148. オルケスター
「これ、って……どういう、ことなの……?」
イェスタはもはや理解が追いつかないのか、ただ呆然と立ち尽くす。
「……はー……」
ディノは概ね予想通りの光景に、ただ大きな溜息を吐き出した。
森へと踏み入り、細い獣道に沿って歩くこと数分。
およそ三十超もの熱源反応が一箇所に集中していることを感知したディノは、迷うことなく歩を進め――
木々に囲まれて、閑散と開けた森の広場。
樽から出され、縛り上げられて転がされたシレーナと、その周りを囲む、三十人を超える男たち。
それぞれがナイフや長剣、ボウガンで思い思いに武装している。革の鎧を着込んでいる者もいれば、ボロ切れ同然の服を纏っている者もいた。
「なん、……なの?」
「山賊だよ」
言葉の出ないイェスタに、ディノは淡々と事実を言い放つ。
「おい……何だ、このガキ共は」
「村の人間か?」
男たちの群れが、ディノとイェスタに無遠慮な視線を向ける――その中から、
「なんだ、イェスタじゃねえかよぉ!」
場にそぐわないほど明るい声が響いた。
山賊たちの中から、一人の男が歩み出てくる。
ディノとしては、何の感慨も沸かないただの中年男だった。
しかしイェスタは、目を見開いて硬直する。
「……ニールス、さ、ん?」
ニールス。
村で一番の神詠術が使えたという、この西の森へ向かって帰らなかった――死んだはずの、男の名だった。
(……ナルホドねェ)
ディノはつまらなげに溜息を吐く。
「よーうイェスタ、久しぶりだなぁ。一年半ぶりか? ちったぁデカくなったじゃねえか」
イェスタの前までやってきたニールスは、場違いなまでに気さくな笑みを浮かべて言う。
「それにしてもなぁ、樽のフタ開けたらよー、びっくりしたぜ? シレーナちゃんが入ってんだからよ。シレーナちゃんも少しは成長してるみてえだが……今年でえーと……まだ十歳かそこらじゃなかったか? 流石にまだ早えだろ、ヒデェ真似するよな、村長もよ。ま、これぐらいのガキの方がいいって奴も山ほどいるんだけどな!」
ニールスの言葉に、周りの男たちがどっと笑った。
「ニールスさん……生きてたの? どうして、帰ってこないの? この人たちは……?」
こわばった顔で中年男を見上げるイェスタに、ディノはチッと舌を打つ。
「オメーも薄々気付いてんだろ。生きてこんなトコにいるってこたァ、仕掛人だよコイツは。西の森の悪魔の正体……ってワケだ」
「え……」
ディノはボリボリと頭を掻きながら、気だるそうに説明する。
「西の森へ行く」と言い残し、そのまま帰らなかったニールス。
兵士たちが森を探索した結果、何の痕跡も見つけられなかったのは当然だ。
この男は森へ行くと言いつつ、ただ仲間と合流していただけなのだろうから。そもそも本当にこの男が森へ向かったかどうかなど、誰にも分からないのだ。
どこか別の場所に拠点があるのだろう。この森は、ただ生贄を回収するためだけの場所。
ディノの推論も正しいかどうかは不明だが、こうしてニールスが生きている時点で、当たらずとも遠からずといったところに違いない。
「で、やたら具体的に生贄を捧げるよう指示した占い師とかいうのも、コイツらの仲間ってワケだ。どうだ小僧。コイツらん中に、占い師のツラもあるんじゃねェのか」
「えっ……」
戸惑うイェスタだったが、答えたのはニールスだった。
「あー、占い師役のあいつはね、二月ぐらい前に死んだよ。少しばかり分け前で揉めちゃって、サクッとね」
喉を掻き切る仕草を見せるニールスに、ディノは「あっそ」とだけ返して続ける。
「で、イシュ・マーニの消える夜に女ひとりさらったトコで、利益になんぞなるワケがねェ。趣味の一つなんだろな。それでも悪魔なんぞを演出する手の込みようからして、かなりの広範囲でイロイロやってんだろうぜ、コイツらはよ。似たような真似をな」
ディノの推論を聞き終えたニールスが、パチパチと拍手を送った。
「ははっ、お兄さん凄いね~。じゃ、壁はどうやって壊したのかな?」
「唯一引っ掛かってたのはソコだったんだがな……投石砲だろ」
