159. 心の色彩
ダスタ渓谷。
周囲に切り立った高台が並ぶ、草花溢れる川沿いの街道。すぐ脇を流れる清流は限りなく透明で、昼神インベレヌスの恵みを照り返してきらきらと輝いている。
エウロヴェンティを出立して二時間後、流護たちは馬車組合の集落へ到着した。そこから大型の乗り合い馬車でレフェまで向かう予定だったが、途中の主要交通路が土砂崩れによって通行止めとなってしまっていた。復旧には二日ほどかかるという。幸い近くに村もあり、多くの者はのんびりと街道の復旧を待つようだったが、期限までに任務を果たしたい流護たちや、天轟闘宴への参加が目当てであるミョールは、いつまでも待っている訳にはいかない。
少しでも早くレフェにたどり着きたい三人は、徒歩でこのダスタ渓谷を行くことにしたのだった。
この道を通った先の街で再び馬車に乗れば、主要交易路で行くより半日も早くレフェへ到着するという。
しかし、起伏に富んだこの近道を行こうとする者は多くない。馬車組合の人間も、お勧めはできないと渋い顔を見せていた。その理由は――
「それじゃ、行きましょうか。怨魔や山賊に気をつけて、ね」
表情を引き締めてベルグレッテが言う。
「おー!」
活発に片手を突き上げて答えるミョールと、無言で頷く流護。
この街道には、魔除けが施術されていないのだ。
威圧するように高く切り立つ崖や深く生い茂った草むら、地面に大きな影を作り出している岩場など、何者かが潜むに適した地形も多い。
「リューゴくん、だいじょぶ? まだ眠い?」
「いや大丈夫。行きまっしょい」
夜通しの解脱によって聖人と化していた流護は、当然ながらほとんど寝ていない。馬車での移動中、ようやくまともな睡眠を取ることができていた。
少年は自らの頬を軽く張り、気合を注入する。いつまでも賢者ではいられない。ここからは、意識を戦士へと切り替える。
油断なく周囲に気を配りながら、三人は街道を歩き始めた。
さして代わり映えしない景色の中を行くこと、十五分ほどか。
「……おっと。お客さんかなっ」
明るいようでいて、やや緊迫したミョールの声。
その言葉が合図だったかのごとく――曲がりくねった街道の先にある岩場の陰から、男たちが姿を現した。
その数、五人。全員が革製の鎧を着込んでおり、手には長剣やボウガンなど、思い思いの得物が握られている。
(……こいつらは――)
物々しい雰囲気。下卑た笑みを張りつけた顔。直感する。
野盗。
この世界へやってきてから常々耳にしてはいたものの、初めて遭遇するその存在に、現代日本の少年はわずかその身を緊張させる。
行く手を塞ぐように歩いてきた男たちは、流護たちを見てピュウと口笛を鳴らした。
「おいおい、こりゃ久々の大当りじゃねぇか?」
「女二人は上物だな。そっちのチビガキはどうする?」
「チッケェけど男……だよな? そのガキ。好事家に売るのもめんどくせーんだよなー。まっ、見なかったことにしよーや。男なんていなかった。俺は見てねえ。ヨロシク」
「ほいよ」
ひげ面の中年男が、慣れた手つきでボウガンを構えて流護に照準を合わせる。そのまま威嚇も前口上もなく、ついでに躊躇もなく矢を発射した。
ガシュンと機械的な音を響かせて飛来した鉄の矢は、
「あっぶねっ」
流護の廻し受けによって弾き飛ばされた。
「は? あ……?」
「え? リューゴ……くん?」
叩き落とされ、ころころと転がっていく金属製の矢。男たちと、ミョールまでもが呆然とする。
「……あ、あーびくった。でも意外と遅いのな。これなら余裕だわ、この篭手もあるし。寝起きの運動にゃちょーどいいぐらいだな」
「それは……リューゴだから言えるセリフじゃないかなぁ」
武器の性能が低いのか、重力が弱く飛びづらいのか、はたまたその両方か。
