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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
6. 雪桜のスペクトラム
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162. 任務と、出会いの予感

 翌日。

 流護とベルグレッテの二人は、首都ビャクラクの中心地にある王城前へとやってきていた。


「にしても、でっけ……」


 千古王城せんこおうじょう、と呼ばれるそうだ。

 ここへ至るまでの馬車内からでもチラチラと見えていたが、やはり途方もなく大きい。高々とそびえる日本の城によく似た造りの巨大建造物は、レインディール城以上の規模を誇っていた。見上げているだけで首が痛くなってくる。


 今は、門の前に立っていた兵士の一人へ用件を告げて、外で対応を待っているところだった。

 武者の甲冑めいた赤鎧(ごついカニみたいだと思ってしまった)を着た兵が「確認致します」と中へ入っていき、早十五分が経つ。これだけの大きな城だ。確認作業にも、相応の時間がかかるのだろう。

 ……ちなみに通信の術で確認してもらえば早いうえに確実、兵士も楽なはずなのだが、レフェ独特の『神詠術オラクルは枷である』という文化のおかげか、術を使いたがらない者が多いようだ。戦闘では当然のようにガンガン使うそうなので、流護としてはもう変な意地張らなきゃいいのに、と思ってしまうところである。


 そんなことを考えていると、重々しい音を立てて城門が開かれた。

 内側から扉を引き開けたのは、見知っている大男だった。


「よう来たの」


 そびえる山のように大きな体躯。開いているのか閉じているのかよく分からない糸目。飾り気のない朴訥な巨漢、ダイゴス・アケローン。


「お……うっす。なんか久しぶり」

「こんにちは、ダイゴス」

「うむ。お主らも壮健そうで何よりじゃ」


 学院で見慣れている、その不敵な笑顔も何だか懐かしい。

 当然というべきか、学院の制服姿ではなく、街行く人々と同じゆったりとした民族衣装を纏っている。……うん、どこかの部族の勇敢な戦士にしか見えない。成人の儀とかでライオンと闘いそう。


「チモヘイ所長に用じゃと聞いたが」

「ええ。陛下……レインディール王アルディアの命により、貴国の事象研究学が権威チモヘイ・チェインダ所長へ文書をお届けに参りました」


 背筋を伸ばして謹直に告げるベルグレッテに、


「承った。案内させていただこう」


 ダイゴスも固い雰囲気で受け答える。

 ……そうだ。ベルグレッテとダイゴスは互いにクラスメイト同士だが、レインディールとレフェそれぞれのロイヤルガードでもあるのだ。この場では、後者としての対応を取るのが適切だろう。

 流護もシュッと姿勢を正し、遊撃兵としての発言を試みる。


「では、お願いいたしゃ……いた、痛っ」


 舌を噛んだ。

 ふふと笑う二人と共に、結局いつも通りの空気で入城するのだった。






 多彩な木目が鮮やかな、板張りの廊下を進む。

 レフェには『靴を脱ぐ』という文化があるようで、城の二階から上は土足厳禁となっていた。専用のスリッパに履き替え、ダイゴスの後に続く。

 城内もやはり、そこはかとなく和の雰囲気を醸し出している。

 中庭があるのだが、松によく似た形状の木や、苔むした岩に囲まれた池など、まるで日本庭園のような趣ある風景を目にすることができた。


 長い廊下の角を曲がったところで、壁にかけてある大きな絵が目についた。とにかく大きい。ゴンダーの宿で目にした、ガイセリウスの絵画のような――


(……っていうかこれ)


 黒い甲冑に、豪快な口ひげを生やした壮年の男の肖像画。その手には、絵のサイズに収まりきらず全容の描かれていない巨大な剣が握られている。

 題名を見れば――『英雄、ガイセリウス立つ』。


(うーん、なるほどなぁ)


