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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
1. グリムクロウズ
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14. 黒影乱舞

 ――彼女が、力なく倒れていく様を見て。

 ゴミ捨て場に放り投げられる人形みたいだ、と思ってしまった。

 

「ミ、ッ――――、う、ぉ、おおおあァァアアッ!」


 駆けつけた流護の絶叫が響く。

 一瞬でも思い浮かんでしまった唾棄すべき思考を、咆哮と共に吐き出す。

 その勢いのまま、倒れたミアの横に立つドラウトローの顔面へ拳を叩き込んだ。まるで事故のように、黒い矮躯が吹き飛んでいく。


「ミ、ミア! おいミア、しっかりしろ!」


 抱き起こし、必死に声をかける。しかし、いつも明るい少女は目を閉じたまま返事をしない。

 頭から、おびただしい量の血が流れていた。まるで……命そのものが零れ落ちるように。


 ――ミネットの顔が、脳裏をよぎった。


「う、おあ、ああぁあぁぁ!」


 ミアを抱え上げる。その身体は信じられないぐらいに軽かった。

 このまま――消えて、なくなってしまうのではないかと思うほど。


 ベルグレッテだ。

 彼女に回復の神詠術オラクルを――


 その思考を寸断するように、ドドッと重々しい音が響き渡った。

 複数の影が着地した音。

 反射的に顔を上げれば、ドラウトローが二人を取り囲んでいた。


 その数――、七体。


「――――、――なんッ」


 見回した流護の顔色が蒼白になった。――何だ、これは。何が起きている。

 今しがた殴り飛ばしたドラウトローも、身を震わせながら立ち上がりかけている。それを含めれば八体。

 考える間もなく、横合いから黒い残像が空を切った。ミアを抱えたまま、必死で一撃を躱す。


 流護はそのまま全力で駆け出した。中庭を突っ切り、学生棟を目指す。

 飛び跳ねながら追いすがる、七体の影。流護の脚力だからこそ逃げられているものの、一瞬でも躊躇すれば捕まるほどの速度だった。


 勢いのまま、学生棟の扉を蹴り開ける。反動で戻ってきた扉が、派手な音を響かせて閉じられた。

 紙一重の差で、扉を叩く嵐のような音が鳴り響く。扉を開けるという知能はないのだろう。しかし、強引に破られるのも時間の問題だ。今のうちに距離を稼がねばならない。

 と、学生棟内にある部屋のドアがちらほらと開かれた。


「なんの騒ぎだ?」

「なに?」

「うるせーなー。なんだー?」


 部屋にいる学生たちが次々と顔を出していた。


「ドラウトローの大群だ! 逃げろ!」


 彼らがその言葉を信じたかは分からない。

 しかし流護の腕に抱えられるぐったりしたミアと、凄まじい勢いで叩かれる学生棟入り口の扉を見て、異常事態であることは察したようだ。


「なっ、ドラっ……、逃げるたってどこに!」

「は、そんな……え?」

「学院内に? こんな昼間からドラウトローが? へ?」


 とはいえ、あまりに突然すぎて誰も動こうとはしない。

 ――まずい。今、扉を破られたら――

 そこへ、毅然とした声が響き渡った。



『学院内の全員に緊急連絡です! 学院内に、ドラウトローの出現が確認されました! 全員速やかに、食堂か最寄りの堅牢な部屋へ避難してください!』



 ベルグレッテの声が、余韻を残して辺りに木霊する。


(そうか、通信の神詠術オラクル! 館内放送みてえに使えるのか……!)


