121. 屋敷にて
内装はレインディールの城に近い。
広々とした屋内に敷き詰められた赤い絨毯。遥か高い天井では、巨大かつ豪奢なシャンデリアが煌きを放っている。
入ってすぐの広間に、両脇へ三名ずつの侍女を従えた一組の男女の姿があった。ベルグレッテたちの両親だ、と流護は直感する。
男性は、まさにナイスミドルの紳士といった風貌。藍色に近い黒の短髪に、くっきりとした目鼻立ち。黒の礼服に身を包んだその佇まいからは、気品が溢れている。若々しい活力に満ちており、二十代だといわれても信じてしまうだろう。
かたや青いドレス姿の女性は――まさに、ベルグレッテが二十年経ったらこうなるだろうと思わせる貴婦人。その慈しみに満ちた微笑みを見ただけで、流護は反射的に「なんか生まれてきてすいません」と思ってしまった。浄化されてしまいそうなその美しさは、存在自体が光属性か何かの神詠術ではないか考えてしまうほど。
「お父さま、お母さま。ただいま戻りました」
「……戻りました」
歩み出た二人の娘と両親が、それぞれ包容を交わし合う――が、妹は父親からはぷいと身を逸らし、母親に寄り添ってしまった。
クレアリアが男嫌いとなるに至った、その理由。幼い頃、仕事に忙しかった父親が構ってくれなかったことも、その一つだと聞いている。
他の男性に対するものと同様、父親に対しても彼女の冷ややかな態度は変わらない。……変わらないどころか、その原因の一端となった相手だ。
クレアリアは小さく最低限の挨拶こそしたものの、目を合わせようとはしなかった。
父は少し困ったような笑みでかすかな溜息をつき、ミアへと向き直る。
「久しぶりだね、ミア君。ゆっくり寛いでいってくれたまえ」
「はい、お久しぶりです! お世話になりまーすっ」
ミア、意外とメンタル強ぇよな……物怖じしないっていうか……俺なんかもう緊張しすぎで腹痛くなってきたんですけど……。
などと流護が情けなくも腹の辺りを押さえていると、いよいよ二人が流護の前へとやってきた。
「リューゴ・アリウミ君だね。初めまして。私はルーバート・グリアーダ・リヴ・ガーティルード。ベルグレッテとクレアリアの父です。……と、堅苦しいのは抜きにしようか。噂は聞いているよ。この度は、招待に応じてくれて有り難う」
「はひ、へい、あ、有海……流護で、す」
差し出された手を握り、何とか握手を交わす。
「初めまして。ベルグレッテたちの母の、フォルティナリア・リジア・ガーティルードと申します。いつも娘たちがお世話になっております。このたびは、よくぞお越しくださいました。どうぞお寛ぎくださいね」
「はひ、あ、有、海……流護で、す」
流護はぶっ壊れたみたいに繰り返すのみだった。
「リューゴ君……と呼ばせてもらっても宜しいかな。ところで、気分が悪いのかね? 顔色が優れないようだが……」
お義父さんお義母さんを前に緊張しているだけなのだが、その結果として腹も痛いのであながち間違ってはいないかもしれない。
「まぁ、長旅でお疲れかしら……。ルビィ、お部屋へご案内して差し上げて」
「は、はいっ! リ、リューゴ様、さ、どうぞ」
フォルティナリアの指示に従い、後ろに控えていたルビィが流護に肩を貸す。ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「リューゴ、大丈夫? 馬車で酔った?」
「リューゴくん、へいき?」
ベルグレッテとミアも心配そうな顔をしているが、唯一クレアリアだけはジト目を向けていた。
そう。クレアリアだけは、流護がベルグレッテを好きだということをはっきりと知っている。本人の口から直接聞いて知っている。つまり流護は好きな子の両親を前に緊張しまくっているだけ、ということに気付いているのだ。
そんな訳で、流護は情けなくもルビィに肩を貸してもらいながら、二階の客間へと案内されるのだった。
客間もまた桁違いだった。
部屋の大きさは、流護の感覚的には二十畳分ほど。
室内に設置された調度品は流護の目にも分かるほど高級で、どこを見ても一片の塵すら積もってはいない。レインディール城で案内された客室も相当なものだったが、この部屋は流護を受け入れるために整えられていたのだろう。隅々まで清掃が行き届いていた。
「治療術者をお呼びします!」と言って譲らないルビィを何とか説得し、ようやく一人になることができた流護は、背筋をピンと伸ばして豪華なベッドに腰掛けていた。
「だめだって、場違いすぎる……つーかなんだこのベッドやべえ……」
