酒は飲んでも呑まれるな「後夜」
何かの「固いモノ」が木製の板に当たった時のような音がすると共に、ソレと同じ
木の材質の、木製のテーブル上に置いていた俺の左腕にも何かの振動が伝わって来た。
[……ごんっ]
「……あれれっ? いちろぉー? 今、ナニか……ヘンな『音』がしなかった?」
「……あ、あぁ。 こ、こりゃいってぇ……何事……あっ」
……マリーの奴はその両腕で、しっかりと俺の右腕を抱き抱えている状態だから、
テーブルには触れてはいないんだ。なので俺とは違って「振動」には気付かなかった
みてぇなんだが、「その音」には気付いたみたいでよ。その音の正体について、
その正体を探るべく、不思議そうな表情を浮かべながら俺に声を掛けて来たよ。
んで、そんなマリーから言われる迄もなく、その音と振動に気付いていた俺はよ。
彼女へ生返事を一つ返した後、彼女の方に向けていた顔を自らの左腕の方へと向けて
みたんだが。……その視界の先に映ったのは、なんと。木製のテーブルへと、
顔面からモロに勢い良く突っ伏している状態の「エミリーの後ろ頭」だったんだわ。
「あちゃあ……こりゃ、酔い潰れやがったな……」
エミリーの状態を確認するなり、俺は一言そう呟いた。
……俺は「ソッチの世界」に居る時に「居酒屋」は勿論そうだが、他にも「立呑屋」を
良く利用していたモンだから……「こういうの」は、一目見て分かるんだわ。その経験を
元にして、ちっと語らせて貰うがよ。立呑屋で偶々隣に居合わせた人とな、意気投合して
愉しく話しながら飲んでたらよぉ。……さっき迄は普通にしてた逆隣の人が突然、
何の前触れもナシに「こうなる事」が何回かあったんだわ。
普通なら、んな場面に出くわすこたぁ滅多にないモンだが……俺は結構そういう場面に
出くわした経験があってなぁ。そうなると極稀にだが、その人は「ヤバイ事態」に
なっている事もある。……なので、エミリーの状態を急いで確認しねぇとだわ――
「その事柄」が頭を過ぎった俺は、髪の毛に隠れていて表情が見えなくなっている
エミリーの髪を少しめくり、彼女の表情を確認してみる事にした。……すると彼女は、
なにやら幸せそうな笑みを浮かべながら「すぅ……すぅ……」と、可愛らしい寝息を
静かに立てていたよ。
……良かった「急性アルコール中毒」ではなさそうだ。俺が心配したのは「ソレ」さ。
「ソレ」だったら、人によっちゃ……荒い呼吸に加えて、痙攣を起こし出したりして、
苦悶な表情を浮かべて、更には白目とか剥いちゃってる場合があるからなぁ……。
あぁ、エミリーのは大丈夫だ。彼女は普通に寝てるだけだから心配ないぜ。
まぁさっきの「ヤバイ事態」についてはよ。先程、俺が並べ立てて言ってた状態に
当て嵌らなかったら「セーフ」ってトコだ。しかし当て嵌った人は「アウト」だからよ。
……アウトの状態の人は、自分で自らの嘔吐物を吐き出せない位のヤバイ状態だから、
もし君がそういう場に居合わせたら、嫌がらず汚がらずに「その人」の嘔吐物を指で
掻き出してやってくれ。そうしてやらないと、その人は嘔吐物で気道を塞いでるから
窒息して死んじゃうぞ。……酒ってのは、こんな具合に良い気分にさせてくれる半面、
怖い部分もある。だから酒が苦手な人や嫌いな人に、無理に勧めたりはすんじゃねぇぞ。
「女将っ、わりぃけど……なんか彼女に羽織らせるモンは、ねぇかな?」
エミリーの無事を確認した俺は、彼女に風邪を引かせちゃならんと思い、
