175. 燻り
「オイオイ、そりゃコッチのセリフだぜ。学院の勇者クンとロイヤルガードのオジョーチャンがこんなトコにいる方が驚きじゃねぇーの。ココはレインディールじゃねェんだが」
そんな言葉とは裏腹に、さして驚いた様子もなくディノは笑う。そもそもこの男にとっては、どうでもいいことなのだろう。
「……、私たちは任務。あなたがいることのほうが異質よ、ディノ・ゲイルローエン。あなたはレインディールの……ミディール学院の『ペンタ』でしょう。どうしてレフェにいるの? 誰の許可を得てやってきたの?」
ベルグレッテが敵意も露わに、厳しい目つきで問う。
「コエーコエー。そう睨むなよ」
「はぐらかさないで。答えなさい……!」
赤い男は、やれやれといった様子で肩を竦める。
「勇者クンにヤラレたオレはな、ちょっくら自分を見つめ直す旅に出たんだよ。フラフラしてたらココまで来ちまってな、じゃあついでなんで天轟闘宴とやらにも出てみるか、って思ったワケだ」
「!」
この男も天轟闘宴に出る。
驚きを隠せない流護だったが、
「ふざけないで……!」
ベルグレッテは声を荒げていた。
「あなたはミディール学院所属の『ペンタ』でしょう! ミアの件もそう、どうしてそう身勝手な真似を……!」
少女騎士の鋭い視線を受けたディノは、つまらなげな溜息を吐く。
「オジョーチャンは、学院の『ペンタ』であるオレが好き勝手すんのが気に食わねェワケだ」
「そうよ。あなたには、立場というものがある。ミディール学院の『ペンタ』という立場が。それを……」
立場がある、と。奇しくも、先ほど病院でゴンダーが流護に放った言葉と同じ。
「――いいぜ。じゃあ、こーしようじゃねェの」
ディノが目を細め、右腕を横に薙いだ。
「ッ!」
「てめ……!」
咄嗟に身構えるベルグレッテを庇い、流護も前へ出る。
が、現れたのはあの地獄のような炎ではなく、波紋を思わせる静かな揺らめき。見慣れた感のあるそれは――通信の神詠術。
今この場面で通信? ディノが? なぜ? 誰に? 困惑する流護たちをよそに、波紋の向こう側から声が――よく知っているその声が、響き渡った。
『あーい、どちらさまー』
「ハッ、相も変わらずやる気のねェ声だな。んなコトでいいのか? 学院長ともあろうお方がよ」
――そう。ディノが通信を飛ばしている相手は、ナスタディオ学院長だった。
『あら、ディノじゃないの。ひっさしぶりに連絡なんて寄越したかと思えば。にしても、やる気って点に関してだけはアンタに言われたくないわー』
ディノが相手でも、学院長の態度は変わらない。
『で、どしたの?』
そんな学院の責任者へ対し、所属している『ペンタ』は事もなげに言い放つ。
「ああ。学院、辞めさせてもらおうと思ってな」
絶句した。
流護たちはともかく、学院長に至っては飲み物を口に含みながら聞いていたようで、
『げ、ごほげほがほっ……、あづっ! ちょ、がふっ、ああぁお気に入りのクッションがああぁ! いきなり辞めるってアンタ……』
「用件はソレだけだ。じゃあな」
『待ちなさい! クッション弁償し』
波紋が消える。
そうして、ディノは赤い両眼をベルグレッテへと向けた。
「コレで問題ねェな?」
何でもない約束を、土壇場でキャンセルしたみたいな口調で。
「問題……って、ふざけないで!」
「ふざける? 何がだ? 学院の『ペンタ』ってのは、つまるところ将来国に所属するかどうかを決めかねてる連中だ。オレは所属するつもりなんざねェんでな。いずれ言うべきコトを、今言ったってだけの話だ」
「そ、れは……、」
思わず言葉に詰まりながらも、ベルグレッテは毅然とディノの瞳を見据えて訴える。
「ミディール学院の生徒であるということは、一流の詠術士を目指す学生たちにとっての誇り……心の拠りどころなのよ。それを、そんな軽々しく……」
「オメーらの価値観を押し付けんなよ。オレにしてみりゃ、そーじゃなかったってだけの話だろ」
悔しげに睨む少女騎士だったが、当のディノは話は終わったとばかりに流護へ視線を向けた。
