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第五話:三百年の旅、少女との約束




 目が覚めて、見慣れぬ景色に違和感を覚える。



 いつもと違う低い天井、

木の梁が露出した小部屋で目を覚ます。


「…やっぱり、夢じゃないよね」


 アルトは一人呟いた。



 悪い夢ならよかったのに。


 母さんの「朝よ!」という声がして、

小麦の焼ける匂いがして、昨日と同じ一日が始まる...



 けれど、二階の小部屋から見えるのは、

見たこともない、深い緑の森。


 アルトは、知らない世界に放り出された事実を、

冷たい空気と共に飲み込んだ。




 階段を降りると、食事の香りが漂ってきた。


 食卓には、湯気を立てるスープと焼きたてのパン。

 おばあちゃんが一人、静かに食事の準備をしていた。



「…おはよう、アルト。よく眠れたかい」

「おはよう、おばあちゃん。...リィナは?」

「あの子はまだ夢の中だよ。この数日、

 あの子の小さな肩には荷が重すぎたからね」


 老婆の穏やかな眼差しに触れた瞬間、

昨夜こらえていた不安がせり上がる。



「おばあちゃん…ここ、どこなの?

 どうやったら帰れるの……?」


 食事の席に着き、問いかける。

 視界が滲み、ポタポタと机に落ちる涙を、

老婆は拒むことなく、ただ静かに見守る。


「ここはゼノス王国の北端、神子の森と呼ばれる隠れ家さ。

 お前さんのいた場所は私にもわからない。

 もしかすると、とても遠い…時代さえ違う場所かもしれないね」


「時代...」


 アルトは涙を拭い、おばあちゃんの言葉を飲み込む。



「そう。英霊召喚は、場所や時を超え、

 魔族に対抗できる力を呼び出す魔法なのさ」



 魔族。改めて老婆の口からその名を聞いたとき、アルトの背中に冷たい汗が流れた。



「魔族って…三百年前に倒したっていう、

 あの化け物?」



 老婆の目がほんの少しだけ見開く。

 すぐに笑顔に戻り、話を続ける。



「三百年前に倒した…そうかい。

 お前さんのいた時代では、

 魔族はもう倒されてるんだねぇ。」



 老婆は嬉しさと悲しみが混ざった、

複雑な表情を浮かべた。




 学校の歴史の授業では、魔族はもうこの世にいない、遠い過去の悪役だった。

 けれど、この世界では――。



「私たちの世界ではね、魔族は、日に日に力をつけて、残酷になっている。

 …リィナの母親も、あの子がまだ幼い頃に、

その命を賭して戦ったんだ」


「リィナのお母さんが…?」


「ああ。神子として、大地の英霊を呼び出し、

押し寄せる魔族を一時的に押し返したのさ。

 けれど、魔族の数は膨大で、

突出した一つの力では抗いきれなかった。

 あの子の母親はそのまま…」


 老婆は、遠い空を見つめるように目を細めた。


「リィナはね、英雄になりたいわけじゃないんだ。

 ただ、あの子はあの子なりに、

母親と同じ使命を全うしたかっただけなのさ。

 それが、お前さんを呼び出すことに繋がった。

自分勝手なお願いだけど、責めないでやっておくれ。」



 アルトは、まだ誰もいない、向かいの席を見つめた。

 浴びせられた怒号、俯くリィナの姿、そして戦場へ戻った兵士の震える手。


 それら、自分が「御伽噺」だと思っていた魔族に、怯える悲鳴だった。



「三百年…魔族…英霊……」



 アルトは自分の掌を見つめた。

 未来はあんなに平和だった。魔法は生活のためにあった。


 ならば、なぜこの世界はこんなにも苦しく、

野蛮な命の削り合いを行われなければならないのか。



 小さな胸の奥で、恐怖とは別の、熱い感情が芽生え始めていた。



---



 ギィ…と、古い木造階段が音を上げる。



 アルトが振り返ると、「神子」の面影を消した、

一人の少女が立っていた。


「…おはよう、おばあちゃん。…アルト」


 リィナの声は、消えそうなくらいにか細く、

階段を降りる足取りはどこかぎこちない。



 彼女はアルトと目が合うと、すぐに視線を足元へ逃がした。

 バツの悪そうに頬が少し膨らむ。



 少女の心の中で、あの馬車で少年に放った言葉が、自分に跳ね返る。


『君はお母さんに育てられて良かったね』


 そういった皮肉を叩きつけておきながら、

自分は今、肉親である祖母の温もりの中にいる。


 その矛盾が、彼女の心を抉る。




 朝食の席は、静まり返っていた。



 木皿に乗った硬いパン、少し冷めたスープ。


 祖母は気を利かせたのか、席を外し、少し離れて作業している。



 無言のまま、二人きりの食卓。

 ゆっくりと、スプーンを手に取る。



「…ごめん…なさい」


 ぽつり、と。


 リィナが声をこぼした。


 スプーンを握る彼女の指先が、微かに震えている。


「昨日のこと…。

 勝手に私が召喚しておいて、あんな酷いこと。

 アルトは何も悪くないのに。

 私、どうかしてたの」


 彼女の謝罪は、神子としてではなく、

一人の少女としての痛切な懺悔だった。



 リィナは言い終えると俯き、スープに目を向ける。


 アルトも目線に促されるように、ゆらめくスープを見つめる。



 死の危険がすぐそばにある世界。

 無理やり呼び出した彼女の身勝手さ。

 最初はそう感じていた。けれど――。



「いいよ、リィナ」


 アルトは顔を上げ、穏やかに、

しかし芯のある声で告げた。


「怒ってないよ。

 それに、僕も酷い事を言って、ごめん。

 急に呼び出されて、今でも怖くて苦しいけど…

 決めたんだ。」


 リィナの顔が上がる。


 アルトは食べかけのパンを置くと、

真っ直ぐにリィナの瞳を見据えた。



「リィナ、僕に魔法を教えて。この時代の、本当の魔法。

 このまま『できそこない』で終わるつもりはないからさ」



「…うん!」



 リィナは泣き出しそうな笑顔で答えた。




 老婆は二人のやりとりを背中越しに聞き、小さく微笑んだ。

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