161. 昨日の敵は
「む。その節は、迷惑を掛けたな……」
外へ出るや否や、口布の男はそう言って素直に頭を下げてきた。
「えーと……」
再び闘り合う事態も想定していた流護としては、勢いを削がれてしまう。
「私は傭兵だ。あの時は護衛として、レドラック殿に雇われていたのだ」
聞けば、高額の報酬を約束されていたため、レドラックが悪党だと分かっていながら雇われていたという。
「簡単な身辺警護の予定だったのだが……予期せず、かつてない修羅場に巻き込まれる羽目となってしまった。やはり金払いが魅力的とはいえ、無法者とかかわるべきではなかったと思い知らされた次第だ」
「…………、」
確かにあのとき、周囲のマフィアたちとは違うなと気にかかっていたのだ。
現代日本からやってきた少年としても、偽善ぶったことを言うつもりはない。グレーな仕事を請け負う傭兵も多いと聞くし、この世界ではさして珍しいことでもないなのだろう。
しかしやはり、流護としてはミアの身柄がかかっていたため、複雑な気持ちが先行してしまう。
「せめてもの詫びだ。是非とも、我が宿に泊まっていってくれ。無料……とはいえぬのが心苦しいが、可能な限り安くさせて頂く」
男の言葉に、流護とベルグレッテは顔を見合わせる。雇われ稼業には、「昨日の敵は今日の友」という言葉があるそうだ。ミアから借りた『とてゴー』に、そんなことが書いてあった。 ……その逆もあるらしいが。
「一つ、聞かせてほしいんだけどさ」
「む。私に答えられることならば」
「レドラックがどうなったか知らないか?」
「いや。あれ以降、氏とは会っておらぬ。結局、報酬も受け取らず終いとなっている」
「そうか……」
レドラックなど、もはや警戒するような相手ではないのかもしれない。が、行方知れずとなると安心しきれないのも事実だ。
「よく分かんないけど、知り合いなんでしょ? 安くしてくれるんでしょ? それじゃ、お世話になりまーす。お腹減ったよ~」
ミョールが満面の笑顔で手を上げてしまう。空腹に耐えられないようだ。
「む。ご利用頂き感謝致す。では案内しよう」
口布の男とミョールは、さっさと中に入っていってしまった。
「大丈夫なのか……?」
敵意は感じない。しかし何だかんだで、元は敵として見えた相手なのだ。
「ん……傭兵っていうのは、そういった部分を割り切れる人たちだからね……」
ベルグレッテもやや複雑そうに答える。
とにかく疲れているし、これから別の宿を探すのも骨だ。
人の悪意を『色』として見抜けるミョールがすんなり入っていった以上、問題はないのかもしれない。
流護とベルグレッテは頷き合い、中へ入ることにした。無論、油断なく警戒心を抱きながら。
そうして夜も十時過ぎ。遅めの夕食となった。
口布の男はキビキビとした動きで、混雑した店内を見事に捌いている。その働きぶりは、まさにデキるウェイターそのものだった。本当にこの宿の店員……というか、ここの倅だったようだ。
……呆然と眺めていると、男は頼んでいない肉料理を運んできた。
「詫びの印だ。料金は要らぬ。召し上がっていただきたい」
「え? あ、はあ……」
何の肉だか分からないが、高級そうなレアのステーキ。脂も乗っており、燭台の明かりを受けてぬらりとした質感を放っている。安物ではなさそうだ。
「うっは、おいしそー! そいじゃいっただきまーっす!」
事情を知らないミョールは、遠慮なくもりもり頬張り始める。その無警戒ぶりからすれば、少なくともこの男は『黒』ではないということか。その様子を横目にしながら、流護は男に話しかけた。
「そういやさ、まだお互いに名前も知らねえよな……」
「む。そうであったな。私は……」
「え!? 知り合いなんでしょ? 名前も知らないなんて、なんかヘンなの。あっ、あたしはミョール・フェルストレム。よろしくねー店員さん」
流護とベルグレッテも、それぞれ名乗る。
「……あれ? あんたの名前聞いたっけ」
「……私は霧氷の術士、ゴンダー・エビシールだ。ゴンダーで構わぬ」
「そうだそうだ、思い出した。あんた、俺と闘ってるときも霧氷の術士とかなんとか言ってたよな。二つ名か何かなのか?」
