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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
6. 雪桜のスペクトラム
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172. 人柱

「え……そん、な……」


 包み隠さず全ての事情を説明された桜枝里は、くらりと傾きかけ、慌てて持ち直した。


 ――今度の天轟闘宴。エンロカクが優勝したなら、自分は引き渡されることになる。


「そんな! 私があの人に……!? 私の意思はどうなるんですか……!」

「サエリ様が巫女に任ぜられた際、ご説明した筈です。あらゆる不測の事態が起こり得ると」


 確かに、それは聞いていた。

 暗殺される可能性があると。政略結婚に利用される可能性があると。現状として可能性は低いが、そういったことが起こり得る役割なのだと。


 甘かったのかもしれない。

 何だかんだでそんなことはきっと起こらないと、もてはやされた生活を送るうちに――平和な日本で培われた感性のままで過ごすうちに、そう思い込んでいたのかもしれない。今までにない特別扱い。自分だけは大丈夫。自分に限っては、そんなことにならない。可能性は低いのだから、きっと大丈夫。――そんな風に。


「で、も……私……」


 そうするしかなかった。

 突然この世界へ迷い込んだ桜枝里には、巫女となる以外に宛がなかった。

 危険な怪物が跋扈する世界。魔法のような力が存在する世界。

 そんな別世界へ放り出された桜枝里が生きるには、この道しかなかったのだ。

 この世界の常識も、知識もない。巫術なんて使えない。本当にただの女子高生。偶然『神域の巫女』だなどといって祭り上げられていなければ、今頃どうなっていたことか。それを思うだけで恐ろしくなる。


「ですが、ご安心下さい」


 完全に血の気が引いた桜枝里に対し、ドゥエンはいつもと変わらぬ薄笑みを見せて続けた。


「申しました通り、我々もその事態を防ぐ為に動く次第です」


 桜枝里はドゥエンの傍らに立つダイゴスを見上げる。

 エンロカクの優勝を阻止するため、『十三武家』からダイゴスを含む三名が出場するという対策。


「飽くまで現在、そういった状況であるという事です。我らが阻止します故、ご安心を。サエリ様は、平時と同じようにお過ごし下さい」


 いきなり、エンロカクの――あんな男のものになるかもしれないなどと言われて、平然としていられるはずがない。


「大吾さん……」


 救いを求めるように小さく呼びかけるが、聞こえていないのか、巨漢はわずかにうつむいていた。


「大吾さんっ」

「あ、ああ」


 大きく呼ぶと、ようやくハッとしたように顔を上げる。らしくない。先ほどもそうだったが、今まで見たことがないほど、ひどくぼうっとしているように思えた。


「びっくりしちゃったけど……大吾さんが出場するなら、安心だよね。私のこと、渡さないで……守ってね。……な、なんつっちゃって」


 不安からか、よく考えたら恥ずかしいセリフが漏れてしまった。

 が、


「……ああ」


 ダイゴスは心ここにあらずといった様子で、力なく頷くだけだった。






「――お話は以上となります。ではダイゴス、サエリ様を送って差し上げるように」

「……ああ」


 小さく首肯するダイゴスだったが、桜枝里が両手を横に振った。


「……ごめんなさい。一人で戻ります。ちょっと……その、一人にさせて」


 困ったような、無理矢理の笑顔。桜枝里は返事を待たず、その場から駆けていった。まるで、ダイゴスたちから逃げるように。

 やがて廊下の角を曲がっていき、その姿が見えなくなる。


「……ふむ。良いのかダイゴス。お前が付けば、サエリ様もお喜びになるだろうに」

「……どの口が言うか」


 空々しい兄の言葉に、ダイゴスは低く返していた。

 わずかな怒気すら混じった返事を受けて、しかしドゥエンは満足げに顔を綻ばせる。


「ふむ。自分の『役割』は心得ているようだな、結構結構。ついでだ、今この場で指示を出しておこう」


 淡々と、ドゥエン・アケローンは今回の仕事内容を説明する。矛の当主として、若き矛が遂行すべき命を下す。


「謁見の間でも言ったが、深追いは厳禁。魔闘術士メイガスの連中を誘引し、エンロカクにぶつけろ。成功の目は、精々二割程度といったところか。先程の……リューゴ・アリウミといったな。あの遊撃兵が出場するのなら、魔闘術士メイガスを利用するまでもなかろうが――」

「やめろと言っとろうが」


 有海流護をエンロカクにぶつける。兄は、あの少年を駒として利用するつもりだ。


「知人を利用はできない……か? まあ、それも良かろう」

「……、」


 そう言われて、初めてハッとした。

 なぜ自分は、ここまで必死になって止めるのか。そこまで親しい間柄でもない。

 ……兄の思惑通りとなるのが面白くないだけだ、とダイゴスは自己分析する。


「危険があると感じたら、迷わず離脱しろ。失敗したならそれで構わん。お前が死力を尽くすべき仕事ではない。以上だ」


 結局のところ、今回の任務は至極簡単な部類に入る。

 成功率二割。危険なら諦めろ。任務と呼ぶのもおこがましい、粗末すぎる仕事。


 ――つまり最初から、ドゥエンは桜枝里を救う気がない。


 指示を下している当人ですら、上手くいくなどと思っていない。ただ巫女を救うべく動きました、努力はしました、という事実を作っておきたいだけ。

 もっとも、危険なら放棄しろなどと言ってはいるが、おそらく若手の仕事ぶりを査定する思惑もあるのだろう。下された指示に対して、どう考えどう動くのか。成否にかかわらず、その働きのほどを見極めようとしている。馬鹿正直に「危険だから諦めました」などと言って戻れば、使えない愚図と判断されるはずだ。どう動けばドゥエンの眼鏡に適うのか。さじ加減が難しいところだった。