流護には、放たれた矢がはっきりと見えていた。
感覚としては、素人ピッチャーから放たれた野球のボールに近い。動画で見覚えのある、クロスボウなどとは比べるべくもない弾速。
刺されば当然危ないだろうが、『受ける』にあたって問題はない。流護はそう判断した。慣れれば白刃取りすらできるかもしれない。試そうとは思わないが。
ともあれ、神詠術で大概のことが成せるこの世界。攻撃術で間に合うのだから、普通はボウガンなど使わない。ということは、それらの作製技術がそこまで高く発達しているとも思えない。となれば自然、そんな道具に頼ろうとしている連中の腕前も窺い知れる。
野盗や盗賊と聞けばひどく物騒に思えるが、現代日本の路上でチンピラに絡まれたようなものと考えれば――
「な、なんだこのガキ――」
他の一人がボウガンを構えようとしたところへ、
「ぐ、がぁっ!」
ぼん、と火花が炸裂した。男の手からボウガンが滑り落ち、一拍遅れてドッと倒れ込む。その身体からは白い煙が立ち上っていた。
「ややー、負けてらんないね。――ほい、あと四人」
野盗に手のひらを向けたミョールが、どこか冷えきった声で呟く。
「チッ……こいつら、詠術士か!」
「クソ、生け捕りしてる余裕はねえな……!」
相手が楽に狩れる兎などではないと判断したのか、野盗たちはそれぞれ得物を構えて素早く展開した。
一人は早撃ちのようにボウガンを構えて、ミョールへ狙いを定める。
「くたばれ!」
撃ち出された矢は一直線に彼女へと迫るが――バチンと火花を散らし、見えない壁に激突したかのごとく弾き飛ばされた。まるで誘蛾灯に突っ込んだ虫のよう。
「残念でした。お返しっ」
ミョールの手から放たれた電光の一撃を受けて、対峙していた男と――その隣にいたもう一人が、連鎖するように弾け飛ぶ。
水剣を喚び出したベルグレッテに短剣で挑みかかった男は、干戈を交えるも数合ともたず、袈裟掛けに手痛い一撃を受けた。
「ぐあ! ち、ちくしょう、強ぇ!?」
あっさりと背を向けて逃げ出すも、狙い澄ましたミョールの偏差射撃に吹き飛ばされる。まさに電光石火。指先から青光を散らした彼女が、得意げにふふんと微笑む。
(これが、ミョールの実力……)
流護は思わず目を見張る。
あっという間に四人。荒々しい武祭に出場したいというその腕前のほどは、伊達ではないようだ。
――ともあれこれで、あと一人。
「ク、クソが……!」
瞬く間の総崩れに、撃つか逃げるか迷いが生じたのだろう。動揺する男に対し、流護は一足飛びで突っ込んだ。
いくら矢を『捌ける』とはいえ、撃ち込まれたら危ないことに変わりはない。流護には神詠術がないのだ。
となれば――撃たれる前に倒す。
一瞬で間合いを詰められて驚愕する男の腹に、拳を突き入れた。
「ご、……ふ……」
軽くその身を持ち上げ、浮かせるほどの右ボディ。
最後の野盗はボウガンを取り落とし、腹を押さえて崩れ落ちた。
「……ふう」
野盗相手でも、問題なく対応できた。
……もっともこれまで、暗殺者や『ペンタ』、テロリストといった相手と渡り合ってきているのだ。当然といえば当然ではある。流護は残心を取りつつ、かすかな安堵の溜息を吐く。
「……よし。ちょっとまわりを見てくるわね」
ひとまず敵全員の無力化を確認し、ベルグレッテが急ぎ足で草むらの中へと消えていく。
馬車の中で聞いた話だったが、人数が多い山賊団などの場合、近くに増援を潜ませていることがあるのだという。過去には、襲いかかってきた者たちは全くの捨て駒で、敵を倒したと安堵したところへ強力な第二陣が押し寄せてくるといった事例もあったらしい。
ましてこの街道は隠れるに適した場所が多いため、ベルグレッテが簡単な気配察知の術を駆使して探りに行ったのだった。
――と、