 ベルグレッテの言っていた通り。描く作者によって変わるのだろう、宿で見た絵とは似ても似つかないガイセリウスの肖像画が飾られていた。

 しかし城の中でまでガイセリウス推しか、と流護は驚く。この国では殊更に支持されているようだが、何だか本格的だなと適当な感想を抱いた。


 五分ほど歩き、『第三事象研究室』と書かれた札の下がっている扉の前にたどり着く。


「チモヘイ所長。ダイゴスです。客人をお連れ致しました」

「おおーう、入ってもらって宜しいかの~」


 ……中から、いかにもおじいちゃん的な間延びした声が聞こえてきた。


「入ってくれ。ワシは外で待機しとる」


 ダイゴスが扉を開き、二人を促した。






 白い。


「おぉ、よぅく来なすったの。チモヘイ・チェインダじゃ、よろしゅう」

「あ……リューゴ・アリウミです」

「ベルグレッテ・フィズ・ガーティルードと申します」


 多数の本棚に囲まれた部屋の中央。

 背中まで広がる白く長い髪に、胸元まで伸びた白くしなやかな顎ひげ。纏う民族衣装と相俟って、まるで仙人のような容貌の老人がそこにいた。

 神秘的な雰囲気すら漂うその佇まいに、年齢も予想がつかない。七十か八十か、もっと上か。霊山で霞を食べ続けて百五十年じゃ、などと言われれば信じてしまいそうな印象の老夫である。


「ええと、では早速ですが……アルディア王の使いで、この文書を渡すように言われて来ました」


 流護は麻袋から取り出した文書をチモヘイ所長へ手渡す。


「おお、おお。わざわざすまんの。……ところで、どちらさんじゃったか」

「え、いや、リューゴ・アリウミです」

「おお、久しぶりじゃなぁ! 元気じゃったか!」

「いえ、えーと……初対面です」

「おや? そうじゃったか。久しぶりじゃの、大きゅうなりおってからに」


 ……大丈夫なのか。

 色々と不安になってくる流護だった。

 しかしとぼけた言動とは裏腹に老人は慣れた手つきで文書の封を破り、速読でもしたのかと思うほどの速さで内容へ目を通すと、別人のような鋭い目つきを見せる。


「……ふ、アルディアの悪ガキめ。ついに『原初の溟渤めいぼつ』へと挑む心算か」


 楽しげに顎ひげを撫でたチモヘイ所長は、散らかっている机上から紙と羽ペンを手に取った。文書に対する返信か、筆を走らせ始める。作業の片手間に、流護たちへ話しかけてきた。


「ほほっ。アルディアの小僧っ子の下で働くのは、さぞ難儀じゃろう? 奴ぁ、権力を持ったガキ大将みたいなモンじゃからなぁ」

「え? えーと……」


 遊撃兵になった少年としては何とも答えづらい質問だ。肯定すれば王に失礼っぽいし、否定すればノリが悪そうだし。ちなみに『権力を持ったガキ大将』で吹き出しそうになってしまったのは秘密である。


「高い行動力をお持ちになるおかたゆえ、未熟な我が身では遅れを取ることも多々ございますが……置いていかれぬよう、日々尽力させていただいております」


 ベルグレッテが手本のようにさらりと返す。


「ええのう、ジイちゃんもお主みたいな別嬪さんに尽くされたいのう。未熟って、とてもそうは見えんがのう」


 そう言ってベルグレッテの胸元へ視線を送るチモヘイ所長。

 ええい、ただのエロジジイじゃねえのかこの人。ムッとしてしまう流護だったが、


「恐縮です。ところでチモヘイ所長は、我が王とのご交流が長いとお伺いしておりますが……かれこれ、二十年になられるのだとか」


 そういった反応には慣れているのだろう。胸元を隠すようにマントを羽織り直しながら、ベルグレッテがさらりと話題を変える。


「うむ。レインディールと我が国は元来、あまり盛んな交流はしておらんかったが……あ奴が王となってからは、色々と技術や知識を共有させてもらっとるよ」


 流護でも何となく理解できる。

 神詠術オラクルについて『恩恵』と考えるレインディールに対し、『枷』と考えるレフェ。

 互いの思想は真逆のものだ。

 遥か昔、ガラタリディック川に棲んでいた怨魔が討伐され、両国の行き来ができるようになったとはいえ、その間柄がどんなものであったかは容易に想像がつく。互いに侵略行為へと及ぶことはなくとも、双方我関せずといった間柄だったらしい。