「……何だ、えらくシケたツラしてんなァ勇者クン。久々って程でもねェと思うが……なんつーか、縮んだ? 小さくなったんじゃねェの?」
「……は? なるかよ、失礼な野郎だな……」
カチンときた流護は思わず睨み返す。
修練に明け暮れる日々。筋肉だって肥大しているのだ。この世界へやってきてから身長は測っていないが、伸び盛りの成長期。そろそろ百七十センチの大台に乗っていたっておかしくはない。
言い聞かせるようにそう思う少年だったが、
「そういう意味じゃねェよ。オレと闘った時のギラつきがまるで感じられねェっつーか――」
紅い瞳を細め、炎獣は嗤う。この上なく挑発的に。
「――今のオメー、三秒で殺せそうだぜ?」
ぞわり、と。
発せられた殺気に呼応するように、流護も嗤う。
「……あぁ? 試してみるかよ、この野郎」
刹那に舞い降りる沈黙。向かい合う二匹の雄。
「ちょっ――」
ベルグレッテが制止する暇もなく、爆発した。
瞬く間に間合いを詰めた――のは、ディノ・ゲイルローエン。炎こそ纏ってはいないものの、恐るべき迅さで接近し、右手を閃かせる。
「!」
まるで流護のお株を奪うかのような、超速の走り込み。そこからの一撃。
挑発だ。
あえて流護の戦術を模倣し、嘲笑っている。
(野っ、郎……!)
以前と変わらぬ、獣のごとき『ペンタ』の速度。が、近接戦闘において遅れを取るつもりなどない。
ディノによって横へ薙がれる右の凶手。半身を傾けて躱した流護が右拳を握る――間に、返す刀の左が飛んできた。
「……っ!」
迅い。
右を躱されることを織り込んだ、ディノの連係。相も変わらず、とても『技』と呼べるような洗練された動きではない。が、そんな次元を超越した猛獣の速度。しかし流護は咄嗟の反応でその左腕をいなし、捕り、ねじり上げる。
――刹那の攻防。その決着だった。
制されたディノが口を開く。
「……オイオイ。何のマネだ、こりゃ」
それは、失望の声色。
「……!」
流護自身ハッとして、ひやりとしたものが胸中を伝う。
左腕を極められたディノ。極めた流護。このまま折ることも容易な状態。一見して、流護がディノを制圧したようにも思える光景。
――しかし、
「しばらく見ねェうちに腑抜けちまったモンだな。同じ顔した別の人間かと疑っちまうぞ」
流護は咄嗟にディノの腕を捕った。捕ってしまった。ベルグレッテやクレアリアとの訓練の際、その決着となる形ではある。それが無意識に出てしまった。
――が。
相手は、まともな術の使えないチンピラではない。姉妹との訓練でもない。ディノ・ゲイルローエンという『ペンタ』に直で触れ、押さえつけるという行為。いつ炸裂するか分からない爆弾を抱え込むに等しい愚行。このままディノが炎を発現したなら、どうなってしまうのか。それはまさに火を見るより明らかだった。
刹那の攻防、その決着。負けたのは――
腕を捕られたはずの超越者は、まるで意に介さず、そのままの姿勢から素早く流護の足を蹴り払う。
「!」
速く鋭い一撃。
わずか宙に浮いた流護は、辛うじて片膝をつき持ちこたえる。
ディノは解放された右肩を回しながら、目の前で跪く相手をつまらなげに見下ろした。
「オメーには借りを返すつもりでいたんだが……ガッカリだな」
吐き捨てて、ディノは流護の脇を通りすぎていく。
「……、ガッカリ……だ? てめ、そりゃどういう……!」
振り返る流護の頬のすぐ横を、見えない何かがかすめ飛んでいった。バヂュンと音を立てたそれは、背後の石畳に着弾してわずかな白煙を吹き上げる。
人差し指から同じ煙をくゆらせながら、炎の『ペンタ』は熱の消えた瞳で言い捨てた。
「そのままの意味だっつの。何を燻ってんのか知らねェが……その腑抜けたツラを何とかしな。闘る価値ねェんだよ、今のオメーは」
ベルグレッテがディノを睨み据え、流護を守るように立ちはだかる。周囲には、何事かと人垣ができつつあった。それらを一瞥したディノは、完全に興味が失せたとばかりに去っていく。
(燻って……)
赤い男の後ろ姿を見据える流護の脳裏に、その言葉が反響していた。