149. 西の森の緋き悪魔
「く……、早う立たんか、役立たず共めが!」
いち早く回復した村長が、未だ倒れている取り巻きの男たちを叱りつける。老人が早々と立ち上がれたのは、ひとえにディノの絶妙な手加減の賜物なのだが――そんなことを知るよしもなく、不甲斐ないとばかりに手下を叩き起こす。
「……イェスタめ、愚かな真似を……」
不気味に広がる黒い森を振り返る。
せっかく生贄を捧げたというのに、イェスタたちが森へ踏み入ったことで、悪魔の怒りを買ってしまうかもしれない――
村長が考えると同時、地響きすら伴って爆音が炸裂した。
「ヒィッ……!」
「な、何だ!?」
男たちの悲鳴に遅れて、森の木々から鳥の群れが一斉に飛び立つ。
「あ……悪魔じゃ。悪魔が、怒っておるのじゃ」
目を血走らせ、泡すら吹きそうになりながら、村長は後ずさる。
――もう終わりだ。
やはり、悪魔の怒りを買ってしまった。
村そのものも、もう生贄が尽きる。
遅かれ早かれ、こうなることは決まっていたのだ――
「お、お主ら、行くぞ! は、早く戻るのじゃ!」
可能な限り私財をかき集めて逃げる。もう、それしかない。外の世界は危険だ。できることなら、出ていきたくはなかった。こんなことになってしまったが、この歳になるまで暮らした村だ。愛着だってない訳ではない。しかし、もはやそんなことは言っていられない。逃げなくては。
悪魔がやってくる、その前に。
顔色を蒼白に染めた村長は、恐怖に駆られるまま走り出した。
イェスタはただ、現実のものとは思えない光景に釘付けとなった。
ニールスが悪者だったことも、目の前であっさり殺されてしまったことも――思わず吹き飛んでしまいそうになるほど鮮烈な、真紅に彩られた戦場。
一斉に発射された数十本のボウガンの矢。逃げ場のない射撃の嵐。しかしその男は、そもそも逃げようとすらしない。飛来した矢の全てが、巻き上がった炎の渦によって散らされる。
傷のひとつも負っていないディノが、両手に長大な炎の剣――、柱とでもいうべきそれを生み出す。今まで見たこともない、桁違いの神詠術。
舞うように軽々とその柱を振るえば、一息の間に五人もの男たちが両断されて燃え上がった。
岩場に登った山賊たちがボウガンで狙いを定めるも、逆に小さな炎弾で撃ち抜かれて落下していく。まるで射的遊びだった。
「ハナから期待しちゃいねェんだけどよー……そんでもこう……虫なりによー、必死にガンバッてみろよなァ、オイ?」
底なしのように溢れ出し、赤い男を取り巻く紅蓮の奔流。
しかし全てを燃やし尽くすかに思われるその炎は、森の木々には燃え移らない。乱立する樹木の隙間を縫い、しなやかに敵だけを駆逐してゆく。
縛られて広間の中央に転がっているシレーナに対しても同様で、炎は少女を避けて――それどころか護るかのように荒れ狂う。身動きできないシレーナへ向かってボウガンの流れ矢が飛ぶも、横切った炎が矢を焼失させる。
呆然と眼前の光景を見つめているイェスタにしても同じ。
目の前が炎と矢の飛び交う凄まじい鉄火場となっているにもかかわらず、イェスタのほうに凶弾が飛来することはなかった。
幼き少年は漠然と思う。
まるで――炎の神に護られているかのようだと。
「くたばれやあぁっ、バケモン野郎がぁっ!」
一際大きな怒声に顔を向けたディノは、ハハと興味深げに笑う。
その視線の先、遥か遠方には――
勝ち誇った山賊の顔。粗末な車輪のついた台座に乗せられた、大きな砲台。
――投石砲。
その照準は、ピタリとディノに向かって合わせられていた。
「いいぜ、来な」
紅蓮の男は、まるで美女を迎えるかのごとく笑って両手を広げる。
兵器を前にしてなお、焦りの片鱗すら見せない赤き青年に、
「馬鹿が、くたばれ!」
容赦のない砲撃が放たれた。
「にいちゃ――」
自身の声すら消失するほどの爆音に、大地が震撼する。大気が揺さぶられる。イェスタはあまりの衝撃によろめき、遠くの木々からは、鳥たちが一斉に飛び立った。
