173. 無法
「――では、ミョール・フェルストレム殿。これにて天轟闘宴への参加登録は完了となります。あなたに戦神の加護があらんことを」
「……はいっ」
飽くまで事務的な担当者の言葉だったが、ミョールは力強く頷いた。
踵を返し、勢いよくマントを翻して、登録会場となっている建物を後にする。外へ出れば、真夏の熱気が待ち構えていたように彼女を包み込んだ。
身構えてやってきたミョールだったものの、登録は思ったよりあっさりと終わってしまった。
だが。係員の――真夏だというのに思わずゾクリとしてしまった冷たい声が、今も頭の片隅に残っている。
『お客様が天轟闘宴へ参加されることによって、どのような事態が起ころうとも、当方は一切の責任を負いません。全て自己責任であることをご了承願います』
出場し、どんなケガを負おうが――例え命を失うことになろうが、自分の責任。
死者が出ることも稀ではない、武の祭典。
しかしそこは立ち回り次第だ、とミョールは自分を奮い立たせた。誰であっても優勝できる可能性がある。優勝できなくとも、賞金を得られるかもしれない機会がある。それが天轟闘宴。
もちろん優勝できる目となると皆無に等しいのだろうが、決してゼロではない。強者同士が潰し合った結果、実力の足りない者が運よく残ることもありえるのだ。
「……よーっし!」
ここまできて弱気になるな、と気を引き締める。
自分だって、村随一の使い手。ちょうどいい力試しの機会だ。余所の詠術士の実力を見せてもらうとしよう。
宿までの近道をするべく、何も考えずに細い路地へと入った。
いいほうに考えよう。薄暗い裏路のジトリとした雰囲気を振り払うように、気持ちを切り替えて歩く。
さて。仮に優勝できたなら、自分の場合は賞金一千万エスクと……何を望むだろう。野望に燃える女は漠然と考える。
(やっぱり……なんだかんだで、お金になっちゃうのかな?)
レフェという国に可能な範囲内で望みを叶えてもらえるとのことだが、他国の土地をもらっても仕方がない。村があり家族がいる以上、簡単に移住する訳にもいかなかった。常識やしきたりはもとより、何から何まで違う土地でやっていくのは難しい。そもそもレフェという国は、神詠術に対する考え方も違う。
過去には兵として取り立てられた者、レフェに土地と邸宅をもらい受けた者もいるようだが……。
実はレフェ以外の者が優勝した場合、望めるものの選択肢は存外に少ないのではないかと思う。となればやはり、妹の治療費を補ってあまりある、村が潤うほどの大金を――
がん、と頭に衝撃が走った。
「…………?」
何だろう、と思う間もなく、ミョールは自分の身体が傾いていくのを感じた。
地面が起き上がってくるかのような感覚と同時、前のめりになって倒れ伏す。ざらついた石畳の地面が、容赦なく頬を打った。
痛い。熱い。どろりとした感触が、頭から頬を伝っていく。
――それで理解した。
唐突に背後から殴られ、倒れ込んだのだと。
「ほーい。捕まえたぜー」
軽薄な男の声。
落ちそうになる意識の中、いくつもの気配が自分を取り囲んでいくのを感じた。
「お、かなり上玉じゃねえ?」
「だろ?」
「やっぱ国が違うとよー、賭博も合わねんだよな、ルール違ったりしてな。その点、オンナはドコ行っても共通っつかよ? 穴の位置は一緒だろ?」
それぞれ下卑た笑いが反響した。
――数が多い。おそらく、十人はいる。
ぼう、と意識の霞む頭で、ミョールは倒れたまま思考を働かせる。
いきなり背後から殴り倒され、大勢の男たちに囲まれたこの状況。絶体絶命だ。
無論――ミョールがただの女だったなら、の話だが。
村の外へ出てきた以上、危険など承知のうえだった。いつ何が起こるか分からない。これは油断していて殴り倒された自分が悪いだけだし、女を殴るなんて――などというつもりもない。あの山賊たちの襲撃に比べれば、大したことではない。
街の路地で絡んでくるごろつきなど、戦力としては野盗より遥かに下だ。詠術士ならば、排除することは実に容易い。
(あー……あったま痛いし、あったま来るなぁ……)
その程度の相手に殴り倒されたことに憤りを感じながら、しかしその怒りゆえにはっきりとし始めた頭で集中を高めながら、ミョールは倒れ伏したまま詠唱を開始し――
(……倍返しするけど……黒コゲになっても、文句言わないでよ――ね!)
