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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
4. レインディール・スペキュレーション
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103. 暴の覚醒

 仕切り板から顔を覗かせれば、民衆たちは皆、遠巻きに美術館のほうを見やりながら次の動きを待っている。

 アルディア王が決闘に勝利し、武装馬車が美術館へと入っていった。

 さてどうなるのか。このままみすみす賊に逃げられてしまうのか、神詠術爆弾オラクルボムは大丈夫なのか、自分たちは助かるのか――

 というのが、皆の心境だろう。


 ケッシュもアルディア王にフェル・ダイの監視を命じられたときは動揺したが、今は落ち着きを取り戻している。

 武装馬車を運転していたのは、御者に紛したナスタディオ学院長だ。彼女が美術館内に入り込んでさえしまえば、こちらの勝ちはほぼ確定する。

 何のことはない。

 王は守りに入らず、攻めの姿勢で打って出たのだ。

 神詠術爆弾オラクルボムを仕掛けた本人であるジンディムを制圧してしまえば、そもそも解除の必要すらない。

 紙一重ではある。一歩でも間違えば、この場の全てが吹き飛んでしまいかねない綱渡り。しかしまさに、勇敢な武王こその選択といえる。


 ――のだが。

 ケッシュはテントに視線を移す。中には、運び込まれたフェル・ダイが拘束されて横たえられている。決闘で倒されて以降、そのまま眠り続けていた。

 人払いを済ませたテントの周辺には、ケッシュを含めた五名の兵士たちがいるのみ。

 そのテントも、五マイレほどの距離を置いて、仕切り板でぐるりと囲われている。その内側にいるケッシュたちは、四方からテントを包囲して見張りについていた。


「…………」


 さて、この状況で自分がフェル・ダイを監視する理由は何なのだろう。

 万に一つも神詠術爆弾オラクルボムが発動した場合、ケッシュには為す術などない。

 いや、ケッシュだけではない。周囲百マイレを吹き飛ばすというジンディムの爆弾。その言に偽りがなければ、『ペンタ』や上位クラスの怨魔とて、跡形もなく吹き飛ぶのは確実だ。