 ベルグレッテの切迫した声によって、ようやく生徒たちが動き出した。悲鳴や叫び声が上がる中、それでも皆、二階の食堂へと走っていく。


 次の瞬間、それなりに重厚な造りだった入り口の扉が吹き飛んだ。

 学生棟内へとなだれ込む、七体――


「な……」


 増えていた。その数――十体。


 流護は避難する生徒たちのしんがりを務めながら、階段を駆け上がる。

 跳ね回る黒の群れの中から、すぐさま一体が追いついてきた。


「だっ、らァ!」


 ミアを抱えたまま、無理な体勢ではあったが蹴りを繰り出す。

 横薙ぎに顔を打たれたドラウトローは、後続の数体を巻き込んで階段から落ちていく。階下に転がったドラウトローたちから、爆炎が上がった。

 何事かと思えば、


「い、今のうちに!」


 女子生徒の一人が、踊り場から追撃の援護射撃を放ってくれていた。


「サンキュ! 行こう!」


 そのまま二階へ上がり、直線の廊下を駆ける。

 食堂は二階廊下の突き当たり。もうすぐそこだ――

 瞬間。二階の窓ガラスを突き破り、一体のドラウトローが飛び込んできた。


「きゃあぁっ!」


 すぐ前を走っていた、今ほど流護の援護をした女子生徒へと、ガラスの破片が降り注ぐ。と同時に、着地したドラウトローは彼女へ向かって――流護が制止する間もなく――その黒い豪腕を振り下ろした。

