101. ひとつの拳の終着点
十五年前、後に『ラインカダルの惨劇』と呼ばれる忌まわしい事件が発生した。
レインディール王国から遠く北東の地、瑞々しくも険しい山々が連なるラインカダル山脈。
山中にはいくつもの村々が点在するが、その中の一つ、名もなき小さな村にディーマルドとその息子であるアスターは滞在していた。
故郷はそこから北東、馬車で一週間ほどの距離にあるシュッツレイガラルド。古くより、レインディールとの関係はあまり良好ではない。
とはいえ、そんなものは国の偉い人間同士の話であって、移動に適した平坦な地続きで繋がっているシュッツレイガラルドとレインディールは、比較的人の交流も盛んな部類といえた。
息抜きの旅。
宮殿の兵士として勤めているディーマルドだったが、ソリの合わない上官と衝突し、ついには決闘にまで発展してしまい、三ヶ月ほどの謹慎処分を言い渡されることとなった。それを休暇と割り切っての、ささやかな旅路である。
息子のアスターは人懐っこい性格で、村の子供たちにもすぐ馴染み、毎日のようにインベレヌスとイシュ・マーニが交代する頃まで野山を駆け回って遊んでいた。
特に、ヴァレイという少年と仲良くなったようだ。
彼はレインディールのディアレーという街から父親の仕事についてやってきたようで、アスターとは村の外の者同士、気が合ったのかもしれない。
ラインカダル山脈には、怨魔がほとんど存在しない。標高の高い山々が連なるため気温が低く、餌となる生物が少ないからだと考えられている。
身体の大きなクマがわずかに生息しているが、比較的大人しく、人里には近づかなかった。そういった事情も、この村での滞在を決めた理由の一つだった。
しかし物事に絶対はなく、例外は唐突に発生する。
カテゴリーAに分類される怨魔、ズゥウィーラ・シャモア。
かの『竜滅書記』にも、その名は登場する。
体長六~七マイレにも達する、鹿に似た巨大な怨魔で、その巨体ゆえ活動範囲も非常に広く、餌を求めて広大な山々を移動するとも伝えられていた。
そしてそこは怨魔である。この生物は通常の鹿などではない。『暴食』とも渾名されるこの怪物は、草木、動物、怨魔、そして人。生きとし生けるもの全てを捕食の対象とする、恐るべき存在として知られていた。
まだ薄暗いその日の早朝、山の麓を巡回していた兵士の一団は、鹿に酷似したとてつもなく巨大な影が山奥へと侵入していくのを確認。
怠け癖のある者たちならば、何かの見間違いで済ませてしまっていたかもしれない。しかし、この兵らは職務に忠実だった。
かの『暴食』と呼ばれる怨魔だと判断した彼らは即座に、城と山の村々に駐在する兵たちへ一報を飛ばす。
過去にない非常事態。
目に映るもの全てを捕食すると云われるこの悪魔が、通常の怨魔ですら餌がなく寄りつかないこの山脈に侵入したなら――小さな村しかないこの地へ踏み込んだなら、何を捕食しようとするかなど考えるまでもない。
インベレヌスが周囲を明るく照らし始める頃、村々には厳戒態勢が敷かれ、村民たちには建物から絶対に出ないこととの注意喚起がなされた。
それは、神々の与えた試練だったとでもいうのだろうか。
ちょうどその日、ディーマルドの滞在していた村では、子供たち十人ほどがお泊り会と称し、村からわずか離れたところに位置する小屋で一泊していたのだ。
そこに大人はいない。ディーマルドの息子、アスターが最年長。それでも十四歳だ。
子供たちの下へ向かおうとするディーマルドだったが、村の兵に押し止められた。
村を出てもし、かの怨魔に遭遇してしまったら。
ディーマルド個人では、勝ち目など皆無。
カテゴリーAの怪物。怨魔補完書によって定められている分類ではあるが、AとSの間にさしたる差はない。その希少性。性質。実在が確認されているか否か。その程度の違いでしかなく、『暴食』と呼ばれる怨魔が伝説級の怪物であることには何の変わりもない。
そして、勝てないだけならまだいい。ディーマルドが食われて終わりならば、まだいい。
ズゥウィーラ・シャモアが高い知能を有していた場合、村や子供たちのいる場所を察知されてしまう恐れがあった。
ディーマルドは歯噛みする思いでアスターに通信を飛ばして、恐怖を与えないよう包んで事情を説明し、小屋から絶対に出るなと言い含めた。
