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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
6. 雪桜のスペクトラム
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177. すれ違い

「あっ……」

「……む」


 何という偶然だろう。

 アイスを食べようと食堂へやってきた桜枝里は、バッタリとダイゴスに遭遇した。


「……えと、あ、はは」


 昼間、逃げるようにダイゴスたちの前から走り去った少女としては、どうにも気まずさを感じてしまう。


「あの……昼間は、その」

「……いや。お主に非はなかろう。気にせんでええ」


 巨漢は低くそう答えた。いつも通り、飾り気はなくとも、どこか温かみを感じさせる声音で。


「だ、大吾さんは、これから夕ご飯?」

「ああ」

「そうなんだ。私は、アイス食べにきたところ」

「そうか」

「一緒に食べよっ」


 妙な間が生まれないうちに畳みかけた。返事を待たずダイゴスの腕を引き、適当な席へ連れていく。

 夕飯の時間を大きく過ぎているためか、人は少なかった。それでも桜枝里に気付いた数人が、仰々しく一礼しながら道を空ける。多少の居心地の悪さを感じたが、何だかんだでそういった扱いを受けることにも慣れつつあった。


 共に無言で食べることしばし。

 桜枝里は椅子に背を預けつつ、大きな溜息を吐く。


「はー。天轟闘宴、かぁ……」


 レフェにおいて最も大きな催し事の一つ。開催まであと五日。自分が――エンロカクに引き渡されてしまうかもしれない、悪夢のような祭事。

 果たしてそれが、悪夢で終わるのか。現実のものとなってしまうのか。


「……ね。私、ほんとにあのエンロカクって人に……引き渡されちゃうの?」


 弱音のように吐き出していた。

『ある言葉』を、期待して。


「そうならんよう、手配は済んどる。安心せえ」


 ――違う。

 そういうことを、言ってほしいんじゃない。


「や、もう……そうじゃなくてさぁ……」


 溶けかけたアイスをスプーンの先でさくさくと切り分けながら、桜枝里は自分の頬が熱くなるのを自覚していた。


「そうじゃなくて……大吾さん、天轟闘宴に出るわけでしょ?」

「……? ああ」

「だから……こう――『ワシが優勝する。お主を奴には渡しはせん』……みたいな感じで言ってくれちゃっても、いーんじゃないでしょーか、とかっ……」


 ばくばくと。

 心臓が、うるさいくらいに高鳴っていた。

 だから。


「……そんなことは、口が裂けても言えん」


 その言葉で、冷や水を浴びせられた気持ちになった。


「べ、別にさ。嘘でもいいから、そんなふうにちょーっとだけ、ヘコんでる私を元気づけてくれちゃってもいーのだよ? っていうか……っ」

「できんことを約束する気はない」

「…………そっか」


 もやもやした気持ちが、胸の中を満たしていく。……どす黒い何かが、満ちていく。


「そう、だよね。……『神域の巫女』だなんていっても、結局は……替えがきく、消耗品なんだもんね」

「! ……サエリ」


 ――あれ……私、こんなこと、言うつもりじゃ――


「大吾さんが、そんなふうにがんばってくれるわけ、ないよね。巫女の……私なんかの、ために」


 止まらない。


「ご、ごめんね。迷惑だったよね。調子に乗って、ごめんなさい。ウザかったよね」


 言葉が――涙が、勝手に溢れ出していく。


「で、でもさ。私の気持ちも、ちょっとは考えてもらえたら嬉しいな。私だって、好きで巫女やってるわけじゃないよ。私、家に帰りたい。でも帰れないから、他になにもできないから、やってるんだよ。なのに……あんな人のものになれ、なんて言われたら……」


 気付けば席を立ち、しゃくり上げていた。


「……大吾さんの、ばか……!」


 叫ばないだけ、上出来だと思った。

 ともすれば次々と溢れてきそうな黒い感情を必死で抑えつけ、桜枝里は逃げ出すように駆け出していた。






「…………」


 食堂を飛び出していく桜枝里。ダイゴスはただ、後ろ姿を見送っていた。

 その背中が見えなくなると同時、


「んー青春だなー、ダイゴスよ」


 背後からかけられる間延びした声。

 振り返れば――いつからそこにいたのか、一人の若い男の姿があった。背丈はダイゴスより頭ひとつ分ほど低く、スラリとした印象。茶色い短髪は所々がハネており、左耳につけられたイヤーカフスからは、細かい鎖に繋がれた極小のシルバーリングが垂れ下がっている。西方寄りの美しい顔立ちは女性の注目を集めそうだが、同時に軽薄な雰囲気も漂わせていた。