 みぢっ、と鈍い音を発し、『ドラウトローが』吹き飛んだ。黒い怨魔は壁に叩きつけられ、放り捨てられたように倒れ伏す。


「大丈夫か」


 そんな太い声の主は、ダイゴスだった。

 その手には、雷だろうか。バチバチと白い火花を散らす、二メートルもあろう長さの棍があった。


「あ、ありが……ぅ、ぐすっ」

「食堂はもうすぐじゃ。走れ」


 巨漢は、ガラスの破片を浴びて傷だらけになった女子生徒の背中を優しく押す。


「アリウミ、お主もじゃ。行くぞ」

「あ、ああ」


 その瞬間、ダイゴスに吹き飛ばされたドラウトローが跳ね起きた。

 反撃とばかり、自らを吹き飛ばした巨漢へ踊りかかる。


「ぬうッ!」


 異様な光景だった。

 身長二メートルもあるダイゴスが、一メートル程度しかないドラウトローに掴まれ、易々と振り回される。その巨体が壁に叩きつけられそうになったところへ、


「させるかよ!」


 ミアを抱えながらも素早く間を詰めた流護の蹴りが、ドラウトローの後頭部へ直撃した。バランスを崩した怨魔の腕を振り払い、ダイゴスが吼える。


「――唸れ、雷節棍らいせつこん!」


 下から突き上げた雷の棍によって浮き上がった黒い怨魔は、そのまま窓の向こうへと転落していった。


「助かった。例を言うぞ、アリウミ」


 流護は頷いて返す。


 油断なくしんがりについたダイゴスを最後に、何とか食堂へと駆け込んだ。

 扉をガッチリと閉める。この扉の厚さなら、ドラウトローといえど破れはしないはずだ。


「ベル子ッ!」

「リューゴ、やっぱりあなたは無事で――」


 ほっとした顔を向けかけたベルグレッテの顔が蒼白になった。


「ミ、ミア……?」

「ミアがやられたんだ、頼む、早くッ……」

「そこに! ミアを寝かせて!」


 素早くミアを横たえたところで、すぐさま回復の神詠術オラクルを施術し始めるベルグレッテ。事態を把握した他の生徒も数名、術をかけ始めてくれていた。


「大丈夫、なのか?」

「血が流れすぎてる。でも……、なんとかする。絶対に……絶対に助ける」


 流護は拳を握り締める。その手は、赤色に濡れていた。ミアの血だ。


「頼む。ミアを、頼む……」

「当ったり前でしょ。絶対に、死なせたりしないっ……!」


 流護の脳裏を、ミネットの顔がよぎっていた。ベルグレッテもきっと、同じように。

 死なせない。今度は、死なせない。


「――ふうっ」


 流護は、浅く息を吐く。こんなときだからこそ、落ち着かなければならない。

 食堂を見渡せば、ざっと三十人ほどが避難していた。

 さすがにざわざわと混乱していて、泣いている女子生徒や、ケガをしている者の姿も目立つ。


「しっかし、何が起きたんだよマジで……」

「分からない。ただ、ドラウトローの大群が学院目がけて押し寄せてる、って報告がいきなり入ってきて。なんとか、避難を促しはしたけど……」


 ベルグレッテはうつむいて唇を噛んだ。


「……それでも安息日だから、学院にいる人数が少なかったのは不幸中の幸いかもしれない」


 静かに言ったのはレノーレだった。


「今日は何人ぐらい学院に残ってるんだ?」

「正確な人数は分からないけど、いつもは五十人ぐらい。今週も、そう変わらないはず。……とすると、現状で……二十人はここに避難できてないことになるわ」


 ベルグレッテが悔しさを滲ませてそう答える。


「咄嗟に三十人も避難できて上出来、と考えるべきじゃろうの。校舎へ避難した者も多いようじゃ。エドヴィンはそっちに避難したと連絡があった」

「ん。みんな、無事だといいけど……」


 ダイゴスの言葉を聞き、不安げにベルグレッテが首肯する。会話をしながらも、治療の手を緩めることはない。


「リューゴは、どういう状況でミアを?」

「外でロック博士と話してたんだ。そしたら、何か叫びながら走ってく男子生徒が見えて。中庭に行ってみたら、学院の入り口でミアが……」

「……、ミア、出かけようとしてたのね。ロック博士は避難したのかな」

「あのおっさんは大丈夫だろ……研究室のドアも分厚いし」


 そこで気の弱そうな女子生徒が近づいてきて、落ち着かない様子でベルグレッテに尋ねた。


「ね、ねえベル。詳しい状況は分かったの?」

「確認されたドラウトローは、総数二十四体。……まるで悪夢よ。『銀黎部隊シルヴァリオス』もすでに要請したけど、早く見積もっても到着に四時間はかかるわ」


 それを聞いていた他の男子生徒が、泣きそうな声を震わせる。


「な、なぁベルよぉ。『銀黎部隊シルヴァリオス』ですら、何とも出来ねぇんじゃ? ドラウトロー一匹相手に、兵士が三人いるんだろ?」

「だいたい、助けが来るまで……四時間も隠れていられるの?」

「今回の安息日、先生も二人しか残ってないし……」

「もう最悪っ……、実家に帰ってればよかった……」


 生徒たちからは、口々に不安の声が漏れていた。

 ミディール学院は街から遠く離れた丘に建っていて、最寄りの街までですら馬車で約二時間。王都レインディールへ行く場合は、四時間もかかると流護は聞いていた。


 この学院は今――完全に、孤立してしまっている。


「きゃああぁぁっ!」


 突如、悲痛な悲鳴が響き渡った。


