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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
4. レインディール・スペキュレーション
102/667

102. 指揮者

 民衆たちが歓喜を爆発させた。


 広場の中央に佇む巨大な王。

 その足元には、うつ伏せとなったディーマルド。周囲の石畳へと広がっていく血溜まり。もう、死んでいるのかもしれない。


「…………、」


 流護は思わず大きな息をつく。

 最後にアルディア王が放った掌底。事故めいた破砕音だった。一瞬だけビクンと動いたディーマルドは、鮮血を溢れさせながら、動力が切れたように崩れ落ちていった。

 終わってみれば、圧勝といっていい内容。

 しかし双方とも、相手を一撃で死に至らしめる力を持っていた。剣豪同士の斬り合い、もしくはガンマン同士の撃ち合いにも似た、一撃絶命たる正面からの果し合い。


 決闘終了が合図だったように、一台の武装馬車がゆっくりと走ってきた。ジンディムの要求に応えて用意された、逃走用の馬車。

 茶色い鍔広つばひろ帽子を深く被った御者に操られ、馬車が美術館へと向かっていく。この御者は無事に済むんだろうか、と流護は気を揉んでしまう。相手はテログループなのだ。


 いや、御者だけではない。決闘はアルディア王の勝利で終わったが、敵によって――神詠術爆弾オラクルボムによって、皆の命綱が握られている状況に変わりはない。


 ここからどうなるのか。敵はこの後どうするつもりなのか。

 そもそも今は、ジンディムの気が変わりでもして「やっぱ爆弾爆発させるわ」とでも言い出せば、それでお終いな状況なのだ。

 敵は遠くまで逃げた後、爆発させるつもりなのではないか。


 流護が落ち着きなく思う間にも、馬車が美術館の敷地へと入っていく。一階脇にある搬入口から直接、美術館の中に入るらしい。

 流護はその様子を眺めながら、そこでふと思い至った。


(そういや……ベル子たち、来ないな)


 辺りを見渡すも、彼女らの姿はない。

 クレアリアたちが向かったテントのところで、三人一緒にいるのだろうか。

 いきなり爆弾で人質になったなどと告げられ、気弱なリーフィアは怖がっているだろう。ベルグレッテとクレアリアはしっかりしていそうだが、やはり気になるところだ。

 様子を見に行きたい流護だったが、アルディア王に呼び出されてここへ来た身だ。彼女たちの下へ行くにしろ、まずは王に確認を取るべきだろう。


 そのアルディア王は、周囲の兵士たちに何やら指示を飛ばしている。

 倒れてピクリとも動かなくなったディーマルドを運び出すようだ。


 そういえば、このディーマルドにも神詠術爆弾オラクルボムが仕掛けられたりはしていないのだろうか。


(まあ、ロシア野郎の爆弾だけでみんな吹っ飛ぶってんだし……今更か)


 もうこれ以上、流護の出るような場面はなさそうだった。

 アルディア王が戻ってきたらベル子たちのところに行っていいか聞いてみよう――と思いつつ、ひとまずはこの場で動向を見守ることにし……


「おぉリューゴ、そこにいたか! ちょっくら来てくれい! ほれ、急げ急げ!」


 そこでなぜか、アルディア王は流護に向かって手招きをした。






「馬車が搬入口へ入りました」


 二階の窓、カーテンの隙間から油断なく外の様子を監視していた男が、ジンディムへと報告する。


「よし。では総員、馬車にてこの場から離脱する。ダリミル。速やかに御者を殺し、代わりを務めよ」

「了解でーっす」


 命じられた軽薄な雰囲気の男が、素早く一階へと向かった。


「あの……ジンディムさん」


 戸惑いつつ声をかけたのはダズだ。


「ディーマルドさんは……」

「奴は見事だった。まだ息もあるようだが……助けることはできん。元より、決闘の結果如何にかかわらず、奴は死を覚悟していた」

「そう、ですか……」


 肩を落とすダズを尻目に、ジンディムはその場の皆へと向き直る。全員を見渡し、毅然と声を張った。


「同志たちよ。この作戦にて、フェル・ダイ、ディーマルドの両名が犠牲となり、アルディアを討ち取ることも叶わなかった。が……我等の任務は、これで終わりではない」


 にわかに男たちがざわめいた。一人が怪訝そうに尋ねる。


「どういう……ことですか? ジンディム殿」

「今回……ディーマルドのアルディアに対する復讐というこの任務の裏で、密かに進行していた案件がある。悪い言い方になるが……ディーマルドの件は、隠れ蓑だったとも言える。極秘任務ゆえ、今まで貴様たちにも伏せていた」


