147. 戻れない日々
自分の荷物である麻袋を肩へ掛けたディノと、頭に包帯を巻いたイェスタは、並んで街道を歩いていた。そのまま二人で、宿の主から受け取った握り飯を頬張る。
「お父さん、だいじょうぶかな……」
「ま、回復の使えんオメーが引っ付いてたトコで意味はねェ。今はこっちに集中しとけ」
「う、うん」
そう言われて、素直に割り切れるものでもないだろう。しかし少年は、決意を固めたように頷いた。
ふと、ディノは気になっていたことをイェスタに尋ねてみる。
「そーいやオメーら、母親の姿が見えなかったみてぇだが」
「あ……うん、お母さんは、僕たちが小さい頃に死んじゃったから……」
「そうか」
しばし、二人は歩きながら無言で握り飯を咀嚼する。
「で、でも……僕たち、本当にだいじょうぶなのかな。悪魔が……」
「おう、部外者に助けを求めただけで呪い殺されるんだったか。不安なら帰るか? 悪魔の怒りとやらを買って死ぬのは怖ェもんなァ」
「……っ、だめだよ。怖いけど……それでも僕は、シレーナを……助けたい」
「クク、よく言った。ま、悪魔とやらの相手は任せとけ。ちったぁ楽しめるといいんだが」
大して期待できそうにねェがな、という本心は飲み込んでおいた。
自信に溢れたディノの返答を受けて、イェスタは期待の眼差しを向ける。
「兄ちゃんは……強いの?」
「ああ、強いぜ。オレは最強――の、炎使いだ」
近頃、初めて負けたことに違いはない。少々癪に障るが、偽らず依頼主に実力を申告した。
「す、すごいなぁ」
「五百エスクなんつー小銭でオレを雇えたオメーはツイてんぞ。ま、すぐに見せてやるよ」
握り飯の最後の一口を頬張り、ディノは強烈に口角を吊り上げた。
なだらかな丘を越えると、深緑の森が眼下に大きく広がっていた。
「おっ、一気に見えたな。アレが西の森か」
「はあ、はぁ……う、うん」
イェスタは額に汗を滲ませて、肩で息をしながら頷く。
夏の昼間、村を出てから三時間歩き通しだ。まだ幼い少年が疲れるのも無理はない。しかし妹を助けるという思いゆえか、イェスタは弱音を吐かずに歩き続けていた。
それどころか、
「も、もうすぐだよ。急ごう!」
焦ったように足を急がせる。
緩やかな下り坂を抜けて、森は目前に迫っていた。
――と。
大きな岩山を迂回して曲がっている道。その角を曲がったところで、その一団に遭遇した。
「イェスタ!? な、何故ここにおる!?」
村長と取り巻きの男たちだった。
ものの見事な鉢合わせ。シレーナの入った樽を置いてきた帰りに違いない。
「そ、村長さん……」
イェスタは気まずそうに後ずさる。
老人はイェスタとディノへ交互に視線を送り、呻くように声を発した。
「……イェスタ。お前、自分が何をしようとしとるのか……分かっておるのか」
「……っ」
少年は言葉に詰まった。
保身に脳を焼かれた者たちと違い、この十歳の少年には理解できている。生贄を捧げなければ、結局は妹だけでなく自分も……村も、消えてしまうのだと。
「で、でも……この兄ちゃんが、悪魔をやっつけてくれるって……」
だからこそ、一縷の望みを胸にここまでやって来たのだ。救世主かもしれない人物と一緒に。
そんな思いなど知るよしもない村長が、ジロリとした視線をディノへと投げかける。
「……昨日から滞在しとる余所者か。イェスタに、何か余計な事を吹き込んだのか」
「余計? ってのは例えば何だ? 他の女どもからは貢ぎモン貰ってっから、後回しにしてるって話か? だから今回は、まだ十歳でしかねェコイツの妹を生贄に選んだって話か?」
瞬間、場が凍った。
動いたのは、ニヤリと吊り上がるディノの口角のみ。
「え? ど、ういう……?」
イェスタは、傍らのディノと固まったままの村長を交互に見る。
「そのままの意味だ。残りの女どもは、このジジイにイロイロ払って見逃してもらってんだよ。ジジイはジジイで、溜め込んだ金でどっか遠くにでも逃げるつもりなんだろーぜ。もう生贄の在庫もなくなっちまうしな。出る前にもチラッと言ったが……遠からず村が潰れるのは、確定してるようなモンだ」
つまらなげに淡々と答えるディノに、イェスタは大きく頭を振った。何か忌まわしいものを振り払うかのように。
「そん、な……うそだ……うそでしょ、村長さん!?」
こんな状況に陥ったイェスタですら、まだ漠然と思っていたに違いない。
最終的には、村長が何とかしてくれるはずだと。シレーナを生贄にすると決めたのも、苦渋の決断。悩んだ末の、やむを得ない犠牲なのだと。
兵も自警団もいない小さな村。頼れるものは、村の統治者しかいない。
だが。
「…………」
その村の長は、ただ無言で右手を掲げた。
応えて、脇に控えていた屈強な男たちが武器を抜き放つ。
――それが、答えだった。
「村長、さん……」
「何の証拠もナシ、でもどーせそんなトコだろうと思って適当コイただけだったんだがな。大当りってか。ヒネリも何もあったモンじゃねェな。ま、ホレ。いかにも『ワタシが悪役です』ってツラしてるじゃねェか、このジーチャンもよ? ハハハハハ」