俺達のテーブルの直ぐ後ろにあるカウンターの中に居る女将に声を掛けた。
その呼び声に気付いてくれた女将は、洗い物をしている手を止めて、
俺の顔と、次いでエミリーの方を見て、コトの事情を全て察してくれたよ。
「……あらら、その娘。お酒は弱かったんだ。イケるクチかと思ってたんだけどねぇ。
あいよ、ちょっと待ってなよ。……アンター! 毛布を一枚! 持ってきとくれー!」
女将は、カウンターの奥の厨房にいるらしいダンナさんに声を掛けてくれた。
……だがよ、女将。そりゃありがてぇんだけどよ、声がでけぇよ……。
少々、その表情を引き攣らせ気味に苦笑いしている俺の顔をみて、女将もエミリーが
寝ている事を思い出したのか「あっ」とでも言いたげな顔付きで、俺と視線を合わせた。
そして次いで申し訳なさそうな表情で、慌てて右手に手刀を作るとソイツを縦にして、
ソレを此方に向けて来た。その仕草は「ごめんなさい、すみません」って意味さ。
女将だって悪気があってデケェ声出したワケじゃねぇってのは、俺だって分かってら。
飲み屋じゃ良くある事さね。……俺は苦笑の表情のまま、女将と会話する事にしたわ。
「あぁ、いやいや。わりぃのはコッチなんだからよ? 女将は、気にしねぇでくれって」
「悪いねぇ……あたしゃ、ガサツな女なモンでさ。つい、気が回らなくてねぇ。
……まっ、ただの飲んだくれの宿六が寝てるんだったら、有無を言わさずにソイツは
表に放り出しとくんだが。常連客のアンタと、可愛らしいお嬢ちゃん達は別さねっ」
女将はサラッと怖い事を言ってのけた後に「おどけた表情」で俺に「ウインク」を
一つかましつつ……厨房から出てきたダンナさんから毛布を受け取ると、ソレを俺に
手渡してくれた。ダンナさんは女将に毛布を渡すと、次いで俺に微笑みながら会釈を
してくれた。俺も苦笑いしながらエミリーを「ちょいちょい」っといった具合に左手の
人差し指で指差し、ダンナさんに会釈を返す。すると、ダンナさんもエミリーの様子を
一目見て察したのか、苦笑いしながら厨房に戻って行ったよ。
このダンナさんは女将よりも身体が細くて気が弱そうな感じに見える人なんだが、
人間が出来てて、料理の腕も確かな人なので、ソレを知ってる者は皆、この店の料理を
食べに来るのさ。誰だって、高圧的な感じの偉そうな態度の店主がやってる店なんて
行きたくねぇだろ。メシを食うトキくれぇは、笑顔で食事を愉しみたいってモンだわな。
[ふぁさっ……]
……俺はエミリーを起こさない様に「そっ」と毛布を彼女に羽織らせた。すると、
ソレを見ていたマリーが「ボクにも優しくして欲しいのにぃ!」ってな感じの表情でよ、
俺の方をを見ているんだが……まぁ、とりあえずは、ソコは苦笑いで誤魔化しといた。
あ、そういや……言ってなかったっけ? 俺、この店の常連客って奴なんだ。
んで、この席は晩飯時の、俺の指定席みたいなモンなのさ。……何時もなら仕事を
済ませた後に一旦、家で風呂に入ってから来てるんだが……今日は、アレだ。
盗賊とエミリーとの件で時間を食っちまったから、風呂には入れなかったんだ。
まっ……とは言え、来店時間は何時もと余り変わりはなくてな。だからマリーの奴も、
この時間帯の「この席」に、俺が居る事を知ってたってワケさ。……あぁ、んで。
此処の食事代金を払う為の金なら持ってるから、何も心配するこたぁ要らねぇよ。
……ソコの君、ソコの君は「電車内の広告」とかで見た事はねぇか?
