第三話:泥濘の衝突
馬車は泥を跳ね上げ、闇夜を進む。
荷台には、アルトとリィナの二人きり。
御者台の兵士が急かす馬の蹄の音と、
車輪が軋む音だけが、耐えがたい沈黙を埋めている。
膝を抱えるアルトの肩が、不意に大きく波打った。
一度溢れ出した感情は、もう堰き止められない。
「…なんでだよっ!」
絞り出すような声が、次第に激しい怒りへと変わっていく。
アルトは顔を上げ、暗がりに座るリィナに向けて叫んだ。
「なんでだよ! なんで僕なんだよ!
世界を救う?英霊? わけわかんないよ!
僕はただ、学校に行って、畑の手伝いをして…」
リィナは動かず、じっとアルトの言葉を浴びる。
「母さんに会いたい…父さんに会いたいよ!
ここがどこかも、君たちが誰かも知らない!
勝手に連れてきて、勝手に『できそこない』なんて、ひどすぎるよ。
帰してくれよ、今すぐ僕を元の場所に帰せよ!!」
アルトは泣きながら、リィナの肩を激しく揺さぶった。
怒りと、恐怖と、耐えがたい孤独。
――たしかに、農民以外の未来を夢想することはあった。
しかし、この現実は、十歳の子供には、あまりに重すぎた。
やがて、アルトの言葉が尽き、その場に崩れ落ちる。
すすり泣くアルトに、リィナは震える声で、静かに言った。
「……お母さんが、いて良いね」
その一言に、アルトの心臓が跳ねた。
見上げると、月明かりに照らされたリィナの頬には、一筋の涙が伝っていた。
彼女は泣き声を上げることもなく、ただまっすぐアルトを見つめる。
「私のお母さんは、私が生まれてすぐ、魔族に殺された。
…お父様もきっと、あのお城であいつらに殺される」
アルトは、息を呑んだ。
「ごめんね。私が未熟だったから…
あなたの幸せを奪ってまで、こんな場所へ呼んでしまった。
あなたは何も悪くない。
悪いのは、この地獄みたいな世界と……私」
リィナは、弱々しく笑ってみせた。
「神子」として振る舞う少女の、限界の笑顔だった。
「……」
アルトは、何も言えなくなった。
自分だけが被害者だと思っていた。
けれど、目の前の少女は、自分と同じ、あるいは自分以上に、すべてを失おうとしている。
馬車が大きく揺れた。
暗くぬかるんだ道は、これからの未来を暗示しているようだった。