手のひら大程度に研磨された石を撃ち出す原始的な兵装で、主に使われていたのは大昔のこと。まともな大砲や神詠術がなかった時代の、いわば旧世代の遺物。
が、投石砲で壁を撃ったなら、着弾した石と砕けた壁の破片が混在し、傍目に区別がつかなくなるのは間違いなかった。
旧世代の代物とはいえ、そこは兵器。取り回しに難があって廃れただけで、その破壊力は馬鹿にできるものではない。
「ブッ壊された壁を見て、破片が多いなとは思ったんだよ。ま、あんまりにも古臭ぇシロモノすぎて、思いつくのに時間が掛かったがな」
「……ニールスさん……どうして、こんなこと……」
泣きそうな顔で呟くイェスタに、ニールスは胸を反らして答える。
「俺らは――オルケスター。総勢千人を超える同志から成る、最大最強の『演出者集団』さ。活動範囲は実に広大だ、国外にまで及ぶんだぜ。俺がそうであるように、村や町の人間が構成員になってることも多い。ある時は西の森の悪魔。ある時は忌まわしき沼地の怪異。そうして――」
小さな村々から生贄を要求し、得体の知れない怪物や呪いを『演出』して、搾取を続ける。恐怖する住民たちの様子を楽しみながら。
ニールスの語った内容は、概ねそんなところだった。
「今だから言うとな、イェスタよぉ。俺はさ、ティアッソのことが気に入ってたワケよ」
ティアッソ。一番最初に生贄として捧げられた女性の名前だった。
ディノは宿の老主人の話を思い起こす。このニールスがティアッソに想いを寄せていたと。交際を申し込み、断られていたと。
「いい女だったよなぁ。知ってるぞイェスタ。お前だって、あいつに憧れてたろ」
その言葉に、少年はわずか頬を赤らめる。
「でも、俺はこの通りツラがいいわけでも何でもねえし、とても手が届く女じゃなかった。あの村でのんびり暮らすのも嫌いじゃなかったんだが……どうしても、あいつをモノにしたくてなぁ」
――だから、オルケスターの一員として壊した。
ニールスは心底楽しそうに、そう笑った。
「かはっ、最高だったぜ。いやまさか、最初の生贄であいつが送られてくるとは思わなくてな! いずれ来るのを気長に待つつもりだったんだが、まさかの一発引きだぜ! 樽から出されて、俺を見たときのあいつの顔ったら……未だに忘れられねぇよ」
男の笑顔が醜く歪む。ディノには、どこか『壊れた』笑みのように感じられた。
「……あいつが悪いんだ。俺を否定すっからよぉ……村だってよ、あいつさえ俺を拒否しなかったら……見逃してやってもよかったんだ。それをよ……」
ニールスのぼやきから、ディノはそれとなく背景を推測する。
まず最初に壁を破壊し、村全体を恐怖に包んだニールスは、それをダシにティアッソへ言い寄ったのだろう。「俺ならお前を守ってやれる」だの、必死で自分を売り込んだに違いない。わざわざそんな仕込みを入れるあたり、尊大な態度の割によほど己に自信がないと見える。
しかし、そんな努力も空しく拒絶されてしまった。
田舎とは厄介なもので、そういった噂は瞬く間に広まってしまう。宿の老主人が知っていたように、ニールスが交際を断られた話は、皆が知るところとなってしまった。
この村では、自分が一番強い。村を守っているのは自分だ。
そんな自負を抱いていた男にしてみれば、恥でしかなかったろう。
そうしてこの男は、陳腐な己の矜持を守るために――凶行へと走ったのだ。自分を拒絶した女を強引に手に入れ、自分を笑った村を恐怖の底へ突き落とした。
「まぁよ、ティアッソもいい女だったが……さすがに飽きちまったし、イロイロ面倒だったからなぁ。クレーフェンディッドの貧民街に寄った時、物乞いどもにくれてやったよ。さすがに生きちゃいねーだろうな、もう」
イェスタが首を振る。
「どう、いう、こと……?」
「ひゃはは、ガキにはまだ分からねえか。まぁとりあえず……本命のティアッソはいきなり終わっちまったし、あとはあの……ほら、高台の屋敷に住んでる高慢な小娘。あいつの泣き顔が見たくて待ってんだがよ、なかなか来ねぇんだよなぁ。まさか村長に金だの作物だの渡して、見逃してもらってんじゃねえだろうなぁ? ははは!」