「自分の年齢×千円を財布に入れとくのが望ましい」とか、書いてある広告をよぉ――
……俺は「ソッチの世界」で「ソレ」を見た時「ほう、おもしれぇ事、書いてんなぁ」
って、その謳い文句が気に入ったから、その時からは、ずっとそうしてんだ。
とは言ったモノの……だ。この世界の貨幣制度についちゃあ、採掘の帰りがけに
話したと思うが。この世界にゃ「千円札」に該当する貨幣がねぇモンだから、ソレだと
「百円玉」に該当する「銅貨」を、沢山持ち歩くしか無くてなぁ。なので「銅貨」は
嵩張るから「銀貨」を三枚だけポケットに入れてるわ。ソレで「三万円」ってこった。
まぁ、この辺りの貨幣に纏わる話も、明日の朝になったら冒険者ギルドへ行く事だし、
そんときにまた詳しく話すよっ。今は、御食事タイムだからなっ。さてと――
「すぅ……すぅ……」
毛布を掛けられたエミリーは、幸せそうな顔で静かに寝息を立てていた。
俺はソレを確認すると、ついさっき彼女が飲み残した飲み掛けのグラスを手に取り、
ソレの残りを一気に全部あおった。次いで同じモノの、おかわりを女将に頼む。
すると、俺からのオーダーに気付いた女将が此方へ手を伸ばし、俺が手に持っていた
空いたグラスを俺から受け取り、下げてくれた。……女将は、そのグラスを洗い物用の
木桶の中へ突っ込むと、此方へ背を向け、新しいグラスの用意とウイスキーの用意を
し始めてくれたよ。……俺としちゃあ、別に同じグラスのままでも良いんだけどなぁ。
……ウイスキーのおかわりが来る迄の間、すっかり手持ち無沙汰になった俺は、
丁度ソコでマリーの事を思い出したモンだから、ソッチの方へ何気なく目を向けて
みるコトにしたんだが。……すると、マリーの奴。
「……はむっ。もくもくもく……んふふ……」
ってな具合によぉ。俺に何の断りも無く、俺がさっき注文したフライドポテトの残りを
頬っぺたが膨らむくれぇになる迄、頬張りながらに「ニコニコ」しながら食べてたわ。
ったく、この小動物め。オメェは「リス」かよ。……だが、まぁ……悪い気はしねぇ。
「……おいっ、女将っ。こちらのシスター様に『いつもの奴』を、頼むわ」
「はいよっ、いつものね」
女将は手馴れた手付きで冷気の魔法が掛けられた木箱から、りんごジュースの入った
果実酒瓶を取り出すと、その中身を木箱と同じく冷気の魔法が掛かったジョッキに
移し変えてくれて、ソレをカウンター越しに俺へ手渡してくれた。……ソイツを左手で
受け取った際、ふと手元を見ると……何時の間にか、俺が先程オーダーしたウイスキーの
ハーフグラスもカウンターの上に置かれていたわ。……流石は女将、仕事がはええな。
とりあえず、りんごジュースの入ったジョッキをマリーの手元に置いてやる。
すると、ソレに気付いたマリーが「待ってました!」と、言わんばかりに嬉しそうな
表情に変わり、ソレを手に取ると……ソレを飲みながら上機嫌で俺に語り掛けてきたぞ。
「ぷぁー、んまいっ。んふふ……さすがボクの未来のだんなさまだね、いちろぉー。
やっぱり、いちろぉーはぁ……ボクのことを、いっちばん良く分かってるよっ」
「へーへー、そりゃどうも……っと」
俺は生返事でマリーの言葉を受け流しつつ、カウンター上に置かれているグラスに
右手を伸ばし、ソイツを引っ掴むと……ソレを自分のテーブルの上へ静かに置き、
ソイツを飲む前に、ビールの残りの後始末をまず先にやることにしたんだ。だけど――
「……。」
あれれ……なんかマリーの奴、何時の間にか不機嫌そうなツラになってら。
……あぁ分かった、腹が減ってんだろうぜ。ソレならそうと、そう言えば良いの――
「……むぅう!? き、気持ちが全く篭ってない……。ひ、ひどいや。いちろぉー。
ボクと『あんな事』や『こんな事』を沢山しておいて……そ、ソレは、あんまりだよ。
その上、その時はぁ……『汚れちまったなぁ? わはは。あぁ、責任は取るぜ?』とか、
一仕事終えた後の良い顔しながら、満面の笑みでソレをボクへ言ってくれたのにぃ……」
[……ブフォ!?]
