160. 雅の都
レフェ巫術神国。平野を中心とした肥沃かつ広大な土地に、約七十万名もの人々が住まう大国である。
国を統治するのは、王に相当する国長と、その国長を含む『千年議会』と呼ばれる為政者たち。
レインディールやバルクフォルトとは全く異なる、独自の景観を誇る街並みは、一見の価値ありと断言して問題ないだろう。
神詠術は巫術と呼称され、神から授かった『恩恵』ではなく、哀れみの『枷』として考えられているという。例えば一般家庭において、神詠術を使った仕事は家長以外の者がこなす。家の主に、『枷』である神詠術を使わせないようにするという気遣いだ。
「ベル子先生。この国にクレアさんを連れてきたらどうなるんすか」
「あ、あはは、はは……」
先生は苦笑いを残すのみだった。
神詠術を神聖視するクレアリアは案の定、レフェという国やその民であるダイゴスに対して、あまりいい感情を抱いていないようだ。
流護たちの任務に自分も同行すると主張していた妹さんだったが、いざこの国へやってきたらそれはそれで終始不機嫌となっていたに違いない。
そこでふとあの少女が残した「オノレ……オノレ……」という呪詛にも似た呟きを思い出し、流護は背筋を震わせてしまった。
帰った後のことが思いやられるばかりだ。何とか機嫌を直してもらうべく、土産でも買って帰ろうかな……と考える少年だったが、そもそもレフェ嫌いの彼女にレフェの土産を送ったとして喜んでもらえるとも思えない。むしろ挑発と受け取られそうだ。
あれ? 俺まじどうすりゃいいの? 詰んでない? 死ぬしかないんじゃないの?
暑さによるものだけではない嫌な汗が額に浮かぶのであった。
その姉であるベルグレッテはといえば、
「信仰や主義は、それぞれ自由だと思うの。人に迷惑をかけない範囲でならね」
よくできた娘さんである。お嫁に迎えたい、と流護は頷きながら、手にした『初心者向けレフェ巫術神国ガイド』の続きへ目を落とす。
レインディールの二倍以上もの総人口を誇る大国だが、現時点で『ペンタ』の数はわずか二名。凄まじい能力を有することに違いはないものの、レフェにおいては『凶禍の者』と呼ばれ恐れられている。
『凶禍の者』が少ないということはつまり、神が可能な限り我々を平等に扱ってくださろうとしている証だ――などというレフェの識者からのコメントが載っているが、何だか負け惜しみみたいに聞こえてしまうのは気のせいか。
国長の下、各々の役割に特化した詠術士らの家系、通称『十三武家』が臣下として名を連ねているが、その神詠術に対する考え方から、この中に『ペンタ』は存在していない。ちなみに代々の国長も、この武家に縁ある者の中から選出される、とある。
様々な記事にざっと目を通してみた限り、国としてはかなり世襲制を重んじる傾向があるようだ。
「これは……国の重要人物の中に、『ペンタ』はいないってことか?」
「そうね。重要といえば重要なんだけど……二人の『ペンタ』は、特別な地位は授かっていないの。その本に書かれてるとおり、ロイヤルガードに相当する『十三武家』も皆、選りすぐりの詠術士のみで構成されているのよね」
「あれ? じゃあ、天轟闘宴の優勝者の……一番強い……えーと」
「ドゥエン・アケローンは、『ペンタ』じゃないよん」
流護の疑問を先読みしたミョールが答える。
「まぁでも、ドゥエンはもう『ペンタ』と大差ないんじゃないかな。いや、あたし『ペンタ』なんて見たことないから知らないけど」
考えてもみれば。流護はさも当然のようにディノやナスタディオ学院長、ラティアス、リーフィア、バラレ女史といった『ペンタ』たちと接してきたが、そもそも彼らは希少な超越者。ポンポン出てくるほうがおかしい。
「『ペンタ』が参加した天轟闘宴は、過去に一回だけ。それも五年前、バルクフォルトのレヴィンが出場したんだよね。前々回だから……第八十五回かな。優勝したけど、その時がまたドゥエン不在の回で。でもすごいよね。レヴィンって、当時十三歳だってよ? ちょっと想像できないなぁ~」
ミョールが溜息と共に語る。
ファンの間では、強者同士の激突が見られず惜しまれた回となったのだとか。
十三歳といえば、ミディール学院の『ペンタ』にして第五位、風の少女リーフィアと同年齢だ。彼女の凄まじい風の力を目の当たりにした流護としては、そのレヴィンとやらが絶大な力を持っていたとしても別段驚きはしない。
