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終天の異世界と拳撃の騎士  作者: ふるろうた
1. グリムクロウズ
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1. 約束 -Transition-

 有海流護ありうみりゅうごが路地裏を出る頃、辺りはすっかり暗くなっていた。


 時刻はもうすぐ夜の八時。寂れた片田舎の商店街を照らす明かりはどこか貧相で、薄汚れた街灯には名前も知らない虫が群がっている。すでにシャッターの閉まっている店も多かった。

 今日は金曜日なので、家路を急ぐ必要もない。


 一休みしようと考え、潰れそうなアイスクリームチェーン店の前に設置されたベンチへ向かう。

 店の薄汚れたガラスに流護の姿が映り込む。普通、と評される容姿だった。


 黒く短い、飾り気のない頭髪。顔立ちはどちらかといえば女性的と言われ、背は決して高くない。当人としては常々、百七十センチは欲しいと思っているのだが、あと数センチが思いのほか伸びずに困っていた。

 服装は学校帰りのため、上下とも黒で統一された、これという特徴もない学ラン。


 二十人ぐらいに訊いてみれば、三人は『かっこいい』と答え、二人は『かわいい』と答え、一人は『尻を貸せ』と答え、残りは『普通』と答えるはず――とは部活のマネージャーの言。



 だからこそ。そんな流護の両手が血にまみれているのは『普通』ではないのだが、当の本人はあまり気にしていなかった。



 流護はベンチの背に身を預け、行き交う人波を眺める。人通りはさほど多くない。

 足早に通り過ぎるスーツ姿の大人、談笑しながら歩く学生たち。見慣れた――見飽きたと言ってもいい、いつも通りの光景。何も感じない一場面。


「あ。流護。なにしてるの?」


 そこで不意に、横合いから声をかけられた。よく知る少女の声だった。

 流護は人波を眺めたまま、相手のほうを見ずに答える。


「『アンチェ』でクソ突進ばっか繰り返してくるキマイラについて考えてたんだ。彩花あやかはどう思うよ? 俺はあれ調整ミスじゃねえのかと思うんだけど」

「ああそう。引きつけてステップでいいんじゃない? 私なら、まず近接武器で行かないかな」


 少女は――彩花はどうでもよさそうに答え、流護の隣へと腰掛けた。


『アンチェ』というのは、人気爆発中の四人プレイ対応アクションゲーム『アンチェインド』のことだ。四人で協力して強大な敵に立ち向かうゲーム……かと思いきや、その真髄は敵を倒した後に始まるドロップアイテムの争奪戦にあった。友達をなくしそうなシステムである。

 流護はゲームが上手いほうでなかったので、アイテムの奪い合い以前に敵がまともに倒せず、何度「もう直接殴らせろこのクソモンスター」と思ったか分からない。


「ガトリングでも使えば? 照準合わせなくていいし」


 流護は「近接武器でボコしてえんだよ」と溜息をつき、ここでやっと彩花へと顔を向けた。


 紺色のブレザーに、同じく紺色をした膝丈のボックスプリーツスカート。そんな同じ学校の女子の制服に身を包んだ少女は、腰まで伸ばした艶やかな黒髪が印象的で、小さく整ったかなり愛らしい顔立ちをしている。――が、子供の頃から一緒に育った妹のような存在。妙な感情は持っていないと少年は自負している。


「で、お前は何してんだ? こんな時間に」

「……えーと、ちょっと時間つぶし、かな」


 彩花が目を逸らしつつ、どこか言いづらそうに答えた。


「あー、彼氏待ちか。金曜の夜だしな。仲がよろしいこって」

「…………、なんでそういう言いかたする……っ、あんた、それ」


 不満の声を上げかけた彩花が、流護の手を見て硬直した。


「あ? 何だよ。意外とゴツゴツしててセクシーな俺の手に見とれてん……、あっ」


 流護は彩花の視線を追って、思わず声を漏らす。

 拳が血にまみれているのをもう忘れていた。すでに黒く変色し、固まりかけている。


「ケチャップです」

「ずいぶん質の悪いケチャップね。クレームつけるわ。……まったく、空手部エースの有海流護がケンカとか、なに考えてんのよ」

「絡まれたんだからしょうがねえだろ。それとも何か、ただ一方的に殴られ続けろってのか。どんな聖人だよ。死んでしまいます。優等生の蓮城れんじょう彩花さんは言うことが違うな」