こ、このバカっ……!? な、なにをっ……!? ……あ、マズい。非常にマズい。
俺がビールを噴き出したと同時に、周りの客がコッチへ注目してきやがった……。
「な、なんと……あ、あのような年端も行かぬ少女に、そ、そんなコトを……」
[チャキッ……]
「……ソコの御老人、別に『アレ』を倒してしまっても……構わんのだろう……?」
「……ねぇ、ままぁ?『あんなこと』や『こんなこと』って……なぁにぃ?」
「あらあら……うふふ。さぁてね?『出来たら良いな』って、事なんじゃないのかな?」
「……うー。おとなのおはなしは、むずかしいよぉ……」
「……げふっ! ごふっ! うっ……! ふぅう……」
俺は、なんとか声を殺して気管に入ったビールを落ち着かせた。
くそッ、エミリーが隣で寝てんのに……! マリぃ!? 後で覚えてやがれよぉ!?
……俺が恨みがましそうな目でマリーを見ると、マリーは「計画通りっ!!」とでも
言いたげな……そんな、なにやら「悪そうな表情」で、りんごジュースを飲んでいた。
……周りの客の視線は、俺達に注目している。仕方ないので俺は、周りの客の誤解を
解く為に愛想笑いしながら周囲の客に話し掛けた。……はぁ、面倒クセぇなぁ――
「……あー、皆さん? 違いますから、これは言葉のアヤですから。『あんな事』や
『こんな事』ってのは、この子と一緒にやった『屋根修理』の事で、責任を取るって
俺が言ったのは『雨漏り』に対してなんです! ヘンな誤解はしないで下さいな……」
「……なんじゃ、そういうことか」
[……スッ]
「……なんと。全く、紛らわしい……。危うく、もう少しで『抜く』ところであったわ」
「……なぁんだ、そうなのかぁ。『おてつだい』なら、あたしもできるよぉ?」
「……あと、二~三年も経てば……いっぱい出来るかもね? うふふ……」
……ふぅ、良かった……。場の空気から察するに、なんとか誤解は解けたみてぇだ。
俺の弁解を聞いて納得してくれた周りの客は、食事の続きへと戻って行ったよ。
しかし、マリーめぇ……。よぉーし、こうなったら! オメェの秘密を!
「向こうの世界」の皆にバラしてやるっ! それで、おあいこだっ!
……実は、このマリー。コイツもエミリーに負けず劣らずの「掃除機娘」なんだぜ。
シスター見習いの癖に食欲に忠実だからなぁ、この小動物は。……シスターのクセに
ソレはイカんでしょ、聖職者的に考えて。大事なコトだから「シスターのクセに」って
トコを二回、強調させて貰ったが。……っとまぁ、そんな具合で以前、一度。
「ソレ」をマリーへ冷やかしてやったコトもあったんだが、そしたらコイツよぉ――
「うぐっ……。な、なんのコトかなー? ぼ、ボクは、ま、まだ『見習い』シスター
だから、い、いーんだよっ! まっ! こまけぇこたぁ良いんだよっ! うんうんっ」
ってな感じによ、結局は……その辺はぐらかされて、いつも俺が言ってる
言葉の真似をされて、ソレはアッサリと返されたけどな。
……ん? そこの君、何か言いたげだな?「それよりも、さっきエミリーと間接……」
ってか? おいおい……小学生じゃあるまいし、そんなモン酒場じゃ当たり前なんだぞ。
「ナニ飲んでるの? 飲ませてよー」ってよ。仕事帰りのOLさんから、近所に住んでる
「昔は」お姉さんだった人までよ、飲んでて話が合ったら性別問わずそうしてくらぁな。
……んなもんにイチイチ緊張やら興奮してたら「おっさん」は、やってられません!
だがっ! 敢えて言おう! ゴチになりやしたっ! エミリーのファンの方っ!
サーセンっ! フヒヒっ。……まぁ、エミリーは寝ちまった事だし、残しておくのも
勿体無いから飲んだだけだっての。……他意はあっても、下心は御座いませんよっ!?
……ん? なんだぁ……まだ、疑ってるのか? よぉし……それならいっその事、
開き直ってこのコップに対して「バカ殿様」みたいな真似……しちゃおっかなー?
