第六話 お嬢様、事件に
「はぁ……はぁ……!」
トウマと分けれたミユは彼の言葉通りに裏路地を通っての近道ではなく、人混みの中を走り抜けている。
「皇女様だ!」 「皇女さまー!」
その中で幾度となく声をかけられた。それでもなお振り返らなかった。いや、振り返れなかったのだ。一度止まれば、再び走ることは難しい。
守ってあげる。そう宣言したのに、逆に守られてしまった。そのことに彼女は悔しさを感じていた。彼女は弱くない。大抵のことは自分で解決することができる。実力に関してもヘルメスも目を見張るものがあった。
「トーマ……!」
言葉足らずであったと深く後悔し、下を向いてしまう。現に、トウマは正理機関など知らなかった。だが、彼も慢心して後退したのではない。守るために戻っていったのだ。
「………っ!」
石畳の上を走る音が消えた。それは彼女が足を止めたからである。
「こんにちは! 急いでるのかなー?」
道化師のように奇妙な服装と帽子、顔にはカラフルな仮面。
「僕は正理機関分派の幻偽面庁。リィナ・フェルカナ。ぜひとも、芸をお楽しみくださいね」
一礼をする。ミユは有無を言わずにその隣を行く。
しかし、突如として彼女の視界が移ろう。
「―――!」
気がつけば彼女はトウマと歩いた狭い路地裏へと戻っていた。その隣にはトウマがいる。
「―――? トーマ……?」
「ミユ! 行くよ!」
そう言って手を取り走り出す。目的地は分からない。だが、どんどんと奥へと入って行く。ミユは慌てて言葉をかける。
「だ、ダメ! トーマ!」
(どういうこと……? まさか、これが「芸」?)
彼女は必死に止めようとしたが、トウマの握る力は徐々に強くなる。顔は狂気的になり、ミユが必死に声をかけても振り返ることもない。
「……へへへ」
「トーマ! トーマ! ―――?!」
路地裏を走っていたはずが、暗闇を走っていた。先の見えない世界をトウマと走り続けていた。だが、依然として彼はミユを顧みない。
「あーーー!!」
突然の叫び。ミユはビクッと反応してしまった。もう互いの顔すらも見えない。世界から光が消え、ただ二人だけが取り残されたように。
「傷付けば救われる!! 傷付けば救われる!! 救いの手を!! ともに取ろう!! 万事上手くいく!!」
狂信的な言葉を投げかける。先ほど遭遇した女、アメル・セクトが口にしていた言葉と全く同じである。それを聞いたミユは肩を狭め、体が強張り始めた。
もしかしたら、トウマは正理機関へと魅入られたのではないか、と。そうであれば、もう手遅れである。
「くははははは!!!」
握力測定を行っているが如く本気の力が込められる。ミユの小さな手は今すぐに粉々になりそうだ。
彼女の顔に苦悶の表情が浮かぶ。それと、同時―――
「―――ミユ皇女」
そう言って暗闇からトウマの顔が出てくる。その顔は優しい青年の顔ではなかった。満面の笑みを浮かべ、化粧をしているかのような白塗り。口は紅をさしている。
「ミーユ」
ぬるりと顔を出したのは、先ほどの道化師。彼女は全身の毛が逆立つような寒気を感じた。そして、行動する。
「リベレイト!」
あらゆる効果を打ち消す魔術。それを唱えるとまたしても場面が移ろう。閃光の光が視界を覆う―――
「―――!」
戻って来たのだ。やはり、先ほどはリィナの幻影、いや芸当というべきか。
暗い天井ではなく、蒼の空から光が注ぎ込まれている。
「よくぞお戻りに! どうですか?! 私の芸はお楽しみいただけましたか?!」
仮面に隠れて表情は一切分からない。しかし、声色からして楽しんでいるのは確かである。
(ここでへたー! なんて言ったらミユは……)
「ふ、ふーん! ミユもやってみたいなー!」
「おぉぉ!! 僕の素晴らしさが分かる! やっぱり君は良い!! では! 次のショーで!」
そういうとサッと腕を払う。再び彼女の視界が白で埋まる。
「―――ここは……」
「ミユ皇女」
それは、聞き馴染みのある頼りがいのある声。振り返ればそこにいたのは純白の仙人服に身を包み、手には扇子が握られ、ヘーゼルブラウン色の瞳をした人物。
「んー? ヘルメス?」
「どうかなさいましたか?」
キョロキョロと周囲を見ればこれまた見慣れた場所。レッドカーペットが敷かれ、松明が壁に刺さっている。そして目の前には膝をついたヘルメス。
(……どーゆこと?)
