109. 探り合う
「……っ!」
リーフィアは歯噛みする思いで、その攻防を見つめていた。
クレアリアの長剣から繰り出される精妙な刺突。身を捻って躱したブランダルに、横からベルグレッテの水剣が迫る。男は唸らせた炎で斬撃を防ぐと同時、風の術を発動させてその火の粉を吹き散らした。
「っく!」
「チッ……!」
風に乗って飛び散る炎の前に、二人は後退を余儀なくされる。
(これも……)
ブランダルはベルグレッテに狙いを定め、その両手に炎の長剣を握り締めて肉薄する。油断なく構えた彼女が迎え撃つ。
ベルグレッテはどれほどの鍛練を積んでいるのか、その剣技はリーフィアが以前見たときよりも遥かに鋭く冴え渡っていた。
ブランダルもかなりのものだが、ベルグレッテにはわずかに及んでいない。
少女騎士は左の水剣で男の炎剣を華麗にいなし――返す刀で、右の一閃を叩き下ろす。
「ぐおっ!」
肩口から斜めに一撃が決まる。
鮮血を吹き上げながらぐらついたブランダルへ、すかさずベルグレッテが追撃をかけるべく迫る――が。
男は素早く炎の盾を創出し、水の連撃を受け止める。防ぎ、防御に徹しながら笑う。
「フ……今のは危なかったな」
そして不敵に笑うブランダルの、傷。袈裟掛けに斬られた肩口の出血が、少しずつ止まっていく。直接手を当てるより速度は劣っているが、炎の盾で亀のように防御を固めながら、徐々に傷を回復させている。
おそらくは、あの直撃したアクアストームのダメージもすでに回復しているだろう。
(……これもっ……!)
そして――回復しきったのか、男は炎の盾を左手へ顕現し直し、右手には風の剣を生み出した。
風使いであるリーフィアならば何となく感覚で分かるものの、『風の剣』などというものは刃渡りから何から、目視することが不可能に等しい。
ブランダルは遠距離から放たれたクレアリアの水槍を炎の盾で蒸発させ、見えない風の剣でベルグレッテへ横薙ぎを放つ。
不可視の一撃を辛うじて防いだ少女騎士だったが、風の勢いに負け、そのまま五マイレ近くも吹き飛ばされた。それでも倒れず、膝をついて顔を上げる。
(これも、そうっ……!)
リーフィアは歯を食いしばった。
自分で生み出した炎を、自分で喚び出した風で散らす。炎の盾で防御しながら傷を癒す。両手にそれぞれ、属性の異なる剣と盾を作り出す――。
全てが、ありえない。
ブランダルという男は、通常ではありえない神詠術の使い方を駆使して、ベルグレッテたちを追い詰めていた。
『複数の属性を扱う』。これは武装馬車を襲撃した時点でも見せていた技だが、この戦闘で先ほどから見せている、もう一つの離れ業があった。
つい今しがた直撃したベルグレッテの袈裟斬りのように、本来ならば勝利が決しているほどの攻撃もすでに何度となく決まっている。しかしその都度、ブランダルは攻撃と回復の神詠術を同時に駆使して持ち直してしまうのだ。
本来ならば、同属性であってもそのような真似は不可能。
例えばベルグレッテでも、水の剣で応戦すると同時に傷を回復させるといったことはできない。水剣を振りながら水の弾を飛ばすといったような、同じ『攻撃』の術であれば修業次第で可能となるが、水剣などの『攻撃』と、傷を癒す『回復』という、相反する二つの術を同時に扱うことは不可能だとされていた。
攻撃と回復では、術の性質が違いすぎるためだ。
クレアリアが身体強化と完全自律防御を両立できないのも同じ理屈となる。
神詠術を使う場合、攻撃なら攻撃、回復なら回復といったように、一つの種別に集中して魂心力を練る必要があるのだ――と、リーフィアは教本の内容を思い出していた。
感覚としては、読書に集中しながら他の作業にも集中する、といったことができないのに近い。
それこそ有り余るほどの魂心力を持つ『ペンタ』ならば――そもそも詠唱を必要としない者たちならば、異なる種別の同時発動を可能とする者もいるかもしれないが、通常ではまず不可能だ。
しかしブランダルは『魂心力の宿った部位』を奪ったことによってか、それを可能としている。
この男を倒すならば――回復の余地を与えないほどの、強力無比な一撃。一撃必倒。それしかない。
「……、」
風の少女は、ベルグレッテへすがるような視線を向ける。
アクアストームによってぬかるんだ大地を駆けながら、泥だらけになりながら、少女騎士は果敢に水の剣を繰り出す。敵の炎を躱す。敵の風を凌ぐ。その勇士、なんと勇ましく美しいことか。
彼女は決してブランダルに劣ってなどいない。むしろ詠術士としては上回っているだろう。しかし、敵が誇る無尽蔵の魂心力と複数属性に――借り物の力に圧されていく。
――強力無比な一撃。
リーフィアは実際に目にしたことはないが、ベルグレッテは伝説の大剣グラム・リジルを模した凄まじい術を使えると聞いていた。それが決まれば、一撃で倒せるかもしれない。
が、ここで問題となるのは、ブランダルが『ペンタ』であるオプトの力を持っているという点である。
谷での戦闘にてリーフィアも目撃している。アクアストームを吸収し、そのまま撃ち返すという大技。
仮に水の大剣で斬りつけて、それを吸収され、逆に大剣で攻撃されてしまったら――。
あの『吸収』という特異な技が、どの程度まで神詠術を吸収することができるのか。大剣を吸収しきれるのか、不可能なのか。
賭けに出るには、あまりに危険すぎる。
だからこそ、ベルグレッテも使う素振りを見せないのだろう。
――なにか。なにか、できることは……!
