10. 少女たちの憂い
「ちょ、ちょっと……なんの騒ぎなのこれ!」
ベルグレッテは騒ぎの中心に見知った顔ぶれを見つけ、慌てて走り寄った。
「え……これってまさか、決闘……?」
「ベルちゃーん! リューゴくんすごいんだよ! こう、すごいんだよ!」
興奮のあまり抱きついてくるミアの頭を抑えながら、流護に視線を向ける。
「い、いやその。えーと」
当人はといえば、何となく気まずそうに目を逸らす。
「……なんでこんな、リューゴ……あなた、こんなの受けるなんて」
「いや、ベル。これはどーしても、って俺が頼んだんだよ」
答えたのは倒れたままのエドヴィンだった。
「や、まあ。しかけたのは間違いなくあなたでしょうけど……」
ゴーン……と、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴る。
それを合図に、人だかりも興奮覚めやらぬといった様子でそれぞれ散っていく。
大の字で横たわったままのエドヴィンに、ぬっ……と巨大な影が差した。ギャラリーの中にいたのだろう。ダイゴスだった。
「おー肩貸してくれや、ダイゴス。立てやしねーぜ。ハハッ」
「……、」
そう言うエドヴィンの顔は今まで見たことがないほど晴れやかで、ベルグレッテはわずかに困惑した。
「気は済んだか。エドヴィン」
「う、うお喋った」
喋ったダイゴスに驚いたのか、そんなことを言ってしまった流護へ顔を向け、ダイゴスは「ニィ……」と意味深な笑みを見せる。
「ダイゴス……まさかあなたまで、リューゴと闘いたい、なんて言わないでしょうね……」
ベルグレッテは腕組みをして、訝しげな視線をダイゴスに向けた。
「フ……興味がないな」
その答えを聞いて、ベルグレッテは安堵する。
「……と言うのは負け惜しみかの。正確には、勝てぬと分かっている相手と闘う気はない、といったところじゃな」
エドヴィンに肩を貸して歩き出しながら、ダイゴスは振り返らずにそう言った。
「あー。やっぱ、おめーでも無理?」
「無理じゃな」
「…………」
ベルグレッテは、そんな会話をしながら遠ざかっていく二人の後ろ姿を無言で見つめていた。
「……ベルちゃんどうかした? ほら、リューゴくんも戻らないとじゃない? お昼休み終わりだよー」
「そ、そうだな」
流護も、仕事場へ戻ろうと歩き出す。
その背中を見送りながら、ミアが興奮気味にまくし立てた。
「いーやー。すごかったんだよリューゴくんってば。かっこよかった! いやいやまあ? あたしのベルちゃんに対する気持ちは変わらないから安心して!」
ベルグレッテの胸に顔を埋めながら、ミアは顔を上げる。
「……ベルちゃん?」
「…………」
ミアの声に答えず、少女騎士は歩いていく流護の後ろ姿を見つめていた。
「は? なんつったんすか? 今」
流護は思わず聞き返していた。
「え? いや、だから……リーフィアちゃんの手作りケーキをくれるって、エドヴィンが言うもんだからさ……つい、魔が差しちゃって……ねえ?」
ボサボサの白い頭を掻きながら、気まずそうにロック博士が自供する。
「いや、そのリーフィアちゃんが誰だか知らんけど。つまり女生徒の手作りケーキと引き換えに、俺の情報を売ったんすね?」
その問いには答えず、窓の外を見る博士。どこか郷愁を漂わせた表情で、男は語る。
「――ボクにはね、娘がいるんだ。生きていれば今年で十四になる。ボクはあの子が生まれてすぐ、遠く離れたこの地に来てしまったからね。分かるかい? 同じ年齢のリーフィアちゃんに、娘の姿を重ねてしまうボクの気持ちが。分からないだろう? ああ、リーフィアちゃんの、あの愛らしい顔……さらさらな髪……控えめな胸……娘も今頃、あんな風に育ってるのかと思うと……」