「げ、は……ま、待ってくれよ、兄さん。こっ殺さないで、くれ」
すぐ目の前。膝をついた野盗が、歯を食いしばりながら流護を見上げてきた。
「……は、あ?」
男が着込んでいる革鎧のおかげで、拳の威力が軽減されてしまっていたようだ。
意識を断ち切ったつもりでいたため、いきなり話しかけられると思っていなかった流護は、若干間の抜けた声を漏らしてしまう。
「み、見逃してくれ。は、腹を空かせた娘が……待ってるんだ。も、もうこんなことはしないよ。だから……」
脂汗を額に滲ませて、涙すら浮かべて、男は敵意がないことを示すように両手を上げながら懇願する。
「ふぅーん。娘がいるんだ」
答えたのは、流護ではなかった。
歩み寄ってきたミョールが、色のない瞳で野盗を見下ろす。
「あ、ああ。本当だ。今年で七つになる。俺は神詠術の才能なんてねぇから、こんなことしかできなくてよぉ……で、でも、もう辞める。足を洗う。だから……」
「ふぅーん……どうしよっかな~」
弄ぶように、マントの詠術士は笑う。
「ちょっ、ミョール……?」
死にかけの虫をいたぶる子供にも似た、無邪気で残酷な笑み。流護は思わずゾッとしてしまった。
男も恐怖を感じたのか、媚びへつらうように伏して請う。
「な、何でもする! だから……」
「何でも? それじゃあ、言うこと聞いてくれる?」
「あ、ああ! お、俺にできることなら……だ、だから――」
「――じゃ、死んで」
ばぢん、と。
紫電が散り、白煙が舞った。
ミョールの手のひらから迸った雷撃を受けて、這いつくばっていた男はそのままの姿勢で動きを止めた。
「……ちょっ……、」
あまりに突然で、あっさりとしすぎていて。流護はただただ呆然とする。
周囲を見渡せば、倒れている野盗たち。気絶しているのではない。ミョールの術を受けた彼らは――白煙を漂わせる彼らは、ピクリとも動かない。明らかに絶命している。
目の前であまりにも呆気なく行われた『殺人』。
倒れて頭から煙を吹き上げる男――死んでしまった男を見て、肉の焦げた臭いを嗅いで。ほんの数秒前まで、息苦しいほどに生きようとしていたその顔を思い出して。
流護はほとんど反射的に呻いていた。
「えっ、と……殺さ、なく……ても……」
自分の耳にすらどこか空しく、間抜けに響くその言葉。
ミョールがちらりと流護を見る。
「ややー、びっくりしたぁ。リューゴくん、強いんだねー。ほんとに素手で闘っちゃうなんて、びっくり」
「え? あ、ああ――」
「でも、記憶がないっていうのも本当みたいだね」
「え……?」
その言葉の意図が掴めず、少年はただ呆然とする。
「野盗なんかの言うことに耳を貸しちゃダメ。もしこいつらを見逃したとして、その後どうすると思う? 本当に、心を入れ替えて悔い改めると思う?」
「それ、は――」
さすがに流護もそこまでお人好しではない。
けれど、目に焼きついている。
必死に懇願するその顔に浮かんだ脂汗。涙。かすれた声。ただ死にたくないと望んだ人間の、当たり前で息苦しいまでの思い。
反して、ミョールは冷ややかな声音で言う。
「こいつらはね、改心なんてしない。……んー、『改心』っていうのは正しくないかな」
真摯な瞳で、マントの詠術士は流護を見つめて告げた。諭すように。
「野盗や山賊って連中は、そうすることでしか生きられないの。自分たちが生きるために、他者から奪い取る。それが当たり前……日常だから、そもそも改心するしないの問題じゃない。奴らには、罪悪感も躊躇も後悔もない」
それは流護自身、実感していた。
野盗たちは流護に対して「金を出せ」と威圧することもなく、いきなり矢を射かけている。手慣れた作業をこなすかのような自然さで。これまで、幾度となく繰り返してきたのだろう。
