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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
4. レインディール・スペキュレーション
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107. 実現した男

 大気灼いて襲い来る赤の濁流を、水の術者は渦巻く奔流で受け止める。

 拮抗する炎と水。

 爆発するかのような蒸気と共に、押し負けたベルグレッテが大きく後退した。


「……っく!」


 編み上げブーツの底をガリガリと削りながらも、少女騎士は倒れずに踏みとどまる。

 追撃へ移ろうと身構えるローブ姿の襲撃者に対し、真横から水の散弾が襲いかかった。

 襲撃者はまるでガーティルード姉妹がそうするように、渦巻く水流を顕現させる。川面に落ちる雨さながら、散弾は波紋を残して飲み込まれてしまう。


「……嫌味ったらしいことで」


 水弾を防がれたクレアリアは、自分たちの技に似た防御術を見て憎々しげに呟いた。


「……っ」


 離れた位置で戦闘を見守っていたリーフィアは、ただただ息をのんで立ち尽くしていた。

 自分を狙っていると思われる敵。当然のように複数の属性を使いこなす、得体の知れない敵。『ペンタ』のオプトかと思われたが、それも否定された。


 リーフィアも、ベルグレッテとクレアリアの実力はよく知っている。見習いでありながら、二人揃えば一流の騎士にだって引けは取らない。

 しかし――この敵も、強い。信じられないことに、二対一で劣勢に追い込まれている。

 このままでは、二人は負けてしまうかもしれない。彼女たちは、自分を守るために闘ってくれているのに。


 自分にできることはないのか。加勢しようにも、リーフィアは『ペンタ』であるとはいえ、ただの素人だ。風を思い切り敵にぶつけることができれば戦局も有利になるかもしれないが、ベルグレッテたちを巻き込んでしまう可能性のほうが高い。

 目の前で戦闘を繰り広げる三人の熟達した動きを見る限り、合間を縫って敵だけに上手く攻撃を当てることなど、とてもではないができそうになかった。


(……どうして、わたし……)


 護符ルーンと呼ばれるものがある。

 自分が神詠術オラクルを行使した際、身につけているものを術から守るためのものだ。

 仲がいい女子同士の場合、この護符ルーンを互いに交換し合って身につけていることも多い。それこそベルグレッテたちやミアは、実際にそうしている。

 そうすることで、互いの術による衣服などの損傷を気にする必要がなくなり、共闘もしやすくなるのだが――。


 リーフィアは、誰とも護符ルーンの交換をしていない。『ペンタ』は、他者との護符ルーンの交換を禁じられている。

 もし彼女がベルグレッテたちと護符ルーンの交換をしていれば、今この状況で、つたなくとも補佐をすることもできたはずだった。


(……どうしてわたし、『ペンタ』なんかに生まれたのっ……)


 こんなところでも『ペンタ』は悪い意味で特別だ、とリーフィアは内心で悲嘆に暮れた。


 少女が自己嫌悪する間にも数度の攻防を交え、ガーティルード姉妹とローブ姿の刺客は互いに大きく間合いを取る。


「そろそろその薄汚いローブを取って、姿を明かしてもらいましょうか」


 銀色の長剣を右手に構え、左手をぐっと握りしめ、クレアリアが低く身を落とす。

 リーフィアでも分かった。神詠術オラクルを使わずに、接近戦で挑むつもりだ。この敵を相手に、得策とは思えないが――


 クレアリアは少し離れた位置で身構えるベルグレッテにちらりと視線を送り、わずかに頷き合う――と同時、刺客に向かって走り込む。


「!」


 襲撃者がわずかに狼狽する気配。

 約八マイレはあった敵との距離を瞬く間に詰めたクレアリアは、銀の剣先を鋭く突き出す。敵は辛うじて顔を捻り躱すが、なびいたローブがかすかに裂かれ、布の切れ端を散らした。

 なおも繰り出される鋭い突きの連撃に、相手は防戦一方となる。


(あ、身体強化……っ!)