 神詠術爆弾オラクルボムというものは元々、戦争時に編み出された広域破壊用の神詠術オラクルである。

 だから、フェル・ダイをただ監視することには何の意味もない。

 ケッシュにはそう思えるのだが、アルディア王の命令だ。そこには必ず、何らかの意図があるはず。


 そう考えながらテントを見つめていたところで、同じく監視に当たっていた兵の一人が話しかけてきた。


「あ、あの……ケッシュさん。我々は、本当にただ見張ってるだけで良いんでしょうか……」


 その顔にはありありと不安が浮かんでいた。いつ炸裂するか分からない爆弾を見張っているのだから、無理もない。


「な、何とか解除はできないでしょうか」

「いや……危険だよ。予想される神詠術爆弾オラクルボムの威力からして……今この現場には、学院長以外に対処できる人はいない」


 神詠術爆弾オラクルボムはその名の通り、実物の爆弾に似た性質を持つ。

 解除の際には、施された術の構成を一つ一つ切り離して消滅させていくのだが、高度な爆弾になるほど構成が複雑に絡み合い、解除も難しくなっていく。

 さらには探知の術が併用されている場合がほとんどで、下手に解除しようとすると敵に感付かれ、即座に爆破されてしまうことにもなりかねない。


 対応に当たる者は、敵に気付かれぬよう慎重に、かつ繊細な解除作業をミスすることなく行わなければならない。

 ジンディムが仕掛けたとされる爆弾の規模からして、最高峰の技量が要求されることは確実だった。

 レインディール中を探したとて、対応できる者は学院長を含めて十名もいないだろう。


 ちなみに、仕掛けた術者の意識を落とすか殺すかしてしまえば、爆弾は解除される。逆に仕掛けられた者の生命反応が停止した場合は、即座に爆発してしまう。

 つまり、流護との決闘で一歩間違ってフェル・ダイが死んでいたならば、全員が吹き飛んでいたことになる。

 最初から捕らえるつもりだったとはいえ、知らず危険な橋を渡っていたといえるだろう。


 ――と。

 そこで、テントの中からガサリと物音が聞こえた。

 監視していた数人の兵士たちに緊張が走る。


「……奴め……目を覚ましたのか?」


 全身鎧の一人が、恐る恐るテントに近づいていく。

 同時、バキンというかすかな金属音がケッシュの耳に届いた。ともすれば、気のせいで済ませてしまえる程度の。

 それが何の音だったのか考えるよりも早く――


「駄目だ、下がれ!」


 ケッシュが叫んだのと、テントの中から『それ』が飛び出してきたのは、全くの同時だった。

 兵士が戸惑う――間もなく、猛獣のごとき速度で襲いかかったフェル・ダイがその右拳を振るう。鎧越しに、横から拳打が叩きつけられた。

 ゴォン、と石壁に鉄塊が直撃したような破砕音が響き渡る。


「が……、は、ぁ」


 兵士の装着している鎧、その腹部が、砲弾でも受けたのかと思うほどにべこりと凹んでいた。一拍遅れて、彼の口から滝のように鮮血が溢れ出す。未だ若い兵士は数歩たららを踏んだ後、横倒しになって崩れ落ちた。

 フェル・ダイは拳を突き出した姿勢のまま、荒い息をついて肩を上下させている。

 手首からぶら下がるのは、破壊された拘束具。振り子のようにゆらゆらと揺れていた。

 側頭部と額には、不気味なほどに浮かび上がった血管。目は虚ろ。口は半開きになり、涎さえ滴らせている。

 白玲鉄びゃくれいてつ製の防具を殴りつけたその拳は、小指が異様な方向へ曲がっていた。しかしフェル・ダイには、それを気にした様子すらない。


「こ、れは」


 ケッシュの脳裏をよぎったのは、とうに廃れた神詠術オラクルの名前。


(まさ、か……狂人化――)


 時を止めたように全員が硬直していたのも束の間、フェル・ダイがぐるりと向きを変え、別の一人を捕捉する。


「……ッ!」


 兵士が恐怖にひきつりながらも身構えた瞬間、


「全員下がれっ!」


 相手の背後からケッシュが間合いを詰めた。

 完全な死角。

 ケッシュが右手に術を発動させる――よりも早く、フェル・ダイは振り向きざまに拳を唸らせた。

 がん、と鈍い衝撃。

 ケッシュの視界、その左半分が暗転した。身体が、己の意思に反してぐらりと傾く。


「ケッシュさんッ!」


 兵の悲痛な叫び。なぜかそれは、右耳からしか聞こえなかった。


「う、わ、ああぁぁ! ケ、ケッシュさんが……!」


 兵士が絶叫した。恐怖に引きつった顔で。


 ――何を騒いでる。この程度、どうということは――


 その思いとは裏腹に、膝が笑う。

 顔の左側が熱い。


 ふと、仕切り板のそばに設置していた武器棚が視界に入った。

 そこに立てかけてある、磨き上げられた銀の盾。鏡のような盾に映った、ケッシュの顔。


 顔の左上半分が、頭皮からごそりと削り取られていた。

 毛髪ごと引き千切られ、表皮ごと剥がされた側頭部は、塗料を被ったような赤。

 千切れかけて、ぶらりと揺れる耳。左の眼球は、あらぬ方向を向いていた。


(……ああ……これ、は、もう……手遅れ――)


 盾に映ったケッシュの口元が、力なく笑みを形作った。






(……何だこの状況は……)


