第十三話:魔族の急襲、分岐点
――ドンドン!!!
ドンドンドン!!!!!
明け方、まだ薄暗い空。
霧の立つ神子の森を切り裂くような轟音が鳴り響く。
「神子様!!アグリス様!!!」
兵士が大声で叫び、扉を叩く。
老婆が慌てて扉を開けた。
「どうしたんだい?!」
「お逃げください!
魔族がすぐ近くまで迫っています。
どうか…ご無事で………」
そう言い残すと、兵士は役目を終えたかのように崩れ落ちた。
兵士はそのまま地面に倒れ伏す。
よく見ると鎧の隙間から、どくどくと血が流れている。
外を見ると、力尽きた馬の姿があった。
…命をかけて早馬を走らせてくれたのだ。
老婆は全てを察して大声を上げる。
「リィナ!!アルト!!!」
叫びながら、二人の寝室へ向かおうとした時、二階から激しい物音が聞こえた。
「おばあちゃん、どうしたの?!!」
アルトとリィナが必死の形相で階段を駆け降りる。
「今すぐ支度しなさい。逃げるよ」
おばあちゃんの見たこともない真剣な表情。
そして、倒れた兵士の姿。
二人も瞬時に理解した。
「わかった、準備してくる」
すぐ寝室に戻って、着替えを済ませる。
必要最低限の荷物を持ち、一階に集まった。
兵士の様子を伺うが、ピクリとも動いていない。
介抱したい気持ちはあった。
だが、子供と老人の力では動かせない。
…彼が何のために命をかけてここに来たのか。
その思いに応えるために、三人は彼を残し、館を飛び出した。
目の前に伸びる道は一本だけ。
この先には、兵士を殺した魔族がいるかもしれない。いや、きっといる。
その覚悟をしつつ、森から伸びる道を早足で歩いた。
---
――神子の森。
それは古くから、英霊召喚という特別な魔法を残すため、他者の侵攻を防ぐ聖域。
英霊召喚は世界を救う力を持つが、裏を返すと世界を支配することもできる。
悪用されないよう、いくつかの同盟国が協力して管理しており、神子の館に辿り着く道を知る者はごく僅か。
森の中にある分岐路は、袋小路になっていたり、元の道に繋がっていたりと、複雑な迷路になっている。
さらに、深い森は方向感覚を狂わせる。
それゆえ、何十年、何百年の間、安全に暮らすことができた。
今日、この時までは――。
老婆が道を先導し、アルトとリィナが続く。
館に向かうことは難しいが、出る分には簡単。
迷うことなく歩みを進める。
老人と子供の足だが、結構な距離を歩いたはず…。
森がひらけるのを期待しながら歩く先、霧の奥。
不意に黒い影が現れた。
一目見てわかった。…これが魔族。
第一印象はコウモリのような ”人” 。
大きさは人間の大人より少し小柄。というより、手足が細く、背を丸めているので小さく見えるだけかもしれない。
二足歩行しているが、足は短く、手は地面近くまで伸びている。背中には薄い膜を貼った羽。
空を飛ぶには心許ない大きさだが、異様な存在感を発している。
そして、顔。薄い毛に覆われ、全体的に黒っぽい。瞳は全部が黒目。極めつけは大きく剥き出された牙。
人のような立ち姿だが、明らかに人ではなく、獣に近いイメージを受ける。
それがこちらを見て笑ったのだ。
…まるで人間のように。
《ギィィイイィィィイィッ!!》
耳をつんざくような、凄まじい雄叫びが森に響いた。
獲物を見つけた喜びか、それとも、仲間を呼ぶ合図か。
いずれにせよ、それは僕たちに死の恐怖を与え、震え上がらせるには十分すぎる咆哮だった。
魔族は、まるで子供が遊び道具を見つけたかのように跳ねながら近づいてくる。
アルトは小刻み震える手をもう片方の手で支えながら前に出し、必死に詠唱を唱えようとした。
しかし、顎がガクガクと震え、唇は自分の思う通りに動いてくれない。
迫り来る恐怖。迫り来る死。
昨日の夜、覚悟を決めたはずだったのに、館を出る時も、倒れた兵士の姿を見て覚悟していたはずなのに。
いざ目の前に本物の魔族を見たとき、頭の中は完全に真っ白になってしまった。
(――死んじゃうのかな)
空っぽな頭の中にぼーっと、どこか他人事な感想が浮かぶ。
景色がゆっくりと、スローに見える。
魔族が両手を振り上げ、あと数歩でその手が届く、その寸前――
『え゛ぃゃあ゛ああーー!!』
おばあちゃんの口から、これまで聞いたことのない叫び声が発せられる。
地面が揺れたかのような低い声と共に、目の前が歪み、大きな岩が何もない空間から生み出される。
ドゴンッッッ!!!