おい。犯罪者がいるぞ。
ベルグレッテの話によれば女子生徒の大半がロック博士を苦手としているとのことだが、その理由がよく分かった気がした。
「そもそも博士の娘さんとか……博士そっくりな顔に育ってたらどうす――」
「キミはアアアァァ! ここへ何しにきたのかねエエェッ!」
ぐるん! と妖怪じみた動きで流護のほうへと振り返るロック博士。
「いやあ、今日の夕陽はきれいな赤だよねえ。キミも人体改造であんな色になってみるかい?」
完全に目が据わっていた。
窓の外――遠い空に輝く夕陽のせいで、後光が差しているように見えて不気味さが増している。
「いやだから……あれ、なんで俺が責められる流れ……?」
ロック博士がなぜエドヴィンに情報を漏らしたのか、その理由を聞きにきた流護だったが、何だかどうでもよくなってきてしまった。
意味深に「あまり目立たないようにしたほうがいいよ」などと言っておきながら、あっさりと博士自らばらし、その理由が女生徒のケーキである。脱力してしまうのも無理はない。
「もういいや……帰るっす」
「んん? そうかい?」
出口へ向かって歩き出した流護の足元に、どさっと紙の束が落ちてきた。通りかかった脇の机から落ちたようだ。
「おっと悪いね。拾ってくれるかな?」
「へいへい……」
流護は紙束を手に取る。
ふと紙に記された内容が目に入った。何かの研究資料なのか、書いてあることの意味は分からない。分からないが、字を読むことはできた。文字の形こそ微妙に違う部分もあるが――これは、日本語だ。
この世界の文字を目にしたのはこれが初めてだったが、日本語としか思えない言葉を話している以上、文字が日本語に酷似していてもおかしくはない……のだろうか?
「……そういや博士。この世界の言葉って、『何語』っていうんですか?」
「イリスタニア語。よほどのことがない限り言葉が通じないなんてことはないから、安心していいよ。数年前に北西の山脈を越えてきた部族が全く新しい言語を話してた……なんてこともあったけど、まあボクらは気にしなくていいんじゃないかな」
「……例えば、なんですが」
流護は紙の束を机上に戻し、そのままトン……と手を置く。
「机、ですよねコレは」
「そうだね」
「デスク、っていう場合は『何語』になるんですか?」
「それもイリスタニア語だよ。ま、一口にイリスタニア語といっても、遥か昔にどこかの国で使われてた言語なんかが色々と入り混じってるそうだけど」
「……そうなんすか……」
広い宇宙だ。地球以外にも知的生命体がいる確率というのは、実はかなり高いのではないかと流護は思っている。
しかし。地球の『人間』と同様の姿、文化、言葉を持つ別世界の『人間』が存在する確率。さらには、そんな存在に遭遇する確率。それは、どれほどのものだろう。
元の世界に戻れれば、このグリムクロウズという世界が存在するという事実は世紀の大発見となるだろう。まあ誰かにそんな話をしたところで、頭がおかしくなったと思われるのがオチだ。
ふと。ベルグレッテを地球に連れて行ったらどんな反応をするのだろう――などと、流護は夢想した。
「ところで流護クン。身体の調子は大丈夫かい?」
「は?」
「ここ数日、身体の調子が悪いとか……そういうことはないかい?」
「え? いや、別に……」
調子が悪いどころか、弱い重力のせい(多分)でちょっとした『超人』扱いだ。
「そうか、ならいいんだ。変なことを訊いたね」
「……?」
不思議に思いながらも、流護はロック博士の研究室を後にした。
「――――」
博士の研究棟を出ると、ベルグレッテが城壁に背を預けて、夕暮れの空を見上げていた。