脅すなどという無駄なことはしない。ただ殺して、奪い取る。肉食獣が獲物を狩るのと同様に。
「もちろん、連中にも色んな奴らがいるだろうし、中には説得すれば改心するヤツもいるかもしれない。今あたしが殺したコイツも、そんな一人だったのかもしれない。けど……もし改心しなかったなら、また同じことを繰り返す。仲間を引き連れて報復に来るかもしれない。じゃなくても、必ずまた別の誰かが襲われる。そんな可能性のほうが、ずっと高い。だからここで仕留めちゃうのが、一番確実なの」
彼女の言葉はもっともだった。襲いかかってきた相手に対し、リスクを犯してまで説得する必要などない。
……流護のように、人を殺したくないという理由でもなければ。
ミョールは色のない瞳で続けた。
「小さい頃、教わったよ。こいつらは『言葉が話せるだけの怨魔』なんだって。たまたま同じ人の形をしてるだけで……言葉が通じるだけで。あたしたちとは、全く別の生き物なんだって。身をもって、実感した」
「身を、もって?」
マント姿の詠術士は、悲しげな笑みをたたえて頷く。
「もう四年前になるのかな。……父さんが、山賊に殺されたの」
馬車で丸一日ほどの距離にある隣村へ仕事で出向く道中、運悪く流れの山賊団と遭遇したのだという。
ミョールの父は、大量の農作物や金品を運搬しているところだった。当然のように殺され、必然のように積み荷を奪われた――が、それだけでは済まなかった。
父は、周辺地域の地図を所持していたのだ。自分の……家族らが住む村への、道標を。
そうして、連鎖するかのごとく村が襲われた。
その当事者たる詠術士は、淡々と語る。
「あたしの村は百人近くが暮らしてたんだけどね。山賊たちの数は二十人ぐらいだったかな。でも夜襲だったし、大半は闘うための神詠術なんて使えない人ばかりで。男の人は有無を言わさず殺されて、女の人は辱められてから殺された。子供やお年寄りは、虫を潰すみたいに殺された。建物もいっぱい燃やされて……次々と、真っ黒い悪意の塊が押し寄せてくるの。まるで……悪夢だった」
「……、」
少年には、想像すらできない光景だった。それでも学院が怨魔に襲われた件が、かなり近しい事例だろうか。
「それでね。あたし……『初めての相手』が、名前も知らない、山賊の汚らしいオジサンになっちゃったの」
「ッ、そっ…………」
それは、つまり――
流護の腹に、ズシリとした冷たい不快感がのしかかる。
が、ミョールはそんな少年の顔を見てくすりと笑った。
「ふふーっ。リューゴくん今、いやらしい想像したでしょ」
「え、え? あ、い、いいや!?」
残念ながらひっくり返る声は正直だった。
「あたしが初めて殺した人間が、その山賊だったってことね」
「あ……」
「あたしも妹も、詠術士としての修練は積んでたから……村の人たちや、数少ない他の術者と一緒に、みんなで必死に戦った。いきなりの奇襲で、最初はみんな逃げ惑ったけど……死に物狂いで、反撃した」
体力の限界まで。魂心力が尽きるまで。
ただ全力で、雷撃を放ち続けた。
加減も何も分からず、向かってくる相手にも、戦意をなくした相手にも、動かなくなった相手にも、神詠術を撃ち続けた。
そうして……辛くも、山賊たちを撃退することに成功した。
「昨夜、妹の足が不自由だって言ったでしょ? この襲撃が原因なの。脚に矢を受けて、その矢に妙な毒が塗られてたみたいでね……」
「……そのせいで……」
妹の足の治療費を稼ぐため、天轟闘宴に出たいというミョール。その根本となった原因は、山賊たちの襲撃。
だからね、とミョールは流護の瞳を見つめた。