思わず呟いたところで、部屋のドアがコンコンコンとノックされた。
「は、はい!?」
「ミアでーす、入るよー」
返事をする間もなくミアがひょこっと顔を覗かせる。
「リューゴくん、調子はどう? 大丈夫?」
「あ、ああ……」
何となく脱力して溜息をついたところで、ミアがにんまりとした笑みを浮かべた。
「あー、もしかして……ふひひひ」
「な、何だよ」
「ベルちゃんのご両親を前に、緊張してただけ?」
「な……何を言ってるのか分かりませんな……、で、ベル子たちは?」
「ん、久々の再会だからね。親子水入らずでどーぞ、ってこっちきちゃった」
「そうか……」
ミアは高価そうな椅子に腰掛けて、猫みたいにぐーっと伸びをした。
「……しっかしあれだな、クレアは筋金入りなんだな……」
「えっ? ああ、はは……そうだねー」
ミアも苦笑いを見せる。
先ほどのことだ。久しぶりの再会だったのだろうが、クレアリアは露骨なまでに父親を避けていた。しっかりしているようでいて、彼女もまだ十四歳。反抗期真っ只中なのかもしれないが……。
――と。
そこで突然、ミアの頬を一筋の涙が伝った。
「…………、ミ、ミア?」
「え? って、あ、れ?」
ミア自身、驚いているようだった。
しかしその瞳からは、とめどなく涙が溢れていく。
「わ、やだ、わーリューゴくん、ちょ、ちょっと見ないで……」
流護は言われた通り、ぐるんと顔を背けた。背けながらも尋ねる。
「だ、大丈夫か?」
「う、うん」
涙声で、鼻をすすりながらミアが答えた。
「……どうした? 聞いても大丈夫か?」
「や、あ……うん、ベルちゃんたちと、おじさんたちが話してるの見て、色々思い出しちゃった、のかも」
そうだ。ミアはもう、家族の元へ戻れない。ベルグレッテたち家族の団欒を見て、思うところがあったのだろう。
「ま、まあアレだよミア、その……何だったら俺のことを、父親と思ってだな……」
「……ぷっ、あははは。なんで父親なの~」
「いやほら、今のミアは一応ウチの子みたいなモンだろ。奴隷とか言われても、俺の故郷にはそんなもんないからピンと来ないし……だからほとんど家族だよ。父さんって呼んでもいいのだぞ」
「ははは。そっか、おとーさんかぁ。それじゃあリューゴおとーさん、あたしがお嫁にいくときは泣いてくれるの~?」
「……よ、嫁……だと……?」
なぜか瞬間的にアルヴェリスタの頼りない顔が浮かび、慌てて首を振って打ち消す。
「嫁になんぞやりません!」
「え、えぇ!?」
「どこの馬の骨とも分からん輩に、ウチのミアがやれるか! どうしてもってなら、俺を倒してからにしてもらおうか!」
「あははは。リューゴくんより強い人なんていないよ~」
「なら誰にもやらねー!」
「えー! ……ふふ、そっか。あたし、お嫁にいけないんだ。それじゃリューゴおとーさんと、ずっと一緒だね……」
「え? まあ、俺を倒せし勇者が現われん限りはな。まあ誰だろうと軽くヒネってやりますよ」
「そっかそっかあ。ふふふ」
「ん? 何だよ……?」
「ううん、なんでもないっ。えへへ」
つい勢いのままに喋り倒した流護としては、「そんな束縛する父さんイヤ!」とか「キモイ!」みたいに言われるかと内心ヒヤヒヤしていたのだが、なぜかミアは顔を綻ばせていた。
「ね、リューゴくん。遊撃兵になっちゃったから、これからお仕事とかも大変だと思うけど……絶対に、帰ってきてね。……あたしのこと置いて、どこかに行ったりしないでね……?」
実の父親がしたこと。やむを得なかったこととはいえ、それは一生、消えない傷となってミアの心に残り続けるのだろう。
少しでもその痛みを和らげられればと、流護は力強く頷いてみせる。
「ああ、それは約束するぞ。ミアのこと置いてどっか行ったりなんてしない。どんな仕事でどこに行っても、絶対に帰ってくる」
「……うんっ」
そうしてしばし、雑談に興じる二人だった。
――このとき、少年は知らない。
何気なく交わしたこの約束が、後に身を切るような決断を迫ることになると。
太陽こと昼の神インベレヌスが山の向こうへ歩み始めた夕方。
流護たち四人は、屋敷裏手の庭に集まっていた。
目の前には木造の立派な厩舎。
移動中の馬車でベルグレッテが言っていたように、流護を馬に乗せてみようという話になったのだ。
ぼけっと厩舎を眺めていると、中からベルグレッテが一頭の馬を率いて出てきた。
茶色い毛並みの美しい、大きな馬。あらかじめガーティルード家所有の馬と分かっているせいかもしれないが、どことなく気品を感じる。
(おお……これはあれか、サラブレッ――、ん?)
