② 月影の邂逅
「HAHAHA! さすが瑞希ちゃんの娘さんだ、なかなか腕が立つね!」
金髪男は額から血を垂らしたまま、平然と食卓に戻ってきた。
そのまま湯気の立つ椀を手に取る。
「……あれ? この味噌汁、ちょっと鉄の味がしない?」
「気のせいだと思いますよ」
確実に違うけれど、突っ込むと食欲が失せるので黙っておく。
何より、彼の作った夕飯は本当に美味しかった。
母と二人きりのときには、どう頑張っても“食べ物っぽい危険物”になる大鳥家の食卓だが、今日はちゃんと“夕飯”だ。
(悔しいけど、美味しい……!)
複雑な気分で箸を進めながら、陽南は金髪男を横目で見た。
顔はやたら整っているが、態度も軽いし、女癖も悪そうだ。
しかも隠し子付きの、指名手配犯。
男勝りだ何だと周囲に言われようが、曲がりなりにも年頃の娘。
恋に恋する陽南にとって、こういうチャラついた男はかなり苦手な部類だった。
「……で、その子はどこにいるんですか」
話題を変えるように尋ねる。
「ああ。屋根の上で、空を見てるはずだ」
屋根。
外は夕焼けの名残が見える頃だ。
でも、わざわざ上って眺めるほどの景色だろうか。
「ほんっと可愛い息子でね! 今年で十七になるんだけど、僕似の綺麗な金髪と白い美肌で、正に天使のような――!」
「ママ、本当にこの人と友達なの?」
騒々しい親馬鹿発言を無視し、母に尋ねる。
「そうよ。昔は告白されたこともあるわ」
「え!?」
「でもレオ君、どこかの人妻に手を出しちゃったらしくて……」
「えぇっ!?」
えへへと照れ笑いを浮かべる指名手配犯。
こんな最低男が元夕輝士団のトップだなんて、開いた口が塞がらない。
「ま、息子だけは死ぬ気で隠し通したけどね!」
無駄に自信満々な男を、背後からぐさりと刺してやりたい衝動に駆られる。
だが仮にも母の友人、ここは我慢だ。
「……ママ、あたしその子に夕飯持ってくわ」
クールダウンも兼ねて告げれば、瑞希はふっと微笑んだ。
「……そうね。お願いするわ」
それに、隊長室で言われた地方視察の話も、今は頭から追い出したかった。
「お茶とお味噌汁、こぼさないようにね」
「うん」
手渡された盆を見下ろす。
温かいご飯と味噌汁。
受け取った盆を持ち上げ、歩き出す。
「しっかりしてる子だねぇ。母娘で助け合って暮らしてきたのがよく分かるよ」
「レオ君こそ、父親と息子の二人きりで大変だったでしょう?」
「まぁ、僕はまだ一年そこそこだし……」
廊下に出ると、背後から親同士の会話が聞こえてきた。
「……そうだ、僕いいこと思い付いたよ! 僕と瑞希ちゃんが一緒に暮らせば、両親揃ってバランス良──ぐはぁぁっ!?」
「今すぐ一億に換金されたいの?」
「すび、ばぜんっ……!」
どうやら、母の鉄拳制裁が炸裂したらしい。
陽南は盛大に嘆息し、そっと玄関の戸を閉めた。
◇
庭へ出ると、夜風が頬を撫でた。
頭上を仰げば、屋根の天辺に膝を抱える人影。
月を背負って座るその姿は、影絵のようだった。
「あのぉ、すみませーん!」
声を張ると、人影がゆっくりこちらを振り返る。
逆光で顔は見えない。ただ、こちらを静かに見下ろしているのが分かる。
「…………」
(……わっ!?)
次の瞬間。
その影は、軽やかに屋根を蹴った。
音もなく、ふわりと庭へ降り立つ。
(……あ)
思わず、息を呑む。
現れたのは、金髪の少年だった。
(……そこそこ可愛い顔、してるけど)
陽南より少し背が低く、年頃は少年と青年の間くらい。
半開きの瞼に、やや眠そうな無表情。
“天使”というよりは、ただの気怠げ不良少年だ。
けれど。
(……髪、ふわふわしてる)
父親よりも淡い金色の猫っ毛が、夜風に柔らかく揺れる。
そして何より。
(金色の……瞳?)
月を映したような双眸が、静かにこちらを見ていた。
「……。アンタって、さ」
「っ、え?」
「……いや。やっぱ、いい」
途中で言葉を切り、金の瞳がふいと逸れる。
しばしの沈黙。
陽南は咳払いして、お盆を持ち直した。
「えっと……夕飯、持ってきたんだけど」
「……ワザワザ、ど〜も」
差し出すと、彼は素直に受け取った。
踏み台を引き寄せ、正座して背筋を伸ばす。
「いただきます」
(ここで食べるの!?)
思わず内心で突っ込む。
だが箸の持ち方も、姿勢も妙に綺麗だ。
無造作な見た目と違って、所作が整っている。
(……変な子)
少し見入っていると、不意に声がした。
「……なぁ」
「え、なに?」
「アンタ、おれより年上?」
「あたし? 十九歳だけど」
「そ〜か。じゃあ、姉御だな」
落ち着いた声。間延びした口調。
穏やかな空気に、つい微笑みが漏れる。
「まぁ、好きに呼べばいいわ。……あたしは、しばらく家を空けるけどね」
「……?」
味噌汁を飲んでいた彼が顔を上げる。
金髪が、ふわりと揺れた。
じっと見られると、なぜか落ち着かない。
「えっと……その……特別任務なの! あたしの力量を見込んで、隊長から直々に──」
勢い任せで虚勢を張ってしまい、余計に凹む。
彼は何も言わず、ただ静かに見つめてくる。
まるで、何もかも見透かしているように。
「……な、何よ」
夜風が冷たい。
髪を押さえながら、陽南はわずかに身を震わせる。
こちらを見上げていた彼が、ゆっくり瞬きをした。
「……なら」
静かな、声。
「おれも、ついてくよ」
「……え?」
間抜けな声が漏れる。
「アンタの仕事、手伝う。……ダメか?」
淡々とした、あまりに自然な言い方。
考えるより先に、口が動く。
「……別に、いいけど」
「ん。じゃ、ヨロシク」
あっさり頷く彼。
食事を終えて立ち上がり、ふとこちらを振り返る。
そして――
「あ、えっ……!?」
彼の外套が、ふわりと投げられる。
咄嗟に受け止めれば、ほんのり温かかった。
「寒い中、待たせてゴメン。昼間、洗ったばっかのヤツ」
野良着一枚になった彼は、また屋根へ向かおうとする。
「あ、ちょっと!」
「?」
「あなたの名前。教えて?」
月光を受け、金の髪と瞳が透ける。
「──三明。空見三明だ」
そう告げた次の瞬間。
彼は一歩で宙へ跳び、屋根の向こうへ消えた。
まるで最初から、そこにいなかったみたいに。
(…………不思議な子ね)
陽南は外套を握りしめたまま、しばらく空を見上げていた。