岩はそのまま落下し、魔族を下敷きにして、地面に深くめり込む。
おばあちゃんの声の揺れとは違う、物理的な地面の揺れで、ハッと我に返る。
「はぁ、はぁ…。二人とも、大丈夫かい」
おばあちゃんは憔悴しきった様子で、問いかける。
自分のことより、まずは二人の身を案じる。
その献身的な姿が痛々しい。
大岩の下からは、魔族の手だけが不自然に突き出していた。
頭も体も潰れたはずなのに、指先が痙攣するように蠢いている。
アルトは生唾を飲み込み、震える喉でようやく声を絞り出した。
「だ、大丈夫」
それに呼応するように、リィナも消え入りそうな声を漏らす。
「…おばあちゃんこそ、大丈夫?」
「はぁ、はぁ、ごめんよ、もう今の魔法は使えそうにないんだ。さっきの魔族の叫び声、他の魔族を呼んだのかもしれない。…とにかく引き返そう」
二人は両側からおばあちゃんを支え、逃げるようにその場を後にした。
向かう場所に心当たりはない。
入り組んだ森の道、果たして館まで無事に引き返せるのか。自信がない。
頼りのおばあちゃんは満身創痍で、正確な案内を望める状態ではない。
…仮に辿り着けたとしても、魔族に見つかるのは時間の問題に思えた。
だったら――。
しばらく歩いた先、分岐路を曲がった場所は袋小路になっていた。
なるべく外から見えにくい場所を選び、大きな木の根にもたれさせるようにおばあちゃんを休ませる。
「おばあちゃんは休んでて、僕は行くよ」
おばあちゃんが答えるより先に、リィナが悲鳴のような声を上げた。
「行くってどこに?!アルト、死んじゃうよ!!」
「何もしなくても、きっとみんな殺される。
昨日、僕は魔族を殺す覚悟をしたんだ。
でもいざという時、僕は何もできなかった。おばあちゃんがいなかったら、今僕たちは生きていない。
だから、今度こそ、僕がリィナとおばあちゃんを守るんだ」
アルトは一息に、胸に溜まった想いをぶつける。
決意がブレないように。身に染み付いた恐怖を無理やりかき消すように。
リィナの瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ出した。
「アルト…アルトぉぉ」
言葉にならない、悲痛な叫び。
アルトの肩にしがみつきながらも、彼を引き留める術を持たない少女の無念が伝わってくる。
「アルトや…お前さんだけでも逃がしておけばよかったのにねぇ……まるで自分の孫のようにかわいくてねぇ……ごめんよ」
「謝らないで、おばあちゃん。僕を助けてくれてありがとう。あの家で過ごした時間は、僕にとってもかけがえのない時間だよ。
僕にとって、二人は大切な家族なんだ。だから、次は僕が二人を助ける番」
アルトはリィナの頭にそっと手を置き、最期のつもりで言葉をかける。
「リィナ、おばあちゃんをよろしくね。僕が二人を救うよ。だって僕、英霊だから」
アルトは、今自分にできる最大の笑顔を浮かべた。
「ひっく、うっ…ごめんなさい、ごめんなさぃ」
泣き崩れるリィナの手をゆっくりと振りほどき、おばあちゃんの横に彼女をそっと預ける。
「リィナ、あとは頼んだよ。いってきます」
そう言ってアルトは立ち上がり、元来た道を引き返し始めた。
振り返りたい衝動を必死に抑えて、まっすぐ、前へ。
背中越しに聞こえていた泣き声は、歩を進めるごとに、森の静寂へと溶けていった。