 その速さでリーフィアも理解した。クレアリアは自身へ身体強化を施し、一気呵成に攻め立てていた。

 しかし彼女の技量の場合、身体強化の効果時間は約二十秒。

 敵も虚を突かれたことで避けに徹しているが、すぐにでも態勢を立て直して反撃に転じてくるはず。きっとこの優勢は十秒も続かない。


 リーフィアはちらりとベルグレッテのほうを見る。

 周囲にかすかな水流を纏わせながら、彼女は何らかの術を詠唱しているようだ。が、敵へ放つにしても、クレアリアが接近戦で張りついている。

 これではどんな技を使うにしろ、クレアリアを巻き込んでしまうことになる。いくら護符ルーンがあるとはいえ、生身の身体に術が当たってしまっては危険なのだ。

 それにクレアリアは身体強化へ魂心力プラルナを注いでいるため、自律防御を発動することもできない。


 しかし。


「水よ……我が意に、応えたまえ――!」


 ベルグレッテの呼びかけと同時、発現した。

 銀色に輝く大蛇。膨大なる水の奔流、アクアストーム。


「――え」


 風の少女は思わず声を漏らす。

 小さな水弾ですら、クレアさんに当たってしまいかねないのに……そんなもので攻撃したら、クレアさんごと――


 リーフィアが思う間もなく、解き放たれた大蛇が一直線に獲物へと躍りかかった。


「!?」


 迫り来る濁流に気付き、思わず退こうとするローブ姿。

 そこを、銀の光が遮る。

 退路を塞ぐ形で剣を薙いだクレアリアが、不敵に笑っていた。


 思わず足を止めた襲撃者と、笑みを見せるクレアリアは、同時に濁流へと飲み込まれた。


「グッ……!」


 フードの下から漏れるくぐもった呻き。アクアストームの直撃を喰らった襲撃者は、もんどりうって転がりながら吹き飛んだ。


「……っ!」


 爆裂したような水の嵐に、リーフィアは思わず顔を背けそうになる。

 あまりの水量によって、リーフィアの位置からでは背の小さいクレアリアの姿は見えなかった。

 ゴッと鈍い音が響き、老朽化していた街灯がくの字に曲がる。崩れかけていた煉瓦の塀が崩壊する。

 吹き飛んだ刺客は、転落防止用の柵を突き破り、空き地の縁から転落していった。


 周囲を思うままに蹂躙した大蛇が虚空へ消えると――


「……あ」


 水びたしになった空き地。

 濁流に飲まれる前と変わらぬ位置で、当然のように立っているクレアリアの姿があった。

 全身はずぶ濡れ。

 いつも頭の左側でまとめているサイドテールの髪型は、ベルグレッテと同じような背中へ流したロングになっていた。髪止めが吹き飛んだのだろう。

 彼女の身を包む豪奢な青色のドレスに至っては、ずぶ濡れどころか軽くボロボロに――


(……え?)


 リーフィアはそこで気がつく。

 アクアストームに巻き込まれたクレアリアが平然と立っていることもそうだが、護符ルーンを施しているはずの服が――服『だけ』が、どうしてこうもボロボロになっているのか。


「クレア、大丈夫?」


 走り寄ってくる姉に、妹は笑顔を返す。


「はい。しかしさすがは姉様の秘術ですね。『私自身が』直撃を受けてなくとも、この惨状です。夏以外には使いたくない手段ですね」


 そう言って、クレアリアは握りしめていた左手を開いてみせた。それを見たリーフィアは、思わず声を漏らす。


「あ……!」


 その手にあったのは、手製の小さなお守りのようなもの。――護符ルーン

 リーフィアの驚いた様子に、クレアリアは濡れた髪をかき上げながら微笑む。


「こうして直に護符ルーンを手にすれば、神詠術オラクルの威力を軽減することも可能です。もっとも、護符ルーンを剥ぎ取ってしまった服は術を受ければ当然こうなりますし、そもそも今の一撃ほどの技になると、私も身体強化を施したうえで吹き飛ばされないよう堪えるのが精一杯ですけど。身体も痛いですし。元は服のために作られた護符ルーンですから、無茶といえば無茶な手段です。属性が水なので、濡れねずみになってしまいますし」


 ……知らなかった。護符ルーンに、そんな効果があったなんて。

 リーフィアは驚くと同時に、恥ずかしい気持ちになった。そういった知識もないのに、何がミディール学院の五位なのか。ただ『ペンタ』というだけで無条件に上位へ位置づけされている自分が、嫌になりそうだった。