ってか、やらねぇよっ!? アレは「あの人」だから絵になるんであって、他の奴が
やったらドン引きモンだぞ。……試しに「合コン」に呼ばれた時にやってみろって――
ってか……そもそも「そのコップ」は、既に洗い物桶の中だ。
……此処まで気付かなかった奴、何人かいるだろ? はっはっは。飲み屋で「手品」を
ヤル時は、こんな感じにな。あらかじめ、どっかにネタを仕込んだ後に、そのネタが翳む
くれぇの長い話なり、他人の興味を引きそうな話題なりを間に入れて……
周囲の者の気を「手品のネタ」から逸らした後に、その手品をやったらウケるぜっ。
長い話を用いたり、急に話題を変える事によって、周りの人間の意識は手品ネタの事を
忘れてソッチの方に向くからだ。……まっ、機会があったら試してくれやっ。
……ふぅ、長々と俺の話に御付き合い頂きまして有難うよっ。お陰様でスッキリしたぜ。
まぁ、コレで。マリーが仕掛けてきやがった件は「おあいこ」って訳だわな。うんうん。
……対人関係から、何かで不満を抱えた際は「ソレ」を誰かに愚痴としてこぼしたら、
そんときゃ「ソレ」は「ソコで終わりに」させねぇと、俗に言う「なんとかが腐った」
みてぇな存在になっから、みっともねぇぜ。何故なら、そういった不満を当事者同士で
話し合って解決したワケじゃなく無関係な第三者に「愚痴として」バラしてんだからよ。
「そういった行為」は、自分に不満を与えた相手と「同じ事」をしてるコトになんのさ。
……そんな風に考えているイチローさん。つぅワケでして、もうマリーのこたぁ許した!
「……ふふっ。アンタとマリーちゃんの夫婦漫才は、いつ見ても飽きないねぇ。
で、どうすんだいイチロー。嫁さんに空きっ腹抱えさせてて、アンタはソレで良いの?」
「……へっ? お、おいおい。女将迄、んなコト言うんかい……って、あらら……」
いきなり女将が笑い出したモンだから、何かと思って女将の方を振り向いてみりゃあ……
今のマリーとの「やり取り」を、夫婦漫才と来たモンだ。で、その女将の言葉に促されて、
俺は「夫婦漫才」の相方を務めてくれたマリーの方へ目を向けてみたんだが。すると――
[ぐぎゅるるるる……]
「はふぅ……おなかすいた……。ね、ねぇ……い、いちろぉ。さ、さっきはゴメンね……。
ボク、ちょっと……悪ノリ……しすぎだったよね……。 ご、ごめんなさぃ……」
完全に戦意喪失、いや、間違えた。しおらしくなったマリーが、ソコには居たよ。
エミリーに負けず劣らずと言った「唸り声」を腹から出しつつ、テーブルの何処かへ
その視線を向けながら俺に侘びを入れて来た。ったく、素直にしてりゃ可愛いのに……。
「……ふっ、そりゃもう良いからよ? 好きなだけ何か食え。こまけぇこたぁいいんだよ」
「……えっ? い、良いのっ……? やたっ! ……あ、ありがと。い、いちろぉ……」
俺から赦しを得た事で、先程迄は暗い感じだったマリーの顔にも明るさが戻った。
次いで彼女は、先程の謝罪の時とは異なり、今度は俺の目をキチンと見つめながら……
なんだか照れ臭そうに、そして頬っぺたを赤らめた状態で、俺へ対して御礼を言ってきた。
と、まぁ……こんな具合に仲直りした俺達は、晩飯の続きを愉しむ事にしたんだわ。
……俺の方は、ビールで腹が膨れたのか……此処から更には、何かを追加で注文する様な
腹具合では無かったのでさ。なので、手元に置いてあるハーフサイズのグラスに注がれた
