第六話:交わらない二つの「常識」
神子の森を揺らす朝風は、驚くほど澄んでいた。
食卓での和解を終えたアルトとリィナは、
館の裏手に広がる庭へと出ていた。
屋根のついたテラスでは、祖母が椅子に腰かけ、
細めた目で二人を見守っている。
「いい、アルト。よく見ててね」
リィナが庭の真ん中に立ち、意識を集中させた。
沈黙が数秒続く。
次の瞬間、アルトの目の前の空間が歪み、
一抱えほどの石が虚空から出現した。
ドスン! と重い音を立てて、地面にめり込む。
「…すごい。詠唱しない魔法って、どうやって使ってるの?」
アルトの純粋な疑問に、
リィナは少し困ったように眉を下げる。
「詠唱…アルトが言ってた独り言のこと?
そんなの必要ないんじゃないかな。
言葉では上手く伝えられないけど、
体の中でぐるぐる回る力を感じて、集中するだけ。
あとは、そこから『石が出てくる、石が出てくる』って考えると、出てくるの」
アルトは自身のお腹をさすりながら
リィナの言葉を咀嚼する。
「…ぐるぐる...集中...感覚の話なんだね。
難しい、僕にはよく分からないや」
「そうだよね。
召喚魔法は神子の血筋じゃないと使えないの。
私だって、他の魔法は使えないから…。
アルトの得意な火の魔法については、
なにも教えられない」
残念そうな顔をするリィナ。
落ち込ませないように、言葉を紡ぐ。
「でもこんなにすごい魔法が使えるならさ、
僕よりも強い英霊を召喚したらいいじゃん」
励ましたつもりだったが、
リィナは少し寂しそうに笑った。
「あれは特別。英霊召喚って言って、
『世界を救う選ばれし者』を呼び出す魔法なんだって。
特別な満月の夜に、色んな道具を揃えて、
何日もかけて準備するの。
神子にとって、一生に一度の魔法。
動かない物を呼ぶのとは違うみたい。」
その「一生に一度」を、自分のような、
平凡な人間に使わせてしまった。
申し訳なさが胸をよぎるが――
アルトは首を振った。二度は謝らない。
その代わりに、彼は自分の右手を差し出した。
「…次は、僕の魔法を見て。リィナ」
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立ち位置を入れ替え、アルトが集中する。
一拍の呼吸の後、アルトが短い詠唱を口にする。
『陽の光、招きて結ぶ ―― 灯れ、小さな火』
指先にポッと小さな火が灯った。
前に王城で見せた、火の生活魔法だ。
「……ろうそくみたいに小さい火。
これ、アルトのお父さんやお母さんも使えるの?」
「うん。誰でも使えるよ!
でも、父さんは苦手でさ。よく失敗するから、
結局いつも母さんに押し付けちゃうんだ」
アルトが笑いながら話すと、リィナの表情も少しだけ和らいだ。
「他にも習ったのがあるんだ。これはどうかな」
アルトはリィナの顔に向けて右手をかざした。
『空の息、巡りて包む ―― 吹き出せ、微かな風』
リィナの白銀の髪がふわりと舞い、彼女は思わず目を細めた。
ほんの一瞬、風が吹き出し、彼女の頬を撫でる。
「…ふふっ、なにこれ。なんか生ぬるい。
誰かに息を吹きかけられたみたい」
「あはは、やっぱり?
学校でもさ、木の板持ってきて
『これで仰ぐ方が強い風が出るぞ』
なんて先生をからかってたんだ…」
アルトが幼馴染たちとの思い出を口にした、その時だった。
「……アルト、今のは風の魔法かい?」
さっきまでテラスにいた老婆が、慌てて表情でアルトの肩を掴む。
その手はわずかに震えており、緊張を感じる。
「えっ? えっと、そうだよ、学校で習ったんだ。
火と、風と、それに水と土の魔法も...」
そこまで言い終えると老婆は小さな目を見開き、
大きく深呼吸して言葉を続けた。
「こりゃ驚いた…そうかい…。
いかんねぇ、取り乱して。ごめんよ。
…お前さん、今、二つの違う魔法を使っただろ。
そんな魔法使い、初めて見たから、
つい慌ててしまったよ」
落ち着きと微笑みを取り戻した老婆は、アルトにお願いをする。
「もしよかったら、水と土の魔法も見せてくれるかい」
「もちろんいいけど、大した魔法じゃないよ。
僕が使えるのは生活魔法だけだから」
アルトは少し不安そうにしつつも、
促されるまま詠唱する。
『天の露、集いて満ちる ―― 溢れよ、清き水』
空中にコップ一杯ほどの水の玉が浮かび、
制御を失ったように形を崩して落ちる。
勢いよく跳ねた水は地面を黒く色付ける。
「これは喉が渇いた時に便利なんだけど、
ぬるいしなんか気持ち悪いから、
あまり飲みたくないんだ」
そして、地面の土を掘り返し、
両手で土を握りしめて詠唱する。
『地の恵、踏みし重なる ―― 脆き土、礫と化せ』
土が石のように固まった。
「この魔法は何に使うか全然わかんない。
石なんてそこら中にあるのに」
アルトはつまらなさそうに握った石を森へ投げた。
全ての詠唱を見終えた老婆は、
引きつる笑顔のまま絶句していた。
対照的に、傍らのリィナは、面白い出し物でも見るかのように笑っている。
「アルトや、私はまだ信じられないよ。
長い人生の中で、一人の人間は一つの魔法しか
使えない、それが常識だった。
…もしかしたら、お前さんの『生活魔法』は、
私たちの魔法と、何か決定的な違いがあるのかもしれないね」
老婆は深く溜息をつき、庭の切り株に腰を下ろした。
「聞いておくれ、アルト。この時代の魔法使いにとって、魔法とは『血』そのもの。
血筋であり、天性の才であり、抗えない運命のようなもの。
だから代々この神子の血が絶えないように努めてきた。
子が親を真似て成長するように、自然と親の魔法を会得する。
それ以外にないと思ってたけれど...そんな事なかったんだねぇ」
老婆はこれまで自身が担ってきた、
血統の重荷を下ろすように、安堵した表情に変わっていく。
老婆にとって最大級の賛辞を伝えたが、
それに反してアルトは、惨めさに顔をしかめる。
「でも、こんなことできたって、あの戦場では役に立たないよ」
老婆の安堵と裏腹に、
広間で貴族たちに蔑まれた記憶が蘇り、
アルトの言葉になる。
「そんなことはないさ。
アルト、お前さんが諦めなければ、
お前さんの常識も覆せるかもしれないよ。
時間はまだある。
リィナと一緒に頑張っておくれ」
決意の火は揺れつつも、少しずつ形になり始めていた。