そこで流護は、ふと気になったことを尋ねてみた。
「これはなんていう馬なんだ?」
「名前? ポテだよ。雌の三歳」
えらい可愛い名前だな。……って、そうじゃなくて。
「おーよしよし、いい子だねーポテー」と馬を撫でているベルグレッテに改めて聞き直す。
「いやえーと、名前じゃなくて、馬の種類っていうか……ほら、例えばサラブレッドとかさ」
「サラ、ブレッド……?」
「ってなにー?」
ベルグレッテとミアが同時に小首を傾げた。
やっぱりか、と流護は心中で納得する。
馬という動物はいても、サラブレッドという馬種は存在しないのだ。もしくは、名称が違うのか。
先ほどは屋敷の規模やメイドさんの存在に気を取られて失念していたが、おそらく門から邸宅までの道中でカートを引いていた馬も、ポニーという名称ではないはず。……となると、他の動物も同様だろう。犬でも、チワワなど通じないかもしれない。
今更ではあるが、通じる単語と通じない単語の線引きが難しそうだな、と流護は密かに溜息をついた。
基本的に学院から出ない生活を送っているため、そういった部分にすら気付かなかった。
そんなことを考えていると、
「馬種でしたら、ポテはバラテアと呼ばれる種になります。レインディールでは広く普及してる種で、騎士たちの扱う馬は皆、このバラテアです。性格は主人に忠実で勇猛果敢。生半可な怨魔に怯んだりはしません。まぁ、騎士たちが乗るために改良された種なので、当然ではあるのですが」
そう説明したのはクレアリアだ。
「ちなみに、正門から屋敷へ行くまでの小馬車を引いていた小さな馬は、アロアという種になります。こちらは少々臆病ですが、餌にかかる費用が少なく、それでいて非常に働き者なので重宝します」
クレアリアは笑みすら浮かべて言い結ぶ。仕事でそういった案内をしている人みたいな完璧さだ。
「他に何かありますか?」
「あ、いえ。大丈夫、です」
流護は思わずクレアリアから目を逸らしていた。
(……な、何だってんだ?)
気持ち悪いぐらい親切だ。
いつもとあまりに違うクレアリアの態度に、流護は戸惑いを覚えてしまう。「そんなことも知らないんですか?(ツンツン)」とか言ってきてもおかしくない場面だったはずだ。
見れば、ベルグレッテとミアも少し驚いたような顔をしている。
久々に家族らと再会したことで、機嫌がよくなっているのだろうか。
「ええと……それじゃリューゴ、乗ってみる?」
「え? えー……」
離れた位置からポテを眺める。
こうして向かい合うと大きい。迫力もある。…………怖い。
「ま、まずお手本に、ベル子が乗ってみせてくれないか?」
「え? うん、いいけど……」
ベルグレッテは慣れた様子で馬に跨がり、「いくよ、ポテ」と一声かけると、中庭を走り始めた。
さすが騎士というべきなのか、馬を駆るその姿は様になっている。かっこいい。
俺の上にも乗ってほしいです、と流護がアホなことを考え始めたあたりで、庭を回っていたベルグレッテが戻ってきた。ポテを停止させ、その背から降りる。
一連の動作は、まさにお手本と呼ぶに相応しいものだった。かっこいい。
「はい、じゃあやってみる?」
流護はミアのほうに顔を向けた。
「え、えーと……ミアはほんとに馬乗れんのか?」
「えっ、なに? 疑ってる!?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど……ミアが馬に乗ってる図が想像できないっていうか……」
ありとあらゆる動物につっつかれて転んでいる図しか想像できない。
「疑ってるんじゃん! もー、そこまで言うんだったら見せてあげるもん! ベルちゃん、いい!?」
「あはは、どうぞ」
ぷんぷんと擬音が出そうな感じでポテに歩み寄っていったミアは、
「!?」
流護が想像もしていなかった華麗な動作でポテに飛び乗った。
「いくぞポテちゃん。はいやー!」
当たり前のように手綱を操り、騎乗したミアが颯爽と飛び出していく。
「……オー、草原の民……」
流護は自分でもよく分からない感嘆を漏らしてしまった。
そこでクレアリアが説明してくれる。
