123. 流れ、流れて
流護の入浴は早いものだった。あんなところやこんなところを洗浄する程度、十分もあれば事足りる。
そんな訳で何やらゲームをするとのことで、女性陣が呼びに来るのを待っているのだが――
(遅いな……)
女の子はお風呂の時間が長いと云う。
流護もそんな伝説を耳にしてはいたが、女性陣が浴場へと向かって、早四十分が過ぎようとしていた。姉妹は一階。ミアは二階の浴場だ。
ベルグレッテやクレアリアは髪の毛が長いので手入れに時間もかかるのだろうが、ミアはショートヘアだ。そんなに手間がかかるとも思えない。
あれか。湯舟にアヒルのおもちゃでも浮かべて遊んでんのか。ミア、何となくそういうの似合いそうだし。
本人が聞いたらプンスカ怒りそうだな……なんてことを思いながら、少年は様子を見に行ってみることにした。
さて二階の大浴場へ着いてみれば、中からは明かりが漏れており、水音やミアの鼻歌なども聞こえてきていた。絶賛入浴中だ。
「長えなぁおい……」
女子の入浴時間というものに驚愕を禁じ得ない流護だったが、
「ミア様、お湯加減はいかがですか?」
中から聞こえてきたのはルビィの声。
「あ、そっか」
流護は思わず声に出して納得する。
ミアはまだ、拉致監禁されたときの心の傷が癒えていない。一人でいることを極端に恐れるようになってしまっている。それもあって、ルビィが付き添っているのだろう。
二人で話しながら、となれば長くなるのも当然かもしれない。
「あったかくなってきましたよー!」
「よかったです。す、すみません、調整に手こずってしまって……」
「いえいえー、楽しいので!」
二人の声が反響して聞こえる。会話から察するに、湯加減を間違えて入浴が長引いてしまっているようだ。
「そだそだ、ルビィさん。今月の『とてゴー』買いました? あたしも、まだ買ったばっかで全部読んではいないんですけど」
「あ、まだです。後で売店行ってこようかな……」
売店? この屋敷には売店まであるのか……?
驚く流護だったが、この敷地内に滞在している人数は約四十名。小規模の村と大差ないというのだから、店の一つや二つあってもおかしくはないのかもしれない。
「なにか面白いお話は載っていましたか?」
「あ、はい。色々ありましたよ~。何年かぶりに、レフェに『神域の巫女』さまが降臨したー、とか」
「あらあら。新しい巫女様ですか」
それにしてもルビィも『とてゴー』……『とても怖いゴーストロア』の愛読者なのか。実はメジャー雑誌なのかあれ。
「それで今回の巫女さんはキサーエリさん? って人で、歌が上手なんだそうですよー。巫女さまの歌の楽譜と詞も載ってました。夕方、ちょっとベルちゃんに響風琴を演奏してもらったんですけど、ちょっと変わった感じの曲で」
「へえ。レフェの民族音楽でしょうか?」
「んー……、あんまりそれっぽくないんですよ。えーと、」
ミアは、んんっと喉を湿らせて、
「あなぁーたにー、とどかぬーこのおーもいー、せつなーくてぇ~えぇー」
うん。ミアの歌唱力は何というか、予想通りだ。
――と、そこで流護はハッとした。
女子が入浴している風呂場の前で、いつまでも立ち聞きしているのはまずいだろう。完全に不審者だ。クレアリア大先生に見られた日には、問答無用で術が飛んでくるかもしれない。
「みい~なもぉーにー、うつう~るー、つぅ~きーだけぇーがあ~」
ご機嫌に響いてくるミアの歌を微笑ましく思いながら、その場を後にする――
「…………、ん?」
反射的に。
浴場のほうを、振り返る。
「お上手ですー、ミア様」
「えへへへー」
今、何か。
とてつもない、違和感が――
それが形になるより早く。
近くにある階段の上から、丸められた毛布がゴロンゴロンと転がり落ちてきた。
「お!?」
勢いよく廊下を横切った毛布は、壁にぶつかって動きを止める。
同時、一人のメイドが顔を青くして階段を駆け下りてきた。
「あわわわ……、す、すみませんお客様! 当たりませんでしたか、大丈夫でしたか!?」
ルビィよりも頼りなさげ(失礼)なメガネの少女が、走り寄ってきてあわあわと謝り倒す。年齢も流護と同じぐらいか。どうやら毛布を運んでいて階段から落としてしまったらしい。
「あははは……大丈夫っす」
柔らかそうなふさふさの束は、当たったところでケガもしないだろう。
「よ、よかった……。ほ、本当に申し訳ありませんでした! う、うーん」
さほど重そうなものとも思えないが、メイドの細腕ではなかなか持ち上がらないようだ。客に当ててしまいそうになり、焦っているせいもあるのだろう。
「あの。何だったら、俺が運びましょうか」
「えっ!? い、いえ! お客様に、そのようなことをしていただくわけには!」
これは譲り合いループになるなと判断した流護は、有無を言わさず毛布を抱え上げた。
「あぁっ、いけません! 婦長さまに知られたら、怒られてしまいますし……」
確かに、見つかったら怒られるのは彼女かもしれない。
「どこまで運ぶつもりだったんすか?」
「えっと……そこの廊下を行った先にある、リネン室で……」
「ああ、そこならここに来る途中で見かけましたし、近いっすね。んじゃ、見つかる前に運んじゃいますか」
「で、でも……」
「どうせ俺も通り道なんで。誰かに見つかる前に行っちまいましょう」
「あううう、申し訳ございません……」
コソコソしながらも足早に、毛布を運んだ。
流護は別館の一階にある売店へとやってきていた。
リネン室の脇にある階段から人の声が聞こえたので下りてみたのだが、すぐ脇から屋根つきの渡り廊下が延びており、この別館へと繋がっていたのだ。賑やかな雰囲気に顔を覗かせてみたところ、ロビーの一角に店が構えられていた。思い切り『売店』と看板も出ているし、何やらホテルのような雰囲気だ。
住み込みで働いている使用人たち向けに、様々な嗜好品が売られているようだ。
菓子や飲み物、小物類、わずかに積まれた『とても怖いゴーストロア』、それ以外にも多種多様な本が売られている。
プライベートの時間を過ごしている使用人なのか、私服姿の人々が店頭で雑談しながら商品を眺めていた。
せっかくなので何か買ってみようか――と考えていたところで、横から声がかかる。
「おお、リューゴ君。奇遇だね」
目を向ければ、こちらへとやってくるルーバートの姿。
「あ、ど、どうもです」
頭を下げる流護に、ルーバートは紳士的な笑みで手を上げて返した。そのまま隣へやってきて、店員から葉巻を購入する。
「何か入り用かな? 必要なものがあれば、こちらで用意させてもらうよ」
「あ、いえ。でもルーバートさんこそ……売店、利用するんですね」
「まぁね。実は誰よりも常連なんだ」
こんな風に客として、他の使用人たちと同じように金を払って購入するのが好きなのだという。
そこで紳士は、思いついたように提案した。
「そうだ、リューゴ君。私の部屋へ来てみないか?」
「えっ……!? いや、その」
「ハハ。そう遠慮しないでくれたまえ。是非、色々な話を伺いたいな」
「えーと……」
強く断ることもできず、少しだけなら……となし崩し的に部屋へ向かうことになってしまった。