11. 『蒼流舞』
「うーし、今日もお疲れさん!」
夕方。いつものように仕事を終え、ローマンから日当を受け取る。
「次は三日後だな。またヨロシクな!」
「え? 三日後?」
「おおそうか。記憶がねえんだから知らねえわな、リューゴは。明日はイシュ・マーニの安息日、明後日はインベレヌスの安息日。学院も休みだ。そんなワケでゆっくり休んでくれやな!」
「あ、そう……なんすか。……分かりました。お疲れでした」
流護にしてみれば、突然降って湧いたような休日だった。とはいえ休みはありがたい。
何をして過ごそうか……でも漫画もゲームもないんだよな、などと考えながら作業場を出ると、周囲の景色が赤一色に染め上げられていた。
空を仰げば、先日のようなうろこ雲に覆われた――どこか薄気味悪い夕焼け空。
「ファーヴナールの年……か。いやな空ね。インベレヌスの領域を、ファーヴナールが侵食してるみたい」
謡うように言って流護のほうへ歩いてきたのは、ベルグレッテだった。
そういえば今日、ベル子に会うのはこれが初めてだな……なんてことを流護は思う。
「今日もお疲れさま、リューゴ」
「おう……ベル子こそお疲れ。しっかしファーヴナールの年? だっけ。雲やら夕陽やらがすっげえことになってるよな」
「ゆうひ?」
「あ、そっか。『夕陽』は俺らの世界の言葉になるん――」
――現代日本からやってきた少年は、そこで何か引っ掛かりを感じた。
「そうなんだ。……んっ? どうかした? 立ち話もなんだし、行きましょ」
「お、おう」
促されるまま、二人は並んで歩き出す。
そうだ。それよりも、ミアによれば今日はベルグレッテの様子がおかしいとのことだった。流護はちらりとベルグレッテの横顔を見る。
「ん?」
あっさりと視線に気付いて顔を向けてくるベルグレッテ。
「あ、ああいやなんでも」
「リューゴも明日、明後日は休みよね。どうするの?」
「どうするってもなー。どうすっかな。ベル子は?」
「うーん……休日になると実家へ戻る人も多いんだけど、私は今回どうしようかな……」
手を後ろに組んで空を眺めながら、少女は呟くように言う。
……何だろう。様子がおかしいというより、元気がないように思えた。
「なあベル子。何かあったのか?」
率直に訊いてみた。回りくどいのは流護の性に合わないのだ。
「ん? 別に、なにもないけど……」
「ミアが心配してたぞ。ベルちゃんの様子がおかしいー、って」
「は、はは……、そっか。あの子、ほんっと鋭いなあ……」
観念したように、少女は弱気な笑みを見せる。
「――ね、リューゴ。こないだのあれ、まだ有効かな?」
優雅な動作で、くるりと流護のほうへ向き直るベルグレッテ。
そのまま、自然と二人の足が止まった。
「こないだのアレ……?」
「えーと……リューゴがここに来た次の日の朝、言ってくれたこと。『ベル子、なんでも言ってくれ。お前のためなら、なんでもする』……ってやつ」
どくん、と。
流護は、自分の心臓が跳ね上がったのを自覚した。
つい勢いで言ってしまったセリフ。
それをベルグレッテが覚えていて、恥ずかしそうな表情で口にしている――
「えええーとそうだな、まあ。ベル子にはすげえ世話になってるし……うん。な、なんでもするぞ」
「――わかった。じゃあ、ひとつだけ……お願い。すごく、自分勝手なお願いするね」
そう言いながら、少女はそのまま三、四歩と先を歩く。
くるりと振り向き、何かを覚悟したようにベルグレッテは――凛とした瞳を、流護へと向けた。
流護は思わずごくりと唾を飲み込む。
ベルグレッテは懐から短剣を取り出した。