「あ、あぁ……っ」
吹き上がった大量の土煙を前にして、イェスタは尻餅をついた。
十歳の子供にだって分かる。大砲なんてものは、戦争や巨大な怨魔に対して用いるものだ。間違ったって、一人の人間を相手に使うようなものではない。
ディノがどうなったかなど、考えるまでも――
一陣の風が吹き、土煙が洗い流されていく。
「……、っ……!」
全員が、目を見張った。
着弾が夢や幻でなかった証に、彼の立つ地面――その周囲だけが陥没し、派手に土くれをめくり上げている。
その中心部に当然のごとく佇むは、ディノ・ゲイルローエン。
砲撃を受ける前と、寸分違わぬ姿で。傷ひとつなく。両手を広げ、薄笑みを浮かべたまま。
「イマイチ」
それが、悪魔の感想だった。
「む、無傷!?」
「うぉあ、ば、バケモンだあぁッ……!」
「冗談じゃねえ! セプティウスじゃあるめえし、どうなってんだよ!?」
あるいは頭を抱え、あるいはへたり込み、男たちが狼狽する。
ディノは己の手のひらに視線を落とし、ゆっくりと開閉した。
――案外、楽に防げるモンだ。
全ての魂心力を注ぎ込んで展開した熱壁は、旧世代の代物とはいえ兵器を前にびくともしなかった。
しかしまだ無駄が多い。今まで防御についてまともに考える機会がなかったので、今後はこうして経験を重ねつつ研鑽していく必要があるだろう。
……真剣に『防御』という行動について考えるようになったのも、あの敗北があってこそか。
ディノが神詠術の構成について考える間に、
「く、くそ、やってられっかよ!」
「にに、逃げろ! 冗談じゃねえ!」
残り五人となった山賊たちが、ここでようやく逃走を開始する。
「隊がほとんど壊滅する段になって、やっと相手との差に気付いて逃げる。手遅れなんてモンじゃねェ。お気楽なハトでも、もーちっと危機感あんじゃねェの?」
ディノは逃げる男たちに向かって、ゆらりと右手をかざし――
ピッ、と。その四指から、細く赤い熱線が放たれた。ざくんと、五人のうち四人が串焼きみたいに背後から貫かれる。とても人命が散らされたとは思えないほど、あっさりと。
「ふっ、ひっ……が!」
並走していた仲間をあっさりと皆殺しにされた最後の一人は、もんどりうって転倒した。
地を這う最後の山賊に、炎の悪魔がゆっくりと近づいていく。
腰が抜けて立ち上がれない男の前で、ディノはゆっくりとしゃがみ込んだ。
「ひっ、や、やめ……こ、殺さないでくれえぇ!」
「クク……無抵抗な村の連中には好き勝手やっといて、いざ自分がヤバくなりゃ土にまみれて命乞いだ」
肩を揺らして笑ったディノは、ポンと男の肩に手を置く。
「いいねェ。オメーらってのは、そういう生き物だ。ほんのついさっき、得意げなツラで大砲ブッ放してた面影なんざ微塵もねェな。ク、ハハハハ」
「おっ俺が悪かった、や、やめてくれ……やめてくれぇ……」
泣いて慈悲を乞う男に、ディノは変わらない声音で言う。
「ま、そうビビんじゃねェよ。何でわざわざ、オメーだけを生かしてやったと思う?」
「たっ、助けてくれるのか!?」
「オメーに、やってもらいてぇコトがある」
「な、なっ何だ、何でもする、だ、だから命だけは……」
「うるせーな、ちっと喋らせろ」
震えて口をつぐんだ男に、ディノは用件を切り出した。
「最初に殺ったヤツが何か言ってたな。オメーら山賊団は千人以上で、広範囲で活動してて、ウンタラカンタラ」
コクコクと激しく頷く男に、ディノは笑みを隠さず続ける。
「本当に千人もいるとすりゃ、かなりのモンだ。ん? 今三十人ブッ殺したから、残りは九百七十人か、ハハ。で、そんだけの人数なら、それなりに使えそーなヤツもいるんだろ?」
今回の件では強力な怨魔や詠術士との戦闘を密かに期待していたディノだったが、壁を壊したものの正体が投石砲だと分かった時点で、その望みはなくなってしまった。無力な存在が強者を装っているだけだと判明してしまった。
しかし――小さな村を脅すためだけに、そんな兵器まで運用するという点。