 民族衣装もだらしなく着崩しており、実直で堅い性格の者が多いとされるレフェの男たちの中では、よくも悪くも異質で目立つだろう。

 名を、ラデイル・アケローン。矛の家系、三兄弟が次男。正真正銘、ダイゴスの兄だった。


「……兄者か。怨魔征伐に出とると聞いたが」


 領内の村近郊に怨魔が出没したため、それらを駆除すべく留守にしていたはずだった。帰還は三日後の予定だったと記憶しているが。


「いや実際、出てたんだけどよおー」


 次兄は気だるそうに椅子へ腰掛け、大きく天井を仰ぐ。


「相手が『黒鬼』だって話でな。俺は単に道案内役ではあったんだけど、柄にもなく気合なんぞ入れて行ったワケよ」

「! ……奴が……、四年ぶりか」


 ダイゴスはその細い眼をわずかに見開く。


 豊かな自然と温暖な気候に恵まれたレフェの国土は、様々な生物が棲息できる環境を備えている。しかし同時に、規格外の怪物を育みやすい土壌が形成されているともいえた。


 ここ十数年のレフェ国内において、その名を知らぬ者はいないとまで噂される怨魔の存在があった。

 それを一言で表現するならば、巨大なカマキリだろう。闇を纏ったかのような黒い躯。金属よりも硬い外皮。両腕に携えしは、命を刈り取る鋭い鎌――。


 区分はカテゴリーA、その名をプレディレッケという。

 ただでさえ慈悲なき死神として知られる恐ろしい怨魔だが、レフェにおいて知られるその個体は、一際群を抜いていた。

 体長は通常のおよそ倍となる四マイレ弱。性格は計算高く狡猾。隻眼で、左眼が潰れている。何より特徴的なのは、右腕の鎌――その上部に剣が突き刺さっていることだった。過去、勇敢にも立ち向かった戦士のものか。上品な意匠の施された、細身の長剣。硬い外殻を有するプレディレッケに突き立てたのだ。かなりの業物であり、かなりの使い手だったのだろう。その者の顛末は知るよしもないが、刺さった長剣は抜けることなく怨魔の身体と一体化し、今や怪物の右腕は剣と鎌を同時に携えた二枚刃の凶器へと変貌していた。

 またこの個体は、光の煌きを極度に嫌うことで知られている。大掛かりな商隊が襲われ全滅した際、積荷として運ばれていた鏡だけが徹底的に破壊されていたとの記録もあった。


 光を厭う、右手に剣を携えし闇の怪物。

 誰が呼び始めたのか、通称『帯剣の黒鬼』。


 大きな町村や街道に近づくことはなく、森から森を渡り歩き、静かに獲物を狩る。一ヶ所に長く留まることはせず、雄大なレフェの山々を彷徨っているという。

 基本的には人目を避けたがる傾向があるようで、むやみに森林へ近づきさえしなければ、脅威度は低いともいわれていた。

 が、それは都会の人間の認識だ。森に居を構えている者たちからすれば、文字通り死神以外の何者でもない。

 大きな街には近づかずとも、山中の小さな村となれば別だった。一夜にして村が壊滅した――という話は、決して珍しいものではない。目撃証言が報告されるたびに部隊が派遣されてはいるものの、未だ討伐には至っていないのが現状だった。魔除け――というほどの効果は見込めないが、『黒鬼』の嫌う巨大な鏡を何枚も立てかけ、対策としている村もあるようだった。


「……にしたって、今回はおかしかったんだよなあー」

「何がじゃ」

「五十人体制で森ん中探したのに、『黒鬼』の影も形も見つからなかったんだよ。パッタリと姿が消えたみたいにさ。ヤツがいた形跡は間違いなくあったんだよな、足跡とかフンとか。シダゼン爺も不思議がってたぜ。『ヤツを追って十年、こんなのは初めてじゃあ』って」


 フッと鼻を鳴らし、兄は続ける。


「……あんなジジイの『こんなのは初めて』って言葉は実に気持ちが悪かった。吐きそう」


 ダイゴスはあえて戯言を無視した。

 このいい加減な次兄はともかくとして、『黒鬼』追いの専門家であるシダゼン老が言うならば、そうなのだろう。

 結果として、集落近郊の被害は皆無だったとのこと。『帯剣の黒鬼』の姿が消え、何事もなかったのなら、ひとまず安心してよいのだろうが――


「それよりダイゴスっ」


 唐突に呼ばれて顔を向ければ、


「マイナス千点だぞ、さっきのは」


 困ったように眉根を寄せ、チッチッと人差し指を振る兄の姿。そういった気障な仕草が様になっているのもうっとおしい。


「何がじゃ」

「何がじゃじゃないだろうがよおー、この唐変木が。いや、お前がこれほどまでの朴念仁だとは思わなかったぞ兄さんは。サエリ様だよサエリ様。何だあのぶっきらぼうな言い方は。優しい言葉をかけてあげるのもまた、紳士の努めだっての」