「そこまで言ってないでしょ。警察沙汰にでもなったら……」

「路地裏だから誰も見てないし、やられたヤツが通報することもない」

「なんで言い切れるのよ。誰も見てないかはともかく、やられたヤツが腹いせに通報するのはありえるでしょ?」

「んー……仮にあったとして、少なくとも数ヶ月は大丈夫じゃねえかな」

「……意味分かんない」


 喉と指を潰しておいたから、と言うのはやめておいた。


「だいたい、流護に万が一のことがあったら……」

「ねえよ」

「なんで言い切れるの……そんなこと」

「ねえもんはねえ。今回は三人だったけどな。これが三十人同時でも、負ける気はしねえ」


 油断はしないが、警戒もしない。例えば今回の相手。

 そもそもロクに鍛えていない枯れ木のような細腕で何をしたかったのか不明だが、腰履きしてずり下がったズボンと、踵を踏み潰して履いた靴では、まともな蹴り一つ出せないのだ。連中は暴力の匂いを振り撒いて街を闊歩しているように見えて、「実はケンカなんかできません」と公言しているに等しい。

 それが流護の考えだった。本気で三十人を相手にしても倒せると思っている。

 ……一度、同じような服装をしたらろくに走れなかったのだ。適度に逃げを交えつつ各個撃破でいける。間違いない。


「っつーか、俺のこたあどうでもいいだろ。お前、彼氏いるんだしさ」

「彼氏がいたら、流護の心配しちゃいけないの?」

「なぁーにが心配だ、俺のカーチャンかお前は。例えば俺に彼女がいて、その彼女が他の男のことばっか心配してたら、俺なら嫉妬するけどな」

「それは流護の場合でしょ? 先輩はそんな人じゃないもん」

「おおーっと、何ナチュラルにノロケ入ろうとしてんだ。もうさっさと行け、おら」


 しっしっ、と手で追い払う仕草を見せる流護。


「……、だからなんでそういう言いかた……、っ」


 声を上げかけた彩花が、携帯電話を取り出した。

 着信音は鳴らなかったので、マナーモードにしているのだろう。メールだったようで、目を通すと慌しく立ち上がった。


「……、じゃあ私、行くけど」

「あいよ。ぐっない」

「…………」


 立ち上がった彩花は、動こうとしない。


「ん? どした」

「……ねえ。明日って、ひま? ……時間、作れない?」

「え?」


 唐突な申し出に、流護は少し戸惑った。

 こんなことを言われたのはいつ以来だろう、と思う。


「いや、誘う相手が違うんじゃねえのか。暇っちゃ暇だけどさ」

「……そっか。分かった」


 流護のほうを見ずにそっけなく呟いて、彩花は歩き出した。長い黒髪が風になびく。

 その姿はあっという間に人ごみへ紛れ、消えていった。


「……なんだってんだ。……あ」


 結局、明日はどうするのだろうか。聞きそびれてしまった。

 まあ用事があるなら、電話の一つでもかかってくるだろう。

 あまり深く考えないことにし、流護は深々と溜息をついた。






 閑静な夜の住宅街をぽつりぽつりと照らす街灯の光は、月が出ていないせいもあってか、寂しさを際立たせているようにも見えた。

 軽自動車がすれ違うにも苦労する狭い舗道を歩き、どこからか聞こえてくる犬の遠吠えを聞きながら、今にも潰れそうな木造の一戸建ての前へ到着する。

 ……と同時に、流護は靴裏にぐにゃりとしたものを感じた。犬のフンだった。


「……ノォ……」


 見なかったことにして、立て付けの悪くなった玄関の戸を引き開ける。鍵がかかっていないことは分かっていた。そのくせ、誰もいないことも分かっていた。


『……以上のことからも分かるように、失踪から十四年が経った今でも、岩波教授の説は支持されているのですね。つまり……』


 散らかった居間のテレビはつけっぱなしで、電気もつけっぱなし。窓も全開。いつものことだが、よく考えたらこの物騒なご時世に大したものだ。いや、むしろ人がいるように見え、高い防犯効果を期待できるかもしれない。

『ニュートリノがどうたらこうたら』とよく分からないことを垂れ流すテレビを消し、どっかとソファに腰を下ろす。それが合図だったようなタイミングで、玄関の戸を開ける音がした。続いて鳴り響く、ドカドカとした無遠慮な足音。