リーフィアは思わず周囲を見渡す。
どんよりと雲に覆われた空に、開けた空き地。術を尽くし、ぶつかり合う三人の詠術士。
使えそうなものなど、都合よく転がっているはずもない。
――誰か、助けを呼ぼうか?
しかし自分は、通信の術すら使えない。
本当にただ、制御のおぼつかない神詠術を垂れ流すことしかできない。術に関する知識だって、教本に載っている基礎的なことしか知らない。先ほどアクアストームに対してクレアリアが実践してみせた、護符に関する知識もなかった。
(わたし……わたしには……っ)
リーフィアも普段学院へ行かない代わりに、講師から戦闘についての講義を受けてはいる。が、所詮そんなものは教本上の知識でしかない。
全力で風を叩きつければ、横槍を入れることはできるだろう。
しかし、今の三人は接近戦を主にしている。ブランダルに当たらないだけならまだしも、ベルグレッテたちを巻き込んでしまいかねない。
――幼い頃、友人を吹き飛ばしてしまったように。
怖い。ただ、怖い。
悪漢に立ち向かうことが。友人を傷つけてしまうかもしれないことが。
「う、ううっ……」
下手に手は出せない。逆転できる何かなんて、都合よく転がっていない。二人が勝利してくれることを、願うしかない……。
風の少女は諦念と共に、そう結論する。
ブランダルは幾度となく剣撃をもらったことで、ベルグレッテとの接近戦を嫌い始めていた。
風を巧みに操り、ベルグレッテを吹き飛ばすと同時、自分も後ろへ飛んで間合いを遠ざける。
間合いの離れたところへ、クレアリアの水の槍が飛来する。それを躱す。そんなやり取りが数度続いた。
息も荒くなってきたガーティルード姉妹に、余裕の笑みすら滲ませるブランダル。
「ククッ……よく持ち堪えているとは思うが、そのままでは私を倒すことなど出来んぞ? 一つ、大技にでも賭けてみてはどうかな?」
リーフィアにも分かるほどの、あからさまな挑発。
大きな技を出させ、それを『吸収』しようと目論んでいる。ベルグレッテたちが時間と労力をかけて編み出した神詠術を吸収し、そのまま叩き返すつもりなのだ。
信仰篤い彼女らに、最も屈辱的な敗北を突きつけようとしている。
が、
「……できるのかしら」
ベルグレッテは静かな声で問いかけた。
「何?」
ブランダルが眉根を寄せる。
「あなたは……オプトの能力を、使いこなせていない」
「……ほう。何故、そう思うのだね?」
「あなたがオプトの力を完全に使いこなせるのなら、わたしたちでは戦闘が成立しないはず」
離れた位置に立つクレアリアが、ドレスの裾を絞りながら「そうですねえ」と同意した。
「そもそも私たちが『襲撃者』から逃げていたのは、相手をオプトだと思っていたからです。恥ずかしながら、オプト相手では勝ち目がありませんので。しかしいざ追いつかれ、腹を括ってみれば、出てきたのは外国産の粗悪な白豚でした。さらには彼女の力を持っているはずなのに、どうもパッとしない」
「フ……おかしなことを言う。そのパッとしない私が、オプトを殺している。つまり彼女より強い訳なのだが――その部分についはどう考えるのかね?」
「神に選ばれし『ペンタ』とはいえ、人の子です。友好を装って背後からいきなり刺せば、楽に殺せるのではないですか?」
「……例の『気分の悪さ』も感じないものね」
言葉を投げかけ、姉妹は油断のない視線を敵に送っている。
ブランダルの余裕げな表情に変化はない。
――これは、一種のカマかけだ。
ブランダルが本当に、『ペンタ』の力を使いこなせているのかどうか。
最後にベルグレッテが言った、『気分の悪さ』。
リーフィアも風の噂で聞いていた。
この春に学院で行われた模擬戦の話。オプトが学院の生徒四名と闘い、あっさりとねじ伏せてしまったという武勇伝。
そのとき、対峙した生徒らは全員が気分の悪さを感じていたのだという。
しかし、今この場にいるリーフィアにもそのようなものは感じられない。谷での襲撃のときにも、そんな感覚はなかった。
詳細は不明だが、それがオプトの能力によるものだとしたら、ブランダルはなぜそれを使わないのか。『使わない』のではなく、『使えない』のではないか。
とすれば、相手の神詠術を吸収して撃ち返すという技も、完全には使いこなせていないのではないか。超威力の一撃なら、この男は吸収しきれないのではないか。倒せるのではないか――。