『だから……こう――「ワシが優勝する。お主を奴には渡しはせん」……みたいな感じで言ってくれちゃっても、いーんじゃないでしょーか、とかっ……』


「……出来もせんことを言って、ぬか喜びさせる気はない」


 その言は、ダイゴス自身が思った以上に苦々しい口調で吐き出されていた。

 それを聞いて、


「ぬか喜び……ね。ヘッ、よく言うぜ」


 次兄は鼻で笑う。


「だったら、最初から本当のことを言ってあげなよ。全部……包み隠さず、ね」

「――――」


 それは、最初のやりとりだ。

『私、ほんとにあのエンロカクって人に……引き渡されちゃうの?』

 と零した桜枝里に対し、

『そうならんよう、手配は済んどる。安心せえ』

 と返したダイゴス。


 その嘘を、指摘している。


 実際のところ。

 雪崎桜枝里がエンロカクに引き渡されてしまう可能性は、現状で極めて高い。

 長兄ドゥエンは言った。


「手負いの奴を相手取るならば、許可も下りるだろう。そうなれば――私が、奴を始末してやる」と。


 しかしそれは、裏を返すならば――エンロカクに消耗が見られなかった場合、抹殺の指令が下りないことを意味している。

 エンロカク・スティージェは強い。実際に対峙したダイゴス自身、それは肌で感じ取っていた。武祭の流れにもよるが、現状であの男がほとんど無傷のまま勝ち残る目は決して小さくない。

 過去にない人気を誇る桜枝里とて、結局は替えのきく巫女の一人にすぎない。小娘ひとりと引き換えに、災厄のような男を追い払えるのなら――

『千年議会』がどういう判断を下すかなど、考えるまでもなかった。何より、議会の中でも重鎮であるカーンダーラは、桜枝里の引き渡しによってエンロカクを抑えることに強く賛同している。


「まあ、何より今回……サエリ様が消えれば、カーンダーラの腹の虫も収まるだろうしな」

「……どういう意味じゃ」


 見計らったかのようなタイミングで出てきた名前に、ダイゴスは眉をひそめる。


「ああ、聞いてないのか。サエリ様な、巫女になってしばらくして、カーンダーラに言い寄られたんだと」

「………」

「もちろんサエリ様は、あんなハゲチビ小男なんぞ拒絶するワケだが――あのジジイの性格は、お前も知っての通りだ」


 何かが巨漢の中で繋がった。

 常にダイゴスを呼びつけ、一緒にいようとする桜枝里。昼間、カーンダーラと顔を合わせた際の桜枝里の様子。エンロカクの排除に関して、過剰なまでに保守的な姿勢をみせるカーンダーラ。


「誇りだけはご立派なあのジジイのことだ。サエリ様がエンロカクの手に落ちちまえば、さぞかし溜飲も下がるだろうよ」


 椅子の背もたれを軋ませて、ラデイルは天井を見つめる。


「サエリ様はさ―、大変だよな。持て囃されてるようでいて、周りに本当の味方なんていない。彼女自身、上辺だけで持ち上げられてるって分かっていながら、毎日務めをこなしてる。巫術が使えねーってのも、この国だから許されてるようなもんだ。もしあの子がレインディールあたりに迷い込んでたら、どんな扱いを受けてたか……分かったもんじゃないね」


 おお怖い怖い、と大げさに肩を竦め、ラデイルは席を立つ。


「そんじゃ、兄さんは部屋に戻るけど」


 すれ違い際に、ぽつりと言った。飄々とした不真面目な次兄らしからぬ、ひどく真面目な……優しい声音で。



「――いいんだぜ、ダイゴス。お前ぐらいは、あの子の味方をしてあげても」



「――」


 時が、止まる。

 何か反論しようとするダイゴスだったが、言葉が出なかった。そうして戸惑う間に、ラデイルが食堂を後にしていく。


(…………)


 その姿が見えなくなってもしばし、ダイゴスはその場で立ち尽くしていた。


(……そうか。ラデイルの兄者は、ワシの実力を――)


 次兄の言葉の裏に隠された真意。その意図を探りながら。

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