その横顔はどこか寂しそうで、しかしあまりに美しく――完成された一つの『画』を思わせるその光景に、流護はしばし呼吸を忘れて魅入ってしまう。
「あ。お疲れさま、リューゴ。博士になにか用だったの?」
「お、おう……いや、エドヴィンに俺のこと話した理由を聞きに来たんだけどさ」
「ああ、そうなんだ。なんて?」
「何とかって女子生徒のケーキがもらえるからとか……」
「あ、あー。リーフィアかぁ……は、ははは」
乾いた笑いを上げるベルグレッテだった。
「やべえよあの人……犯罪一歩手前だろ、どう考えても……」
「はは……夕ごはんにしましょ。ミアが待ちくたびれてるわよ」
二人で学生棟へ向けて歩き出す。そこへ、
「よう」
静かな声をかけてきたのは、エドヴィンだった。
「エドヴィン……まさかあなた、また」
「ち、違えよ。そこの転入生……じゃなかった、アリウミリューゴにちっと話があるっつーか……」
「アリウミかリューゴかにしてくれ」
「どっちが名前なんだ……? まァいいや、じゃ、じゃあアリウミ」
なぜか少し恥ずかしそうに頬を染めながら(やめてくれ)、エドヴィンが目を逸らして言う。
「俺ぁ……何を喰らって倒されたんだ? みっともねーが、記憶が飛んでんだよ。気がついたらブッ倒れてて、むしろスカッとしちまったぐれーだったけどよ。そこだけモヤモヤしてんだ。自分がせめて何でやられたのかぐれー、知っておきたくてよ」
その言葉を聞き、流護は春の空手の大会を思い出した。
気がついたら負けていた。あの悔しさは、今でもはっきりと覚えている。
「右のパンチ。大技は詠唱に時間がかかる、とか周りに集まった人が言ってたからさ……あんたが単発の火の球で牽制してきた時点で、次の大技の詠唱ができてないって判断して、一気に突っ込まさせてもらった」
「へっ、あれだけでそこまで……まァ大技もクソも、スキャッターボム弾くようなヤツ相手じゃどうしよーもなかったけどよ?」
そういうエドヴィンは笑顔だった。そのまま二人に背を向け、歩き出す。
「ま、それが聞きたかったんだ。じゃーな。次は……一発ぐれー当てるぜ?」
「ああ。次があったらな」
炎の男は振り返らず、ただ右の拳を空へ向かって突き上げた。
「…………」
そんなクラスメイトの後ろ姿を、無言で見送るベルグレッテ。
「どしたベル子?」
「う、うん。昼間もそうだったんだけど……エドヴィンのあんな笑顔、今まで見たことなかったから」
「あれか! 男はコブシで分かり合うってやつかあ!」
いきなり割って入ってきたのはミアだった。
「たしかにエドヴィンがあんなふうに笑うの初めて見たかも。まあどうでもいいけど! さ、ごはんごはん。ごはんにしよー!」
「何でそんなテンション高いんだミア……」
元気娘ミアは両手で流護とベルグレッテの腕をそれぞれ取り、ぐいぐいと二人を学生棟に引っ張り込んでいくのだった。
「リューゴくーん! お昼ごはんの時間ですぞー!」
翌日の昼休み。またもベンチでパンを食べようとする流護のところへ、だーっとミアが駆け寄ってきた。相変わらず見ているほうが疲れそうな元気っぷりに、少年は苦笑する。
「い、いや気持ちは嬉しいんだが……他の友達はいいのか?」
「うーん。クレアちゃんは学院来てない時期だし、レノーレは気付いたらいないし、アルヴェは風邪で休みだし、ベルちゃんは今日なんか様子おかしいし……ん? リューゴくん、もしかしてあたし来ると迷惑だった?」
「い、いやいや、全然そんなこたないんだけどさ」
今まで彩花以外の女子と一緒に食事をした経験などなかった流護としては、まだ恥ずかしさが拭えないのだった。三人ならともかく、二人っきりとなると余計に。