 その垣根を取り払ったのがアルディア王だ。

 柔軟な考え方を持つ王は、レフェとの交流を進め、レインディール・レフェの双方に様々な革新を齎したという。レフェの人間であるダイゴスがミディール学院に留学しているのも、その革新の成果の一つといえるのだろう。


「あ奴の協力があって、明らかになった事象も多い。気紛れな神の仕業と思われとったことに、法則性が見つかったりとかの」


 老人は筆のようにしなやかな顎ひげを撫でながら、挑戦的に笑う。

 代表的なものとして、『落雷』が挙げられるそうだ。

 古来から神の裁きとして恐れられ、罪なき者に対しても下ることがあった白光の一閃。雷神ジューピテルの苛烈な性格ゆえ、信徒であっても撃たれることがあると畏怖されていたが、近年になって『高い場所へ落ちやすい』ことが判明したという。

 天空……神の領域へ近づこうとする者に対して下される罰、という認識に変わりつつあるようだ。

 以前は雷が鳴ると、熱心な信者が高い場所に上がって祈りを捧げ、あえなく撃たれてしまうという惨事が少なからずあったようだ。現在ではそのような行為は慎むようにと、教会から正式な通達が出ているのだとか。

 流護からすれば滑稽にも思えてしまう話だが、こうして少しずつ、物事の解明というものが進んでいくのかもしれない。


「ワシがくたばるまでには、『神々の噴嚏ふんてい』なども明かしてやる心算じゃわい。アレも間違いなく、単なる神のくしゃみなどではない。必ず何らかの――っと」


 チモヘイ所長はそこで言葉を切って執筆の手を止め、思い出したように顔を上げた。


「『神々の噴嚏』と言やぁ、此度の『神域の巫女』も、実に不可思議なんじゃよな」

「! ……『神域の巫女』……」


 唐突に出てきた『神域の巫女』の名前に戸惑う流護だったが、老人は淡々と続ける。


「目撃した者の話じゃがな。此度の巫女が現れるまさにその瞬間、『神々の噴嚏』が起こったと云うんじゃよ。夜空が青く瞬き、直前まで誰もいなかった街の広場に、かの娘が現れよったと。それも、見たこともないような服を着とったらしくての。こればっかりは、気紛れな神様の仕業かのう?」


 ……『とてゴー』に書かれていた話と一致する。

 チモヘイ所長は、お手上げといわんばかりに笑うのだった。






 アルディア王へ渡してほしいという文書を受け取り、流護とベルグレッテは部屋から退室した。あとは帰ってこれを王に届ければ、任務は無事完了となる。

 ……が、流護としてはやはり、この任務を受ける決め手となった目的を果たさずにはいられない。


「これで用事は終いか?」


 壁にもたれながら訊いてくるダイゴスへ、流護は慎重な口調で言ってみる。


「あの……俺、ちょっと『神域の巫女』に会ってみたいんだけど」

「ほう」


 巨漢が「ニィ……」といつもの笑みを浮かべた。


(うっ……)