「……さて」


 濡れたドレスの裾をぎゅっと絞りながら、クレアリアは襲撃者が吹き飛んでいった方向を見やる。

 リーフィアは、押し流された襲撃者が空き地の縁から転落していくのを目撃していた。ここからでは、その姿は見えない。


「姉様の術が直撃した瞬間、何やら殿方の汚らしい悲鳴が漏れたようでしたが」


 そこでクレアリアの挑発に応えるかのごとく、人影が縁の下から飛び出した。

 ずぶ濡れとなったその人物は、危なげなく空き地へと降り立つ。


「…………?」


 その姿を見たクレアリアは、形のいい眉を八の字に寄せる。

 さすがにアクアストームの直撃は効いたのだろう。脇腹へ当てた右手に回復術の光を点しながら、三人のほうへと歩み寄るその人物。

 ローブが吹き飛び、素顔を晒け出していた。

 刈り上げた金髪に、白い肌。芸術の教本に乗っていそうな彫りの深い顔には、薄笑みが浮かんでいる。

 黒で統一された、どこかの騎士団が着用していそうな制服。全身ずぶ濡れとなったことで、その黒はより深く闇のように染まっていた。


「誰ですか、この男は」


 クレアリアは横に立つ姉を見上げる。ベルグレッテは敵を見据えたまま、首を軽く横に振った。

 まさにその言葉通り。リーフィアにも全く心当たりのない人物だった。


「思わせぶりにフードを被ってくるあたり、どんな顔が出てくるのかと思っていましたが……拍子抜けもいいところですね。そうそうミステリ書のようにはいかない――と、言いたいところではありますが」


 クレアリアはその切れ長の瞳を一層鋭くする。


「ま、どう考えてもテロを起こしている輩の仲間でしょうけど」


 双方の距離、約十マイレ。

 そこで立ち止まった男は、三人の少女へ仰々しく一礼してみせた。


「失礼。私はノルスタシオンが一人、ブランダルと申す者。挨拶が遅れたな。麗しきガーティルードの姉妹に、可憐なる風の『ペンタ』よ」

「! ……貴様は」


 その声を聞いて、クレアリアが目を見張った。


「クレア?」

「……リーフィアに屋敷へ戻るよう連絡があったと、私に報告してきた男。物々しい兜を被っていて、おかしいとは思いましたが……」

「フ。その節はどうも、お嬢さん。君があっさりと騙されてくれたおかげで、この状況を作り出すことができた訳だ」

「今さら挨拶とは……外国産の白豚は、礼の作法も知らないようで」


 その挑発にも、ブランダルと名乗った男の笑みは崩れない。


「フ。顔を見られてしまった以上、だんまりというのも気まずかろう? さて。この度、リーフィア・ウィンドフォール……君を迎えに参った。大人しくご同行願えれば、これ以上誰も傷つかずに済むのだが……」


 そんな言葉に、リーフィアはびくりと身を竦ませた。


「誰も傷つかない? ご冗談を。リーフィアが傷つきますので、却下です」


 流護と似たようなセリフで切り捨てて、クレアリアは敵を睨みつける。

 そこで、目を細めたベルグレッテがぽつりと呟いた。


「……そういう、こと。だから……オプトを殺したのね」

「!」


 その言葉に、クレアリアとリーフィアはハッとした。ブランダルは「ほう」と口元を丸くする。


「それも、ただ殺しただけじゃない。あなたは……オプトの魂心力プラルナを奪った。レドラックの件で明るみに出た、あの『魂心力プラルナの宿った部位を摘出する』という技術を使って」


 リーフィアも、学院に宿泊した際に聞いていた。

 連れ去られたミアを助けるという奪還劇の裏にあった、他人の魂心力プラルナを奪うことができるという恐るべき技術の存在。

 その話をしているときも、ベルグレッテは懸念していたのだ。

 いずれ、『ペンタ』の力を奪おうとする輩が出てくるのではないか、と。しかし、相手は強大な超越者である。それを実行できるような者が、おいそれと現れるはずはない――と、思われていた。