息子は勇敢に返事をして、父の言いつけを守ると約束した。
怨魔が少ない地域であるものの、魔除けは施してある。しかし、伝説に登場するような相手にどれほどの効果があるのか。
怪物がいつ、村や子供たちの下へ現われるか。気が気でない時間が続いた。
午前九時。
運良く山の近くの村に滞在していた『銀黎部隊』のメンバー五名が入山し、予定より早く掃討作戦が開始された。
しかし怨魔という存在は、あまりに解明されていない部分が多すぎる。
カテゴリーBの小さな個体ですら、詳細な性質や生態は判明していないことが多い。それがカテゴリーAクラスの怪物ともなれば、尚更だ。
さらにこのズゥウィーラ・シャモアは、情報も少なく討伐事例も皆無とされる怨魔。まさに伝説から抜け出してきたような存在だった。
ラインカダル山脈には少数だが、身体の大きいクマも生息している。体長は三マイレにも達し、人のいる場所には近づかないとされるものの、半端な怨魔が相手ならば返り討ちにしてしまうほどだといわれていた。
そのクマが三体ほど、臓物を喰われた無残な姿で転がっているのが発見された。
そんな真似ができる生物は、今この山には一体しか存在しない。
ズゥウィーラ・シャモアの危険性は想像以上のものだと判断された。
その移動範囲、戦闘能力。下手をすれば、このラインカダル山脈に点在する村々が壊滅すると。
――そうして、怪物は訪れた。訪れてしまった。
アスターたちの潜む、古ぼけた山小屋を。
『と、父さん……き、来たよ。アイツが、来た』
「アスター、アスター! 落ち着け。落ち着くんだ……!」
通信から伝わる、息子の震えた声。
ディーマルドのほうがよほど、落ち着きをなくしていた。
『うん、僕は大丈夫。いま、二階の窓から見てるところ。……でかい……小屋のまわりを、ゆっくりぐるぐる回ってる。様子を見てるのかな……』
「きっとそうだ。みんな二階にいるか? 声を出したりするんじゃないぞ」
怨魔の少ない地域とはいえ、それぞれの村や小屋の周辺には魔除けの神詠術が施されている。それらを意にも介さず現われているという点だけでも、ズゥウィーラ・シャモアの強大さが窺えるようだった。
「ディーマルドさん、ディーマルドさん!」
「何だ! こんな時に!」
声をかけてきた村の男性へ、ディーマルドは苛ついた様子で向き直る。
「それが……、城の兵士たちからの伝令です。その……この村の人間全員、今のうちにここから避難しろって」
「……な……、に?」
ディーマルドの喉が干上がった。
「何を言ってる? それは……子供たちを見捨てて、ここから逃げろってことか……?」
「そ、そうじゃありません! 子供たちのいる小屋には、今この瞬間にも『銀黎部隊』のメンバーが向かってます。それで……もし、万が一のことがあった場合、次にあの怨魔は間違いなくこの村へやってきます。そうなったら、俺たちみんな全滅――」
瞬間、ディーマルドは男性の胸倉を掴み上げた。
「万が一って何だ! 次って何だよ!? それはつまり……子供たちを囮にして、逃げろってことじゃねぇのかよ!」
その判断が何を意味しているのかは明らかだった。
子供たちはもう間に合わない。
だから、大人たちだけでも避難させようとしているのだと。
『銀黎部隊』は子供たちを助けに行くのではない。たどり着いたそのとき、そこで悠々と『食事』をしているだろう怨魔を討伐しに行くだけなのだと。
「そんなことが認められるかってんだ!」
「落ち着いてくれ!」
「やめてくれよ、こんな時に!」
周囲の数人が、ディーマルドを抑えつけて諫める。
「ディーマルドさん、気持ちは分かる。私も、あの場に息子が……っ」
「……ゲイルローエンさん」
ヴァレイの父親だった。顔を歪め、苦悶の表情を浮かべている。
『……父さん』
ディーマルドはハッとした。
今の会話。通信を通して、アスターにも聞こえていたのだ。
『僕は、僕たちは大丈夫。あの『銀黎部隊』が来てくれるんでしょ? ぜんぜん、怖くないよ。へへ、せっかくだから、サインでも貰っちゃおうかな』
「アス、ター……」
刹那。
通信の向こうから、ゴォンと凄まじい音が響き渡った。
「!?」
子供たちの悲鳴が聞こえる。
断続して、何かを叩きつけるような凄まじい音。
間違いない。あの怨魔が、小屋の中へ押し入ろうとしている――!