「そういや、ベル子とはいつも一緒にメシ食ってる訳じゃないのか? 昨日は決闘でアレだったけど、アイツが来たのは昼休み終わり際だったし」
「ううん、わりと一緒だよ。そりゃもう相思相愛ですから! まあベルちゃんクラスリーダーだから、忙しくて一緒に食べられないことも多いんだよね。……でも今日は、そんな忙しいわけじゃないと思うんだけど……」
珍しくミアが言葉を濁す。
「なんか今日のベルちゃん、様子がおかしいんだよなー。ぼーっとしてるっていうか」
「様子がおかしい?」
「うん。まあベルちゃんも女の子だから、そういう日もあるのは当然なんだけどもー。……いやでもベルちゃんの『女の子の日』ってまだのはずなんだよなぁ……」
もぐもぐと両手でパンを食べながら、とんでもないことを言い出す。
いや何でミアがそれを把握してんだよ、と思ってもさすがに声には出せない少年だった。聞かなかったことにしよう、と心に決める。
「そ、そういやさ。ミアってどんな神詠術使うんだ?」
妙な話題になってしまう前に、流護は慌てて話を逸らす。このあたりは思春期の本領発揮である。
「……もぐもぐ……、んくっ」
しかしミアは流護の問いに答えず、食べ終わったパンの袋を片付け始めた。
え? まさかのスルー? と不安になり出したあたりで、片付けを終えた彼女はゆっくりと流護のほうへ向き直り――その小さな両手で、包み込むように右手を握ってきた。
「は、はっ? い、いや何してんだミア……っ!?」
当然というべきか動揺する流護。ミアは手を握ったまま、無言で見つめてくる。
元気娘というか暴走する小動物というか、そんな印象の強い少女だったが、改めて見るとかなり可愛い。ぱっちりとした二重まぶたが印象的で、日本人に近いハーフのような顔立ちだ、と流護は息をのむ。
「なんだと思う? あたしの神詠術」
「へ? い、いや。ていうかなんで手を――」
「――ネェ。ナンダト思ゥ? アタシノ、神詠術」
ぞくり、と。
流護の背筋が凍った。
今までに聞いたことのない、静かな声。今までに見たことのない、冷酷な瞳。
「ミ、ア……?」
あまりにも唐突なミアの豹変に、流護はかすれた声を上げる。
「あたしの神詠術はね……雷。ねぇリューゴくん。この状態からだと、『どっちが速い』のかなぁ……?」
幼いながらも妖艶な色気すら漂わせる声と、感情というものが全く感じられない瞳に、流護はただ戦慄する。
ミアに握られた、右の拳。流護の腕力ならば瞬時に振りほどくことは容易だろう。しかし、『雷』という彼女の力。稲妻の速度は、秒速百五十キロメートルに及ぶともいわれている。
流護が少しでも動く素振りを見せれば、瞬時に――
「なああぁんちゃってー!」
と、ミアが満面の笑みを浮かべた。
「……、はっ?」
「ね、びっくりした? びっくりしたろー!」
ぱっと流護の拳から手を放す。
「ふひひひ。そんなわけであたしは雷だよー。こう見えても、エドヴィンのバカなんかよりはずっと優秀な詠術士なんだぞ」
少女は偉そうに腕組みをして、ふんっと鼻息を漏らした。
「ってもなー。リューゴくん、スキャッターボムを素手で吹っ飛ばしちゃうぐらいだもんね。あればっかはエドヴィンの技とはいえスゴイほうだし……。となると、あたしが電撃とか流しても効かなそう」
「は、はあ」
「え、えっと。大丈夫? おどかしすぎた? まいったな。あたし、演技で食べていけるのかもしかして」
「……い、いけると思うぞ、まじで」
流護はようやく落ち着きを取り戻してきた。
「んふふ、そっかそっか。演技もいけるし、神詠術もいけるし、かわいいし、将来安泰すぎるなーあたしってば」
「かわ、いい……?」