 そこで、下から階段を上がる足音が響いてきた。

 馬車の準備が整ったのだろう。


「説明は移動しながら行う。まずはこの場を離脱するぞ、同志諸君」


 迷いのない足取りで歩いていくジンディム。同志たちもわずかに困惑しながら移動を開始し――そうして、顔を合わせることとなった。

 二階のロビーに現われた、その人物と。



「どもー。このたび馬車の御者を務めさせていただきます、ナスタディオ・シグリスでーす! よろしく! なーんてね!」



 彼らはプロフェッショナルだった。

「何だ貴様、どうしてここに」などという無意味な誰何すいかはしない。

 全員が無言のまま速やかに武器を抜き放ち、詠唱を開始し、女へと殺到した。


 パァンと乾いた音が響く。

 光の尾を引く拳だった。白く発光した、女の細腕。その一撃で、武装した男の一人が身体を硬直させて後ろ倒しになる。

 入れ替わりに突き出された槍を、ナスタディオはひらりと躱す。躱しながら、男の股間に膝を叩き込んだ。

 くぐもった悲鳴を上げて崩れる男の上を、別方向から飛来した雷光が迸る。


「あづっ!」


 かすめた電撃が、ナスタディオの金髪にバチンと火花を散らした。


「消えな」


 よろめいたナスタディオにダズが忍び寄り、素早くカタールを閃かせた。銀色の軌跡が弧を描く。


 ぱくり、と。

 ナスタディオの白く細い首筋が、果物のように開いた。


「……、…………」


 一拍遅れ、噴水を思わせる勢いで鮮烈な赤が撒き散らされる。

 返り血に顔をしかめたダズが、ナスタディオの腹を押すように蹴った。女はぐらりと傾き、そのまま後ろ倒しになって階段を転げ落ちていく。


「さすがは『ペンタ』、とでも言うべきでしょうか。我々ですら、正面からぶつかって二人も倒されるとは」

「……そうだな」


 ダズの声に、ジンディムはつまらなそうな調子で答える。


 展開の一つとして、予想はしていた。

 いつ、どの機会にナスタディオ・シグリスを放り込んでくるか。

 本来であれば、フェル・ダイへ仕掛けたと『思わせた』神詠術爆弾オラクルボムの解除作業に当たらなければならないはずのナスタディオだが、あの場へ集った者たちの中に、この女の代わりを務められるほどの術者がいないとも限らない。

 可能性の一つとして、考えてはいたのだ。

 食事提供の際には来なかった。交渉物品の引き渡しのときにも現われなかった。来るとするならば――人質のいなくなった、今。馬車の御者に扮して、今この局面で入り込んでくるに違いないと。


 ――そして同志たちにも、常々しつこいほどに念を押していたことがある。


「ところで、ダズよ」


 ジンディムは右頬の傷痕の感触を確かめながら、どこか不可思議な夢心地めいた気分に包まれたまま、同志へと問う。


「我等の合言葉は……何だったかな?」


 ――ナスタディオと目を合わせてしまったのなら。その時点で幻覚を仕掛けられたものと思え、と。



 瞬間、ジンディムは剣を抜き放ち、一撃を受け止めた。



 双方の刃が軋み合い、火花を散らす。


「あら」


 逆手に持った剣の一撃を止められたナスタディオが、わずかに感心したような声を漏らした。

 ジンディムが力任せに剣を振り抜いて押し返すと、ナスタディオはその勢いに逆らわず、押し戻されるように後ろへと退いた。両者の間合いが離れる。


 ジンディムは油断なく視線を奔らせる。

 今この場に立っているのは、ジンディムとナスタディオの二人のみ。


 屈強なはずの武装した男たちは――ノルスタシオンの同志たちは、いつの間にか全員が床へと倒れ伏していた。

 つい今しがたまで目の前にいたはずのダズなどは、何があったのか、ロビーの反対側まで吹き飛んで転がっている。

 それでも全員、息はあるようだ。生け捕りとし、後ほど見せしめに処刑するためか。歴史ある美術館で人死にを出したくないのか。おそらくは両方だろう。


 ――それにしても。


(……女狐め)