琥珀色の液体を少しずつチビりとやりながら、ローストビーフとシーザーサラダの残りと、
満面の笑顔を見せる様になったマリーの笑顔を肴に、今日の晩飯は済ませる事にした。
その一方、マリーの方はと言うと……あの後。
「……コレっ! コレに、し……あ。で、でもぉ……やっぱり! いつものアレかな!?」
ってな具合にさ、目を「キラキラ」輝かせてメニューを見ながら迷ったりもしていたが、
結局は……いつものお気に入りの五皿に落ち着いて、ソイツをアッサリと完食したぜ。
んで、そのマリーがよぉ……食後にさぁ――
「……ナニ食べたら、こんなに『おっきく』なるんだろ。ちょっとだけ羨ましいな……」
……とか、言いながらよ。寝てるエミリーの「アレ」を「ぷにぷに」と、なんの遠慮も
ナシに突然、指で突っつきやがってなぁ……。す、すると。そ、それを受けたエミリーが、
その行為に対して、寝言でよぉ――
「んぅ……? あぅう……。ら、らめれしゅよ……ひひろぉー……。
ひょんなほろ……ひはら……らめ……れしゅはら……。んんっ……あふっ……」
……とか、なんとか言ってた場面もあったんだが。……な、なぁ。そこの君。
エミリーが言ってた「ひょんなほろ」って「どんな事」なんだろうな……ううむ……。
と、まぁ……そんなこんなで色々あったワケなんだけどよ。
「今日の晩飯タイム」は、楽しく賑やかしく終わったってワケだ。
で、エミリーは途中からずっと寝たままだったからよ。……会計を済ませた後は、
俺がエミリーを背負って店を出る流れになり、んで、彼女の荷物はマリーに持たせて
店を出て、そこから先は……マリーの家へ。ってか、マリーの家は「ミルフィール教会」
なんだけどな。良識ある「おっさん」である、イチローさんとしては。状況から判断して、
酔い潰れちまって前後不覚になってるエミリーは、今日はソコに泊める事にしたよ。
……あぁ、大丈夫だ。問題無い。女将から借りた毛布でキチンと包んでおりますので
「もにょ」やら「むにょ」は、回避余裕でした。……んで、マリーは? と、いうと。
「……えー。 この子はボクの恋敵なのにぃ……」
って、具合によ。俺がエミリーを教会へ連れて行こうとしたら、ソレを渋ったりも
したんだけどさ。今日のトコは、マリーの分の飯代も俺がキチンと全て払ったんだから、
まぁコレ位は……マリーに頼んでもバチはあたらねぇだろうさ。うんうん。
そのマリーも、初めの方はエミリーをミルフィール教会へ連れて行く事に対して、
なんとなく渋っちゃいたんだが。……そんな俺が頼み込んだら、最終的にはよぉ――
「……で、でもまぁ、うーん……。敵に塩を送るって言葉もあるしぃ……それに……
ぼ、ボクはミルフィール教会に所属するシスターなんだから、仕方ないかぁ……」
って、折れてくれたんだわ。このマリーはさ、ちっこい癖にシッカリしてるトコは、
割とシッカリしてる娘なんだ。……カワイイとこ、あるよなっ。まっ、多分……
こりゃ俺の予想だが。毎度の事で、マリーは教会から無許可で出て来てるだろうから、
ソレの弁解を「メアリーさん」に、俺がしてやる流れにゃ……なるだろうとは思う。
マリーも多分「その事」があるから、この話を引き受けてくれたってのもあるかもだ。
まぁ、アレだ。利害関係の一致、ギブアンドテイクって奴さ。わっはっは。
……え? ナニ? エミリーを俺の家に? ばっ! ばかやろっ!? え、エミリーは
今現在、酔い潰れて寝てるでしょーがっ!? マリーは五皿も食べてたでしょーがっ!?