「あれ……つか、レヴィンってなんか聞いたことあるような……」
「ん。前に話した、バルクフォルト帝国の騎士隊長のかたね」
「……ああ」
言われて思い出す。確かベルグレッテの知人だという、隣の国のイケメン騎士隊長だ。『ペンタ』にして人格者で、女性ファンも多いという。
レヴィンが騎士団と共にレフェを訪れていた際、偶然にも天轟闘宴の告知がなされた。種々様々な経緯もあって、彼は故国の意向で参加することになり、見事優勝をかっさらっていった。
レフェとしてはその回の興行収入も莫大なものだったようで、参加したレヴィン側――バルクフォルト帝国も優勝ということで面目が立ち、双方にとって良好な結果を齎したとのことだった。
――が、もしここでドゥエン・アケローンが参加していたならば、どんな結果になろうとも両国の関係は険悪なものとなっていたのではないか。一部の間では、そんな風に囁かれている。
レフェ最強と謳われるドゥエンと、バルクフォルトにおいて新進気鋭の『ペンタ』であるレヴィンの激突。
観衆にしてみれば是が非でも見たいカードだろうが、その国の顔ともいえる戦士同士の対決。負けたほうは面子が潰れてしまう。
双方のお偉方の間では「次は是非ともドゥエンとレヴィンの対決を実現させたいですなぁ」などというやり取りもあったそうだが、そんなものは社交辞令だ。絶対に実現することはない。
……と、そんなミョールの説明を聞いた流護は、思わず渋い顔になってしまった。
「うーん、大人の事情すなぁ……って、ミョールさん詳しいっすね」
「そりゃあね。あたしも、なんとかして賞金が欲しい身だし……しっかり調べたよー」
ちなみに情報通の間では、当時レヴィンとドゥエンが衝突していたなら、ドゥエンが勝利していただろうと予想されているそうだ。いかにレヴィンが『ペンタ』とはいえ、当時十三歳。さすがに無理だろう、と噂されているとのこと。
ディノやリーフィアの力を知っている流護としては、正直そうとも言い切れないと予想するところだが。
「……おっ!?」
そこで突然、ミョールが馬車の窓に張りつく。
外はもう夜の闇に包まれている。巨大な月ことイシュ・マーニも欠席しており、何も見えはしないはずだが――
「レフェの首都、ビャクラク。見えてきたよー! うっわー、でかーい!」
予想に反したその言葉に釣られて、流護も外へ顔を向けた。
「う、お……」
そしてそのまま、目を奪われた。
国境を越え、快速馬車へ乗り換えて、ひたすら移動し続けること六時間。景色もさして代わり映えせず、異国へやってきた実感などあまり持てないままだったが――
深い闇の遠方、街明かりによって浮かび上がる、恐ろしく膨大な範囲に及ぶ都市群。高く長い壁があってなお、その街の活力を抑えきれないかのごとく、生活の灯火が明々と溢れ出している。
近づけば近づくほど、その街の巨大さが――
「…………、……っ!?」
そして流護は、完全に言葉を失った。
「リューゴ……どうかした?」
同じく窓の外を眺めていたベルグレッテが不思議そうに首を傾げるも、答えられなかった。
(これ、は――)
ぼう、と闇夜に浮かぶ、壁の上からはみ出して見える巨大な建物の数々。
白塗りの壁と、なだらかな傾斜のついた黒い屋根。見覚えのある、なじみのある形状。あの屋根は――
(瓦屋根……つーかこれって――)
闇に浮かび上がるその威容は、どこか儚く幽玄。雅やかなその外観は、傍らに桜の木でもあれば、さぞ風情が感じられたことだろう。
――その建造物の数々は。
流護が知るところの、日本の城に酷似していた。
そうして三人はレフェ巫術神国の首都、ビャクラクへたどり着いた。
流護たちは任務のため。ミョールは天轟闘宴出場のため。それぞれ目当てこそ違えど共通する目的地へ、ようやくの到着である。
馬車を降りた流護は、街並みを眺めてただただ息をのむ。
「…………、」
馬車の中で読んだガイドの文面を思い出す。『レインディールやバルクフォルトとは全く異なる独自の街並み』。
レインディールを安易に『西洋風』と表現するのなら、この街はまるで『和風』だ。それも、平安時代や江戸時代がない交ぜとなった印象の、どこか奇妙な。
舗道沿いに等間隔で並ぶ街路樹は、柳のように枝葉を垂れている。立ち並ぶ建物の数々は神社や仏閣にどこか似ていて、
(んだよ、この街……麿呂が蹴鞠しててもおかしくねぇぞ……!?)