「おーう、帰ったか流護」


 精悍な顔つきだが、だらしなく伸ばした無精ひげ。流護とは真逆の、無骨で大柄な体格。上は白いTシャツ一枚に、下は迷彩柄のミリタリーパンツ。森の中で遭遇したら何の特殊部隊かと思うような男が、堂々とした足取りで居間に入ってきた。


「早えな。テレビぐらい消して出ろよ、親父」

「おう忘れとったわ。……それより流護、お前――」


 珍しく真剣なトーン。真面目な話でもあるのだろうか――と思う流護だったが、


「犬のクソ踏んだろ」

「落ちてるの分かってて放置したのかこの親父……」

「いや、お前が片付けるかなと思って……」

「なぜそう思ったのか」

「じゃあ今度から最初に踏んだ人間が片付けることにする。これ家訓な」

「もう親父の靴の裏に塗りたくっとくわ……」


 結局、いつも通りの会話だった。


「そういや流護よ、最近は彩花ちゃんどうしたんだ?」

「何が?」

「ちょっと前はいっつも一緒だったろうが。結婚の約束してなかったか?」

「いつの話だよ。忙しいんじゃねえの……色々と」

「ふーん。いいからたまには連れて来いよ。お前の事情はどうでもいい、俺が見てえ。もう彩花ちゃんも十五だよな。さぞイイ女に……」

「今の時代、十五相手にそんなこと言うと犯罪だぞ」

「十五ったら大人だろうによお。今の日本は甘えんだよな……さーて一杯やるとすっか。もう夏になるしな、冷えたビールをこう……あれ?」


 これまたいつもどおりに晩酌をしようと冷蔵庫を開けた父親が、ゴソゴソと物色しながら首を傾げている。


「っだよ、枝豆チャン切らしてたか……」


 ぐでっとソファに沈み込んでいる流護へ、放物線を描いて小銭入れが飛んできた。


「悪ぃが、ひとっ走り頼むわ」


 流護は溜息をつき、渋々といった様子で立ち上がるが、別にこれもいつものことなのだった。






 犬のフンはなくなっていた。

 何だかんだで片付けていたのか。しかし次回からは踏んだ人間が片付けると家訓に定められてしまったので、油断はできない。……あれ? じゃあ誰も踏まなかったらどうすんだ?

 流護は割と真剣にアホなことを考えつつ、夜の道を歩く。


 週末の夜とはいえ寂れた住宅街は静かなもので、商店街方面の喧騒とは無縁だった。

 そろそろ夏も近いので、学ランだと夜でも少し暑いぐらいになってきている。衣替えはいつからだっけ? などと考えながら、無意識に怠惰に歩を進めた。


 ほどなくコンビニに到着し、頼まれた枝豆チャンをカゴへ入れ、ついでに週間漫画をチェックしようと雑誌コーナーの前へ行く。


「あ」

「あ」


 ファッション雑誌に手を伸ばした彩花と遭遇した。

 彼女は制服のままだった。流護も制服姿だったが。


「買い出しか? ……あれ、彼氏の家ってこの近くなのか」

「べつに」


 いや、今の質問に対して「べつに」はおかしいだろ。

 思ったが、突っ込むのも面倒だったので少年は聞き流した――、のだが。


(……いや、まじで彼氏の家ってこんな近所なのか?)


 このコンビニは流護の家の近所でもあり、彩花の家の近所でもある。この近辺のことだって昔からよく知っている。彩花と付き合うような物好きが、こんな近所に住んでいるとは――


「――あ。そっか。彼氏の方が、お前ん家に来てんのか」

「え? なんで?」

「いやほら、ここってお前ん家の近くだしさ」

「……。来てた、として……それが流護に、なにか関係あるの?」

「いや別に。なんか勝手に、お前が彼氏の家に行くもんだと思い込んでた。ってことは、おじさんとおばさん公認か……金曜の夜に一緒にいるの認められてるとか……やるなーおい」

「…………」


 なぜか彩花は押し黙った。かすかにうつむくその顔がどうしてか怒っているように見えて、流護は取り繕うように話を変える。


「あ。そういや親父がさ、『彩花は最近どうした』とか言ってたぞ。顔見せなくなったからな、寂しがってるみてえだぞ?」

「あ、うん……」

「そうだ。明日って何だよ? どうすんだ?」

「えっと……どうしたい?」

「何だよ『どうしたい』って……そうだな、最近は稽古サボりがちだったし、トレーニングでもしようかと思わないでもない」

「そっか」


 それだけ言うと彩花はそのままレジへ向かい、清算を済ませて店を出て行ってしまった。


「……なんだってんだアイツは」


 よく分からない。最近は、特に。

 流護も定期購読している雑誌をカゴに入れ、レジへと向かう。

 帰りは夜の散歩を兼ねて、来たときとは違う道で帰ることにした。






 有海流護と蓮城彩花は幼なじみである。

 子供の頃はいつも一緒に遊んでいたが、中学、高校と上がるにつれ、一緒にいる機会は減っていった。最後に二人で遊んだのはいつだったろう。割と最近、二人で『アンチェ』をやった覚えもあるのだが、今ひとつ思い出せなかった。