「ミアが農家出身なのはご存知の通り。農家は近くの牧場の手伝いをすることも多いので、まず馬に乗れない者はいないはずです。学院でいえば……エドヴィンのような、王都生まれで親と周囲に迷惑を掛けて遊び呆けてるような人間は、ろくに馬を扱うこともできなかったりしますが」
「なる、ほど……なぁ……」
つまり馬は、この世界では車のようなものと考えていいのだろう。特に田舎では自転車感覚ですらあるかもしれない。貴重な移動手段なのだから、扱える者が多いのは当然か。
駆け回っていたミアが戻ってきた。
「やー、久々だから楽しいや。どう? リューゴくんっ」
馬上から得意げに見下ろしてくる。デコピンしてやりたくなる表情をしているが、こればかりは流護に非があるので仕方ない。くそっ、補助輪つきの自転車が似合いそうな顔しおってからに。
「疑ってスミマセンでした……」
「あー、やっぱり疑ってたんだ……もうっ」
頬を膨らませながらも、ミアが馬から降りた。
「はい、リューゴくんの番」
「お、おう……じゃあベル子先生、ご指導お願いしますだ」
流護は覚悟を決めて、装着していたパワーリストの類を全て外し、ポテの脇に移動した。
「ふふ、はい。じゃあまず……」
と、ベルグレッテが口を開いた瞬間。
トットッ。
ポテが勝手に歩き出してしまった。……と思いきや、数歩先で立ち止まる。
「……ポテ?」
ベルグレッテが怪訝そうな声を出す。
流護とベルグレッテはポテに向かって歩き出すが――二人が近づくたびに、ポテはトットッと離れてしまう。
「ど、どうしたのポテ?」
さすがにおかしいと思ったのか、ベルグレッテが走り寄った。ポテは逃げずに佇み、ブルルと鼻を鳴らしている。
「……これは……」
半ば理解しながらも、流護が近づく。すると、ポテはトットッと逃げてしまう。ミアがずばりと言った。
「リューゴくん、嫌われてる……?」
「はっきり言いすぎだろ……傷つくぞ、俺……」
とはいえ、間違いない。ポテは明らかに流護が近づくのを嫌がっている。
「ポテはメスなんだっけ。クレアと一緒で、男嫌いとか……?」
「ううん、父さまも乗ってるし、そんなことは……人見知りもしないはずなんだけど」
ベルグレッテも困った様子でポテを撫でる。
流護は気付かれないよう、後ろからそろそろと接近を試みてみた。
すると。
ポテが地を蹴って走り出した。
「ポ、ポテ!?」
「くっそ! 何で逃げんだよぉ!」
流護もポテを追って走り出した。
逃げるポテ、追う流護。双方は紐で繋がれているかのように、その距離を一定に保っている。
「うわぁ……リューゴくん、ポテとまったく同じ速さで走ってる……」
「話には聞いていましたが、人間離れしているにも程がありますね。馬と同じ速度で走れるなら、アリウミ殿に馬は必要ないんじゃないですか?」
「あはは、いいのかなそれで……」
馬と同じ速度で走っていく少年を眺めながら、少女三人は口々に感想を漏らすのだった。
「はぁ、はっ、ぜぇ……」
流護は汗だくになって少女たちの元へ戻ってきた。
馬と同程度の速さで走れるとはいえ、それは全速力、最大速度での話だ。
到底追いつくことなどできず、途中でポテを見失ってしまった。敷地内を散々走り回って戻ってきたところ、彼女(?)はベルグレッテの後ろへ庇われるようにして佇んでいた。
「ポテを苛めるのはやめてください」
「……はぁ、はー、いじ、い、っぜー、はー」
クレアリアの軽口に答える余裕もない。
「リューゴ、大丈夫? はい、水」
ベルグレッテが寄ってきて、木のコップを手渡してくれた。
なんて気のきく娘さんなのか。これから毎日、ポテを追って走り疲れて帰ってくる俺に水を差し出してほしい。
意味の分からない思考が流護の脳内を支配していたところで、ベルグレッテが困惑したように切り出した。
「ポテなんだけど……やっぱり、どうもリューゴのこと、怖がってるみたいで……」
「ぜー、はー……、こっ、こけっ」
「信じがたいですが、そのようです。先ほど説明した通り、それなりの怨魔が相手でも臆さないはずなんですが……」
クレアリアですら戸惑っているようだった。
怖がっている?