『とっ、父さん、や、やばいかも。アイツ、小屋の中に入ろうとして……!』
「アスター、アスター!」
ディーマルドは駆け出した。止めようとする周囲の人間を振り払い、一目散に駆け出した。
――ランクAの怨魔? それがどうした。最初から、俺があの子たちの下へ向かうべきだった。相手が桁違いの化物でも、俺が犠牲になれば子供たちが逃げるぐらいの時間は稼げる。
頼む。頼むよ、神様。
アスターを。子供たちを。
俺がたどり着くまでの間でいい。守ってくれ――
そして絶叫が、木霊する。
耳を覆いたくなるとはこのことだった。
通信の向こうから聞こえてくる、何かが破壊される音。甲高い、悲痛な子供たちの悲鳴。破壊音に次ぐ破壊音。子供たちの悲鳴。ぐちゃり、という肉の音。湿っぽい音が響くたびに、子供たちの声が少なくなっていく。
『う、ううううぁあああぁ!』
――アスターの絶叫。
「アスタアアァッ!」
しかしそれは、断末魔の叫びではなかった。
『やめろ化物っ、ヴァレイくんを離せええぇ! 僕が相手だああぁぁッッ!』
何という勇敢さか。大人たちが、ディーマルドもが縮こまって建物へと避難していた相手に対して、少年は立ち向かった。
「ア――」
そして、みち……という音がして。
通信が、切断された。
『ラインカダルの惨劇』。
分かっている。結果だけを見れば、英断だったのだ。
山脈に点在する村々の全滅が懸念された未曾有の危機。それは結果として、子供たち十名と兵士八名の犠牲だけで抑えられた。
指揮を執ったのは、アルディア王。
他にやりようなどなかった。最小限の被害で済んだ。
高ランクの怨魔による被害というものは、もはや災害に近い。規模や時期を予測することもできず、事前の備えなどできるはずもない。
迅速な判断だったという。
子供たちを救える可能性が極めて低いと判断した王は、あっさりと決断した。彼らを、囮とすることを。
それでも被害をこれほどまでに抑えることができたというだけで、伝説に登場するような怪物の打倒を成し得たというだけで、アルディア王が称賛されるのは当然だった。
「で、も……でもよぉ……」
ディーマルドは立ち上がる。
悠然と立つアルディア王を睨みつける。
「分かって、んだよ……それで、も」
逆恨みだと、分かっている。自分だけではない。レインディールの人間も大勢、あの場にいた。我が子を失った親がいた。ゲイルローエンも、ヴァレイを失った。
悪は、あの怨魔だ。
すぐに動けなかった、この俺だ。
馬鹿げた逸話を思い出す。つい最近の話。この国には、学院へやってきたファーヴナールを打倒し、生徒たちを守った若者がいるという。
誇張された話なのだろうが、自分にその若者のような強さや勇気があれば、事態は変わっていただろうか。
両腕を上げ、ボロボロになった身体で、回らない思考で構えを取る。
「おめぇを……、ぶん殴らねえと……」
怒りのやり場がないだけだ。
ディーマルドが小屋へたどり着いたとき、すでにズゥウィーラ・シャモアは『銀黎部隊』と兵士らによって倒されていた。死闘だったという。熟練した兵士たちですら、八名が犠牲となった。
今の俺だったら――あの怪物に、一矢報いることもできたかもしれない。
しかし、一番殴りたい相手はもう死んでいる。だから、この怒りはあの判断を下したアルディア王にぶつけないと気が済まない。
何とみっともない父親なのか。
テロなんてものを起こしておいて。勇敢で正義感の強かったアスターが今の自分の姿を見たら、どう思うだろう?