 一体、いつ幻覚に囚われたのか。前兆も発動も、全く感知できなかった。気付くのがあと数瞬遅れていたならば終わっていたと、ジンディムは冷静に分析しながらも肝を冷やす。


「これが、ナスタディオ・シグリスか……。来るのであればこのタイミングで来る、と思ってはいたのだがね。想定してなお、この損害。油断も隙もあったものではないな」


 その言葉に女はフフと笑い、羽織っていた茶色い上着を脱ぎ捨てた。御者を装う衣服の下から現われたのは、研究者のような白衣姿。その右手に携えた長剣がひどく不釣合いに見える。

 その得物は、レギエル鋼で鍛造された黒銀色の名剣。ジンディムが交渉の際に要求し、入手したものだった。


「コレ返してね? レギエル鋼の剣なんて、高価たかいんだから。ま、交渉で渡したお金とかもぜーんぶ返してもらいますけど」


 それなりに剣も使えるのか、と男は警戒を深める。


「で、貴方がジンディムさんよね? やるじゃない、アタシの幻覚を破るなんて。貴方でえーと……何人目だったかしら。まぁいいわ。どうやって見破ったの?」


 ナスタディオは手遊びをするように、長剣をくるくると回しながら尋ねた。


「合言葉を決めている。わずかにも不審と思う事態が発生した場合、即座に合言葉を問うよう訓練も積んでいる。それにダズの……今はあそこで転がっている同志の口調に、若干の違和感を覚えたのでな」

「うへー、徹底してんのねぇ。合言葉かぁ。ベルグレッテたちもそうだし、やっぱそこが課題かー」


 苦々しい表情を浮かべるナスタディオに、ジンディムは挑発めいた口調で語りかけた。


「それよりも、神詠術爆弾オラクルボムの解除はどうした? いくら貴様とて、この短時間で終わるものではないだろう。未熟な者に任せたのか? 私が今この場で発動させたならば、どうする気だ?」

「へえ? どうぞどうぞ。ありもしない爆弾を爆発させられるんならねー」


 その言葉に、ジンディムはわずか眉をひそめた。


「……解除作業に当たる素振りすら見せていなかったはずだが。気付いていたのか?」

「イヤイヤ、こっちに言わせてもらえば、気付かないと思ってたのか? としか。だって、」


 剣を手先で弄びながら、ナスタディオは血潮のごとく紅い唇を笑みの形に歪めた。


「美術館の外観が、ちょっぴり損壊してるじゃないの」

「!」


 そこでジンディムも気付いた。気付いて、思わず吹き出しそうになった。

 何とくだらない。何と初歩的なミス。


 美術館を占拠する際の攻防で発生した、わずかな外観の損傷。柱に刻まれた、削れたような傷跡。建物が神詠術オラクルであっさり傷ついたということは、防護の術が弱まっていた――もしくは施されていなかったということの証でもある。

 本来、保全された王立の美術館ともなれば、小競り合いの流れ弾程度であのような傷がつくはずはないのだ。


「あんなもん見せられて、『この場の全員が吹き飛ぶ神詠術爆弾オラクルボムを仕掛けさせてもらった』とか言われてもさ。それほどの威力の爆弾なら美術館もグシャッとイッちゃうし、貴方たちも生き埋めになっちゃうわよね。五年前の魔闘術士メイガスの連中じゃあるまいし、相打ち覚悟の自爆なんてする気ないんでしょ?」


 クク、と傷の男は肩を揺らす。

 最初から神詠術爆弾オラクルボムなど使うつもりがなかった――否、使えなかったジンディムにしてみれば、いざとなれば美術館そのものをモノジチにすることもできると考えていた程度にすぎなかったが、とんだ盲点だった。

 気付いていた人間からすれば、爆弾で脅す様はさぞ滑稽だったのだろう。


 ――もっとも。そんなのは、瑣末事にすぎないのだが。


「ンフフ。でも、そういった大胆な『嘘』は嫌いじゃないわ。時にはハッタリも必要だものねぇ。で……アンタら、何者なの?」

「――ノルスタシオン」


 ジンディムはその名を告げる。誇り高く。胸を張って。


「聞いたコトないわね」

「そうだろうな」


 あるはずがない。構わず、主導者たる男は続ける。


「シュメーラッツ・イーア……と言えば分かるかな」

「これでも一応教師よー? 知ってる知ってる。シュッツレイガラルドの隣にあった国よね。十五年前ぐらいに、『ペンタ』研究の失敗から崩壊した」

「そうだ。愚かな王族たちの行いにより、国は潰えたのだ」


 ジンディムは冥府の底から絞り出したような声で呻く。


 シュメーラッツ・イーア。

 ここより遥か北東に位置する――していた、総人口五万名ほどの小国だった。

 小さな国家ゆえ、人材にも恵まれてはいなかった。当然、『ペンタ』にも。

 しかしあるとき、ついに待望の『ペンタ』が発見される。


 が。


「馬鹿げた話だよ。王族たちは、自らの無能を決して認めなかった。国が潰える、その最後の瞬間を迎えても尚だ」


 吐き出すようにジンディムは言い放つ。怒りを込めて。

 ようやく見つけた『ペンタ』。しかし研究を重ねるも、その者がどんな属性を秘めるのか、どういった神詠術オラクルを扱えるのかという点についても全く解明が進まず、無為に時と金だけが浪費されていった。