「リューゴ。あなたに、決闘を申し込む」
短剣の切っ先を流護へと向け、毅然とした声で少女騎士が告げる。
「……、……は?」
流護はつい間の抜けた声を出してしまった。
無理もない。女の子が「じゃあひとつだけお願いしちゃおうかな」などと言ってきて、まさか「決闘を申し込む」などと続くとは思うまい。
「リューゴに、『自分はこの世界の人間じゃないから気にするな』って言われて。頭では、納得してたつもりだった。でも、あなたと決闘したエドヴィンを見て……負けたのにあんな笑顔のエドヴィン、見たことなくて」
ベルグレッテは少し、悲しそうな笑顔を見せて。
「私って、ダメな子だなぁ……騎士の家に生まれたから、誇りばっかり一丁前で。私、くやしい。リューゴの強さが、妬ましい。でもエドヴィンみたいに、リューゴと闘ったら……全力で闘ったら、悔いも残さずに笑えるのかなって――」
騎士の家系に生まれた少女。ロイヤルガードとしての、騎士としての自分に誇りを持つ少女。剣を磨き、神詠術を学び、弛まぬ努力を重ねる少女。
しかしそれは、そうでもしなければ『強さ』を手に入れられないということの裏返しでもある。
そこへ現れた、『異世界の少年』。その拳で敵を打ち砕く存在。子供の頃ならば、きっと憧れた。伝説の勇者様だと。
しかし、現実を知った少女には遅すぎた。認められなかった。努力して身につけた力を易々と凌駕する『勇者様』など、今さら認める訳にはいかなかった。
――だけど。そんなごちゃごちゃした気持ちとか。
あなたなら全部、吹き飛ばしてくれるのかなって。
「だめ、かな……?」
決闘を申し込んでいるとは思えないほど弱気な……泣き笑いのような表情で、小首を傾げる少女。
おそらくは、ベルグレッテのことだ。断れば、大人しく剣を収めるだろう。
流護は、無言で――右の拳を突き出した。
驚いたような顔を見せるベルグレッテに、
「……なんでもするって言ったろ?」
流護は応える。
「――うんっ」
直視できないほど愛らしい笑顔だった。流護は思わず目を逸らす。
これから闘うんだよなこれ。デートするの間違いじゃないよな。
カッコつけて拳を突き出してはみたが、これどうす――
「おっふたーりさんっ! ミアも仲間に入れて……ぇ、ええええぇぇぇええ!? なにっ、なにしてんだよおおおぉぉおおっ!?」
スキップしながら寄ってきたミアが、右腕を掲げ合う二人――決闘の合図を見て、力の限り叫んだ。
「え、ちょ、なに!? ほんとどうしたの? 痴情のもつれ?」
おろおろと交互に二人の顔を見る。
「え、えーとだな……」
流護もどう説明しようか迷ってしまう。……と、ミアの絶叫に釣られたのか、次第に人が集まってきた。
「なんの騒ぎ……、あれ、ベル?」
「って決闘? な、なんで?」
「あいつ、エドヴィンとやったヤツだよな……」
「あんの騒ぎだよこりゃ……、ってベルとアリウミ? な、何してんだオイ」
「……決闘?」
エドヴィンやレノーレ、ダイゴス、他のクラスメイトたちも続々と集まってくる。
「……、えっとベル子。やるの?」
「うんと……お、お願いします」
「そ、そうか」
「じゃ……じゃあ、いくね」
「お、おう」
短剣を鞘に収め、くるりと回して左手に持つベルグレッテ。次いで、水の剣を右手に召喚する。
それだけで、ギャラリーから歓声が上がった。
「ベルグレッテ・フィズ・ガーティルード――推して参ります!」
凛とした宣言に、歓声が熱狂へと変わる。
「うおおおおおおおぉぉベルちゃんかっけええええぇっぇ!」
おいミア。ついさっきまで動揺してたのに真っ先にノッてんのかよ。
