126. 盾の裏側
翌日、午前八時。
窓から差し込む光に顔を叩かれて、流護は急かされるように起床した。
昨晩は風呂上がりに皆でゲームをやる予定だったが、ベルグレッテも落ち込んでしまったうえに気付けば時間も遅くなっていたため、結局は中止となっていた。
流護も緊張の連続で疲れていたのか、ベッドに倒れ込んだところで意識が途切れてしまい、久々にこの時間までぐっすりだった。
新鮮な空気でも吸おうと、窓際へ歩み寄る。取っ手に指をかけたところで、遥か下の庭に人の姿が見えて――思わず声を漏らした。
「あ」
ベルグレッテと……ルーバートだった。
まさに昨日の今日だが、二人は中庭のベンチに腰掛け、和やかに談笑しているようだ。
(仲直りしたんかな……?)
ベルグレッテのことだから、朝一番で謝りに行ったのかもしれない。
流護のいるこの客室は二階に位置しているが、一階ごとが高い城みたいな屋敷のため、実際は三階相当の高みにある。遥か下方にいる二人の会話は聞こえない。
しかし双方の様子を見る限り、問題はなさそうだ。
めでたしめでたし、これにて一件落着――と頷きかけた流護だったが、笑い合う二人の後ろから歩み寄る人影が一つ。
「あっ」
またしても思わず声に出してしまう。
――クレアリアだ。
ベンチに座る二人の後ろへ立った妹さんは、いつも通り不機嫌そうに腕を組む。と同時に何か語りかけたのか、ベルグレッテとルーバートが振り向いた。
三人で会話を始めたと思ったのも束の間、すぐにベルグレッテはクレアリアに無理矢理手を引かれる形で連れていかれてしまい、ベンチにはルーバートだけが残されてしまった。
ここからではその表情も窺えないが、一人となった父親からは、どことなく寂しげな雰囲気が漂っているようにも見える。
(ったく……クレアさんの反抗期にも困ったもんだな……)
がしがしと頭を掻いていると、部屋のドアがノックされた。
「おはようございます、リューゴ様。お食事の準備が整いましたので、お迎えに上がりました」
ルビィ――ではない。別のメイドさんのようだ。
「あ、今行きまっす」
と答えて歩き出し、そこでパンツ一丁であることに気付き、慌てて服を着る流護だった。
昨晩と同じ広間へと案内され、朝食の席についた。席順も昨晩と同じ。メイドさんたちが後ろに控えているのも同じ。料理はパンやサラダなどあっさりしたものが中心となっているが、高級感溢れるメニューであることも同じ。
唯一の違いは、ルーバートの姿がないことだ。流護の左隣は空席となっている。
そんな流護の視線に気付いたのか、慈愛に満ちた母ことフォルティナリアが申し訳なさそうに切り出した。
「ごめんなさい、リューゴさん。主人はどうしても外せない仕事が入りまして……つい先ほど、屋敷を発ったのです。リューゴさんをお持て成しするためにお招きしたのに……ごめんなさいね」
すまなさそうに目を伏せる姿も美しい。
「あ、い、いいいえ」
いかん。一瞬で人妻属性になりかけてしまった。
この屋敷の周辺一帯はルーバートが治める領地だそうだが、ここよりわずか北……領内にある街から緊急の呼び出しが入ったとのこと。流護を持て成すために休暇を取っていたのだが、どうしても本人が出向かなければならない案件が発生してしまったらしい。
こういうファンタジー世界であっても、やはり『忙しいお父さん』というものはあまり変わらないのかもしれない。
……俺の親父も、出張ばっかしてたっけ。
少しだけ、懐かしいような寂しいような気持ちになる。
「主人も、夕刻には戻りますので……」
「自分で客人を招いておいて仕事に行くあたり、父様らしいですね」
フォルティナリアに被せるように響き渡ったのは、嫌味のたっぷり効いたクレアリアの声だ。
「気を悪くしないでくださいね、アリウミ殿。家族に構う暇もないような方なので、客人の相手をするなんてとてもとても」
珍しく流護を気遣っているようにも聞こえる、クレアリアの言葉。
しかし、そんな意図でないのは明白だった。ただ父親に悪態をつきたいだけだ。
……流護は、昨晩のルーバートとの語らいを思い出す。
娘のことを思っていた、どこか不器用な父親の姿。仇射ちのために、遥か年下の若造に頭を下げようとした騎士の姿……。