 しっかと担架の取っ手を握りしめながら、少年は思わず自問した。


 流護は今、二人がかりで担架を運んでいる。

 担架に横たえられているのは、辛うじて息のあるディーマルド。そして流護と共に担架を運んでいるのは、アルディア王だった。

 このまま、瀕死のこの男をテントへ運び込むのだという。

 通常であれば、こういうのは兵士の仕事だろう。

 しかし担架が到着し、いざディーマルドを運ぶ段になったところで、アルディア王は「俺がやる」と言い出したのだ。しかも、流護をパートナーに指名して。


 そんな訳で。アルディア王が前、流護が後ろを担当して、二人で担架を運んでいる最中だった。それもなぜか、かなりの急ぎ足で。


「よーっし、ここまで来ればよかろう。リューゴ、ゆっくり行くぞぉ」


 人波から遠ざかったところで、前を行くアルディア王がどこか安堵したように速度を緩めた。

 テントまでのショートカットをするようで、細い建物の隙間へと入っていく。


 もう何が何だか分からない流護が事情を訊こうと口を開きかけたところで、


「……ぐ」


 横たわったディーマルドがかすかに呻き声を上げた。

 近くで見ると、下顎が明らかに砕けているのが分かる。あれだけの一撃だ。頭蓋骨全体が損傷していてもおかしくはない。

 血にまみれた痛々しいその顔を見ていられなくて、流護は視線を逸らしながら訊いていた。


「……王様。このオッサン、どうするんですか?」

「屈強な男よな。殺したつもりが死んでなかった。ひとまずは治療する。処刑は後日になるな」


 王は振り返ることもなく、休日の予定を語るみたいな口調で答えた。処刑をするかしないかではなく、することは当たり前だという前提で。


「…………」


 処刑。

 このディーマルドも、デトレフのように殺される。自分が倒したフェル・ダイも同じだろう。

 テロで二百もの人々を危険に晒したのだ。当然なのかもしれないが――


「ところでリューゴ。気を抜くなよ」

「え?」

「俺とお前さんで、忙しなくこの男を運んだのには理由がある」

「あ、はい」


 流護も、それを訊こうと思っていたのだ。


「どこから話すかな。あァー……まず、お前さんが倒した小僧。奴に、爆弾が仕掛けられてるという話だったが――」


 瞬間、瀕死だったはずのディーマルドが跳ね起きた。


「……!?」


 あまりに突然。担架の後ろを持っていた流護と、起き上がったディーマルドは、しばし至近距離で見つめ合う形に――――ならなかった。


 男の目は明らかに虚ろ。

 さらに、


「ぅおっと!?」


 唐突に振るわれたディーマルドの右拳が、黒い軌跡を描いて流護の鼻先をかすめていく。


「リューゴ、離れろ!」


 言われるまでもなく、流護は担架を放り出してバックステップで間合いを取った。

 アルディア王も同じように間合いを離す。

 ディーマルドは放り出された担架を蹴りつけた反動で滞空し、器用に着地した。


「なんっ……」


 意識を取り戻して暴れ出したのかと思う流護だったが、即座に違うと理解した。

 ゆらりと二人へ向き直るディーマルド。

 その目の焦点は定まっておらず、血まみれの口はだらしなく半開きになっている。肩で息を荒げる様は、餓えた獣のよう。額には、幾筋もの血管が不自然なほど浮き上がっていた。そもそも瀕死のはずで、顔色も悪い。


 これでは、まるで――ゾンビだ。

 少年の背筋に冷たいものが走った瞬間、油断なくディーマルドを見据えたアルディア王が告げる。


「リューゴよ……つまり、こういうことだ」

「どっ、どういうことっすか」


 思わず返したと同時、瀕死のはずの拳士が流護目がけて突っ込んできた。


(速……!)


 考えられない。

 瀕死のはずのその身体で、アルディア王と決闘していたときにすら見られなかった速度。

 飛んでくるのは右拳。

 これも速い――が、合わせられる。


 クロスカウンターを狙う流護だったが、咄嗟に戸惑いが生じた。

 ディーマルドは顎が砕けて瀕死状態。ここで殴れば、間違いなく――


 黒の一撃が、流護の頬をわずかにかすめていく。躱しざまに放たれた流護の右は、軌道を逸れて――振り抜こうとした互いの右腕が、ガッチリとぶつかる形になった。

 刹那、卍を描いて絡み合う腕と腕。それでも、一撃同士の激突に違いはない。押し負けたほうが後退することになる。


「、ぐ、っ――!?」


 そうして、流護が後ろへとよろめいた。

 ディーマルドは右拳を振り抜いた姿勢のまま、大地から根を生やしたようにその場へ踏み留まる。


(なん、だ、このパワー……!)