 結果、どんな力を秘めていたのかすら明らかにならないまま、『ペンタ』は天寿を全うしてしまった。


「ゾスタン・ラデーアかぁ。彼も不幸よねー。ウチに生まれてれば、能力が判明したかもしれないのに」

「驕るな」


 忌々しそうに吐き捨て、しかし胸を張って男は名乗りを上げる。


「かの国で私は……第三部隊の隊長を務めていた」


 ジンディムだけではない。この場に集った同志たちのうち数名は、かつて軍人として勤めていた者たちだった。


「王族は愚かだったが、私はシュメーラッツ・イーアを愛していた。私はあの国を再興させる。そして、この私が――」

「新生シュメーラッツ・イーアの王となるのだー、フハハハハーってところかしら。あ、もういいわ。分かったから」


 ナスタディオはつまらなそうに話を遮った。ジンディムはかすかに目を細め、苛立たしげに女を睨む。


「で、ウチに手を出してきたのはどうしてかしら。本当に、あのヒゲ拳士をアルディア王と闘わせるのだけが目的? 確かにヒゲが王に勝ってれば歴史的事件だったし、新生シュメーラッツ・イーアにとってもはくがついたとは思うんだけど……それだけじゃないわよねー。そういえば、例のゾスタンの件でシュメーラッツ・イーアへの融資って断ったんだっけ。……あ、ついでに今回の件の裏で秘密裏に進めてたコトとかありそう」


 どっちにしろ、と女は目を細める。


「アルディアという男に……レインディールという国にケンカを売る以上、その危険を補って余りあるだけの見返りがあるハズよね」


 一人で喋り倒していたナスタディオだったが、


「ま、アレコレ考えなくてもいいか。直接、貴方に……カラダに訊けばいいんだし」


 赤い唇を笑みの形に歪め、手にした黒銀の剣をくるりと回した。

 その様子を見て、ジンディムは嘲るように問いかける。


「フ……らしくもない。まさか剣で闘うつもりか? 得意の幻覚はどうした?」

「いやいや。貴方はとっくに幻覚を見てるのかもしれないわよ? ベラベラ喋ってる間に、また幻覚を見せられてるのかも。いやそもそも、貴方は幻覚を破ってなんていないのかもしれない」

「かつて、国で研究していたのだがね。幻覚は脳を一種の麻痺状態に陥れる。幻を見破ったとて、しばし麻痺状態は続く。麻痺といっても、脳に害はないのだが――ある意味、暫くは幻覚に対して抵抗が生じる、と言い換えてもいい」


 ジンディムは頬の傷を撫で、喉の奥で笑う。


「つまり一度、幻覚を破られた場合……暫くの間――時間にして、最低でも五分程度。同じ相手に幻覚を見せることはできない」


 その言葉を受けて、ナスタディオはチッと舌打ちを漏らした。


「貴方こそ、過剰に大きな通信の術を展開することで『自分は強力な術が使える』って見せかけてはいるけど……神詠術爆弾オラクルボムだって嘘。仲間もみーんなやられちゃって。万が一アタシを倒せたとして、外には民衆や騎士たちがたっくさん。どうすんの?」