「いいや。己が力を客観的に分析したうえで、私自らそう名乗りを上げている」
ただの自称だった。
「ここが実家、か……。帰ってきたってことは、傭兵は辞めたのか?」
ロビーほどではないものの、やや薄めの赤に統一された宿内を見渡しながら尋ねる。
「いいや。天轟闘宴が近い故、戻ってきたに過ぎぬ」
ゴンダーもまた、混雑した店内へ視線を巡らせて答えた。
「天轟闘宴を控えた時期となれば、首都の各宿は出場予定の詠術士や観衆たちで溢れ返る。書き入れ時なのでな、私も出来得る限り帰って手伝うことにしている」
そこで霧氷の術士は流護たちへ細い目を向けて、
「貴殿も、武祭に参加するつもりで訪れたのではないのか?」
「いや、出ないっすよ。別の用で来ただけなんで……」
「あたしが出ます!」
元気よく手を上げたミョールだったが、ゴンダーは困惑した様子をみせた。
「む。貴殿のような婦女が、天轟闘宴に……」
「むむっ。こう見えてもあたし、そこそこ自信あるんですが!」
女性ということで軽視されたと思ったのか、ミョールが眉を吊り上げる。
「いいや、貴殿の腕前を疑う訳ではない。そのマントに施されている術式ひとつ取っても、高い技量は窺える」
たが、とゴンダーは言葉を区切り、
「此度の天轟闘宴、魔闘術士の連中が参加するそうだ。故に、あまり勧められるものではないな」
「魔闘術士……!」
その言葉に反応したのはベルグレッテだった。
「何だ、知っているのかベル子よ」
「な、なに? なんなの」
流護は当然として、ミョールも知らないようだ。ベルグレッテが神妙な面持ちで説明する。
「五年前に発生した、王都のテロ。その実行犯たちが、自らを魔闘術士と名乗っていたの。遠い南の地からやってきたっていう、詠術士の一団。学院長が鎮圧したのは、リューゴも知ってのとおりよね」
流護は黙ったまま頷く。
五年前のテロの件。それを鎮めたナスタディオ学院長の活躍。これまで幾度となく耳にしている話だった。
「何人もの犠牲者が出ることになった、凄惨な事件だけど……学院長が対応しなければ、もっと悲惨なことになってただろうって言われてる。たしかに、『銀黎部隊』が不在だったことも理由のひとつではある。けれど、それ以上に魔闘術士たちの力が強大だった」
遥か南の一部地域にて、力に自信のある者たちが「己は詠術士より優れた存在だ」との意味を込め、差別化を図る目的で魔闘術士と名乗っている。
その自負に違わず、強力な神詠術を扱う厄介な連中だったそうだが、特筆すべきはその『凶暴性』。女子供に対しても一切の容赦をせず、敗北を悟ったなら、自分自身に神詠術爆弾を仕掛けてでも相打ちを狙う。
「そういう意味では……先のノルスタシオンは、紳士的だったとさえ言えるかもしれない」
そんなベルグレッテの話を受けて、ミョールは気圧されたように頬を引きつらせた。
「ははぁー……、王都で堂々と大暴れするような連中かぁ……」
「む。確かにな。魔闘術士の連中は既にこの街に滞在しているが、世辞にも素行が良いとは言えぬ」
しかし、霧氷の術士はフフと笑う。
「尤もこの私が、天轟闘宴で奴等に思い知らせてやるつもりだがな。礼を欠いた余所者が付け上がれば、惨めな思いをすることになると」
「あれ……あんた出るのか、天轟闘宴」
「このレフェに住まう男であれば、幼少の頃から出場を夢見る者も多い。私も傭兵としての経験を積んだのでな。今回、腕試しの意も兼ねて初挑戦するつもりだ。そういう貴殿は本当に出場せんのか? あれだけの腕がありながら」
「いや、まあ俺は……」
天轟闘宴という名前だけなら何だかすごそうな響きだが、ようはバトルロイヤルだ。
確かに褒賞も魅力的なうえ、全く興味がない訳でもない。
しかしやはりミョールの邪魔をする気はないし、ベルグレッテに釘も刺されている以上、出る訳にはいかないだろう。今の流護はただの少年ではない。兵士なのだ。
「じゃあ店員さんとあたしは出場予定者ってことで、すでに競争相手の間柄なのね。ハッ!? こ、この料理に、妙なものが仕込まれていたりとか……!?」
ばくばく食べる手を止めず言うミョールに、ゴンダーは「む、その手があったか」と笑う。中々にユーモアも持ち合わせた男のようだ。
