13. 余波
翌朝。携帯電話に興味を持ったファンタジー世界の女子二人と遅くまで遊んでいたため、流護はいつもより遅く目を覚ますこととなった。しかし休日なので問題はない。
友達とあんな風に夜遅くまで遊んだのは久々だったし――
そこまで考え、詰まる。友達。友達で、いいんだよな。
今まで女友達なんていたことのかった流護は、嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑な気持ちになった。
彩花は女友達っていうようなものではないし――
「……ッ」
さらにそこで、彩花のメールで泣いてしまったことを思い出して頭を抱えた。
彩花は妹みたいなものだし、約束したのに祭り行けなかったとか、もう会えないかもしれないとか思えば、泣いたっておかしくはないはずだ。そう、必死で自分に言い聞かせる。
「んがあばあぁぁ!」
流護は悶々とした気持ちを振り払うため、すでに乾いていた学ランに着替え、散歩へ行くことにした。
外は、雲ひとつない快晴。
中庭を歩きながら辺りを見渡してみると、生徒の数がやたら少なかった。休日になると実家へ帰る生徒が多い、とベルグレッテに聞いたのを思い出す。
のんびり歩いていると、珍しい場面に遭遇した。
「おはよーさんです、ロック博士」
壁に身を預け、空を見ながらタバコをふかす白衣の男。
うさんくせえ。こりゃ、女子生徒が近寄るはずもない。
「おはようさん。もう昼になるけどね」
「博士って外出るんすね。部屋に篭って怪しい研究ばっかしてる人かと思ってました」
「おいおい、ボクも人間だよ。たまには日の光に当たらないと腐っちゃうからね」
「…………、」
そこで流護は、ほぼ確信し――
「リューゴくんっ! おっはよーござっ……」
建物の影から、ミアが元気よく飛び出してきた。そしてなぜか、言いかけたまま固まる。
「……ロック博士も、おはようございます……」
別人としか思えないテンションの低さで博士へ挨拶して、ミアはそのまま後ろ歩きで戻っていってしまった。ビデオの巻き戻しかよ、と流護は内心で突っ込みを入れてしまう。
「いやあ、嫌われてるよなあボクって」
しかし全く気にしていないのか、笑顔で頭を掻くロック博士。
「どんだけ女生徒に嫌われてんすか。ていうか、なんか――」
流護は博士の目を見る。
「女生徒に変なセクハラとかしてないっすよね?」
「失敬だなキミは。ボクを何だと思って――」
「んじゃ、ロック博士。何者なんですか? あなたは」
博士の目を見たまま、流護は言う。
「まあ割と最初から『あれ?』って思ってましたけどね」
「ほうほう」
興味深そうに、ロック博士が相槌を打つ。
「博士が俺の名前を呼ぶイントネーションはいつも完璧だし、俺のことをエドヴィンに話した理由を聞きに行ったとき、博士は『夕陽』って単語を口にしてる。その後、俺もうっかりベル子に『夕陽』って言ったことがあったんだけど、あいつには通じなかった。んでつい今も、博士は『日の光に当たらないと腐っちゃう』って言いましたしね」
流護は空を見上げる。降り注ぐ『日の光』は、実に心地いい。
「太陽や月を神として見るこの世界に、『月明かり』や『夕陽』って言葉はないんすよね。それでいくと多分、『日の光』も。それに……『セクハラ』ってこの世界で通じるんすか? ベル子たちは『花粉症』とかも知らなかったから、どうなんだろなと思って」
そんな流護の説を聞いたロック博士は、ヒュウッと口笛を吹く。
「てっきり猪突猛進タイプなのかと思ってたよ」
「格闘技って頭も使うんすよ? 勉強の成績とはまた別っす」
空手少年は苦笑しながら答えた。
「博士の本名は何ていうんすか?」
「――岩波輝。それが日本にいた頃の名前さ。それを文字って、ロックウェーブ・テル・ザ・グレート。いいセンスだろう?」
「いや、ザ・グレート関係ないじゃん。ザ・セクハラにしてみたらどうすか?」
「だからしてないって!」
二人して声を上げて笑った。
「はあーあ……ま、何となく博士は日本人だろうなと思ってたんすけど……正直、認めたくはなかったですね」
「……ふむ。なるほど、そういうことだね」
瞬時に流護の意図を察したロック博士――岩波輝は、同情するような瞳を向けた。
「博士がここに来たの、十四年前って言ってましたっけ?」
「うむ。さすがにもう懐かしいねえ」
それはつまり。
十四年もの間、日本に戻ることができず、この世界で暮らしているということだった。
「ベルちゃんから話を聞いて、すぐ分かったよ。同郷の士が来た……いや、来てしまったと。残念だが今のところ、戻る方法は――」
「……っ、すよねえ」
それとなく覚悟していたことではあった。しかし現実として突きつけられると、やはり衝撃は大きい。
「博士はどうやってこの世界に来たんすか?」