閃光が迸った。
うつ伏せのミョールを中心に、眩い電光の渦が狭い路地を舐め尽くす。手加減なしの一撃。彼女を囲んでいる男たちがまとめて一瞬で焼き上がるには、充分すぎるほどの威力。
「はー……」
白煙と熱気が周囲に立ち込める中、女詠術士はゆっくりと身を起こす。
馬鹿なごろつきたちの末路を確認しようと、周囲を見渡し――
「ヒュー、危ねぇ危ねぇ。これだからよー、詠術士ってのは油断できねえよなァ?」
「!?」
驚愕に目を見開く。
雷撃で黒ずみ、煙をくゆらせる路地裏の石壁。点々と残る黒い跡は、雷撃の威力のほどを物語っている。
しかし、本来の目的は果たせていなかった。
狭い路地にひしめく黒の群れ。
異質な集団だった。一様に黒く大きなマントを纏った、約十人にも及ぶ男たち。誰ひとりとして、倒れてはいなかった。ある者は範囲外に飛びずさり、ある者は自身の前に透明な薄膜を展開している。
その全員が――無傷。
(……う、そ……凌がれ、た……!?)
それが何を意味するのか理解するより早く、
「イキナリ術ブッ放すたぁ、ユルユルのはしたねー女がいたモンだ。こりゃ調教が必要だな、オイ?」
先頭に立つ痩せこけた男が、その場で右腕を振るう。
ほぼ同時に、ミョールの身体が軽々と吹き飛んだ。放物線を描いた勢いのまま、硬い石壁へと叩きつけられる。
「がっ……、あ……!」
何を受けたのかも分からないまま、地面に崩れ落ちた。
ミョールを吹き飛ばした痩身の男が、ヒヒと嗤う。
細すぎるほどにこけた顔。逆立った黒髪。妙にぎょろついた瞳。髑髏に髪が生えた印象の、不気味な男。この黒マントがリーダー格か。
明らかに、ただのごろつきではない。詠術士だ。
(こい、つら……)
そして、何より異常なのは。
『色』。
ミョールが持つ、人の中に色を見るという能力。この男たちの中に見えるそれは。
目が潰れそうになる、吐き気を催すほどの――暗黒。
男たち自身が身に纏っているマントよりも濃厚な、どす黒い脈動。
――こいつらは、やばい。
ただのならず者ではない。賊の類など比較にならない。筋金入りの悪党。否、悪党などという言葉すら生温い。何か、価値観の異なるどこかからやってきたような、まるで別の生き物。紆余曲折を経て悪の道へ堕ちたのではなく、生まれながらの邪悪であるかのような。
そのうえ、ただの詠術士ではない。明らかな凄腕。それが約十人。となれば――
隙を作って逃げる。ミョールは痛みをおして、悟られないよう詠唱を開始する――はずだった。
「ミエミエだっつの」
痩せこけた男が跳んだ。そのまま風の力を噴射させ、爆風に乗って宙を疾駆する。文字通り空を飛んだ痩身の男は、滑空した勢いに任せてミョールの腹へつま先を叩き込んだ。
「……、……か……!」
超飛翔からの飛び蹴り。
男の足先と背後の壁に挟まれ、ミョールの口から声にならない苦悶の息が吐き出される。後を追うように、唇から血の塊がごぽりと溢れ出た。
「『揺らぎ』がダダモレなんだよ……っと、やっぱヤワけーな、女のカラダは。蹴り心地が違うわ」
二発、三発と蹴りを突き入れられ、ミョールは為す術なく地面を転がった。思ったより遠くへ飛んでしまったボールを追うみたいに、髑髏めいた男は面倒そうな足取りで追いすがる。
(……こ、の)
うつ伏せになったまま、痛みに歯を食いしばりながらも、雷撃を放とうと右手に力を込めるミョールだったが、
「させねっつの」
目の前までやってきた髑髏の男が、容赦なくその手を踏みつけた。
「ぃ、っぎ、……ぅああぁぁあぁっ!」
たまらず上がった叫び。それを待っていたとばかりに、男は薄汚く嗤う。
「そーそー。女ってのは、そうやって泣き喚いてんのが似合いだ。でねぇと、コッチも張り合いねーしよ?」
キッと睨みつけるミョールだったが、即座に蹴りが飛んできた。
加減も躊躇もない一撃を受け、硬い石畳に頭を打ちつける。刹那に意識が飛びかける中、男の声が虚ろに響いてきた。