「記憶のないリューゴくんが、人を……山賊を殺すことをためらうのは、当然なのかもしれない。本能的に同属殺しを嫌悪する。うん、立派なことだと思うよ。でも……奴らを見逃した結果、奴らが改心しなかった結果、また誰かが襲われる。それも……標的になるのは、安全な壁の中にいる都会の人たちじゃない。道行く人や、あたしの村みたいな小さい集落に住んでる人たちなの。それだけでも、覚えておいてほしいなって」
流護には、返す言葉もなかった。
悪漢が当然のように襲いかかってくる世界。相手を返り討ちにしても、罪には問われない世界。
つい先日、黒い怨魔との闘いで死んでいった兵士たち。たった今、目の前で死んだ野盗たち。この数日だけで、当たり前のように人の死を目撃している。命が失われることが、当たり前なのだ。安全な壁の外では。学院で――壁の中で暮らしているから、そんな場面に遭遇する機会がなかっただけのことで。
殺伐とした事柄とは無縁の故郷で育まれた、殺人に対する抵抗や嫌悪感。
山賊たちを見逃したなら、兵として守るべき人たちが害されるかもしれない現実。
(……俺、は)
言ってしまえば、甘いのだ。本来であれば、遊撃兵となる前に覚悟を決めておくべきだったこと。
人を殺せるかどうか。
いつまでも曖昧なまま、先送りにしていい問題ではないはずだ――。
「ちなみにね」
静かな声音で、ミョールがぽつりと零す。自らの手によって二度と動かなくなった男を眺めながら。
「命乞いしてたその男は、大ウソツキ。改心する気なんてなかったし、多分、娘がいるなんてのもウソ」
「……、なんで、そんなことが……?」
やけにはっきりと断言する彼女にかすれた声で問い返せば、
「じいちゃん譲りの人を見る目、だよ」
ただ静かに、そう答えた。絶対の確信を得ているような口調で。
続けて、ミョールは自分の目を指差す。翠緑色に輝く、美しい瞳を。
「あたしね。人の中に、ぼんやりと色が見えるの」
「え?」
唐突なその言葉の意味が分からず、流護は思わず眉根を寄せる。
「じいちゃんもそうだったんだけど……なんて言ったらいいのかな。人を見たとき、ぼんやりと色を『感じる』の。悪意のない人は、白とか灰色。悪いヤツは、もう真っ黒。そんな感じで、色が見えるの」
いきなりの告白に面食らうが、ふと何かが繋がった気がした。
昨夜、混雑した酒場内にて相席を持ちかけてきたミョール。その後、初対面の流護たちを部屋へ誘ったうえ、酔い潰れて眠ってしまうという無防備さ。
若い女性一人としては、多分に迂闊な行動だったのではないか。流護たちが無害だという確信でもない限りは。
「リューゴくんたちは、それぞれ綺麗すぎるぐらいの純白と灰色。今までの経験から言って、もうお人好しすぎるんじゃないかってぐらい純粋な色。昨夜あの場にいた誰よりも、澄んだ色をしてた」
そう。その確信が、あったのだ。
「昨日もね、一人でウロウロしてたら優しそうに『一緒に飲もうよ!』とか声かけてくるお兄さんがいたりしたんだけど……もう、真っ黒なのが見えちゃってたりして。下心がバレバレ」
苦笑いして、彼女は申し訳なさそうな顔になった。
「だから……昨日リューゴくんたちに声をかけたのも、この人たちなら大丈夫、って確証があったからなの。……なんだかごめんね。計算づくで声かけたみたいだよね」
「いや、そんなのは……全然気にしなくていいけど……」
神詠術なんてものが存在する世界。流護が知る範囲だけでも、周囲の地形ごと全てを崩壊させかねないホスト顔の炎使いや、当たり前のように幻覚を見せてくる金髪美人(魑魅魍魎)などが跋扈しているのだ。人の性根を見抜く能力があったとて、別段驚きはしない。随分とまともにすら思える。
……それよりも。
ピクリとも動かなくなった野盗を見下ろす。
必死に命乞いをしていたこの男。あの息苦しいまでの思い。その裏に悪意がまみれていたかもしれないことが、少しだけショックだった。