ゲラゲラと笑うディノへ、
「消えな」
男の一人が棍棒を振りかぶって走り寄った。
瞬間、烈風が発生した。
「……っ!?」
突如として吹きつけた熱波に、イェスタは身を屈める。
「……、……え!?」
少年が恐る恐る目を開けたときには、すでに終わっていた。
いや、始まってすらいなかったというべきか。
変わらずそこに立っているのは、ディノとイェスタのみ。
村長を含めた総勢六人の男たちは、吹き散らされたように大地へと転がっていた。全員が呻き声を漏らし、ゲホゲホと咳き込み、まさに虫の息といった有様で伏している。
ディノは両手を下衣のポケットに突っ込んだまま、つまらなげに立っていた。
その身から発せられた、一陣の突風。それだけで、全ての敵を薙ぎ払ってしまった。
「う、そ……」
対峙することすら――目線を合わせて立つことすら許さない、圧倒的な力。
累々と倒れ伏した男たちの中、ただ一人立つ姿のなんと似合うことか。今までもこうして脅威を打ち払ってきたのだろう。そんな図が、イェスタにも容易に想像できた。
「……す、すごい……」
少年の眼は、おぼろげな朱色を纏うその青年に釘づけとなる。
「あー……自分でやっといて何だが、暑ィな。ダメだ夏は」
熱気を消したディノは倒れた男の一人へと歩み寄り、その髪を掴んで無理矢理に引き起こした。
「ぐ、あぁ……!」
ぶちぶちと厭な音がしたが、ディノは意にも介さない。その細腕で、大男の頭を軽々と掴み起こす。
「で、コイツらどうする? 依頼人さんよ」
「え?」
イェスタは、ディノの言葉の意味が分からずにキョトンとした。
「殺すんだろ? オメーがやってみるか? 意趣返ししてやれよ」
具体的に問われて、理解したイェスタはぶんぶんと首を横へ振った。
「そ、そんな! そこまですることは……!」
「甘ぇぞ」
ディノは短く断じる。
「村を出る前に言ったな。オメーが妹を連れ戻そうとした結果、何が齎されるのか。何がどうなるのか。その答えが、コレだ」
ディノが手を離すと、男はうつ伏せになって倒れ込んだ。その頭をつま先でコンコンと小突きながら続ける。
「妹を連れ戻そうとするなら、ソレを邪魔する連中との衝突は避けられねェ。当然、排除も必須になるワケだが……ソコで可能な限り――殺す必要が出てくる」
「ど、どうして殺すの……? そこまですること、ないんじゃ……」
「じゃあ逆に訊くが、殺さなけりゃどうなると思う?」
「えっ……」
イェスタは面食らった。
人を殺すのは、いけないこと。恐ろしいこと。
ただ当たり前すぎて、深く考えたこともない。殺す殺さないの結果、何がどうなるかなんて考えたこともない。
「この連中が、『負けて改心しました。これからは仲良くしましょう』つって終わるとでも思うか? ガキのケンカでも、おとぎ話でもねェんだ。村長のジジイは、知られたくねェ秘密をオメーに知られちまった。オメーを消さねェ限り、もう安心して暮らせんワケだ」
「そ、そんな! 僕、言わないよ!」
「オメーの意思なんぞ関係ねェんだよ。ジジイにとって確実なのは、喋りたくても喋れない状態にしちまうコト。ちなみにオトナの世界じゃ、よーく使われる手段だ。覚えとけ」
「そんな……」
気落ちするイェスタに、ディノはほぼ真実といっていい推測を突きつける。
「オメーの親父も、土壇場で村長の思惑に気付いたフシがあったな。だから必死になって抵抗したし、取り巻き共も必要以上に痛めつけた。このまま無事に妹を連れて村に帰っても、オメーら家族は狙われるコトになるだろうよ。むしろ今日中に殺されるかもな」
「ど、どうして……そんな……、前みたいに、暮らしたいだけなのに」
ディノは溜息をつき、他の可能性を――イェスタの望む未来を語る。
「そんじゃ仮に無事妹を連れ帰って、この連中とも和解したとするか。悪魔はいなくなり、村も平和を取り戻しました、と。一見、幸せな結末に思えるかもしれんが……そうなったとしても、必ず蟠りってヤツが残る」
村長がシレーナを生贄にしようとしたこと。父親を痛めつけたこと。イェスタを殺そうとしたこと。
悪魔は消えたとしてもその事実は消えず、双方を苛み続ける。とうに自分の娘が生贄となってしまった者にしても同じ。この事態が解決したからといって、娘は帰ってこない。村長を許すことができるのか。
淡々とそう羅列していき、ディノは結論を述べた。
「つまり、だ。何がどうなろうと、もう以前の暮らしには戻れねェんだよ」
すでに、決定的な亀裂が入ってしまっているのだと。
「…………」
イェスタは沈黙した。
ディノが悪魔を倒し、妹が無事に戻れば、それで解決だと思っていた。
しかし。
「――とまあ、ムダ話はコレぐらいにすっか。肝心の妹が手遅れになっちまうぜ」
歩きかけたディノは、おおそうだとイェスタに振り向く。
「ソイツら、殺さなくていいんだな?」
今も呻きながら転がっている男たちを顎で指し示し、確認を取る。
イェスタはこくりと頷き、眼前に広がる森だけを見据えた。
「……今は、シレーナを助けないと」
「了解だ、依頼人」