 ――いずれにせよ。桜枝里のことなど微塵も考慮していない、という点に変わりはないが。


「分かっているな。替えの利かないアケローン一族であるお前と、替えの利く巫女。どちらが重んじられるべきか」


 巫女がいなくなったとて、その真の理由が表沙汰にされることはない。務めを終えて新たな巫女に力を引き継いだだの、もっともらしい建前の理由が公表されるだけ。全ては秘密裏に処理され、いずれまた新たな巫女が据えられることだろう。

 そうして誰もが、信奉していたはずの雪崎桜枝里という存在を忘れ去っていく。そして、今度は新しく別の誰かをもてはやしていく。今までと同じように。

 勝手に祭り上げ、勝手に引きずり下ろす。古の時代とは程遠い、もはや形骸化している『神域の巫女』という風習。


「…………」


 果たして、沈黙するダイゴスをどのように受け取ったのか。

 錆びきった声で、長兄は囁く。



「何。女など、時期が来れば相応しい者を宛がってやる。何処の馬の骨とも知れん女など、お前には必要ない」



 ――考えるより迅く。

 白光纏うダイゴスの雷掌が、横からドゥエンの側頭部を狙っていた。

 軽く顎を引く動作のみで躱したドゥエンは、目の前をよぎっていくダイゴスの右腕を絡め取る。手首を捻りながら下方へと折り曲げ、素早くしなやかに締め上げた。


「……ぬ、ぐ!」


 その様はまるで、獲物を捕らえた蛇。手折るように厳しく。それでいて、包み込むように優しく。ダイゴスは己より遥か小さな兄に押さえつけられ、身動きできない状況へと追い込まれる。関節とは逆方向への負荷に、肘がミシミシと悲鳴を上げた。


「ふむ……速いじゃないか。腕を上げたな、ダイゴス。だが、私が殺る気だったなら――相手がエンロカクだったなら、もう死んでいるぞ。やはり、お前を奴に仕向ける事などとてもとても」


 締め上げながら、いつもと同じ冷笑を張りつけたドゥエンが囁く。


 ――都度、言い分が癪に障る。

 自分に力があったなら、エンロカクと闘うことを許すとでもいうのか。


「……フ。腕一本で勝ったつもりか、兄者」


 ダイゴスは不敵に笑ってみせた。

 右腕をねじられたこの状況。下手に身動きすれば、肘が破壊される。

 が。そもそも『そんなこと』を気にしなければ、動ける――

 と、締めつける力が強まった。


「頭を冷やせ。腕を犠牲に脱して、そこからどうする。万全の状態でも敵わぬ相手を前に、片腕を欠いてどう闘う」

「……フ、」


 どくん、と。

 その言葉を受け、ダイゴスは自分の奥底に眠る『何か』が脈動するのを感じた。

 額に脂汗が浮かぶ。血管が浮き出る。

 激痛に耐える覚悟を決めたと同時――それまでの重圧が嘘のように、ダイゴスの腕から痛みが消えた。

 拘束を解いたドゥエンが、溜息を吐きながら諭すように言う。


「物静かになったようでいて、本質は幼い頃と変わっていないなダイゴス。まあ、そう案ずるな。国長とて、サエリ様をみすみす手放したくはないご様子。エンロカクが武祭を勝ち抜いたところで、無傷とはいくまい。手負いの奴を相手取るならば、許可も下りるだろう。そうなれば――私が、奴を始末してやる」


 用件は終わったとばかりに、長兄は弟の横を通り過ぎていく。


「だからダイゴス。お前は、何も心配しなくて良い。お前はただ、何時ものように……私の命に従っていれば、それで良い」


 ぽん、と肩を叩き。

 足音も気配も残さぬまま、長兄はその場から遠ざかっていった。


「…………」


 ダイゴスは解放された右肩をぐるりと回す。

 そこは手心を加えたドゥエンの技巧か。へし折られる寸前まで軋みを上げていたはずの腕は、ほとんど痛みを発していない。


(これが……)


 兄の力量。

 現在の兄と、現在の己。


「…………」


 巨漢は手のひらに視線を落とし、思い耽る。

 脳裏に甦ったのは、幼い頃の記憶だ。子供ならきっと誰もが憧れる、そしてアケローンの一族に生まれたダイゴスは早々に捨てなければならなかった、『ある思い』。


「……くだらん」


 声に出して呟き、自制した。

 今更、そんなことはありえない――と。


 そして引きずられるように。ある過去の記憶が、脳裏をよぎる。白昼夢のごとく。






「……『絃巻いとまき』……? ダイゴスが……?」


 呆然とした声が聞こえる。今よりも若い――長兄、ドゥエンの声。


「うむ、おそらくは。ラデイル君の言う状況から考える限り……その可能性が高い」


 こちらのしわがれた声は、数年前に亡くなった先代の専属医か。 


「……前からさ、おかしいと思ってたんだよ。先の術の詠唱が完了してねーはずなのに、もう次撃に備えて……それで失敗してさ。ただのミスにしちゃ、あまりにも……」


 幼さの残るその声は、次兄ラデイルのものだ。当時、いくつだったろうか。


「……馬鹿な。認めん」


 頑なな長兄の声は、今と何も変わっていないように思える。


「ダイゴスは……この子は、ただ不器用なだけの……普通の子だ。『絃巻き』でなど……ある筈がない」


 そこに滲んでいた感情が何であったのか。

 今も、その真意は分からないまま。

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