「相手できないのであれば、初めから招待などしなければいいのに」
なおも言い募るクレアリアについムッとしてしまった流護は、わずかに険のある口調で言い放った。
「あー、相手ならしてもらったよ。夜、ルーバートさんに呼ばれてさ。色々と話せて有意義だったんで、大丈夫」
「え、…………そう、ですか。……ふうん」
クレアリアの声が低くなる。
(……あ。まずったかな……)
先ほどのクレアリアの言い分からすれば、ルーバートは客をきちんと持て成していた――ということで問題ないはずだ。しかし素直でない彼女は、複雑な思いを抱いただろう。
自分には構ってくれないのに、流護の相手はしていたのだ――と。その流護は流護で、皆でゲームをする予定だったのをすっぽかしていたのだと。
(……けど)
どことなく重い空気の中、食前の祈りを終え、豪華な料理を頬張り始める。
「……なあ、ベル子。朝……ちょうどメシ前の時間のことなんだけど……何か急な用事とかあったのか?」
「え? ん……や、とくになにも。どうして?」
さすがのベルグレッテも、これだけで流護の意図を察することはできなかったようだ。
「いや……実は朝起きて窓際に行ったらさ、外のベンチでベル子とルーバートさんが話してるのが見えて。そしたらちょうどそこにクレアが来て、ベル子のこと引っ張ってったから……何か急用でもあったんかなと」
「ああ、」
得心のいったような表情のベルグレッテと、「盗み見していたのか」とでも言いたげなクレアリアのジト目が対照的だ。
「朝ごはんだからミアを迎えにいこう、ってクレアが。昨夜はルビィが一緒だったから、大丈夫だって言ってるのに……ね? クレア」
「べ、別にいいじゃないですか」
右隣を見れば、もしゃもしゃと大きなパンを頬張っているハムスター……ではなくミアの姿。冬ごもりにでも備えているのだろうか。頬をパンパンにしながら小首を傾げてくる。
「むぐ?」
「お、おう……また喉詰まらすぞ。旨いか?」
「おいひい! ほっひのはふほふほふおいひい! ほふふへ!」
「何言ってんのか全然分からん」
起きたばかりなのだろうが、この少女は低血圧で食欲がないなどといったことには無縁らしい。
(けど、だ)
これではっきりした。
父親が仕事にかまけて家族の――自分の相手をしないとクレアリアは言うが、そうではない。
彼女が避けているだけだ。
ルーバートは、仕事へ行く前の時間をあのベンチで潰していたのだろう。
例えばあの場に現れたクレアリアは、父親が出かけるまでの間、一緒の時間を過ごすこともできたはずだ。しかし実際は、ミアを呼びに行くことを口実にして避けている。
(……うーん……)
ルーバートも夕刻には戻るという。
流護たちは今日も一泊し、明日の朝、学院へと帰る予定だ。
(……いい機会かもしれないな。うーっし……!)
少年はある決意を固めると共に、咀嚼していたパンをごくりと飲み込んだ。
朝食後、場所はミアの部屋。
客間のため、内装は流護の宿泊している部屋とほとんど同じだった。
部屋の中央に座して向かい合うは、流護とミア。その表情は共に真剣で、双方の間には独特の緊張感が漂っている。
「よーし、傭兵とったよー」
「おおっと、傭兵がやられたか……クク、しかし奴は我が軍の中でも小物……」
ミアの宣言に、悪そうな笑みを返してやる。
昨晩、皆でやる予定だったボードゲーム。名称を、トラディエーラという。
ルールなどに関しては将棋やチェスによく似ており、おかげで流護にもすぐ理解できた。
が、それらのゲームと少しだけ異なる特徴が一つ。
「ん? ……なあベル子、これって」
「あ、うん。取れるわね」
横で見ていたベルグレッテが頷く。
「よーし、じゃあ王討ち取ったぞ。俺の勝ちだな」
「あー!」
あっさり流護の勝利となった。
このトラディエーラには、王手やチェックのような、王となる駒を追い詰めた際の宣言が存在しない。将棋のように言わなくてもいいのではなく、最初からないのだ。そのため、油断しているとこのように呆気なく勝敗が決することになる。
「そんな……ついさっきやり始めたリューゴくんに負けるなんて……」
「はは。まあ初めてっても、俺のこ――、っ」