動揺のあまり、流護はそんなことを思ってしまっていた。
「リューゴ……どうかしたの? さっきから」
「いや……、この街……」
そこでちらりとミョールに視線を向ける。彼女もまた、「ひょー、すげー! 変な街ー!」ともの珍しげに街並みを見渡していた。
――この街、昔の日本そっくりなんだ。
記憶喪失の建前がある以上、ミョールの前でそれを口にする訳にもいかない。
「……悪い、後で」
小さく囁くと、ベルグレッテも察したようだ。小さく頷き、それ以上追及することはなかった。
「二人はもう、これから偉い人のとこ行っちゃう?」
「ええと……」
ベルグレッテが懐中時計を取り出すと、針は九時過ぎを指し示していた。
「今日は宿を取って、城へ向かうのは明日にしようかと思います」
「おおー! それじゃまだ、しばらく一緒にいられるね! よーし、宿見つけて晩御飯にしよ!」
宿を探しながら、首都ビャクラクの街中を三人で歩く。
長屋のような家々の軒先でぼんやりと光る、灯篭に似た照明器具。道の脇に停められている馬車は、街中専用だろうか。流護たちがここまで利用してきたものとは違い、客室の壁も白塗りで、簡素な瓦屋根が乗っかっている。暇そうに佇んでいる灰色の馬は背が低く、代わりに脚が短く太い。速度より力に優れている印象だ。
『和』を感じさせる雰囲気に満ちた街だが、道行く人々の姿にはまた別の趣があった。飾り気や派手さの皆無な、ゆったりとした動きやすそうな衣服を纏っている。
(あれだ。モンゴルの遊牧民みたいな……)
注視してみれば、街の建物も純和風ではない。どことなく中華っぽい風情があったり、全体的に東アジア系の雰囲気がない交ぜとなっているような印象を受けた。
「……この街さ……何でこんなにレインディールと違うんだ?」
レインディールからレフェまで、馬車で三日――流護たちはショートカットしたため、実際は二日弱――の距離。
もちろん遠いといえば遠いのだが、レインディールの国内同士ですら馬車で一週間以上といった場所も存在する。その点を考えると、この距離でここまで全く異なる文化が発展するものなのか、と思ってしまう。
それをベルグレッテに問えば、
「レインディールとレフェの間にある、ガラタリディック川のせいね」
「川? そんなんあったっけ?」
「昼間に橋を渡ったよん。リューゴくん、思いっきり寝てたけど」
ガラタリディック川。
レインディールとレフェの間を縦に分断して流れている哄大な河川で、その横幅は二千メートルにも及ぶといわれている。
この川の存在によって、レインディールとレフェは長く交わることがなかったのだという。
単純に、物理的に大きく渡りづらいという点もあるが、
「かつて、この川に棲んでいたとされる強力な怨魔がいたの」
「ガラタリの主、ウンガラッドだよね。水を飲みにやってきたファーヴナールをひねり潰した、なんて逸話もあるよね。村の古い本にも載ってるよ」
「インフレじゃないっすかね……」
おなじみ『竜滅書記』のガイセリウスとその一行によってウンガラッドが討伐され、ようやくこの川を人が渡れるようになった。
ガイセリウスが活躍したのが約五百年前、川に橋が架かったのがおよそ二百年前(それまでは船での移動だったそうだ)。両国の人々の交流が本格的に始まったのは、それよりさらに数十年も後のこと。
つまり双方の国交の歴史は存外に浅く、それまで両国は交わることのないまま、独自の文化を築き上げていたということだった。
元々レフェが資源に恵まれた肥沃な国土を有しており、自国のみで自給自足を完結できていたため、積極的に他国と交わろうとしなかったという面もあるようだ。ここよりさらに東にある国では、地続きなためかレフェの特色も見られるとか見られないとか。
「お、ここ宿みたいだよ。入ってみない?」
歴史について思いを馳せる(大げさ)流護だったが、ふとミョールの声に顔を上げる。