「あ、あれ……」


 一人の女子生徒が、窓の外を指差している。

 何事かと集まった生徒たちが、それを見て次々に声を上げた。


 流護も窓際に寄って、それを目撃する。

 二階の窓から見下ろす地面――芝生の上に、一人の男性が倒れていた。

 中年男性のように見える。生徒ではないだろう。ただ分かるのは、辺りに飛び散った血。あの男性がどうなってしまったのか。それだけは考えるまでもなく明らかだった。


「あれって……バート先生だよね……?」

「し、死んでるよ、な」

「せっ、先生がやられちゃうなんて! ど、どうすればいいのよ!」

「こんな時に限って、『ペンタ』はいねえのかよ!?」

「も、もうだめだよ……わ、私たち、みんな殺され……」

「やめろよ!」


 水に落とした墨のように、黒い不安が広がっていく。


「な、なあ、あんた!」


 突然、流護は見知らぬ男子生徒に肩を掴まれた。


「あんたさ、エドヴィンやベルに決闘で勝ったヤツだよな! すげえ強いんだろ、あんたなら何とかできるんじゃねえのか?」


 そうであってくれ、首を縦に振ってくれといわんばかりにすがりついてくる。周囲の生徒たちからも、かすかなざわめきが上がりかけるが――


「……それは無理」


 浮ついた空気を締めるように、レノーレが静かな声音を響かせた。


「お主は、自分が何を言っとるか分かっとんのか?」


 ダイゴスにたしなめられ、男子生徒はハッとしたように縮こまる。


「そっ、そうだよな。いくら何でも……あ、あんた、すまん。忘れてくれ」

「いや、いいよ。……ベル子。ミアの様子は?」

「えっ? う、うん……大丈夫、かなり持ち直してる。このままいけば、絶対に大丈夫」

「そうか。よかった……、マジよかった」


 流護は脱力した。心の底から安堵した。そうして、力強く拳を握り締める。



「じゃ、行ってくるわ」



「え?」


 ベルグレッテが呆けた声を漏らす。

 それだけではない。その場の全員が、呆気に取られた顔で流護を見ていた。

 注目された張本人は、低く。ただ低く、声を震わせる。


「――こっちゃもう、爆発寸前なんだよ。ミアやられて、必死でミア抱えてるとこ追いかけ回されて、ここに追い込まれて」

「い、いやあんた。さっきおれの言ったことは、忘れてくれって」


 先ほどの男子生徒が泣きそうな顔で言う、その直後。


「ね、ねえ! あれ、窓の外!」


 またも誰かの悲鳴じみた声が皆の注目を集める。


「あっ、あれって!」

「だ、ダメだ! もうどうにもならねえ……!」

「うわあぁ、間に合わねえよアレ!」


 窓の外を見れば――この学生棟へ向かい、必死で走ってくる女子生徒の姿。

 その後ろを、いたぶるように追いかけるドラウトロー。

 すでに学生棟の中にも、あの怪物がひしめいているのだ。

 詰んでいる。彼女の末路は、どう見てもすでに決まっていた。


 ――有海流護が、動かない限り。


「行ってくるぞ? ベル子」

「ッ……、断れないじゃない! 絶対っ……絶対、死なないで……!」


 ベルグレッテは半泣きだった。

 顔を背けたその姿が、なぜか彩花と重なる。


「――おう。約束は、絶対に守る」


 アイツとの約束は守れなかった。だからせめて、これは。


 そんな思いを胸に――流護は二階の窓から飛び降りた。

 必死で逃げ惑っていた女子生徒の目の前へと着地する。


「っ、!?」


 少女は驚いて、弾かれたように流護を見た。

 すり傷と涙でぐしゃぐしゃになった幼い顔。流護より少し年下かもしれない。そんな彼女へ、少年は優しい笑顔を見せる。


「――助けに来たぞ」


 ただそう言って、少女を追ってきた怪物へ向かい力強く踏み込んでいく。そしてただの一撃で、ドラウトローを殴り倒す。

 まるでいつかのエドヴィンみたいに、怨魔は縦回転しながら地面へと叩きつけられた。しかしあのときとは違い、加減をしていない。


 女子生徒は脱力したようにぺたんと座り込み、流護を見上げた。






 ――颯爽と空から降りてきて、悪しき存在を打ち倒す。

 その姿は。

 少女が子供の頃に憧れた、おとぎ話の勇者様のようだった。






 ダイゴスが二階からロープを垂らして、女生徒を引き上げていく。

 無事に食堂へ入ることができた彼女の号泣が、流護の下にも聞こえてきた。


 のそり……と。殴り倒したドラウトローが、起き上がる。

 流護は、ロック博士――否、『岩波輝』の言葉を思い出していた。


『ボクの予想が正しければ、キミは――』


 思考を振り払う。そんなこと、今はどうだっていい。

 通じないと分かっていて、流護はドラウトローに言葉を投げかけた。


「よう。お前らってマジ性格悪いのな。俺のときは全力で追っかけてくるクセに、女の子が相手だとわざとゆっくり追っかけんの? 追いかけっこ好きなのか?」


 黒い怪物は、のそりと流護に近づく。


「なら、俺とも追いかけっこしようぜ。ま、俺が――鬼だけどな」


 そう言って笑みを浮かべる少年の形相は、まさに鬼。

 この瞬間。狩る者と狩られる者が、逆転する。

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