「無駄な抵抗してんじゃねーぞ。オレら魔闘術士相手に、何とかなるわきゃねーだろ。ただの女がよ」
(……、魔闘術士……)
聞き覚えのあるその名前が、頭の中でがんがんと反響する。
遠き南の地よりやってきた、悪名高き詠術士の集団。無法者のような振る舞いが目につくが、その実力は本物。今回の天轟闘宴の優勝候補と目されているという。
「てめェら凡人如きがオレら相手に反抗して『何とかなるかも』って考えてると思うとよ、それだけで腹立たしいワケだ。格が違ェんだよ、分かるか?」
ミョールという存在を踏みにじるかのように、男は蹴りを叩き入れ続ける。口の中が裂け、どこかの骨が軋んだ音を立てても、暴力の嵐は過ぎ去らない。
「大体、部下の話じゃよ、お前みてーなのが武祭の登録所から出てきたっつーじゃねーか。ってこたぁ何か、出るつもりだったのか? お前が? 天轟闘宴に? 冗談だろ? そんなに金が欲しいのか? 女なら女で、相応の稼ぎ方ってモンがあんだろ?」
それを示すように、髑髏の男は荒々しくミョールのマントを剥ぎ取った。
水着に似た銀の胸当てと、短い腰布しか身につけていない装いに、傍観していた他の魔闘術士たちから口笛が上がる。
反して、痩躯の髑髏は眉をひそめながら言い捨てた。
「ハッ、何だおめーはよー、裸みてぇなカッコしやがって。恥を知れ恥を。それとも何か、術士と娼婦の兼業でもやってんのか?」
ドッと沸く男たちの中から、下卑た声が上がる。
「ジ・ファールさん、そんぐれぇにしましょうや。せっかくエロいカッコした上玉だってのに、そんなアザだらけじゃ勃つモンも勃たなくなっちまうよ」
「そ、それよりよ。久々じゃねぇか、金髪の女なんてよ。金髪だぜ……なぁ、金髪。ななな、なぁ、早く。むしろあれだろ? 持って帰るんだろ?」
「落ち着けよバルバドルフ。どんだけ金髪好きなんだ、おめー。まー今回、持って帰るのは無理だろ。目的は収穫じゃねーんだ」
またも汚い笑いが響く中、ジ・ファールと呼ばれた痩躯の男は乱暴にミョールの髪を掴む。無理矢理に引っ張り、顔を上向かせた。
「オウ、女。名前は?」
「…………」
それで名乗るとでも思っているのか。
歯を食いしばり、口をつぐむ。
(なめ、んじゃ……ないっての、この……)
言葉の代わりに、雷撃をくれてやる。
そうして、悟られないように詠唱を――
「はァー……」
溜息を吐いたジ・ファールは無造作にミョールの右手の小指を掴み、躊躇なくねじり曲げた。
「、っ――――ぃああぁッ!」
「声出せんじゃねーか。訊いてやってんだからさっさと答えろ。手間取らせてんじゃねーよ」
二発、三発と頬を張られる。平手ではない。拳の往復が、容赦なくミョールの頬を打ち据える。
この男の恐るべきは、時機を掴む能力だ。
ミョールが反撃に転じようとするその瞬間に、攻撃を差し込んでくる。読まれている。巧妙に隠しているはずの『揺らぎ』が、完全に掌握されている――。
連続する、原始的な暴力。
「ジ・ファールさん、死んじまいますぜ~」
「あー、この女次第だな」
(だ、めだ……)
――痛い。苦しい。勝てない。逃げられない。
なら、せめて……早く。はや、く、
「さて……もう一回だけ訊くぞ? 名前は?」
「……ミョール……、ミョール・フェルス……トレム……」
早く、解放されたい。
そんな諦めの心理が、ミョールの心を揺さぶり始めた。
「どこの人間だ?」
「……レイン……ディールの……、ケルリア、村……」
「レインディール? どっかで聞いた覚えあんな」
「あー、確か前に、ドリスドーネロイの馬鹿が暴れた国の名前ですぜ。五年前でしたっけ。首都だか王都だかで派手にカマしたはいいけど、たった一人にやられちまったとかいう」
後ろに控えた男が言うと、ジ・ファールは頭をボリボリと掻きながら苦い顔を作った。
「それか。ったくあのバカ、魔闘術士の名前背負ってヤラレやがってな。面汚しのビチグソが。格が落ちちまうじゃねーか」