そこで厨房のほうから「いつまで油売ってんだゴンダー、仕事しろ!」と威勢のいい喝が響き、霧氷の術士は慌てて仕事に戻るのだった。
和風とも洋風ともつかない、珍妙な内装をした宿の一室。
例えば全く飾り気のない無骨な鉄のベッドの上に、和風じみた趣の布団が敷かれている。窓は障子のような白い薄幕が貼られているが、引き戸ではなく観音開きだ。朝、寝ぼけて開けようとしたら絶対破るなこれ、と流護は確信する。
何というか――街並みもこの部屋も、『日本好きの外国人がイメージする間違った日本』を現実のものとしたかのような印象だった。
そんなこんなで寝る前のストレッチに励んでいると、控えめにドアがノックされた。
「リューゴ、いる?」
「おう、どうぞどうぞ」
遠慮がちに扉を開けたベルグレッテが顔を覗かせる。
「明日のこと、決めておこうかなと思って」
「そうだな……、まあ立ち話も何だし、入ってくれ」
「ん……お邪魔しまぁす……」
少し躊躇する素振りをみせるベルグレッテだったが、おずおずと入ってくる。
……時間が時間だ。すでに十一時半。クレアリアさんならば、「殿方と接する時間ではありません」などと烈火のごとく怒るだろう。
「明日は朝一番で城へ行って、チモヘイ所長に文書を渡しましょ」
「おう……」
まずは任務を全うする。そして――
同行したミョールが人懐っこくひたすら話しかけてくるのもあって、考え込む暇もあまりなかったが、
(……『神域の巫女』……か)
間違いなく、日本から迷い込んだ同郷の人間。流護と博士以外の、日本人。ついに会えると思うと、どうにも緊張してきてしま――
「……あ、博士で思い出した」
「ん?」
「ロック博士って、このレフェのこと知ってんのかな?」
「……? どういう意味?」
流護は簡潔に説明した。
レフェ――首都ビャクラクの街並みが、昔の日本にどこか似ていること。博士がレフェのことを知っているのなら、やはり同じように認識するだろう。
しかし流護は今まで、ロック博士から「隣に和風っぽい国がある」などといった話を聞いたことがない。
「あっ……それでリューゴ、この街に来たとき、様子がおかしかったんだ」
「お、そうそう。そうなんだよ。いや、びっくりしたぞまじで」
この街に現れたという『神域の巫女』も、さぞ驚いたことだろう。
先日の博士の話ではないが、それこそ過去の世界へ迷い込んでしまったのではと錯覚してもおかしくないような気がした。
むしろ大昔に日本人がこのレフェへ転移され、文化の発展に一役買っていたのではという説も充分に考えられそうだ。
「ロック博士は……この街のこと、詳しくは知らないかも。少なくとも、訪れたことはないはずよ」
流護も少し耳にしているが、博士は過去に命を狙われた経験もあって、現在でも学院から出ることは稀なのだそうだ。つい先日は、まさしくその稀な例に当たったということになる。流護がやってきてからは初だ。
そもそも馬車での移動というものも、確実に安全が保証されている訳ではない。魔除けの施された街道でも、悪意ある人間――野盗などは防げないのだ。
博士は流護のような力もなければ詠術士でもなし、脅威を打ち払う力を持っていない。出かけるということ自体に危険が伴う。
そういった事情もあって、ロック博士はレフェ巫術神国という名前は知っていても、その詳しい景観までは知らないはずだ、とベルグレッテは推測した。
「博士も立場のある人だし、そうそう遠出はできないのよね。他国を訪れた経験がある人は、かなり少ないと思う。私も……この街に来たのは、これが初めて」
窓際へ寄って外を眺めながら、ベルグレッテが謡うように言う。
「あれ、そうなのか?」
「うん。幼い頃、家族で訪れたのは……もっと郊外の、小さな街だったから」
懐かしさを滲ませながらも、寂しそうな声。背を向けている彼女の表情は窺えない。
思い出しているのだろうか。そのときのことを。兄を、失ったときのことを。
「それじゃ明日に備えて、もう休みましょう」
「ああ」
流護はベルグレッテを見送り、カンテラ(どことなく提灯に似ている)の火を消して床につくことにした。