流護は思わず心の中で突っ込みを入れてしまった。
それにしてもすごい歓声だ。それだけ、ベルグレッテが皆に慕われているのだと分かる。
完全アウェイ、しかも相手が何の恨みもないどころか世話になっているベルグレッテとあって、流護としてはこの上なくやりづらい状況だ。
「――はっ!」
水流がベルグレッテを取り巻く――と同時に、その中からいくつかの水弾が発射される。流護は地を這うような低い姿勢を取り、水弾を潜り抜けながら一気に突っ込んだ。
瞬く間に距離を縮め、ベルグレッテの目前へと到達する。
「!」
しかし驚いたのは流護だった。
流護の動きを読んでいたようにベルグレッテは自ら踏み込み、水の白刃を振り下ろす。
袈裟懸けの一撃を流護は上半身のみ仰け反らせるスウェーで躱し、その隙を突――、けなかった。
ベルグレッテが左手に持つ鞘へ収めたままの短剣が、隙をフォローするように真横の軌道を描く。さらにその隙を埋めるように、翻した右の水剣が宙を薙ぐ。
――二刀流。これがベルグレッテの本領なのだと、流護は理解する。
煌く水を纏い、次々に繰り出される双つの剣閃。それはまるで舞踏だった。
「ぁあぁベルちゃんかっこいい……抱いて……、ってエドヴィンも見とれてんの? このスケベ」
しかしそんなミアの罵倒に反応することなく、エドヴィンは呆然と呟く。
「……、ベルがすげーのは言うまでもねぇ。けどよ」
空を斬る双刃の音が、絶え間なく響く。
そう、『空を斬る音』が。
「なんッで当たらねーんだよ、アリウミ……ッ!」
小型の竜巻と形容して問題ないその連撃を、流護は紙一重で躱していく。躱しながら、少しずつ間合いを詰めていく。
「――届くぞ」
ダイゴスが低く呻いた。エドヴィンとミアが、同時に息をのむ。
剣撃の嵐を潜り抜け、流護は拳が届く間合いに到達しようとしていた。
ざんっ――と。流護が深く、大きく踏み込む。
触れれば届く間合い。
全ての連撃を躱しきった流護は、完全に『台風の目』へと入り込んだ。
誰もが思ったはずだった。終わったと。
刹那。
「――水よ――我に力を!」
ベルグレッテの声に応え、ごばあっ――と、それが現界する。
「――!」
流護の真横に、その身長よりも大きい水流が現れていた。
まるで――獲物を呑み込まんとする、巨大な水の大蛇。
ここで流護は初めて気がついた。自分が、『詠唱』というものを勘違いしていたことに。
強力な神詠術ほど長い詠唱が必要となることは、エドヴィンとの闘いで聞いていた。そして、『詠唱している間は無防備になる』のだと思っていた。
事実、エドヴィンは隙を作らないよう決闘開始前にスキャッターボムの詠唱を終えていたし、間合いを詰められそうになったときは火球で牽制もした。
だからこそ流護はベルグレッテに詠唱の隙を与えないよう、一気に接近した。
接近されてしまったベルグレッテは止むを得ず、せめて流護の間合いに入らないよう応戦しているかに見えた。
しかし、違う。
流護が踏み込んできた瞬間に、この術を見舞うため。
あれだけの連撃を仕掛けると同時に、詠唱を実行していたのだ。
水が、爆ぜた。
銀色に煌く水の双牙が、横合いから流護へと喰らいつく。
水とは思えない、爆撃じみた轟音が鳴り響いた。
「うっおおっおおおベルちゃんの『アクアストーム』だああぁぁ!」
テンションの振り切れたミアが飛び跳ねる。
「ベルのヤツ、攻撃しながら詠唱してたってのかよ……、いつの間にそんな高等技術を」
エドヴィンの声に、「ベルは努力家じゃしの」と返すダイゴス。
まさかの大逆転劇。完全決着だった。
それで、流護が倒れていれば。