「ボクは教授だったんだけどね。ある夜、帰ろうと研究室を出たらこの世界さ」
博士は短くなったタバコを携帯していたカップの中へ入れた。
「無論、家族のことは心配だけど……この世界、神詠術という力は、ボクの研究欲を刺激するに充分すぎた。気付けば、こんな世界へ来ても似たような研究職に就いてるってワケさ」
そう、自嘲気味に笑う。未練などないと、自らに言い聞かせようとしているかのように。振り切ろうとしているかのように。
「他に……この世界に来た地球の人間っているんすかね?」
「いや、今のところボクとキミ以外は知らないな。魂心力を持たない――神詠術を使えない人間がそんなにいれば、もっと騒ぎになってるはずだしね。キミに魂心力がないって知ったときの、ベルちゃんの取り乱しっぷりを見ての通りさ」
首をコキッと鳴らし、博士は「あ、そうだ」と思い出したように流護へ顔を向けた。
「流護クンは、この世界へ来てそろそろ一週間ぐらいかな」
「そう……っすね」
「同じ日本人同士ってのもちょうどバレたし、いい機会だ。言っておこう」
「……なん、すか?」
博士の目はかつてないほど真剣で、流護は思わず言葉に詰まってしまう。
「こないだ、訊いたよね。『身体の調子は悪くないかい?』って」
メガネのフレームを指で押し上げながら、続ける。
「ボクも専門外だから、あまり詳しくはないんだけどね。けどボクの予想が正しければ、キミは――」
ごうっ――と。
少し強めの風が、二人の間を吹き抜けた。
「……これって、どういう……」
食堂にて少し早めの昼食をとりながら、ベルグレッテは一人呟いた。
テーブルの上には、紅茶の入ったカップとパン――と、大量の紙束。あまり行儀のいいことでないと分かってはいたが、すぐ目を通さずにいられなかった。
四日前に流護の活躍で生け捕りにした、ドラウトロー三体の分析結果が届いたのだ。
そこに記された内容を読み、ベルグレッテはその意味を考える。
そこで、かたっと椅子を引く音が聞こえた。
ベルグレッテが顔を上げると、対面に座る少女の姿。さらさらの金髪を肩まで伸ばした、メガネの無表情な女子生徒。
「おはよ、レノーレ。あ。時間的にもう、こんにちはかな」
「……こんにちは」
静かな声でレノーレが挨拶を返す。彼女は少し首を傾けて、ベルグレッテの前にある紙束を見つめた。
「はい、成績優秀なレノーレに問題。怨魔ドラウトローの特徴を述べよ」
レノーレは少し息を吸い込み、
「……カテゴリーB。夜行性。極めて獰猛。長く強靭な腕から繰り出される打撃は脅威の一言。鉱石や金属を集める習性があるほか、音鉱石に狩りの様子を『記録』するという特徴を持っている。万が一、学院の生徒が遭遇してしまった場合には、いかなる手段を以ってでも退却が優先される」
すらすらと淀みなく答えていた。「教本を開くよりレノーレに訊いたほうが早い」とは、ミアが生み出した数少ない名言のうちの一つだとクラスメイトたちに言われている。
「さすが。満点の回答ね。……今までの常識なら、だけどね」
ベルグレッテは資料の一枚をレノーレへと手渡した。目を通した彼女の瞳が、わずかに見開かれる。
「……怨魔は解明されてない部分のほうが多いし、この特徴があっても不思議じゃないと思う」
「私もそう思うわ。ただ、そうなると……四日前、ブリジア周辺に現れた三体のドラウトロー。その、奴らの『習性』を引き起こした原因っていうのは――」
――その瞬間だった。
「べ、ベルッ!」
一人の男子生徒が、食堂へ駆け込んできた。
「ど、どうしたの?」
ぜえぜえと肩で息をしながら、少年は青い顔で答える。
「し、信じらん、ねえ……な、なんだよあれ。ありえねえ。あ、あっ」
ガタガタと震え、顔を左右に振っている。ただごとではない。
「落ち着いて。ゆっくり話して」
「でっ、出かけようと思って、学院の外、そ、外に出ようとしたんだ」
「うん。それで?」
「街道の、向こうから、走って来るのが見えたんだ。学院に、目がけて。も、もうすぐ来る」
「なにが来るの?」
「ドラウトローが! 二十体はいる!」
ミアは買い物へ行こうと思い立った。
本当は、昨夜の『ケータイデンワ』について流護と喋ったりしたかったのだが、ロック博士が一緒にいたのでつい逃げてしまった。
ミアも年頃の女の子だ。博士が嫌いというわけではなく、ただ単純に変わり者で年齢の高い男性が苦手なのだ。……あの人ちょっと変態っぽいし。
私服に着替えようか迷ったが、少し出かけるだけなので、そのまま門へと向かう。
安息日の門は基本的に開け放たれている。さあ買い物に行こうと一歩、門を出た。
そこに、異様なモノがいた。
ミアもかなり背の低いほうだが、さらに小さいソレ。
不吉さしか思わせない黒は、真昼の空の下、あまりに目立って見えた。
「――――え?」
ドラウトローの腕が振り下ろされる。
ミアの視界が、朱に染まった。