第七話:魔法の修行、夜空の語らい
老婆から「常識外れ」のお墨付きをもらって数日。
アルトとリィナの魔法修行は、館の裏庭で賑やかに続いていた。
「だからね! お腹のぐるぐるを感じて、
目の前に『ドーン!』って持ってくるの!」
「だから、『ドーン』じゃ分からないよ!
リィナの教え方、擬音ばっかりなんだもん」
アルトは地面に座り込み、真っ赤な顔で抗議した。
リィナから教わっているのは、未来の学校では習わない、詠唱を使わない魔法だ。
だが、感覚派のリィナと、理論派のアルトでは、全然話が噛み合わない。
「アルトは理屈っぽすぎ! ほら、もう一回。
あ、鼻の頭に泥がついてる」
リィナがクスクス笑いながら指をさす。
「えっ、どこ? …あ、これ、リィナが召喚した石のせいじゃん!」
「アルトが見せてって何回も言うからでしょ!
それに私の方が一つ年上なんだから、
かっこ悪いのを人のせいにしないで、敬いなさいよね」
「たった一歳しか変わらないじゃないか!
それに、リィナだってさっき足がもつれて
転びそうになってたクセに、かっこ悪いのはどっちだよ」
「あ、あれはわざとなんだから!」
頬を膨らませるリィナは、神子としての重圧から解放され、ただの十一歳の少女に戻っていた。
未来の村にいた同級生と変わらない。
少しお転婆で負けず嫌いな女の子。
アルトもまた、自分が十歳の少年であることを思い出し、つられて笑みがこぼれた。
修行の合間、二人は色んな話をした。
お互いがこれまで、どこで生まれて、どう育ってきたか。
互いの話で笑い、怒り、悲しみ、ふざけ合う。
そんな二人の姿から、三百年という途方もない時の隔たりは、微塵も感じさせなかった。
「アルトのいた未来って、本当に魔族がいないの?」
「うん。おとぎ話に出てくるだけで、本物なんて聞いたこともないよ。
みんな毎日、畑を耕したり、学校で居眠りしたりして過ごしてるよ」
「学校で居眠り……。贅沢、信じらんない。
私なんて、毎日お父様に厳しくされてたのに」
「あ、たまに魔獣は現れるから、
そんな時は学校も休みになるんだ!
王国の人たちが来てすぐに退治してくれるけどね」
そんなたわいもない話が、ここ最近の酷く疲れた二人の心を洗い流していった。
「二人とも〜手伝っておくれ〜」
「「はーい!」」
夕食の時間が近づき、老婆に呼ばれる。
食事の準備も最近の日課となっていた。
薪割りの後の火起こしでは、アルトの生活魔法が活躍する。
「アルト。今日はちゃんと一発で点けてよね」
「分かってるって、昨日は疲れてただけ!
えーっと…
『陽の光、招きて結ぶ ―― 灯れ、小さな火』」
アルトが指先を木屑に向けると、ポッと小さな種火が生まれた。
リィナがふーふーと息を吹き込み、火を大きくしていく。
「…ねえ、アルト。その魔法、やっぱり便利ね」
パチパチとはぜる火を見つめながら、
リィナが感心したように呟いた。
「そう? 普通だよ。僕のいた所じゃ、みんなこうして火を起こしてたし」
「ううん、普通じゃないよ。
だって、私たちが火を起こそうと思ったら、火打ち石で火花を散らすしかないもの。
それでも全然着かないから、私火おこしキライ。
それに、火の魔法使いに頼んだら『ボワッ!』って家ごと燃やされちゃうわ。
こんなに簡単に火を点けられる魔法なんて、この時代にはないのよ」
アルトの「生活魔法」は、
彼の育った平和な世界を象徴する、
高度な技術として受け入れられていた。
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その日の夜。
二人は館の二階にあるバルコニーから、空を見上げていた。
森の夜空は美しく、三百年後の世界よりも星が大きく、近くに感じた。
そして、美しい星空の向こうでは、
悲惨な戦いが繰り広げられていることを、
思い出さずにはいられなかった。
「……お父様、今頃どうしてるかな」
リィナが小さな声で零した。
さっきまでの明るさは消え、その横顔はひどく儚い。
「兵士の人たちも、みんな戦ってる。
私たちを逃してくれたあの人も、
死んじゃったかもしれない。
私がもっと、お母さんみたいに強い神子だったら…」
リィナの瞳に、星の光とは違う、潤んだ輝きが溜まっていく。
十歳と十一歳。未来なら、まだ親に甘えて、明日の遊びの約束をしている年頃だ。
それなのに、彼女はこの世界の終わりを背負わされている。
アルトは、手すりに置かれた彼女の震える手に、優しく手を重ねる。
「リィナはお父さんのことが好きなんだね」
「うーん…厳しかったし、
神子としてちゃんとしろって、
怒られてばかりだったから…」
リィナは一度視線を落とし、それから遠くの空を見つめた。
「でもね、国のために頑張ってるお父様は、
誰よりもかっこよかったの。
だから、お父様の役に立って、いつか
『よくやった』って、笑ってほしかったんだ…」
震える声。
それは、使命感の裏に隠された「ただの娘」としての切実な想いだった。
悲しい沈黙の後、リィナは目に溜まった涙を拭い、上を見る。
「リィナのお父さんって、あのお城の王様なの?」
アルトが静かに尋ねると、リィナは首を横に振った。
「ううん、王様じゃないわ。
でも、ずっと昔に枝分かれした、遠い親戚だって言ってた。
だから私の名字もエリュシオンじゃなくて、
アグリス――リィナ・アグリス。」
その名前を聞いた瞬間、アルトの心臓が跳ねた。
「えっ…アグリス? アグリスなの!?」
「な、なに、急に。どうしたの」
「え、僕、言ってなかったっけ?
僕の住んでる村、『アグリス村』って言うんだよ!」
今度はリィナが目を丸くする番だった。
「アグリス村…私の名前といっしょ…
これってただの偶然…?」
「そんなはずないよ!
きっとさ、リィナとお父さんの名前が、
未来の地名になってるんだよ!
三百年後、この辺り一帯が『アグリス』って呼ばれてるんだ。」
偶然とは思えない繋がりに、アルトの胸に熱いものがこみ上げる。
「リィナ…大丈夫だよ。リィナのお父さんは、
ちゃんとかっこいいまま、未来に残ってる」
「……え?」
「平和な村の名前として残ってるってことはさ、
お父さんも、リィナも、みんなで頑張って
この世界を繋いだ証拠だよ。
だからお父さんは…負けてなんかないんだ」
リィナの目から涙が溢れ落ちる。頬に伝う涙を拭うことなく、潤んだ瞳でアルトをじっと見つめた。
その目には、先ほどまでの絶望ではなく、
微かな、けれど確かな光が宿っていた。
「私の名前が…アグリスが…平和の…」
リィナは笑顔でアルトを見つめ、
アルトが重ねてくれた手の上に、もう片方の自分の手をそっと重ねた。