 そんな彩花に彼氏ができたのが、この春。

 現在、二人とも高校一年生なので、高校に入ってすぐということになる。

 彼氏は一つ年上の先輩とのことだった。数ヶ月前に彩花本人からそう報告されたが、流護は適当に聞き流していたので、彩花の彼氏がどんな人間なのかあまりよく知らない。見たこともない。話を聞き流していたら彩花が激怒し始めたため、そこだけはよく覚えている。なぜ怒ったのかはよく分からなかった。


 元々、彩花は中学時代から人気が高かった。

 一方の流護にそういう浮いた話はなく、ただひたすら部活動の空手に打ち込んでいた。

 空手そのものは幼少の頃から道場に通っており、そこそこの腕前――と自負していたが、高校入学してすぐ参加した県大会個人戦では準優勝。手も足も出ずに負けてしまい、そこからしばらくトレーニングも手を抜きがちになっている。

 挫折した、ともいえるのだろうか。大きくモチベーションが低下していた。目標が持てず、宙ぶらりんな状態。

 あの化物には勝てそうにない。練習を重ねても勝てるか分からない。じゃあどうしようかと。


 それで最近は、少しガラの悪い連中に絡まれただけで相手を路地裏へ誘導し、夕方のような事態になることも少なくなかった。

 ただの弱い者いじめだと分かっている。言いがかりをつけてきたのは向こうで、こっちは自分の身を守っただけだと心中で言い訳して。

 彩花の言う通り、いつ警察沙汰に発展してもおかしくなかった。


 彩花は将来、料理関係の仕事に就くことを目指している。彼氏も同じ目標を持つ人だと言っていた。聞き流していたが、そこだけは覚えている。

 あの幼なじみの少女は昔からそうだった。しっかりと目標を持ち、何でもこなす要領のいい優等生。それが周囲からの評価。


 流護は将来のことなど考えたこともない。勉強ができる訳でもない。唯一の特技といえる空手だって、今は空回りしている状態だ。


「……くそっ」


 そんなことを考えていたら、少し苛立ちを覚えてしまった。

 真っ暗な夜空を見上げ、深呼吸する。そしてまた、歩き出す。


 そうして、そのT字路に差しかかった。

 家屋の少ない区画。コンクリートの高い塀に囲まれた家々と、膝丈まである草の生い茂った空き地の割合は、半々といったところか。

 曲がり角の先に、何となく顔を向ける。距離にして百メートルもない。ここからでも見える、流護の家と変わらない一軒家……蓮城家。彩花の家。

 そういえば最近は顔を見ていないが、おじさんやおばさんは元気だろうか? と考え、


「…………あ」


 そこで思い出した。明日。

 明日は、町内の夏祭りだ。何だかんだで毎年、彩花と一緒に行っている。

 去年もここで合流し、一緒に向かっていた。浴衣姿のやたら可愛い子がこっちに来ると思ったら彩花だった、と損した気分になったのを覚えている。


「それで明日、暇か……って訊いてきたのか」


 去年はあまり屋台を回れず、次こそはちゃんと回ろう、などと約束したのを思い出す。

 それならそうとハッキリ言えばいいだろ。つうか今年からは彼氏と行きゃあいいだろうに。

 そう思ったが、何かの事情があって一緒に行けないのかもしれない。


「ちっ……」


 舌打ちしながら携帯電話を取り出し、メールの文面を打つ。


『そういや明日祭りだっけか。一緒に行くか?』


 彼氏と一緒にいるかもしれないところへ連絡するのは少し気が引けたが、ひとまず送信……したと思いきや、電波が圏外になっていた。こんだけ開けた場所で圏外はねえだろ、これだから田舎は――と思い、少し苛立ちながら顔を上げる。






 ――見渡す限りの草原が、広がっていた。

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[一言] もしや犬のフンは伏線だったり、、
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