「レインディールなら、ここからそう遠くねえはずだ。武祭終わったら、行ってみますかい?」
その言葉に、ジ・ファールがニタリと微笑んだ。
「――いいな。勝ったつもりンなってるレインディールとやらの連中に、本物の魔闘術士の力ってのを見せてやるのも一興か」
カタカタと揺れるように笑い、思い出したとばかりにミョールへ視線を落とす。
「で、ミョール。お前は何で天轟闘宴に出ようと思った? こんなクソみてえな弱さで、何とかなると思ったのか? そんなに金が欲しいのか? 村の出だとか言ったな、そういや。クソ貧乏なのか?」
「……い……妹の、治療……費を……」
「オウ、聞いたかお前ら。ミョールは妹のために、勝ち目のねー戦いに出ようとしたワケだ。妹がどうしたのか知らねーがよ。売女みてーなカッコしといて泣かせるじゃねえか、なァ? 見習えよー、クソ野郎共」
「ウィーッス」
「股グラ掻きながら返事してんじゃねーよ、バルバドルフ。で、残念だがミョール、お前じゃ無理だ。ま、オレらが出る以上、誰だろうと無理なんだがな」
ケタケタと震えるように笑ったジ・ファールは、ミョールの耳元で囁く。
「だからよ、せめてお前には別の稼ぎ方を教えてやる。分かんだろ、その身体使って稼ぎゃいいんだよ」
さも名案を提示するかのように、ジ・ファールの舌は回る。
「男を知らねーワケじゃねんだろ、んなカッコして。いいかミョール、ただでさえ売女のおめーを、男から精も金も搾り尽くす一流の×××として仕込んでやる。オレら全員でキッチリと叩き込んでやっからよ、有り難く思え」
「んなこと言ってよー、参加費の前払いで女買う金もなくなっちまったってだけの話じゃねーですかい」
「うるせーよバカ、殺すぞ」
狭い路地に、男たちの爆笑が響く。
そうして、歪んだ嗤いを浮かべたジ・ファールが言い放った。
「ほれミョール、言ってみろ。抱いてください、お願いしますって言ってみろ。自分からオネダリしてみろ、オラ」
――血が流れすぎたせいか。
頭が、ぼうっとする。
言えば、この地獄は終わるのだろうか。折れてしまえば、この悪夢から目覚めるのだろうか……。
妹の……ルティアの顔が脳裏をよぎる。
足の自由がきかなくなり、一緒に並んで歩くこともできなくなってしまった妹。お姉ちゃんがなんとかしてあげるから、と村を飛び出した自分。
天轟闘宴に出場して、とにかく賞金を獲得して、治療費を稼がなければ……。
そう、お金。とにかく、お金がいる。
それこそ、身売りを考えなかった訳ではない。でもそれは絶対に嫌だったし、そんな身体で妹の隣に立つのも嫌だった。
けれど、甘かったのかもしれない。
魔闘術士の言う通り、自分の腕前で天轟闘宴に出て資金を稼ごうだなんて、甘かったのかもしれない。
それならいっそ――
「ジ・ファールさん、殴りすぎたんじゃないですかねぇ。もう目の焦点合ってないですよ、そのアマ」
「チッ。ヤワけーから女殴んのは好きなんだがな、すぐブッ壊れやがる」
一発、二発と頬を張られ、落ちかけていたミョールの意識が引っ張り上げられる。
「オラ、言ってみろ。お願いします、ってよ」
「……お」
切れた唇を開く。
ルティア。待っててね。
お姉ちゃん……お金稼いで、必ず帰るから。
『私も、お姉ちゃんみたいな詠術士になりたいな』
『ん。なれるよ、ルティアなら。歩けるようになったら、また一緒にがんばろ!』
『うんっ』
もう少しだけ、待っててね。
「……お、――」
ジ・ファールの目を見て、ミョールは言った。
中指を立てて、唾を吐き捨てて。
「おととい来なさいよ、このくそハゲ」
――天轟闘宴がんばって、帰るからね。
グシャリとした感覚と共に、ミョールの意識が断絶した。
「貴様ら、何をしている!」
狭い路地に鋭い声が響き渡る。
顔を向ければ、赤い鎧を着た兵士二人が駆け寄ってくるところだった。