だが此度のテロを起こした理由はこれだ。
他の者も皆、理由こそ違えど、アルディア王に恨みを持つ者たちだ。法を犯して罰せられた者や、ただ楽しみたいだけで参加したダリミルのような者もいる。自分を含めてろくなものではないと、理解している。
その中で一番腕の立つディーマルドが、アルディア王と一対一で闘えるような状況を作り出すこと。それが、テロの最終目標だった。その目的は、こうして成就した。
ジンディムにはまだ何か別の思惑があるようだったが、それは関係ない。かの戦友は、この状況を作り出せるよう尽くしてくれた。
この闘いに勝とうが負けようが、ディーマルドに明日はない。負ければ殺されて終わり。勝ったところで、ここは凄まじい数のレインディール人に囲まれた敵地の只中。ディーマルドは瞬く間に激昂した民衆や騎士たちに囲まれ、袋叩きにされて死ぬだろう。
勇猛なこの国の民たちだ。王が討ち取られたとなれば、神詠術爆弾など気にもせず向かってくる者は少なくないはずだ。まさに怨魔へと立ち向かった、アスターのように。
ディーマルドは――この決闘に臨んだ時点で、死ぬことが決まっていたのだ。
いや。それは、このテロを起こすと決意したそのときからか。
「分かっ……てん、だ」
そう。あんたは、息子の仇であると同時に――
俺の、命の恩人でもあるんだ。
あんたがあの判断を下したから。俺は今、こうして生きている。
「それ……でも、」
ふらつきながら、拳士は一歩前に出る。
属性は風。操術系統は『解放』に分類される。
取り立てて珍しくも何ともない、ごく普通の能力。世辞にも才能に恵まれたとはいえない。
しかしディーマルドはその力と双拳武術を最大限に利用し、並の詠術士を遥かに上回る強力な使い手と評されるまでになっていた。
ディーマルドの風に、殺傷力はない。
風を放ち敵の体勢を崩す。追い風として吹かせ、自身の速度を倍加させる。咄嗟に吹きつけ、あるいは吸い込み、間合いを惑わせる。
息子が死んで、国を出た。
凡庸な神詠術とこの拳だけで、闘い続けた。
強くなるために修練を重ね、戦場を点々とした。遥か格上の風使いと渡り合ったこともある。『双拳武術』で頂点の座に君臨したこともあった。
そうして闘い続けた日々の涯て。
ようやく、ここまでたどり着いた。
全ては――この男と闘うために。
自分という存在がいたことを、その身へと刻んでやるために。
「――ふむ。よく立ち上がるなァと思ったが、地面に叩きつけられる瞬間、風で衝撃を緩和してやがるんだな」
アルディア王はあっさりと看破し、ディーマルドのほうへと歩みを進める。
瀕死の拳士は、その場に立ち尽くすのみ。
もう間合いを詰める体力は残されていない。しかし、一撃。
拳を一度だけ放つ程度の力なら、残されている。
ありがたいことに、アルディア王は遠距離から神詠術を仕掛けたりするのではなく、一歩一歩、ディーマルドへと向かってきていた。
最後まで、素手の勝負をするつもりだった。
「な……ぁ、アルディア……さんよ」
最期を迎えるその前に、聞いておきたい。
「アンタ……小より大を、……より大きな利益を齎すものを……取るみてぇだけどよ」
アルディア王が――間合いに入った。
「もし……自分の娘が……リリアーヌ姫が、アンタの道を阻むとしたら。不利益を、齎すとしたら。アンタ、どうするんだい。自分の娘を、殺せるのかい」
アルディア王の表情に変化はない。
ただ、その問いに答えた。
「無論。自分の娘であれ、国にとって負となるのであれば……万が一にも災いを齎すのであれば――――殺す」
「……!」
高みからディーマルドを見下ろす、その双眸。
場合によっては自分の子をも殺めると言い放つ、その男。
――この目は、何だ。
どうして、そんな目ができるんだ。冷たく、感情のない――しかし驚くほど凪いだ瞳で。
怪物だ。目の前にいるのは、三十二万の群れを統べるという使命を帯びた、人の形を成す『何か』。
人外の存在とすら思われる巨大な王は、不意にニッと白い歯を見せた。
「けどよ、まぁ……リリアーヌが俺と対立するようなことがあるとすりゃ、それは俺よりも優れたやり方を見つけた時だろうよ。そうなりゃ、邪魔になるのは俺の方だ。そん時ゃ、潔く俺の方が消えてやるさ。自分の娘にブスッと殺られるのも悪くねぇ。ん? ちょっと親バカか?」