……エミリーが、女じゃなくて男だったら泊めてやっても良かったんだがねぇ……。
俺はよ、初対面で酔ってる娘を家に泊める程の、節操ナシなんかじゃありませんので、
そんな場面に遭遇したらよ。そんときゃ迷わずに、キチンとしたホテルの手配をして、
ソコに宿泊して貰う為の、段取りだけはキチンとするわ。無論、宿代は俺が払っとくし。
……あ、そういや思い出した。言い忘れてた。俺、気軽にエミリーをミルフィール教会へ
泊める様に言ってるみてぇに見えっけど、実はこのマリーは、この村のミルフィール教会の
シスター長をやってる「メアリー・クレアレンス」って人の孫娘なんだよ。しかも俺は、
そのメアリーさんとも面識があって知り合いだから、マリーにこうして頼んでる訳なのさ。
……俺が「加護」持ちだからなのかも知れんが、話の分かる人だぜ。メアリーさんは。
んで……コレも大事なコトだから、ついでに言っておこうか。
ミルフィール教会では、不貞ではない婚姻に限り、誰かと一緒になってもな。
そのシスターは、生涯を終える迄シスターを続ける事が出来る。ミルフィールが
「女神」だからなのかなぁ。まぁ……そこら辺の事情は、割と寛大みたいだぜ。
それでだ、此処で……すっかりと忘れ去られている部分に話を持って行く事にするが。
俺の背負子やらは女将に頼んで、馬小屋に置かせて貰ったんさ。そうしとけば明日、
女将達を起こす事なく自由に持って行けるからな。明日の朝早く、取りに行く予定だぜ。
でよ、これまた余談になるんだが。……さっきも話した様に「シスター」である
マリーの奴にゃ、ミルフィール教会の戒律を護らなければならない規則があるんだが……
コイツ、その規則を破って教会から抜け出して来てるんだわ。だもんで、教会が近付くに
つれて、そんなマリーの顔色が変わって行く時は、いつ見ても……おもしれぇんだぜ。
「あぅう……。ば、ばっちゃ、ぜ、ぜったい……怒ってるとおもう……。う、うぅ……」
ってな具合によ、急に「びくびく」しだして毎回、俺の後ろに隠れようとするんだコレ。
……隠れたって、既にヤっちまったモンは仕方ねぇのになぁ。規則を破る、嘘を吐く、
悪い事をしたから怒られる。……クチで言っても分らねぇ奴ぁ、ブッ叩かれる。
……俺がガキの頃は、そりゃ当然のコトだった。……ガキを叱る大人達の方も、
ガキを叱るからには、叱れるだけの「威厳」みてぇなモンをキチンと持ってた。
……何時からなのかねぇ、そんな「威厳のある大人達」が減って行ったのは。
だが、まぁ……メアリーさんは、そんな「威厳のある大人達」に属する人だからよ。
「あらあら……。イチローさん、孫娘がいつも御世話になっております。
まったく、この子は……誰に似たのかしら。……マリー、わかってるわね?」
……ってさ、いつも笑顔で、こんな具合に俺へ対しては応対してくれんだわ。
だけどまぁ、俺にはそんな感じなんだけど。「やらかした」マリー相手にゃ――
[ぎゅうぅうぅ……]
「……ばっひゃ!? ひ、ひはいっ!! いひゃいほぉっ!?
ひ、ひひろぉー!? は、はふへへっ!? ひへはひへ、ほふほ、はふへへーっ!!」
……通訳すっと、こうなる。
「ばっちゃ、痛い。痛いよぉ。イチロー、助けて。見てないでボクを助けてー」だな。
……残念ながら、このケースの場合は、俺は助けてやれんなぁ。……テメェのケツは、
テメェで拭くモンだからよぉ。こういうのは、ガキの頃に自力で覚えておかねぇと……な。
っとまぁ、こんな感じに。規則を破ったマリーに待っているのは、毎度の事ながらの……
メアリーさんによる、マリーの為の、マリーの事を考えた躾。ってなモンさ。わっはっは。
マリーの奴は、メアリーさんに頬っぺたを抓られながら教会の奥へと連れて行かれたぜ。
……しかしまぁ、今日は何時もと違って、俺がエミリーを背負ってたからよ。
メアリーさん、マリーを連行して行った後に、二人のシスターさんを連れて俺の元まで
戻って来てくれたんだ。……で、その際に。俺は、その三人の手元を確認してみたんだが。
その三人とも、マリーが持ってたエミリーの荷物を持って来てなかったからよ。
