさばさと、資料の数枚が机から滑り落ちてしまった。埃を払って拾い上げる。


「……?」


 その中の一枚が、目に留まった。天轟闘宴の資料ではない。日報紙のようだ。元から紛れ込んでいたのだろう。


「…………!」


 ベルグレッテは薄氷色アイスブルーの瞳を見開く。

 それは、怨魔による被害を報じた日刊紙だった。日付は六年前の秋。紙面はくすんで色あせている。

 が、そんなことは気にならなかった。

 その内容に目を奪われる。

『帯剣の黒鬼』と呼ばれる怨魔により、レフェの山村が一つ壊滅したという記事だった。鬼の正体はプレディレッケ。元より死神の異名を持つ恐ろしい怪物であるが、その個体には他と大きく異なる特徴が二つ。

 一つは、隻眼であること。そしてもう一つは、右腕の上部に剣が突き刺さっていること。その刃は抜け落ちずに鎌と一体化しており、皮肉にもより凶悪な武器として振るわれるという。


(…………)


 プレディレッケとこの国、レフェ巫術神国。その二つの結びつきは、ベルグレッテにとって否が応にも亡くなった兄を想起させる。

 あの怪物は元々、個体数も少ない怨魔ではあるが……。


(……まさか、ね)


 考えすぎだろう。知らず、溜息が零れる。


(……兄さま……、)


 あれから長い時が過ぎた。さすがにもう、引きずっているつもりはない。……ない、はずだ。

 それでもしばし。自らが騎士を目指す切っ掛けとなった兄を思い、少女は懐かしむような感傷に浸った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 昨日からここまで一気に読みました。 なろうに訪れてから5年程度経ちますが、こんなに良い作品があるとは。 最近の濫造された作品傾向に辟易していたので夢中になって読み進めております。 まだまだ…
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