119. クレアリアという少女
クレアリアは何でもない注文を申しつけるように、淡々とした口調で言う。
「実はリーフィアも通信が使えないのですが、先日の件を受けて、やはり通信ぐらいは覚えておくべきだということで学び始めています。貴方も兵士となった訳ですし、連絡を取り合うためにも使えるようになっておくべきです。是非、この機会に覚えてください」
かつて携帯電話というアイテムを使っていた流護としても、通信の利便性はよく理解できている。可能なら今すぐ覚えたいぐらいだ。
……しかし。
「いや、あー、ええとだな……」
思わず慌てる流護。それとなくベルグレッテとミアに視線を向けるが、二人とも気まずそうに視線を逸らしてしまった。ちょっ。
「何か異論が?」
「いや、……その、王様も、俺にそういうの期待してないって言ってたし……」
「陛下の言うことを鵜呑みにしないでください。最低限のことはできるようになっておく。そう思って、勉強も始めたのでしょう?」
「あー、おっしゃる通りで……いやでもあれだ、」
「何ですか。言いたいことがあるなら、はっきり仰ってください」
言えるはずがない。
相手は信仰に篤いクレアリア。神詠術を軽視したブランダルに対する、容赦のない態度は見ての通りだ。
俺この世界の人間じゃないですし神詠術なんて使えないですし神なんていねーようっへへっへへへ! なんて言おうものなら、それはもう大変なことになるだろう。
「ま、まぁほらクレア、リューゴも覚えなきゃならないこといっぱいあるし、人によって得意不得意あるし……」
見かねたベルグレッテが助け舟を出してくれた。やっぱりベル子は優しいなあ、天使だなあ、と思う流護だったが、
「常々思っていましたが、姉様はアリウミ殿に甘すぎです。何も高度な通信技術を要求している訳でもなし、基礎的な術を使えるようになってほしいというだけのこと。得意不得意もないでしょう」
「や、あー……、ええと、」
「今すぐ使えるようになれ、とまでは言いません。せめて努力する姿勢ぐらい見せてもいいのでは?」
「あ、うん、はい」
姉は負けた。
「アリウミ殿、神詠術検査を受けたことはないんですよね?」
クレアリアはさらに突っ込んでくる。
……検査なら受けている。その結果、魂心力がないことも判明している。
しかしあのとき、その結果を知ったベルグレッテはショックのあまり研究棟を飛び出してしまっているのだ。
ベルグレッテですらあれほど取り乱したというのに、信心深いクレアリアに真実を告げたなら、一体どうなってしまうのか。
流護が無言でいるのを肯定と受け止めたのか、厳しい妹さんは話を進めていく。
「自分の属性も分からないまま術を行使しようとするのは危険ですね。まずロック博士のところへ行って検査してもらいましょう。夕飯まで時間もありますし」
「は? い、今からか?」
「検査はすぐ済みますので。自分の属性を知っておいて損はありません。……というより、今まで姉様がついていながら、検査を受けさせるという発想はなかったんですか?」
「えっ? あ、いや、ええーと」
何ということか。ベルグレッテが押されっぱなしだ。
「せっかく思い立ったのですし、今済ませてしまい――」
そこでミアが突然クレアリアに飛びついた。
「そっ、それよりあたしお腹すいちゃったな! ちょっと早いけど晩ごはんにしようよ!」
どう考えてもダメなレベルですんげェー不自然だけどミア、ナイス!