 バランスを崩した流護に向かって、男の左拳が唸りを上げた。

 押されて体勢を崩した流護は、むしろ勢いに逆らわず、そのまま後ろへと倒れ込んだ。

 黒い暴風と呼んで差し支えないディーマルドの一撃が、直前まで流護の頭があった空間を薙ぎ払う。

 と同時、流護はのけ反った姿勢のまま右の蹴りを突き出した。

 爪先に当たったのは、固い鋼の感触。やはり服の下に腹当てを巻いている。無理な体勢からの一撃、ダメージは皆無に等しいだろう。

 互いの間合いがわずかに離れる。

 しかし探り合うでもなく、ディーマルドは獣じみた唸り声すら上げて、再び流護へと飛びかかった。


(なん……だってんだよ、これは――!)


 虚ろな瞳。砕けた顎からは、鮮血と涎が伝っている。

 端正なはずの顔からはおよそ理性というものが消し飛んでしまっているが、しかしその動きは鋭さを増していた。

 明らかな、熟達した格闘術の動き。

 右、左と繰り出される拳を、流護は掻い潜って回避していく。


 これが――双拳武術ピュジライズ

 近代ボクシングのようにジャブを駆使する様子は見られないが、拳の戻しは速い。

 ディーマルド自身の速度が増していることもあり、襲い来る拳の数々は大砲ストレートの連打と表現して問題なかった。


 ――それにしても。

 どうしてこの男がこうなったのかは不明だが、確実なことがある。


 アルディア王は、この事態を予期していたのだ。


 だからこそ、担架の運搬を流護に手伝わせた。一般兵であれば、豹変したディーマルドに為す術もなく殺されていただろう。


(訳が分からんけど――とりあえず、)


 拳の差し合いで劣るつもりはない。

 横から薙がれた黒い左を潜り込んで躱し、


(止める!)


 渾身の右ボディを、ディーマルドの腹へ叩き込んだ。

 腹当て越しに、肋骨の数本をへし折った感触が伝わる。――が。

 それすらも構わず、相手は密着した流護の顔面に向かって右拳を振るった。


「な、ぁっ!?」


 まさに紙一重。黒い豪風が、咄嗟に躱した少年の頭髪数本を宙に舞わせた。


「く……!」


 今のディーマルドは、痛みを感じていない。しかしそれは、砕けた顎を意にも介していない時点で予想できたことだ。


 やはり、顔面を狙うしか――殺すしか、ない。

 殺すのか。この手で。人を、殺せるのか。

 不安が、流護の思考を負の方向へと押し流していく。まさにゾンビよろしく、頭部を破壊しても動き続ける可能性を流護が危惧した瞬間、


 からん、と場違いな音が路地に響き渡った。


「あ……」


 次いで聞こえたのは、高く幼い驚嘆の声。そして、


「……むっ」


 何かに気付き、押し殺したアルディア王の声。

 流護は敵から意識を逸らさぬよう、油断なく視線だけをそちらへ巡らせる。


「――――!」


 ディーマルドの右斜め後ろ。暗く狭い路地の通路に、歳の頃は六つ程度だろうか――少年と呼ぶにはまだ幼く小さい、年端もいかぬ子供の姿があった。物々しい雰囲気を察したのか、見てはいけないものを見てしまったとばかりに、その表情を驚愕に染めている。

 偶然、この路地へと迷い込んでしまったのだろう。


 流護と向かい合うディーマルドはまだ気付いていない。逃げろ、と声を出せば悟られてしまう。そうなってしまえば、この状態の彼を相手に守りきれるかどうか――。


 全員が刹那に動きを止める中、子供が知らず蹴飛ばしてしまったらしい瓶だけがころころと転がり、壁に当たってキンと音を立てる。思いのほか、澄んだ大きな音。

 気付かれるには充分だった。

 ぐるりと首を巡らせたディーマルドは、発見した子供をしばし眺めるように見据え――――


(今……!)


 まさに流護が攻めようとした瞬間、金髪の拳士は獣の迅さで地面を蹴った。恐るべき速度で、小さな迷い人へ向かって。


「くっ――!」


 流護が咄嗟に追いすがるも、


「うっ、わああぁぁ!」


 到底間に合わず、暴風の拳が振るわれた。

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