「俺の故郷にも似たようなゲームあるし」と言いかけ、慌てて口をつぐむ。恐る恐る『そちら』に視線を向ければ、
「……何ですか?」
ちょこんと可愛らしくベッドに腰掛けたまま、じろりと可愛いげなく見返してくるクレアリア。
「あ、ああいや。クレアさん、俺と一戦どうですか、なんつって」
「……ほう。ミアに一度勝ったぐらいで私と戦おうなど……身の程を教えてあげましょう」
「クレアちゃん、セリフが悪役だよ……」
しかしその言葉は伊達ではなく、クレアリアはミアとは比較にならないほど強かった。三回、四回と当然のように負ける。ミアの駒がエドヴィンの群れなら、クレアリアの駒は紛うことなき騎士団だ。
しかし――五回戦目。
「お? これは……取った!」
「あ……」
固い防御の隙間をくぐり抜け、流護はクレアリアの王を討ち取ることに成功した。
「わ。リューゴ、お見事っ」
「おお! リューゴくんすごい!」
「ま、まぐれです。こんなもの」
拍手するベルグレッテとミア、ぷいっと顔を背けるクレアリア。
「よーし、じゃあもう一回な」
もう手加減しません、と意気込むクレアリアだったが――
「な……」
そうして、流護の二連勝となった。
「すごいすごい! リューゴくん、実は天才トラディエーター?」
「いや、クレアの場合……防御のカタさが堅実すぎるなと思って。逆に、思い切って攻めやすいっていうか……」
「な、何を知ったようなことを……」
それにしても、こんなところにも性格が出るのが興味深い。
ミアはあまり何も考えずにすいすい動かすし、クレアリアはまるで自身の『神盾』という二つ名のごとく、王の防御を固めた鉄壁の布陣を敷く。それゆえ、火力に劣るのだ。
ちなみにエドヴィンは何も考えず特攻し、俺の王は倒れないと豪語し始め、最終的にリアルファイトへと発展するそうだ。目に浮かびすぎる。
あとはダイゴスもかなり強いとのこと。
うん。あの人、将棋知ってそうな顔してるもの。
――と、そこへ現れる挑戦者。
「リューゴ、私とやってみない?」
「ほう……いいのかベル子。今の俺は、飛ぶ鳥を落とす勢いよ。この俺の、えーと……『暗黒堕天騎士団』がお相手し」
勝負にならなかった。
一回も勝てなかった。
暗黒堕天騎士団(笑)は為す術なく蹂躙され、壊滅した。
そうこうしている間に、夕方となった。
「やー、のびのび遊んだな~」
ミアがベッドで満足そうにごろごろする。
……ていうかミアはごろごろして昼飯食べてごろごろして『とてゴー』読んで、またごろごろして――で今に至るんだけど大丈夫なのか。父親代わりとして、少し窘めておくべきか。いやでも、それでクレアみたいに反抗期に突入されても困るし……などと流護が真剣に悩んでいると、窓際で優美に紅茶を楽しんでいるベルグレッテの元へ通信が入った。
「リーヴァー、ベルグレッテです」
『リーヴァー、ルビィです。旦那様がお戻りになりました』
「あ、はーい。了解、すぐ行きます」
手短に通信を終え、ベルグレッテが立ち上がる。
義務という訳ではないが、ガーティルード家では主が帰って来た際、可能な限り皆で迎えることにしているのだという。
家族全員の揃う機会があまり多くないようなので、こうして触れ合う時間を少しでも増やそうとしているのかもしれない。
「クレア、行くわよ。リューゴ、ミア……ごめんね、ちょっと行ってくる」
「おう、ごゆっくり」
「いってらっしゃーい!」
「はぁ……」
クレアリアは露骨なまでに大きな溜息をつき、渋々といった様子で姉の後についていった。
「もー、クレアちゃんはー……」
ミアも思わず苦笑いを浮かべる。
「あー、眠くなってきたかも……」
「何だと」
ミアは午後からベッドでごろごろしているだけだというのに、そのうえで昼寝までするつもりだというのか。太ってしまうぞ。
「……あ、そうだ」
ちょうどいい機会だ。眠られてしまう前に聞いておくべきだろう。
「ミアさ、前にクレアと決闘まがいのケンカしたことあるって言ってたよな」
「え? まあ……うん」
「そんで、ちょっと訊きたいんだけど――」
準備は、入念にしておくべきだろう。
わずかな緊張で汗ばむ拳を握りながら、流護はミアに質問した。