白い壁と赤い柱、その上に茶色い椀を被せたみたいな丸屋根という風体の、もはや何風なのかもよく分からない建物だった。やけに縦長で、三階建てのようだ。
「宿……か? これ……」
「そう……みたい」
長旅で疲れている。あまり宿探しに時間をかけたくはない。
『旅路の宿 エビシ~ル』とのたくった日本語――もといイリスタニア語で記された看板が掲げられているその珍妙な建物に、三人は入ってみることにした。
外から見た以上に広々としている屋内だったが、
「な、なんか目が痛いんですけど」
入ってすぐのロビーは、絨毯、壁紙、カウンターとその向こうに立つ受付の服装までが赤一色で統一されていた。思わず目をパチパチさせてしまう。
その内装はもはや何風と呼んでいいものか、流護の感覚では如何とも表現しがたい。東アジアならどこかにありそう、といった曖昧な感想に尽きる。
ガイドに記されていたが、レフェでは赤を魔除けの色として考える傾向があるとのこと。それゆえの配色なのだろう。
「うお、でっけえ絵……」
脇の壁に、巨大な絵画が展示されていた。
縦三メートル、横幅二メートルほどもあり、ほとんど実物大と思われる黒鎧の人物が青空を背景に描かれている。その顔は凛々しく精悍で、歳は二十歳前後だろうか。さっぱりした黒髪の、大柄な男。
絵の下に掲示されている文章へ目をやれば――
「……『勇気の丘のガイセリウス』……へえ、ガイセリウスってこんな顔してんのか」
初めて見た、と興味をそそられる流護だったが、
「あ、そういうわけじゃなくてね……」
「え!? これガイセリウス!? いやいやー、あたしの知ってるのと全然顔が違うんだけど!」
「ん? どういうことだ?」
ベルグレッテとミョールそれぞれの反応に混乱する。
「あはは。えっとね――」
博識なベルグレッテ先生によれば、ガイセリウスは五百年も前の人物。どんな容貌をしていたか、その正確な記録はさすがに残っておらず、それぞれの筆者が想像で好きなように描くため、絵によって全く違った顔になってしまうのだという。
「ああ、なるほどな」
「ふえー、そうなんだ」
流護とミョールはふむふむと揃って頷いた。
――と。
そこでロビーの脇にある通路から出てきた人物が、絵を見上げている流護とぶつかりそうになった。
「む。おっと、失礼」
「あ、いえ――」
互いに軽く頭を下げ合い、互いの顔を見て――
「!?」
「ッ!」
互いに絶句した。
その様子を見たベルグレッテが、相手の顔へ視線を向けて――
「!」
彼女もまた言葉を失う。
名前は知らない。が、見知った人物だった。
坊主に近い金髪に、細く鋭い眦。パリッとした黒の礼服姿。
しかし何より特徴的なのは、その顔の下半分を覆っている口布だ。鼻から下を覆い尽くしているその容貌は、どことなく忍者を彷彿とさせる。
「てめえは……!」
「む、む。貴殿は……」
ミアがさらわれ、ディノやレドラックファミリーと激突したあの一件。
あのとき数々のマフィアたちと闘ったが、その中に一人、腕の立つ男が混ざっていた。
流護の攻撃を凌いで渡り合っていた、氷属性を扱う詠術士。細かな氷弾を放ったり、その両腕に氷の盾を生み出したりしていた。
結果として一撃で殴り倒し、ジャイアントスイングでレドラック目がけて投げつけているのだが、流護としては倒すつもりで振るった拳を躱されている数少ない相手であるため、はっきりと覚えている。
「てめえ、あの時の……どうしてここに……!」
「む。どうしても何も、ここは私の実家で……」
「は!? じ、実家!?」
「なになにどしたの、知り合いなの?」
身構える両者。首を突っ込んでくるミョール。通りかかった人々も、何事かと興味本位の目を向けてくる。
……収拾がつかなくなってきた。
入り口でゴタゴタしていても、他の客の邪魔になってしまう。流護たちはひとまず、宿の外へ出ることにした。