 流護は、ダイゴスのこの不敵な笑顔がどうにも苦手だった。

 その寡黙さも手伝ってか、何やら全てを見透かされているような、落ち着かない気持ちになってしまう。

 そんな少年の内心を知ってか知らずか、ダイゴスはいつも通りの低い声で受け答える。


「巫女か。昼間はとかく巫謁ふえつの予定が詰まっとっての」

「ふえつ?」

「ようは巫女と客との顔合わせじゃ」

「なるほど……すぐ会えないのか?」

「巫謁の予定は基本的に詰まっとっての。今からじゃと、早くて二週間後か。今この瞬間にも、続々と予約が入っとるじゃろう」

「え? 二週間!?」


『神々の噴嚏』と同時に現れただとか、神詠術オラクルを使わないだとか、ついでに美人だとか歌が上手いだとかで、「今回の巫女は違う」と大人気らしい。

 さらに今は天轟闘宴が近く、大勢の人々がこの首都に集っていることもあって、巫女を一目見ようとする者も特別に多いようだ。

 それにしても、さすがに二週間も待てる訳がない。

 と、そこにかすかな光明が差し込む。


「しかし今のお主は遊撃兵じゃしな。今日の夕刻以降でよければ、公務として時間外に巫謁を取り計らうことも一応は可能じゃが……」


 どこか言い淀むダイゴスに、流護は勢いよく食いつく。


「そ、そうしてもらえるとすげぇ助かるんだけど……!」

「話はしてみよう。しかし何分なにぶん気難しい娘での、『疲れたから断る』などと言われるやもしれんぞ。今日は特に忙しい部類じゃったか。巫女があまり嫌がるようなら、こちらとしても無理強いはできんのでな」

「む、う……」


 強気な女子なのだろうか。

 もっとも現代日本から迷い込んだ女子高生(多分)が神聖な巫女だなどとされて担ぎ上げられ、慣れない異国での暮らしを強いられていると思えば無理もない。

 激務を終えて疲れたところに「他国の兵士が会いたがっている」と伝えられても、今度にしてくれと言いたくなるだろう。


「うーん……」


 少年は迷う。


 ……手段は、ある。

 ほぼ確実に巫女と会えるよう仕向けられる手段が、現代日本からやってきた有海流護にはある。


 しかし。

 流護はちらりとダイゴスの顔を窺う。


「どうする?」


 視線に気付いた巨漢は、相変わらずの不敵な笑みを見せてくる。

 手はある。が、その手を使ったなら、ダイゴスに悟られる。有海流護は、記憶喪失などではないと。


「……ダイゴスさんは、その……あれだ。口はカタい方で? カタいっすよね」

「どうじゃろうな」

「はは、またまた……」


 糸目をした巨漢、その心の裡は全く読めそうにない。もっとも、むやみに他言するような性格でないのは一目瞭然だ。

 流護は隣に立つベルグレッテへと顔を向ける。


「ベル子……えーと……大丈夫だよな? ダイゴスなら」

「あー……、うん」


 察しのいいベルグレッテは、流護の意図を見抜いたようだ。そのうえで、頷いて同意してくれた。


「ダイゴス、ごめんなさい。これから話すことは、他言無用でお願いしたいんだけど……。まあ、あなたのことだから全く問題ないと思うんだけど」

「フ。いいじゃろう」


 両手を合わせるベルグレッテに、即答するダイゴス。流護も腹を括った。


「えーと……じゃあ、ダイゴス先生。『神域の巫女』さんに伝えてほしいんですが」


 かしこまりつつ一息吸い込んで、打ち明けるように告げた。


「隣の国の遊撃兵が、会いに来たと。……そいつは、日本人だと。そう、伝えてほしい。多分、それだけで『分かる』から」


 思い切った流護の言葉に、


「承知した」


 レフェのロイヤルガードは、惑うことも聞き返すこともなく、ただ頷いた。変わらず、不敵な笑みを浮かべたまま。






 インベレヌスの放つ光がわずかに赤みを帯びてきた夕刻、ダイゴスは『神域の巫女』の部屋を訪れていた。

 許可を得て入室すれば、視界に入ったのは――巫女之小忌衣みこのおみごろもをだらしなく着崩して寝台へ倒れ込んでいる巫女、ユキザ・キサーエリ……否、雪崎ゆきざき桜枝里さえりの姿。