なぜだろうか。むしろ流護のほうが怖がっていたぐらいなのだが……動物だし、そういった感情に敏感なのだろうか。
「あー、でもさ」
ミアが思いついたとばかりに顔を輝かせる。
「そういえばガイセリウスも、乗れる馬がいなくて困ってたなんて話があるよね。馬が怖がってだめだったー、なんて聞いたことあるよ」
それを聞いて、クレアリアが溜息と共に呟いた。
「ガイセリウスですか……」
「ふー……。クレアはガイセリウス嫌いなのか? あ、男だから嫌いか」
その言葉に、クレアはジロリとした目を向けてくる。
「何でもかんでも殿方だから嫌い、という訳ではありません。私個人としては、生涯において全く神詠術を使わなかったという、彼の在り方が気に入らないだけのこと。まるで、誰かさんみたいで」
「いやあ……」
「褒めてません。まぁ、彼が遺した数々の功績は称賛されるべきものですし、かような特別に過ぎる存在に対して、人々が憧憬の念を抱くのは理解できます」
「なるほどな。ガイセリウスだからって、みんなが好きって訳じゃないんだな」
今に名を残す英雄たちも、国や地域によってその崇拝や信仰の度合いに差があるのだという。
ガイセリウスは各地で活躍したため、抜群に知名度が高い。
特筆すべきは、『神詠術を使わない』というその在りよう。
詠術士だらけの学院に滞在していると忘れがちになってしまうが、大半の人間は高度な神詠術を扱うことなどできないのだ。ガイセリウスはそういった術の使えない層の共感を得ており、それがそのまま莫大な人気へと繋がっている。
レインディールは元より、遥か東にあるレフェ巫術神国において、特に絶大な支持を集めているようだ。
あまりに人気が高く、残した功績も多いため、一部の熱狂的な信者からは「神と同格の扱いにすべき」との声も上がっているほど。それに対して「人と神を同等に扱うなど論外」と主張する者たちもおり、激しく対立しているようだ。
そんなガイセリウスだが、クレアリアのような神詠術信仰が特に深い人間や、教会関係者にはあまり快く思われていない。
また、その活躍を記した『竜滅書記』には相当な脚色がなされているとの見方もある。
例えばベルグレッテは、ガイセリウスに憧れて水の大剣の術を編み出しているが、彼の活躍に関しては半分程度がおとぎ話だと思っているとのこと。凄まじいまでの功績を残しすぎているのだ。到底、信じられないほどに。
ともかく、信仰される理由も疎まれる理由も同じ『神詠術を使わない』という点であることが、ガイセリウスを語るうえで外せない要素であるようだ。
あとは流護もミアの件で知ったディアレーなど、それぞれの地域に所縁のある英雄がいるようだが――
「じゃさ、クレアは尊敬してる英雄とかいるのか? あ、『私が尊敬してるのは姉様です、キリッ』とかナシな」
「い、言いませんっ。キリッて何ですか、馬鹿にしてるんですか」
珍しく赤くなるクレアリアが初々しい。
「……まぁ、そうですね。バラレ女史などは、目標としたい方です」
「誰ぞ」
隣にいるミアへ振ってみるが、彼女も「聞いたことがあるような……」と首を傾げるに止まった。
「バラレ・サージ。レインディールに属する八人の『ペンタ』のうちの一人で、建物の防護関連を担当されてる方よ。城や学院にも、定期的に施術をしに来られてるわ」
説明してくれたのは博識なベルグレッテ先生。
「ああ、国の『ペンタ』の人なのか。伝説の英雄とかとはちょっと違う感じだな」
「過去の英雄と言われても、自分の目でその活躍を見た訳ではありませんから。信憑性に欠けるんです」
「おっと。そうやって今を生きる人間の話に持ってって、『私が尊敬するのは姉様です』って言うつもりだろ。させねえぞ」
「い、言いません! 何なんですか!」
しかし信心深いくせに、実際の人間に対してはやけに現実的というか。複雑な娘さんめ、と流護は心中で苦笑する。
「私にだって……他に尊敬している方はいますよ」
「ほう。あ、実は俺だろ? なんつっ」
「……………………」
あぁ、いけません。これはゴミを見る目です。
「すいません」
はっきりゴミと言われてしまう前に謝っておいた。
そんなこんなで談笑を交えつつ、流護を馬に乗せることもできそうにないため、そのままお開きとなるのだった。