チンケな山賊団にできることではない。そんな『遊び』ができるという事実は、暗にその組織の強大さを物語っている。王都やその周辺都市の闇社会など比較にならない規模だろう。ディノは興味をそそられていた。この小さな『仕事』を受けた理由の一つでもある。
「あっ、ああ。ウチの……総団長のクィンドールさんは、とんでもなく強い。元々、どこぞの騎士だったらしいが……その他にも、色んな国の元騎士や傭兵崩れの凄腕が何人もいる。現役の宮廷詠術士までいるって聞いた。そういう連中のツテや情報網もあって、俺たちは手広く活動できるんだ。おっ、俺たちなんて、本当にただの下っ端なんだ。宛がわれた『舞台』で遊んでる、端役みたいなもんさ。は、ははは」
ディノは「ナルホドねェ」と喉の奥で笑った。
「オレの名前はディノ・ゲイルローエンだ。知ってるか?」
面食らったような表情を見せた男は、フルフルと首を左右に振った。
ディノは小さく舌打ちをする。王都周辺ならば知らぬ者など皆無に等しいその名は、辺境へ来ればこの程度でしかないということなのか。
古来より、『井の中の蛙』という言葉もある。
旅に出て正解だったなこりゃ、とディノは胸中で独りごちた。
頭をガリガリ掻きながら、凶悪な笑みをたたえた紅蓮の少年は、ただ静かに用件を告げる。
「よし。じゃあオメーは帰って仲間に伝えろ。ココの仕事をブッ潰したのは、このディノ・ゲイルローエンだってな。オメーらもメンツってモンがあんだろ。たった一人にナメられたとあっちゃ、黙ってらんねェよな?」
男は信じられないものを見るような目で、激しく首を振った。
「あ、あんた自分が何を言ってるか分かってんのか。千人だぞ。ウチの技術はやべえし、化物みたいな奴だって何人もいるんだ。団がその気になったら、安心して眠れる日なんてなくなる。楽にゃ死ねねえぞ。仲間だって、家族だって巻き込まれる」
つい先刻まで自分を殺そうとしていた男のセリフとは思えず、ディノは吹き出してしまいそうになった。
「安心して眠れなくなるだァ? いいねェ、是非その程度の緊張感は味わわせてほしいモンだ。俺の力を見てそう言うってこた、期待していいんだよな? 飯時、寝てる時、風呂入ってる時、クソしてる時。いつでもいいぜ。いつでも来い」
ディノの本気を感じ取ったのか、男は怯えて後ずさる。背中を勢いよく木に打ちつけて、うわ言のように呟いた。
「なん、なんだ。あんた、何なんだよ。オルケスターにケンカ売るなんて、まともとは思えねえ。何がしてえんだ、訳分かんねぇよ……!」
「死ぬ気でディノ・ゲイルローエンを潰しに来いと伝えろ。オレはアテもなく旅してるトコでな、少しばかり退屈してんだ。オメーらと遊んでやる。つーワケで、ちっと協力してくれよ、な」
ディノが大きく肩を叩くと、男は「狂ってる、狂ってる」と喚きながら、ほとんど四つん這いになって逃げていった。
もはや、ルムリー村から搾取することなど頭から消し飛んだだろう。
さて、とディノが立ち上がって踵を返せば、イェスタたち兄妹が歩いてくるところだった。シレーナにもケガはないようだ。
「兄ちゃん……あの人は……?」
「何でもねェ、気にすんな。ソレとも殺しといた方がいいか? 小さな依頼人さんよ」
「う、ううん」
そこでふと、シレーナと目が合った。びくりとした彼女は、兄の背後にサッと隠れてしまう。
少女は身じろぎすらできない状態で、炎と矢の飛び交う只中に転がされていたのだ。ディノの炎が山賊を惨たらしく消し飛ばす様も、間近で目の当たりにしたに違いない。できる限り『目隠し』するようにはしていたが。
泣いて逃げ出さねェだけマシか、と内心で苦笑するディノだったが、
「……あ、あの。…………あ……ありがとう」
妹はかすかに兄の後ろから顔を出して、小さく……しかし確かに、そう礼を言った。
「……、感謝なら、オメーの兄貴にしときな」
ディノは首を鳴らしながら、目を合わせずにそう答えた。