無論ブランダルがあえて力を隠し、『使えない』と見せかけている可能性もある。
だからこその、この探り合い。
(…………、)
リーフィアには、何も読み取れそうにない。姉妹騎士は、どう結論するのだろうか。
「まあ、すぐにボロが出るでしょう」
クレアリアのそんな呟きが合図だったかのように、接近戦を挑むべくブランダルへ走り寄るベルグレッテ。
風を駆使して、間合いを取るブランダル。
先ほどまでと同じ攻防――ではなかった。
後ろへ跳んだブランダルに対し、横からクレアリアが走り込んでいた。反応して振り向く男に向かい、彼女はぬかるんだ地面を蹴り上げる。
「ッ!?」
泥が跳ね、ブランダルは反射的に顔を庇い――
「ぐああぁぁっ!?」
直後、絶叫が響き渡った。
クレアリアの突き出した、銀色の長剣。その切っ先が、ブランダルの左肩口へと鋭く突き刺さっていた。
「……ッ、ぐう……っ!」
肩口に刺さった剣を掴んで押さえ、苦悶の表情を浮かべる。
「――あら惜しい。もう少しで、心臓を一突きでしたのに」
剣を突き刺したまま、クレアリアが冷たく嘲笑する。
「姉様の剣技から逃げ腰になったうえ、あっさりとこんな手に引っ掛かるような三流が……大技を出してみせろ、と? ――身の程を知れ、豚」
右腕に力を込め、容赦なく剣をねじ込もうとするクレアリア。
ブランダルは身体強化を使ったのか、剣はそれ以上刺さらず、剣を掴むその手からも血は流れない。呻きながらも、皮肉げな笑みを浮かべる。
「フ、フ……神詠術で及ぶことができず、こんな鉄屑でようやく私に一撃浴びせることができた訳だ。野蛮な手口の方が向いてるようじゃないか、蛮族のお嬢さん」
「ふふ、ムキになって言い返して。随分と矜持を傷つけられたようですね。そんなことでは、先が思いやられますよ? ――この程度で、済ませはしませんので」
そこでブランダルは気付く。
離れた位置にいるベルグレッテが、術を詠唱していることに。
そうして、唸りを上げて顕現するは――白銀の大蛇。アクアストーム。
詠唱に時間をかけて増幅の術を付与したのか、現れた激流の蛇は、先のものより一回りも大きい。
「…………!」
遠目にも分かるほどに男が目を剥いた。
先のように、クレアリアごと飲み込むつもりで向き直る、膨大な水の蛇。その渦巻く奔流は、もはや小型の竜と形容して問題ない。
狼狽も露わに舌打ちをするブランダル。
そこへ、銀剣を押し込むクレアリアが冷徹に言い放つ。
「――流れろ。糞便にも劣る低俗な汚物が」
ブランダルは、ギョロリと血走った眼を眼前の少女へと向けた。
「粋が、るなよ……小娘がアアァァッ!」
バヂンと火花が散った。
ボンッ、という派手な音と同時、クレアリアとブランダルの双方から白い煙が立ち上る。
「……、……!」
「がっ……!」
ぐらりと傾くクレアリアと、呻きを発するブランダル。リーフィアとベルグレッテは目を見開いた。
「ひっ……」
「クレア……!」
――雷の神詠術。
ブランダルは水浸しになって以降、雷と氷の神詠術を使っていなかった。
自身も水に濡れているからだ。敵へ向けて放った術であっても、制御を離れた力によって自爆する可能性があった。
雷ならば水を介した感電。氷ならば自身に付着した水分の凝固。
ひとたび制御を離れてしまえば、護符も意味を成さない。事実、たった今ブランダルが放った雷の術は、彼自身をも焼いていた。
「ぐ、ぬああぁぁっ!」
ブランダルは右腕を振って風の術を発動させ、倒れかけていたクレアリアを吹き飛ばす。
彼女は放物線を描き、五マイレもの距離を飛んだ。
「クレアさんっ!」
咄嗟に、ほとんど反射的にリーフィアは走る。クレアリアの落下地点に風を渦巻かせ、何とか彼女を受け止めることに成功した。
「クレアさん、クレアさんっ……」
「……ぅ」
クレアリアはかすかな呻き声を漏らす。
もう、限界なのだ。
ブランダルが放った雷の術に対して、クレアリアの自律防御は発動しなかった。すでに、魂心力は尽きかけている。
「ぐ……!」
左肩に長剣を生やしたまま、ブランダルがベルグレッテへと向き直れば――
「、ッ、おおぉっ!?」
今まさに男の目前へと迫っていた銀色の濁流が、牙を剥いて食らいつこうとする瞬間だった。