ソレを見て俺は、その時に……エミリーの宿泊の件は大丈夫だと確信したよ。なので、
メアリーさんとシスターさん達にはキチンと、エミリーがゴロツキ達に襲われていた事
とか、マリーも含めた三人で、今迄一緒に食事をして来たコトとかも話す事にしたんだわ。
俺からの話を聞き終えたメアリーさんは、ソレ以外にゃこまけぇこたぁ聞いて来ずにさ、
その後は、シスターさん二人に声を掛けてくれてエミリーを教会の中へ連れて行く様に
指示を出してくれたんだ。……流石、年の功! って奴だよなぁ。……有難いことだわ。
……エミリーも、その頃には「ふらふら」だったけど、なんとか自分の足で歩ける位には
酔いから回復しててよ。だもんで、流石に俺へ声を掛けて来るような元気は残って無かった
みてぇだが……シスターさん達に肩を貸して貰いながら、教会の中へと歩いて行ったよ。
エミリーの風呂やら、なんやらはシスターさん達が世話してくれっだろ。……女の事は、
女に任せるのが一番ってモンだ。うんうん。んで、まぁ……その後はよ。その場に残った
メアリーさんに挨拶を済ませて……今、俺は。帰宅し終えて風呂を沸かしてる最中って
トコなんだわ。……あっ、そうだ。話しておきたいとは思うが「この家」の事については、
明日な、明日。さ、流石の俺も……今日は色々とあったから、くたびれてきてんだぁ……。
なので、後は「風呂」の事についてだけ話すとしよう。少し前に話した「五右衛門風呂」
ってのはな。鋳鉄製のでっかい御茶碗を直火に掛けて、ソイツでお湯を沸かす様な、
そんな形式の風呂の事なんだ。風呂釜の底は直火に掛けてるから、直接触れると火傷する。
だから火傷しないように木製の踏み板を上手に扱いながら入浴するのが「コツ」なんだ。
……おぉ、そうそう。泡は、あんまり立たねぇんだけど、この世界にゃ「石鹸」もある。
オリーブオイルと何かの海藻を燃やした灰と、良い香りがする香草……ハーブって奴か、
ソイツを合わせて作ったモンらしい。見た目は、一時期流行した「痩せる石鹸」みてぇな
モンだ。……そんな感じに、手作り感が溢れてる様な具合の石鹸だったのでさ、ソイツを
買うときに、自分でも作れねぇモンかと思い立って、ソイツを売ってる雑貨屋の店主に
そこら辺のコトを聞いてみたんだが……流石にソレは、企業秘密だってさ。
……ケチくせぇ話だが商売人がメシのタネを教えちゃくれんわなぁ……。その石鹸、
お値段は一個5リーフ「五百円」と高く感じるが、化学技術の発展しているソッチの世界と
異なって、コッチの世界は謂わば「中世ヨーロッパ時代」みてぇなモンだから、まぁ……
その価格も仕方ないと思って使ってるよ。雑貨屋に行けば誰でも気軽に買えるんだぞ。
で、その石鹸をつけて垢を落とす為に身体を擦るタオルの代わりは「ヘチマ」なんだ。
すっげぇカルチャーショックを覚える内容なんだが、まぁ……俺がガキん頃は。
夏休みになると、母親と二人で母方の方の、実家の田舎へ良く帰省してたモンだから、
風呂にしてもヘチマにしても、そんな俺にとっちゃあ……別に、なんともねぇけどな。
だもんで俺の場合は、ガス湯沸かし器とかが無くっても別に違和感なくソレ等を
使う事が出来てらぁ。……五右衛門風呂の使い方はな。薪と、なんかトゲトゲした……
乾燥した茶色い草を釜に入れて火を着けるんだわ。コッチの世界にゃライターはねぇが、
マッチはあるからよ。なので、俺みてぇに「魔法」が使えない奴でも心配はいらねぇよ。
んで、薪に火が着いたらその後は。竹を加工した、虚無僧が吹いてる笛みてぇな奴を
上手に使ってよ。んで……燃えてる薪に空気を送ってやり、火を大きくするのさ。
コレにはコツがあるんだが……まっ、習うより慣れろだな。言葉じゃ説明し難いんだ。
田舎に五右衛門風呂を持ってる親戚が居る人は、是非一度、自分でやってみてくれっ。
あの窯場の熱気、空気、そしてあの匂い……アレはアレで良いモンさ……。
俺は、母方の祖父母の顔を思い出しながら。そして……明日の事を考えながら。
薪が燃えていく様を、ジックリと眺めたのだった……