「そして……私は、思い違いをしてた」


 ベルグレッテは苦々しい表情で呟く。そんな現実など、あってほしくはなかったという口調で。


「人の魂心力プラルナを奪い、我がものとする技術。正確には違う。魂心力プラルナだけじゃなく――その者に授けられた属性、神詠術オラクルそのものをも奪ってしまう……悪魔の、所業……!」


 歯を食いしばるベルグレッテに、ブランダルは肩を震わせて笑った。


「気付いたか……聡明なお嬢さんだ」


 リーフィアは眩暈を起こしそうになった。

 つまり、自分が魂心力プラルナの宿るどこかの部位を奪われてしまった場合、奪った者は自分の魂心力プラルナだけでなく、風の力をも我がものとしてしまうということなのだ。


「だからあなたは……一人で複数の属性を扱うという、ありえないはずのことを可能にしている」


 ブランダルはハッハッと快活に笑った。


「ご名答。レドラックは神詠術オラクルの才能が皆無だったゆえ、魂心力プラルナを奪うことは出来ても、奪った術を行使することは出来なかった。当然だな。自分の術すら満足に扱えぬ者が、他人の術を使えようはずもない。魂心力プラルナだけが強くても駄目だという訳だ」


 男は顎の下に手を当て、思案するように続ける。


「しかし、興味深いとは思わんかね。つまるところ、神詠術オラクルというものは魂心力プラルナが宿っている部位単体で制御されているということになる。これの意味するところは――」

「――黙れ、下郎」


 鋭い声が遮った。

 ブランダルへ向けて剣の切っ先を突きつけたクレアリアが、その剣のように鋭い瞳で告げる。


「神から授けられし神詠術オラクルを、殺めて強引に奪い取るなど言語道断。畜生にも劣る所業。強欲な蛮族め……この場で斬り捨ててくれる」


 静かでありながらも苛烈な怒り。

 信仰篤いクレアリアからしてみれば、絶対に許せない行為であるのは明白だった。

 国によって考え方の違いこそあれど、レインディールの人間にとって、神詠術オラクルとは誇りだ。その誇りごと、命を奪うというその行為。


 ブランダルは面白そうに笑う。


「蛮族はどちらかな? 『神詠術オラクルは神に与えられた恩恵。だから深く踏み入ってはならない』。そんな信仰を盾に、そこで思考を停止し、研究をしようとしない。前進しようとしない。そんな時代遅れの思考こそ、蛮族のそれではないのかな?」

「黙りなさい白豚。それほどに研究がしたいなら、自国の『ペンタ』でも使って好きなだけやればいい。だというのに、他国へ押し入り他国の『ペンタ』に襲いかかる。それが蛮族でなくて何だと言うつもりですか?」

「信仰に凝り固まった連中に『ペンタ』など宝の持ち腐れ。聞けば、今のミディール学院には過去に例をみない五人もの『ペンタ』がいるという。国属と合わせたなら十三人だ。これはもはや、一国が抱える数を逸脱しているよ。神の手違いとしか思えんね。ならば地均じならしを兼ねて、それを我が国で有効活用してやろうというのだよ。狂信者のお嬢さん」


 クレアリアは、はぁ……と息をついて肩を竦めた。


「……私としたことが。異端の屑と、会話が成立するはずありませんのに」


 嘲るように口元を歪める不敬な男。濡れた前髪を指でピンと撥ねる敬虔な少女。


 同時だった。

 水対水。

 双方共に喋りながら詠唱を終えていたのだろう、全く同時に腕を振るい、強烈な水の散弾を解き放つ。

 飛沫が飛沫を相殺し、とても水によるものとは思えない、速射砲めいた破裂音が連続した。飛来したいくつかの鋭い水弾が、クレアリアの自律防御を吹き上げる。

 対するブランダルには、彼女の弾は一つも届かなかった。


「っ……!」


 押し負けたクレアリアは、憎々しげに男を睨みつける。

 悔しいはずだ。ブランダル本来の属性が何だかは分からないが、継ぎ足した魂心力プラルナに、借り物の神詠術オラクル

 そんなものに同じ水属性で圧倒されて、悔しくないはずがない。

 それでもクレアリアは諦めずに、長剣を構えてブランダルへ向かって駆け出した。同時、ベルグレッテも二振りの水剣を両手に喚び出し、素早く間合いを詰める。


 再び、三人の詠術士メイジが激突した。

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