 その言葉にフフと笑い、ジンディムは右手の指をパチリと鳴らした。


「爆弾を嘘と見抜かれ、私以外の同志は全て打ち倒された。外にはひしめく多勢のレインディール人たち――」


 ジンディムは嗤う。


「――だが。この事態もまた、想定の範囲内だよ」


 瞬間。

 倒れていた約二十名の男たちが――ノルスタシオンの同志たちが、一斉にゆらりと起き上がった。


「!」


 ナスタディオが瞠目する。


 紺色の服を纏った男たちは、緩慢な動作で立ち上がった。

 その目に光はなく、酩酊したように身体をふらつかせている。


「これは……」


 呟いたナスタディオに反応したのか、立ち上がった男の一人が襲いかかった。それまでの鈍い動作とは段違い、獣のごとき俊敏さで。

 横薙ぎされた剣撃を、ナスタディオは長剣で受け止める。が、


「……ぐ……っ!」


 止めきれず、大きく後方に弾き飛ばされた。体勢を崩すも、倒れずに持ち直す。


「フゥー……」


 剣を振るった男は猛獣じみた息を吐く。目は虚ろ。その額には、盛り上がった血管が痙攣するように脈動していた。


「……これはまたマニアックね。『狂人化』か……」

「名答。確かに私は、神詠術爆弾オラクルボムを扱うことこそできぬが……しかしこの技術に関しては、それなりのものだと自負している。ところで……狂人化、などという低俗な呼称はやめてもらえるかな。今の彼らは、人の域を超えた戦士。元来の狂戦士化をも超えた……超人化、とでも呼ぶのが相応しい」


 狂人化。

 古くより伝わる神詠術オラクルの一つである。


 古の時代においては狂戦士化と呼ばれ、死をも恐れぬ戦士を生み出す術として重宝されていたという。

 しかし現在では、使う者は皆無に等しい。

 その名の通り、対象を見境のない狂人へと変化させてしまう点。身体強化以上の筋力増強を可能とするが、当然ながらその反動も大きい点。

 こういったリスクに加えて、何より強化したとはいえ、元が非力な人間にすぎないという点。対人ならばともかく、強大な怨魔相手にはまず通用しない。また神詠術オラクルの技術が進歩した現代の詠術士メイジにしてみれば、ただ暴れるだけの狂人をあしらうなど難しいことではない。


 そのような問題点の数々から、いつしか狂人化という蔑称で呼ばれるようになり、とうに旧時代の遺物と見なされていた神詠術オラクルだった。

 そもそも、狂人化を改良して編み出されたのが身体強化である。


 ――しかし。


「私の術は一味違うぞ、ナスタディオよ。この者たちは、見境なく暴れる狂人などではない。私に忠実な、洗練された武人なのだ」


 総勢二十の狂戦士たちが、ゆらりと――幽鬼のようにナスタディオへ向き直った。その目には光が宿っておらず、かすかな呻き声すら発している。

 その様子を見て、ナスタディオはかすかに頬をひくつかせた。


「うっへ、気持ち悪いんですけど」

「フ、気持ちは理解できんでもない。死人を操っているようなその様から、かつて国では、私を御伽話になぞらえてこう呼んだ者もいたよ」


 ジンディムは指揮者のように両腕を水平に掲げた。


「――『死霊術士ネクロマンサー』」


 まさに生ける屍のごとき男たちが、一斉にナスタディオへと殺到した。

 ナスタディオは素早く後ろに下がり、間合いを離そうとする――が、


「……ちょっ……!?」


 一瞬にして男たちに左右を挟まれる。

 彼らは狂人とは思えぬ鋭い足さばきで、ナスタディオへ追いすがっていた。


「ただの傀儡などではないぞ。限界まで強化を施され、自我をなくしながらも、己の技巧を駆使して闘う至高の戦士たちだ。私一人と、死をも恐れぬ戦士たち。これが、ノルスタシオンの真の姿なのだよ」


 自我をなくした生ける亡者たちに、幻覚などは通用しない。そもそも思考が機能していないのだ。もっとも、全員が一度幻覚を受けたばかりなので、どちらにせよ通用しないのだが。

 それでいて彼らは、本能のまま己が持つ技量を存分に発揮して闘う。神詠術オラクルを扱うことこそできないが、今の同志たちは、まさに剣のみで闘ったと伝えられるガイセリウスがごとし。


「ぁづっ!」


 横合いからの一閃で、ナスタディオの手にした剣が弾き飛ばされた。

 そのままあっさりと壁際へ追い込まれる。

 間髪入れず――女の姿は、殺到した男たちによって見えなくなった。


『ペンタ』といえど様々。

 ナスタディオは確かに厄介な存在だが、その『嘘』を剥ぎ取ってしまえば、もはやただの女にすぎない。


「幻覚? 生温いな。幻など比較にもならぬ恐ろしい現実に――生ける亡者どもに呑まれて消えるがいい。騙す以外に能のない女狐め」


 蠢く男たちの背中は、生餌に群がる怨魔の群れを思わせた。

 獲物たる女狐が呑まれていくその様子を横目に、ジンディムはカーテンの引かれた窓辺へ寄る。隙間から外を眺め、小さく呟いた。


「さて――出番だぞ。究極の狂戦士たちよ」

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