ベルグレッテ渾身のアクアストームを、空手家は全力で踏ん張り、左腕一本で防ぎきっていた。獲物を噛み砕けなかった水蛇は、無数の雫となって周囲に降り注ぐ。
ずぶ濡れになった少年は、目の前の詠術士に微笑みかける。
「――ッッ、こりゃすっげえなオイ。効いたぜ」
彼女も優しく、微笑み返す。
――だから。効いた、程度で済まされちゃ、自信なくしちゃうんだってば――
優しく、ダンスへ誘うように。流護はベルグレッテの手を取り、軽くその足を払う。
華奢な見た目に違わず、少女の身体は軽かった。
ぐるりと空中を一回転したベルグレッテは、そのまま優しく大地に横たえられた。
「決着、でいいか?」
「……まだ負けてないって言ったら、どうするの?」
「んじゃトドメな」
こつん、と流護はベルグレッテの額を指で弾く。デコピンだった。
「お、おお、お……」
ミアがわなわなしていた。
「ベルちゃんのアクアストームはなー、完全武装したデブだって吹っ飛ばすんだぞー! このおー!」
なぜか半泣きで流護を指差してくる。
「いや何だよ完全武装したデブって……」
ミアに視線を向けると、隣にいるダイゴスが視界に入る。彼はやはり、「ニィ……」と不敵な笑みを返してくるだけだった。
「ベル子、ほれ」
横たわるベルグレッテに、流護は手を差し伸べる。
「うん」
しかし返事をしつつも、彼女は倒れたまま動こうとしない。
「はぁ……、やっぱり、負けちゃったな」
紅に染まる空を見つめながら、誇り高き少女騎士は呟く。負けを受け入れた騎士は、どのような心境なのだろうか。
「……、」
小さな吐息のようなものが、流護の耳へ届いた。
「お、おいベル子。大丈夫か? どっか痛めたのか?」
「……、っ」
少女は答えない。
「……っ、っく……、ぅっ……」
ベルグレッテは、きれいな顔を涙でぐしゃぐしゃにして。
「ぁう……くやしいよぉ……、ばかぁ……」
子供のように純粋な。どうにかなってしまいそうほど、愛らしい泣き顔で。
ずきり、と。流護は……胸の奥に、痛みを感じた気がした。
「アアアァァリウミリュウウウゥゥゴオオォォ!」
エドヴィンが吼えた。その身体が、猛り狂う炎に包まれる。
「リューゴくんサイテー! ベルちゃん泣かすとかなにしてんじゃああらっしゃああああぁぁぁぁ!」
バチッ、とミアの周囲に火花が散る。
「おい、あいつ……ベル泣かしやがったぞ」
「野郎……」
「女の敵っ……」
ギャラリーたちもざわざわと色めき立つ。生徒たちから、水、風、雷……様々な属性の気配が立ち上る。
「え……、いや、ちょっと待ってくれ」
流護が一歩、後ずさる。
それが合図だった。
「死んで詫びろやあああぁテメェエエエェエエェェッ!」
「ベルちゃんのカタキいいいぃぃ!」
「仕留めろーッ!」
「炎、水、雷、風! 属性で四方から囲めッ!」
「レインディール王国のために!」
「おい、ちょっとケツ出せよ」
「生かして帰すな! 増援を呼べエエェェェッ!」
ギャラリーが一丸となって流護に襲いかかってきた。
「ちょっとまてえええええぇえぇええぇ」
少年は迷わず逃げ出した。
流護を追いかけて走っていくクラスメイトたち。
「……もう、みんな、なにして……っ、ぁう、なんで泣くかな、私……恥ずかしぃ……」
倒れたまま腕で顔を覆い、鼻をすするベルグレッテ。
「……ベル、元気出して」
抹殺に参加せず、無表情のままベルグレッテに声をかけるレノーレ。
「……っ、ん、だいじょうぶ……ありがと……」
そんな様子を見守るダイゴスは、まるで子供の成長を喜ぶパパさんのように、腕組みをして頷いているのだった。