「急に変わった!!」
「急に? 何をおっしゃりますかミユ皇女は今、通路をジュラルと歩いていました」
「ラルじーと?」
隣を見れば首を傾げてもの不思議げにしている初老の男。雪のように白い小袖、薄墨色の大袖を着ている。これは彼の故郷での制服なのだ。
彼女はますます困惑した。彼女が覚えている直前の記憶は街を歩いていたこと。
「今から剣の指南を致します。庭に行きましょう」
そう言ってヘルメスは立ち上がった。それを見上げるミユ。その瞳はすっきりしない、霞のようになっていた。
「よもや、体調が優れませんか?」
「うーうん。うーん………分かんないや!」
彼女はジュラルを連れてヘルメスの後に続いた。いつもであれば彼女はこんなことにいつまでも悩まない。彼女の性格上、常に前を向き、ポジティブを保ち続けるからだ。
ヘルメスとの稽古が始まろうとしてもそれは変わらなかった。
「やはり、体調が?」
「―――」
何かが引っかかっているようなものを彼女は感じていた。そのせいで、心の中に広がる霧が晴れなかったのである。
「………やはり、素晴らしい」
その言葉とともにヘルメスは自分の顔に手を伸ばす。ビチビチとテープを剥がすような音とともに、またしても道化師が現れる。
それを見たミユはようやく何かを思い出したようにハッとした。
「リベレイト!」
右手の魔力が放出されていく。
四度目の白い視界―――
パチパチパチ、と手を叩きながら例の男は前に現れる。
「僕の芸はどうだったかな?」
彼女は悩んだ。今回もまた褒め称えるか、それとも正直な感想を伝えるべきなのか。
おそらく褒め称えたらまたしても、芸とやらを見せられるだろう。しかし、その術には何かしらの能力が働いているに違いない。下手に繰り返せば、敵にとってメリットになってしまう。
「どうしたのかなー?」
悩んでいる彼女をみたリィナは今か、今かと望む答えを待つ。
しかし、これ以上、付き合っていると時間がない。そう思ったミユは覚悟を決めた。
「ミユつまんなかった!」
「………あ?」
「ミユはつまらなかった!! 急いでるから! じゃーね! ばいばーい!」
それを聞いたリィナはブツブツと何かを言いながら仮面を触る。
それを見たミユは好機と見て、その隣を通り抜ける。
その行動は正しかった。リィナはその場にうずくまり、泣いているかのようにワナワナと震えていた。今のうちに差をつけなければならない、彼女は無我夢中で走った。
しかし――――
「ぁぁあああ!?」
鼓膜を破るかのようなわめき声がこだまする。
咄嗟に振り返れば一人の市民がその場に仰向けとなり暴れている。
「………ッ!」
彼女はそれでも止まらなかった。その声を耳にしながらも、走った。万が一の時を考え、ジュラル考案の動きやすいように改造したドレス。内には武器が隠し込んである。
「がぁぁぁぁああ?!!」
「ギァァァァア!??」
発狂する人々。自分が通った場所全てにそれが起こる。もしかして、それを起こしているのは自分?
そう思ったミユはいたたまれない気持ちになった。
自分がその場を通れば人が死ぬ。これ以上の最悪はあるだろうか……
後ろを振り返ればもう、あの男は見えなかった。人の波に隠れ、輪郭すらも捉えることができなかった。
「捨て去りし 我が子を殺す 殺人鬼」
言霊の乗った五七五。聞こえてくるのは前方、彼女はそこに向けて走り出した。一筋の希望を持ち、全速力で――