「ぐへへへぐへへへ、お腹すいたでげすよう。ぐっへへへ」
「うわっ……」
よろめくクレアリアにすがりつくその様は何だか妖怪みたいだが、自分のためにやってくれているのだ。
汚れ役ありがとうミア、と少年は心の中で親指を立て――
「ちょっ……と、待ってなさい」
クレアリアはくいっとミアの腕を掴み、流れるような動作で足を払う。
「ウワー!」
妖怪はきれいに投げられ、どさっと芝生に横たえられた。
……何だそのお手本のような投げは……。空手家(自称)のくせに投げを得手とする、流護の師のような華麗さだった。
ベルグレッテもミアも果敢に散った、やはり自分で何とかするしかない……! 流護はカッと目を見開く。覚悟を決めて、
「げばああぁ、あがああっ!」
身をよじりながら絶叫した。
女子三人がびくりとする。
「や、やべぇまじやべえ、なんか急にすげー腹痛いわぁ。こらまずいわー。トイレ行っとこうかなー。行きます。そ、そんな訳で悪いんだけど俺、ちょっと失礼し」
退散しようと回れ右をした流護の肩に、クレアリアの手がポンと置かれた。
「……まったくもう」
クレアリアは大きく溜息をつくと、思わずドキリとするほど近く、腕を回せば抱きしめてしまえるほど近く、流護にぴたりと身を寄せてきた。ふわりと甘い香りが鼻をくすぐる。
「な、なな、なんだ……!?」
「ウワー?」
「ク、クレア……?」
狼狽する三人に構わず、クレアリアは流護の腹に右手を当てた。
(この間合い! 発勁的な何か!? 効率よく内部から俺の肉体を破壊しようとしている!? そんなにクソがしてえなら臓物ごと撒き散らしてやるってか!?)
アホな思考に支配される流護の脳内をよそに、添えられた小さな手が淡い光を放ち始める。――回復の、神詠術。
(……そ、そうか、やべえ……!)
この世界には神詠術というものがある。その場で治療が可能だ。腹痛を理由に逃げるのは通用しない……!?
「あ、いや、えーと」
もうどうしたもんか、とうろたえる流護。
「どうですか? お腹の調子は」
「えー……はい、良好で」
治療術を施されてしまっては、言い訳もできない。これ以上大根みたいな演技を続けても怪しさが倍増するだけだろう。
クレアリアはどこか寂しそうに目を伏せて呟く。聞こえるか聞こえないか。そんな声音で。
「……三人とも、何を隠しているのやら」
流護は思わず背筋をヒヤッとさせた。
クレアリアは回復の手を止め、硬直する少年から離れる。
「……何でも構いませんが。通信について、使えるように努力はしてくださいね」
クレアリアはかすかな微笑みすらたたえて静かに言うと、一人、学生棟へ向かって歩いていってしまった。
「……クレア」
「クレアちゃん……」
立ち尽くすベルグレッテと、投げられて横になったままのミアが、その後ろ姿を見送る。
「………………」
流護も、どことなく寂しそうなその後ろ姿を見つめた。
……少し前から、気になってはいたことだ。
流護としても、クレアリアに真実を隠していることに、少なからず引け目を感じていた。
そこへきて今のやり取り。明らかに不自然だった流護たち三人を見て、クレアリアが何も気付かないはずはない。
まるで自分だけ隠しごとをされて、のけ者にされているようにすら感じたのではないだろうか。傷ついてしまったのではないだろうか。しっかりしているようでいて、まだ十四歳の女の子なのだ。
「通信を覚えろ」としつこいのも、何も嫌がらせで言っている訳ではない。むしろ、流護の身を案じてのことだろう。クレアリアは当初から、流護が遊撃兵となることについて心配してくれていた。はっきりと言葉や態度には出さずとも。
とんでもなく不器用で……けど、素直すぎるというか、むしろ素直になれないというか――
何というか、率直にいい子なのだ。
「なぁ、ベル子。クレアに本当のこと話すの、やっぱまずいかな……?」
「う、うーん……」
ベルグレッテは困ったように唸る。
しかし、それが答えだ。生まれてこのかたずっと一緒にいるだろう姉でも、『大丈夫』とは断言できないのだと。
「でもさ。なんだかクレアちゃんに意地悪してるみたいで、ちょっとやだな……」
ミアも同じ思いのようだ。
三人は何となく沈んだ気持ちを抱えたまま、クレアリアの入っていった夕暮れの学生棟を眺めるのだった。