「うそ……うそだよ……ニールスさん……どうして、こんな……」
青ざめたイェスタに、ディノが適当な口調で言う。
「どーしたもこーしたもねェ。コイツらはただの山賊。千人もいるみてーだが、派手にブチかます度胸も力もねェから、兵士の目が届かねェ田舎でコソコソやってるってワケだ。少しばかり変わった遊びで優越感に浸ってるが、やってるコトは基本に忠実。模範的な害虫ってだけの話だな」
その言葉に、周囲の空気が一変した。
「んー……? ところで、今更だけどさ……お兄さんは、どちらさんよ」
眉を八の字に寄せたニールスが、ディノの肩を気安くポンポンと叩く。
「村長が雇った詠術士か? なるほどあのジジイめ、流石に十歳のガキを生贄にする気はなかったのか」
ディノはニヤリと口の端を歪めながら答える。
「イヤ。村長のジジイなら、テメーらの思惑通り居もしねェ悪魔に怯えてたぜ。オレを雇ったのは、この小僧だよ」
その言葉に、刹那の沈黙が場を支配し――山賊たちが一斉に爆笑した。
「はひひひ、あー……おー、そうかそうか。呪われたルムリー村の悲しい話を聞いたお兄さんは、正義感に駆られるまま、子供の願いを聞いてここまで悪魔退治にやってきたってぇ訳だ。カッコいいね~」
「そう褒めるなよ、照れんだろ。ま、悪魔とやらに期待して来てみれば、居たのは害虫の群れだったがな。投石砲に気付いた時点で分かっちゃいたんだが……ガッカリだぜ」
こめかみに青筋を浮かべたニールスが、ディノの肩に手を置いたまま凄みのある笑みを浮かべる。
「で、何か見返りは貰ったの」
「五百エスク」
「ブッ! ふっ……、はっ、ひゃはははは、がはーっははは! 五百!? 何かの間違いだろ!? 桁間違えてんじゃねぇのかよ!?」
ニールスを始め、山賊たちは身をよじって笑う。
「ごっ、ごひゃ! はっ、あー……、で、でさぁ、お兄さんよぉ、」
ニールスは滑らかな動作でナイフを抜き放ち、ピタリとディノの首筋へ宛がった。
「たかだか五百エスクのために、こんなとこで死ぬってぇのはどんな気分よ?」
「んー……、逆にオメーらに訊きてーんだが」
ディノはナイフなど気にも留めず、顔色ひとつ変えず、そのまま問い返す。
「自分の命の価値が『十七エスク分』しかねェってのは、どんな気分なんだ?」
「あ?」
ニールスが威圧するように首を傾げるが、
「依頼人、もういいな? 期待外れもいいトコだし、バカと会話すんのは疲れんだ。そろっとカタしちまうぞ?」
ディノは全く無視してイェスタに確認を取った。
「え?」
惑う小さな依頼人。その返事を聞くより早く。
ボンッと。
小気味いい音を響かせて、ニールスが宙を舞った。
放物線を描いて飛んだ男は空中で発火し、激しく炎上し、大地へと落ちる前に焼失した。ただ黒い灰だけが、風に吹き散らされて消えていく。
ニールスという男は、人としての痕跡すら残さずに消滅した。
「何だアァーッ、テメェッ!?」
男たちが一斉に、ディノへ向けてボウガンを構える。
力の解放だけで悪漢を灰塵へと帰したディノは、盛大な溜息を吐く。失望の溜息を。
「相手が詠術士だと分かってながら、迂闊にも間合いに入る。余裕げにナイフなんぞを突き付ける。仲間がブッ殺されたってのに、悠長にオモチャを構えて叫ぶ。もうアレだ、どうしょもねェ。牙の抜けた犬以下だな。終わってるとしか言いようがねぇーよ、コレは」
薄く熱気を纏ったディノは、両腕を水平に掲げて嗤う。
「オレが『オメーらの命は十七エスク分の価値しかねェ』って言った意味も理解してねェんだろ? いいぜ、教えてやる。オレの貰った金が五百エスク。で、オメーらは三十人。等分しても一人頭、せいぜい十七エスクだろ? アメ玉ひとつ買えねェ値段。うっかりドブに落しちまっても気にならん、釣銭程度の金額。ソレが、オメーらの価値だって言ってんだよ」
失望を隠しもしない物言いに、野太い怒号が木霊した。
「ブッ殺せえぇ――ッ!」
一斉に放たれるボウガンの矢。
呼応したかのごとく深みを増す、ディノの残虐な笑み。
そうして。
悪魔が棲むと恐れられたその森に、炎を操る本物の悪魔が降臨した。