あそこで隙を見せていたら、喉元に刃を突きつけてきたのだろうか。
「んだよ、このオッサン……、あんな、必死に……なってたのにさ」
「……私も、細かいことまで……何もかも見える訳じゃない。ただ……その男は、最後の最後まで『黒』だったよ。あたしの村を襲ってきた奴らみたいにね。色が変わる気配すらなかった」
ならば、ミョールが見逃す理由などなかっただろう。
ともあれ、今後の流護にも必要となってくるはずだ。
あんな顔ですがりついてきた敵を、容赦なく殺せるような冷徹さが。そうしなければ――自分、もしくは守らなければならない誰かが害されてしまうかもしれないのだから。
重苦しい表情で死体を見つめていると、
「ふふーん」
ミョールがいたずらっぽい流し目で流護を見つめてきた。
「え、な、なんすか?」
真面目な雰囲気から一転、よからぬことを企んでいそうなその顔に、思わずのけ反って後ずさる。
「いやいやー。さっきのあたしの、『初めての相手発言』を勘違いしたリューゴくんが面白かったなーって。馬車の中じゃ、興味なさそうな感じだったのに~」
「え!? いや、それは、まあ」
そこは思春期の少年たる有海流護。降臨した賢者など、とうの昔に退散している。
と、そこでハッとした。先ほどのミョールの話。人の中に色が見えるというならば、何だかまずいのではないか。昨夜のミョールの艶かしい肢体を思い返したしたりしようものならば、流護は『真っ黒判定』となってしまうのではないか。
「ぬふふ。なんか心配してる? 男の人がえっちなこと考えたぐらいじゃ色は濁ったりしないから、だいじょーぶだよ。もうガマンできねー犯してやるー! とかなったら変わると思うけど」
「いやいやいや! 思わない! 思ってないから!」
「ぬっふふふ。ん、分かってるよ。ちゃんと『見えてる』から。そーいえばリューゴくんとベルグレッテちゃんはさ、どこまでいった関係なの? 若いし、好奇心に任せてすんごいことしちゃったりしてんじゃないの、も~」
「はぁ!?」
「あー、でも二人ともきれいな色してるとこから考えると、キスもまだなのかな~」
沈んだ空気を変えようとしてくれているのだろう。
「な、何言ってんすか……!」
何か言い繕おうとしたところで――街道沿いに生い茂った、流護の背丈よりも高い草波がガサガサと揺れる。
反射的に身構える流護だったが、出てきたのはベルグレッテだった。旅装のあちこちに草の葉がひっついている。
「おかえりなさーい」
「敵の気配はなさそうです。……野盗たちは……息のある者はいますか?」
ベルグレッテがちらりと視線を巡らせる。
襲いかかってきた五人は、全員が倒れ伏したまま微動だにしなくなっていた。
「いや、加減なしに全員やっちゃったけど……まずかった?」
「……いえ」
短く答えたベルグレッテは目を閉じ、胸の前で両手を組み合わせた。
「――ウィーテリヴィアの加護が、あらんことを」
それは静かに捧ぐ、死者への黙祷。襲ってきた相手に対しても祈りを捧げるなんて、実に彼女らしいといえるのかも――、
(……そう、だ。ベル子は――)
そんな少女騎士の姿を見て、流護の脳裏をよぎる疑問があった。
見習いとはいえ、これまで王国騎士として様々な任務をこなしてきたであろうベルグレッテ。その過程において、山賊のような悪漢と対峙したことは、一度や二度ではないはずだ。
となれば――
「それじゃ、行きましょう。亡骸もこのままにしておけないし……次の街で兵舎に連絡して、あとの対応をお願いしておかなきゃ」
黙祷を終えたベルグレッテが、流護たちに声をかける。
「あ、ああ……そう、だな」
今、面と向かって『それ』を尋ねるのも憚られる気がして――『それ』を訊くのが怖い気がして、流護は流されるままに頷いていた。