 長く美しい黒髪を扇状にばさりと広げ、潰れたカエルよろしくうつ伏せとなっているその様子からは、神性の欠片も感じられない。

 清廉潔白、常に凛とした立ち振る舞いを見せていなければならない『神域の巫女』だが、今の姿はとても民衆たちにはお見せできないだろう。


「あぁー……、今日も疲れたぁ……」


 そこにいるのは、歳相応の表情を見せる、ごく普通の少女だった。


「だらけとるの。ドゥエンの兄者が見たら、顔を顰めるぞ」


 軽薄な次男のラデイルは「サエリ様の乱れ姿、色っぽいねー」などと喜ぶかもしれないが、生真面目な性格の長兄ドゥエンは間違いなくいい顔をしないだろう。


「相手が大吾さんだって分かってるから、だらけてるんですー」


 巫女は枕に顔を埋め、くぐもった声でそう返してきた。

 立場的にダイゴスが相手でもよくはないのだが、そんなアケローン家の三男も咎める気は毛頭ない。


「暑いぃ。アイス食べたーい」

「食いに行くか」

「うんうん! ごちそうさまでーす!」


 現金な巫女はガバリと跳ね起きた。


 神聖な象徴。神託によって選定されし聖女。神の代行者。

 大半の民衆は『神域の巫女』をそう認識し、国長や上位貴族に接する場合と同様の対応を取る。

 桜枝里は巫女に任ぜられた当初、「かしこまったの苦手なので普通にしてください」と訴えたそうだが、さすがに聞き入れる者はいなかった。いかに巫女直々の言とはいえ、そこは敬うべき天上の存在である。通常であればとても恐れ多くて、気軽に接することなどできようもない。いくら昔と違い、巫女の神性が薄れてきているとしても。


絹白雪きぬしらゆきが食べたいでーす」

「もう少し安いもんにせえ」


 だからこそ、なのだろうか。

 唯一気軽に接してきたダイゴスにのみ、桜枝里は素の表情を見せるようだった。

 二人は、十日ほど前に初めて顔を合わせたばかりである。ダイゴスが『蒼雷鳥の休息(ラプターズレスト)』のためにレフェへ帰省して、そこで初めて対面した。

 ダイゴスは新しい『神域の巫女』が選出されたことは知っていたものの、桜枝里の存在は知らなかった。

 帰還したその夜、城内で迷って自分の部屋へ戻れなくなっていた彼女と出くわし、「迷子か?」と声をかけたことが始まりか。新しく配属された見習い祈祷師か何かかと思ったのは秘密である。