「なにっ、そこツッコむのかよっ。むー。やっぱ、リューゴくんってベルちゃんがタイプなの? ――やっぱ、ここで消しておこうかな……?」
またも声音を変えて、冷たい瞳を向けてくるミア。
「や、やめれ」
「ぷっ、ははははっ。あんな強いくせに面白いなー。まあ、あたしじゃリューゴくんをどうにかするなんて無理だから安心して。エドヴィンだったら百回勝負しても負けないけど。『ミア公やらせろ!』なんて襲いかかってきても撃退ヨユーです。でもリューゴくん相手だと、たぶん無理だから……、そのときは、責任取ってね……?」
何やら恥ずかしそうな上目遣いで流護を見つめてくる。
「い、いやなんの話だよ。ってか、ミアってそんな優秀な詠術士なのか? ……って訊くと、優秀って答えるんだろうな」
「ぬえーい先回りしおってー。こう見えても、春の順位公表では三十七位だったんだから! この学院で、三十七番目に優秀な詠術士ってこと。どうだ」
「すまん。ピンとこない」
「なんでじゃあ! 学院の総生徒数、三百八名。その中で三十七位。いや、いい気になるには早いし、まだまだがんばるけどね!」
つまり学校の成績が三百八人中、三十七位ということか。
そう考えると、学校の成績など半分より下で安定していた流護にしてみれば、すごいことだと理解できた。
「す、すげえ! すげえんだなミア! いやー俺、てっきりミアってバ……」
「……バ?」
「なんでもありません」
「…………」
「ミアさん、今日の夕ご飯どうしますか? 何かおごらせてくれませんか?」
流護はダメな男だった。
「いっ、いやでも。マジで。三百八人中、三十七ってすげえと思うよ、ほんと」
「ま、まあ? 二百五十位以下のエドヴィンなんかに比べれば全然いいんだけど……、まあ、うん」
いざ素直に褒められると、顔を少し赤らめて目を逸らすミアだった。
「エドヴィンなんて、ローソクに火をつけるのもまともにできないからね。ローソクいきなり全部溶かして、『俺ぁ実戦派なんだよ。チマチマしたのは性に合わねえ』とか言うし。アホかっての、もう。まあ実際、模擬戦闘の成績はいいんだけどねアイツ。それ以外が足ひっぱりまくってるから」
「ははは。なんかイメージ通りだなそれ……、あれ? 生徒の総数が三百八? 学院って四年制だよな? 学年ごとに分かれてないのか? その順位とか」
「ん。神詠術の学院ってのは普通の学校とは違って、新入生も四年生もみんな一括で順位出すんだよー。定期的に」
「へえ……四年になって、新入生にいきなり順位負けたらヘコみそうだけどな」
「うん、そういうのは普通にあるよ。……へっ、所詮は才能がモノを言う世界なのさ……」
ミアが三十七位。
エドヴィンが二百五十位……以下。
となれば、やはり気になるのは――
「そいやさ。ベル子って何位ぐらいなんだ? なんか一位っぽいイメージだけど」
瞬間。ミアの表情から、色が消えた気がした。
「まったくリューゴくんってば。二人っきりでいるときに他の子の名前出すとか、いけないんだからねー? ……ベルちゃんは、六位だよ」
六位。
少し意外だった。一桁台なんてすごいことに違いはないのだろうが、手際よく物事を処理したり、教師の代わりを務めたり、おっぱいが大きかったり……およそ欠点というものが見つからないので、何となくトップという印象を勝手に抱いていた。
「ベル子の上に五人もいるのか。想像つかねえな……」
「ううん。ベルちゃんが一位だよ」
「は?」
一瞬、ミアがおかしくなったのかと思った。
「実質、ベルちゃんが一位。……あたしは、『ペンタ』なんて認めない」
「……『ペンタ』?」
何度か聞き覚えのある単語だった。