「……、はっ」
――いいだろう。なら、試してやろうじゃねぇか。
拳を握り締める。
最後の拳を直撃させるに足る手段が、ディーマルドには残されていた。
ここまで来て、奇麗事はなしだ。ダーティに徹せ。
そう覚悟を決めて、目前に立つ異国の巨王を見据えた。
「へっ……じゃあ……この状況、どうするんだい」
「この状況?」
アルディア王は、何のことだといわんばかりに眉をひそめる。
「アンタが、この決闘に勝ったら……神詠術爆弾は……どうなると思う?」
陳腐な脅迫だった。
貴様が勝てば、爆弾が炸裂するぞ――という。
「決闘に勝って……この場の全員もろとも、吹っ飛んでみるかい」
王はふむ、と呟いて両手を広げた。
「打ちな」
明らかにノーガードとなった国王を見て、観衆たちにどよめきが広がる。
笑ってしまう。
無抵抗の相手をぶちのめすだけでは気が済まない、などと吼えておきながら、こうでもしなければ拳を当てることができない自分に。そうでもしなければ、収まらない自分に。
今更だ。このために起こしたテロなのだ。手ぶらで死ねる訳がない。
アスターに会わせる顔も、とうにない。この男を道連れに――堕ちてやる。
「――――」
一拍置いて、ディーマルドは右の拳を繰り出した。
重厚なガントレットによる、黒鉄の一撃。卑劣な、全身全霊の一撃。
躱すことを禁じた――絶命の一撃。
ブォン、と凄まじい轟音が空を切る。
アルディア王は首を横に傾けて、ディーマルドの拳をあっさりと躱していた。
「――――な」
おい。何で避けてんだ。神詠術爆弾があるって言ってんだろう。
「ふ、は」
いや、いい。それでいい。
やはりこの男も、何だかんだと偉そうなことを言っておいて、我が身可愛さのあまりに拳を避けたのだ。それが分かっただけで充分だ。
入れ替わるように、ディーマルドの目前へと巨大な手のひらが迫る。
一撃を入れることは叶わなかったが、充分だ。
所詮はこの男も、ただの人間。いざとなれば自分が死ぬ覚悟もある? 笑わせるな。
口だけの王め。本当に俺を倒すことで神詠術爆弾が発動したなら、どうするつもりなんだ。何という無策。最高の無様さだ。冥府へのいい手土産となっ――
「爆弾だぁ? 茶番は、終わりにしようぜェ」
愉しそうな声だった。
瞬間、拳士の思考が停止する。
その言葉の意味を、考え――
――ようとしたディーマルドの顔面に、アルディア王の掌底が叩き込まれた。
「……、――――」
キ――ンと、音が聞こえた気がした。それきり、無音となる。耳から、鼻から、口から、温かい何かが溢れ出す。視界が朱に染まる。
がくんと膝が崩れた。
抜け落ちていく命を感じながらも、思考を巡らせる。
――ああ。そういう、ことか。
気付いてたのか。
神詠術爆弾なんて、フェル・ダイには仕掛けられていないってことに。
両膝が、ガクリと地面についた。
「済まんな」
小さな声だった。くぐもったような、篭もったような声が聞こえる。
「俺を殴るためだけに、その拳を磨き上げたんだろう。だからこそ、その拳を受けることはできなかった。いくら俺でも、んなモンがまともに当たったら死んじまうからよぉ」
ぐらりと、ディーマルドの身体が傾く。
待て。
じゃあ、なぜだ。爆弾が嘘だと知っていながら、こちらの要求を飲む必要がないと分かっていながら、どうして要求に応じた。どうしてこの決闘を受けたんだ。
「解放された人質から聞いた。賊の中に、子供を失った親がいるみてぇだってな。ピンと来たよ。子供……親、外国人。ラインカダル以外にないと」
虚ろに響く、寂しげな声。
「貴様の……息子の無念、当然だ。俺を恨め。俺だけを恨んで、死んでくれ。ただ、この世界や神を恨まないでくれよ。また貴様が生まれ変わる、この世界を。それを成すだろう、神々を」
何だよ、この野郎は。全てを……悟ったような、ことを。
「いるんだよなぁ、たまに。俺だけじゃなくて、全てを呪いながら死んじまおうとする奴が。だからよ……」
うつ伏せに倒れ、ざらついた石畳の感触が頬に伝わった。
「俺だけを恨んで、死んでくれ。その名は忘れねぇ。戦士ディーマルド」
ただ、愚直。
ついてけねぇよ、バカ野郎。
心のどこかで、そんな悪態をつきながら。
しかしなぜか、自分の頬が笑んでいるを感じながら――ディーマルドの意識は黒に染まり、深く堕ちていった。