無理もない。いかに薄暗い路地裏とはいえ、今はまだ昼間。少し離れた大通りに出れば、ごった返すような人の波が溢れている。
路地で雷撃が瞬いたり、大人数が無遠慮に騒いだりしていれば、誰かしら異変に気付くのは当然だった。
ジ・ファールはチッと舌を打つ。
(ケッ、気に食わねェな)
邪魔が入ったことも、最後まで屈さなかったこの女も。
「貴様ら……魔闘術士か……!」
居並ぶ黒装の集団を見て、兵士らは露骨に苦い表情となる。と同時、ジ・ファールの足元へ目を向けてハッとした。
「その女性は……!? 貴様らがやったのか……? 馬鹿者どもが……天轟闘宴の出場など、取り消しに――」
瞬間。
ジ・ファールは隣に立っていた『仲間』の頭を掴み、そのまますぐ横の壁へ叩きつけた。
ゴズン、と凄まじい音が響く。
「!?」
驚愕する兵士たちを気にも留めず、ジ・ファールは三度、四度と男の――仲間の頭を壁に打ちつける。異常な行為に、しかし他の黒ずくめたちは止めに入る気配すら見せない。
「お、おい!? 何をしている!?」
結局兵士が慌てて止めに入り、ジ・ファールはようやくその手を離す。壁に赤黒い染みを残し、掴まれていた魔闘術士の男は力なくずり落ちた。その頭にペッと唾を吐き捨て、ジ・ファールは低い声で告げる。
「申し訳ねー、兵士さん。ウチの者の不始末でよ、このバカがその娘を襲ってたんだ。こうして駆け付けたが、手遅れでな。この制裁で手打ちってコトで、免じてやってくれねーか……」
神妙に言ってのけ、倒れた構成員の頭をつま先でコツンと小突く。登録所から出てくる女詠術士に目をつけ、後を尾けようとジ・ファールに進言したのは、動かなくなったこの男だった。
魔闘術士の――ジ・ファールの感覚では、この制裁は正当なものだと認識されている。
「む……」
兵士たちは考え込むように黙り込んだ。
ジ・ファールはすでに、このレフェという国の人間の性質を把握していた。
朴訥で飾り気がなく、堅物が多い。生真面目といえば聞こえはいいが、ようは融通がきかない。
長く他国とのかかわりを持たなかった国柄ゆえか民族意識が強く、特に家族との絆を重んじる傾向が強い。
反面、外部の人間にはやや冷淡で、よそよそしく距離を置く者も多い。
新たな『神域の巫女』が据えられ盛況とのことだが、当人がレフェの人間でないため、快く思っていない者も少なからずいると聞く。
「……つっても、オレらも評判悪ィしな。そうは信じられねーか。何なら、コイツにゃ命を以って購わせるぜ」
自嘲気味に呟いたジ・ファールが倒れた同胞の頭上で脚を掲げれば、
「もういい、分かった」
兵の一人が慌てて割り込んだ。
「こちらの女性は……、……旅の詠術士のようだな」
(……クク)
介抱しようと抱き上げた兵士の声にわずかな『安堵』が含まれているのを、ジ・ファールは見逃さなかった。
天轟闘宴を控え、様々な人間が多く集う時期。自然、他国人同士の揉め事も増える傾向にある。その全てを深く追及していては、とても手が回らない。
兵の主たる役目は飽くまで、自国の民を守ること。被害者がレフェの人間でない限り、彼らの動きは鈍くなりがちだった。
まして今、目の前にいる相手は魔闘術士。
多大な収入源となる天轟闘宴を盛り上げる要素の一つであり、また駆けつけた兵士たちだけでは制圧できない暴力の塊でもある。
たった今駆けつけた彼らにしてみれば、ジ・ファールの言葉を嘘だと断定することもできない。限りなく黒に近くとも、だ。
赤鎧を着込んだ兵たちは、渋い顔で呻くように言う。
「……あまり目に余るようだと、こちらも対応を考えねばならんぞ」
「申し訳ねー。ウチの連中はバカばっかでな、オレも纏めるのに苦労してんだ。ま、どうせオレらが優勝するんでね。賞金入ったら、ブッ壊れたモンの弁償もこの娘の治療費も何とかするんで、大目に見てくれると助かる」
ケタケタと肩を揺らし、ジ・ファールは嗤った。
優勝したら即トンズラだ。金なんて出すワケねーだろ馬鹿、と心中で嘲りながら。