「さっき言ったとおりだよ。才能がモノを言う世界なの。世の中には『ペンタ』って呼ばれる天才さまがいてね。あたしたちの努力なんて関係なしに、ただ『ペンタ』ってだけで問答無用で上位に位置づけされるお人がいるの。この学院にも五人いるから、ベルちゃんは自動的に六位になるの」
この少女らしくない、忌々しく吐き捨てるような口調だった。
「天才、か……」
「……あんなに努力してるベルちゃんが認められないなんて、おかしいもん……」
ミアはその『ペンタ』を好ましく思っていないようだ。
それも当然か。どれだけ努力をしようが問答無用で『ペンタ』とやらの下にランクされてしまうのなら、馬鹿らしくて投げ出すと流護でも思う。
そういえば。この学院に初めて来た日の夜、ロック博士が何か言っていた気がする――と少年は思い起こした。ベルグレッテは上から六番目の詠術士で、上位五人は訳ありだとか何とか。あれがまさに、その『ペンタ』のことだったのだろう。
「まあ、あの人たちは基本的に学院来ないし、あんま関係ないんだよ実際。あたしのベルちゃんが一位です。六位だけど一位です。異論は認めません!」
そんな会話をしている二人のところへ、一人の少女が近づいてきた。
さらさらした金髪を肩まで伸ばした、メガネの女子生徒。大人しそうで整った顔をしているが、無表情。静かに咲く花みたいな印象だ。
この子見覚えがあるな……と考えかけて、すぐ思い当たった。
ベルグレッテのクラスへ行ったとき、流護のほうを全く見向きもせずひたすらノートを取っていた少女だ。可愛い子はよく覚えているのだ。年頃の少年とはそんなものである。
「あっ、レノーレ。どしたの?」
レノーレと呼ばれた金髪メガネの少女は、やはり無表情のまま、イメージ通りの静かな声でミアに呟いた。
「……午後の予習、終わった? ……今日、ミアが指名される番」
「え? ……あ、あああぁぁああぁ! 忘れてたぁ! なんだっけ? 内容!」
「……ファーヴナールについて」
「ファーヴナールってなんだっけ! いやさすがに知ってるけど、なんだっけ!」
レノーレは小さく息を吸い込んだ。
「……クラスSの怨魔。古いおとぎ話や詩などに伝説の邪竜として謳われていたが、その実在が五百年前に確認された。が、実際の目撃報告は皆無に等しい。寿命は二千年とも云われ、餌を求め一定周期で世界中を彷徨っていると考えられている。硬質な鱗に覆われた皮膚と、鋭利な爪を伴う強靭な四肢、広範囲を移動するための巨大な翼、岩盤をも噛み砕く太い牙を持つ。六十年に一度、ファーヴナールの年と呼ばれる厄年があり、不吉なことが多く起こるとされている。尚、今年がその年に相当するが、全ての民衆は風評に惑わされず行動すること。……覚えた?」
「覚えられるかあああぁー!」
ガターン! とミアが立ち上がる。
コントみたいだな、と流護は何だか微笑ましい気持ちになった。
「……じゃあ、昼休みのうちに覚えないと」
「そ、そだね。よけいな補習受けたくないし……」
ミアは流護のほうへ顔を向け、
「ごめんリューゴくん、あたし行くね! また放課後に!」
「お、おう。勉強がんばってな」
「おうよー! いこ、レノーレ! さっきのもっかい教えて!」
元気に走っていく元気娘。
対照的に、レノーレは静かに歩いてミアの後をついていく。
「……勉強、か。したくねーしたくねーって思ってたけど、俺はどうすんだかな……こんな世界に来ちまって」
やや自嘲気味に、少年は独りごちた。
何気ない日常こそが幸せ……とはどこで聞いた言葉だったか。
「……あ。そういやベル子、来なかったな。様子が変だとかミアが言ってたけど……」
そんな呟きとほぼ同時に、昼休みの終わりを告げる鐘が鳴り響いた。