 気軽に話しかけられたことがよほど嬉しかったのか、桜枝里は頻繁にダイゴスを呼びつけるようになった。

 ダイゴスは黙して語らぬ性格であるものの、桜枝里がそんなことはお構いなしといわんばかりに喋り倒し、ぐいぐいと引っ張っていく。

 そうして二人は、友人のような――兄妹のような間柄となっていた。


「ところで、頼みがあるんじゃが」

「なにー? 大吾さんが頼みだなんて、珍しい」

「巫謁を望む相手がおる。今日、夕食後じゃ」

「えぇ~……」


 ご機嫌な笑顔から急転直下。巫女は露骨に苦い顔を作った。

 事前に『菓子を奢る』という緩衝材を敷いておいても、予想通りのこの反応。やはり正攻法では難しそうだと、ダイゴスは内心で苦笑する。


「レインディールから来た兵士での。是非会いたいそうじゃ」

「……レインディール……って、大吾さんの行ってる学校がある国だっけ。そこの兵士さんがなんの用? そんな、是非会いたいだなんて……時間外だし~……」


 思った通りの反応を見せる桜枝里に、ダイゴスは告げる。あの少年から伝えられた、その言葉を。


「その兵士は――日本人じゃ」







 くらり、と。

 地面が傾いた気がした。


「え……? 日本、人……?」


 自分の声が遠く聞こえる。

 彼は今、何と言ったのか。聞き間違いではないのか。


「名は、アリウミ・リューゴ。歳は十五じゃったか」

「ちょっ、まっ、待って待って待って」


 どかどかと情報を流し込んでくるダイゴスに、桜枝里は慌てて待ったをかける。


 アリウミリューゴ? どんな字を書くのか分からないが、アリウミ……有海という苗字は存在しそうだ。リューゴ。響きからして男子だろうか。

 それに、十五歳? 自分の二つ下だ。中学三年か、高校一年だろう。

 そんな人物が、兵士? 隣の国の? それで、巫謁に来る? もう、何が何だか分からない。


「……だ、大吾さん。順を追って、詳しく説明してもらってもいい?」


 桜枝里の要求に応え、ダイゴスが語り始める。アリウミリューゴという少年のことを。

 彼がこんなにも長々と喋ったのは、これが初めてかもしれない。


 そして。

 ――結論からいえば、いまいち理解できなかった。


 その日本人は、ある日ふらりとレインディールにあるミディール学院を訪れ、桜枝里が未だ見たことのない怪物――怨魔を打倒し、それだけに留まらず様々な功績を残し、兵士となり、『神域の巫女』である自分に会いに来たという。


「あの……その人、素手? で闘うっていうのが、ちょっと意味分かんないんだけど」


 この世界で当然のように行使されている、巫術――他国では神詠術オラクルと呼ばれる力。脆弱な人間を哀れんだ神が与えたという、魔法のような能力。

 事実、その力は強大だ。重量もなく、かさばらずに持ち歩けて、剣や飛び道具や盾、果ては鎧にまで変形できる武具。そんなものを常備しているに等しい。

 そんな力を持つ詠術士メイジという存在。そして、その彼らであっても脅威だと認識している、怨魔と呼ばれる怪物たち。

 桜枝里もこの世界へやってきて、早一ヶ月半となる。さすがに、グリムクロウズがどういった世界であるかはもう理解していた。

 だからこそ、


「素手で悪人も怨魔もぶっ飛ばして、王様に腕を買われて兵士にまでなっちゃったの……? いやいや、ありえないって」


 そんな人間がいるはずはない。腕っ節でどうにかなる世界ではない。

 桜枝里自身、薙刀を嗜んでいる。腕前も、趣味の域を出るものではないかもしれないが、それなりのものだと自負している。

 少し前、余興で城の兵士と手合わせをしたことがあった。一対一、かつ得物のみを使うのであれば勝負の形にはなるが、巫術を使われてしまえばお手上げだ。

 その少年も日本人であれば当然、桜枝里と同じく術など使えないはず。


「その人、なに……なんなの?」

「確か……カラテ、と呼ばれる武術を使うと言っとったな」

「空手!」


 知っている単語に、桜枝里のテンションが上がる。

 日本人ならば、誰しも聞いたことのある武術名だろう。

 が、やはり腑に落ちない。

 空手の達人が食事中の豚に正拳突きを喰らわせたものの、相手は全く意に介さず餌を食べ続けていた――という話を聞いたことがある。

 人が素手で立ち向かえる動物は、小さな犬ぐらいのものだという。どれほどの達人であっても、腕っ節だけでこんな世界を生き抜いていけるとは到底思えなかった。まして、たかだか十五歳の少年だ。

 ともかく気になることばかりだが、相手は日本人。

 向こうもこちらが――『神域の巫女』が日本人だと分かったうえで訪ねてきたようだし、ここは絶対に会うべきだ。いや、会いたい。もしかしたら、帰るための手がかりだって得られるかもしれない。


「と、とにかく会う! 絶対会う!」


 食いつく勢いで詰め寄る桜枝里。

 ダイゴスはいつものおおらかな笑みを浮かべたまま、落ち着けとなだめるのだった。

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