第四話 お嬢様と事件
「ちょ、ま、待って!」
俺はゼェゼェと呼吸のリズムを乱しながら、手を引き先を行く猫耳少女にそう言った。聞こえてはいるのだろうが、ミユはどんどん進む進む。
「あ、足の感覚がぁ……!」
大嫌いな持久走を無理やりやらされているかのような感覚だ。もう足の感覚が無い。また切断されたんじゃないかと思うほどに。
顔のみならず、全身の毛穴という毛穴から汗が吹き出して全身がびちゃびちゃだ。
すると、ようやく俺の状態を察知してくれたのかミユは動かしていた足を静止させた。
「仕方ないなー、じゃあこっち来てー」
ズルズルと俺を引きずるようにミユは俺を人気のない場所へ連れていく。口がもう既に砂漠化しているし、足の筋肉は悲鳴を上げすぎて死んでいる。
ミユはどこからか竹筒を取り出した。その蓋を開けて、傾けると無色透明の液体が垂れてきた。水だ。俺は口を大きく開けてそれを迎え入れた。
枯渇していた水分が口内に入ると痛みを感じ始めていた喉が水分をグイグイ通し全身を潤わせた。
「これでだいじょーぶ!」
酸欠気味なのか少し頭痛がする。だが、それでも起きて皆と合流する必要がある。
あぁー、もうしばらく転がっていたい。
正直路地には入ってないから後はヘルメスと会えたら終わりなんだが、中々に会えない。まぁ王都って他と比べて規模が違うし、人口も多いからそう簡単に上手くとは思ってないけど。
「もっかいやろ!」
死んだ魚の目をしている俺とは反対にミユは元気いっぱいで疲れている様子すらない。子供の体力ってお化けだな。幼稚園の先生には体力が必要だって言われる理由が少し分かった気がする。
「マジで俺死んじゃうからさ、歩いていかない?」
「もー、しょーがないな!」
とりあえずマラソン大会は閉幕したらしい。
それならと俺は消えかけていたやる気の炎を再着火させた。
では、いざ出発という時ミユが「ねーねー」と服の袖を引っ張ってきた。今度はなんだろうかと思い話を聞いてみると、
「暑そうだから、水浴びるー?」
「浴びる!」
俺は即答した。風呂に入りたいところだが、水を浴びれるだけでもマシか。そう思っていると、ミユが右手の人差し指を俺に向けた。
なんだ、そう思ったがここは異世界、つまりは──その後間もなく俺はその意味を悟り待つように呼びかけたが遅かった。
ミユの小さな指先から緩やかな弧を描いて水が放出された。水の着地点は俺の顔面で、反応が遅れた俺はそれを顔面で受け止めることになった。
水が止まり、彼女が笑っているのとは対照に顔がびしょ濡れで体に服がべっちゃりと着いた感覚に嫌悪感を抱く俺。
「おぉー、水も滴る良い男ってトーマのことだね!」
俺は髪をかきあげながら心の中で嘆く。
なんて主人に仕えることになったんだと。
異世界なんだから魔法があることは当然なのに、ヘルメスが使わなかったからその存在を忘れていた。いや、空飛んでたか。
だが、水のお陰で少し元気が出た。水様様ってところか。
「じゃあ、行きますか」
「しゅっぱーつ!」
俺たちは再びヘルメスとの合流を目指して来た道を帰り始めた。
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歩くこと数十分、ミユの足が急に止まった。彼女はある路地の道をジッと見つめながら動かなかった。その時、手帳の内容がフラッシュバックした俺はすぐさま彼女の手を引いて立ち去ろうとしたが、
「待ってトーマ、こっちから行ったほうが多分近い」
確かに路地裏から行けば思いがけない道に繋がっていたり、俺たちが歩いている道では辿り着けない場所もある。だが、路地だけはダメなんだ。路地に入れば──最悪な展開が起きてしまう。
「で、でもさ路地って危険じゃん? やめた方が良いよ」
「だいじょーぶ! ちゃんと見回りしてるから!」
そう言ってミユはテッテッテとその通路に走って行ってしまった。このまま見ているだけとはいかず、俺は必死に彼女の後を追った。
薄暗い、人気のないネズミが行き交う通路に足を突っ込んだんだ。
すると、ミユは行き止まりに当たったのか足を止め左右を確認していた。「まだ引き返せる」そう思ったが、彼女の耳がピンッと立ち上がった直後、左に曲がった。それを追うと、彼女はまた右左を確認し、左へと曲がった。
どうやら彼女の耳はただ声を察知しているのだけではないみたいだ。多分何かしらの音の反響を感知していると思う。
俺は焦燥感に苛まれながら彼女の背を追った。そして、ようやく彼女の背に追いついた。どうやら、今度の分かれ道はそう簡単に最適解が分からないらしい。彼女の手を取って引き返そうとした時、
「どうです? 私の元へと来ませんか?」
勧誘するかのような声色が耳に入った。その時俺はミユが何故止まっていたのか分かった。
「──っ!」
幾人かの子供を集め、ミユと同じ深い紫のドレスを纏って身振り手振り何か、教えのようなものを吹き込んでいた。手を大きく広げるとクリーム色の髪が揺れ、声量が大きくなっていく。
変わった宗教勧誘方法だな、と俺は呆れているとミユの手が震えだしていることに気がついた。
「どうです? 私と同じく十字の紋章を引っさげませんか?」
「十字の紋章」という言葉にミユはピクリと反応し、俺に言った。
「逃げてトーマ!」
彼女の言葉に従おうとした時、女が先に動いた。ジャラとドレスに装飾として付けられている十字架を花を愛でるように触りながら言った。
「あら、ミユ皇女。二年ぶりですね、ご無沙汰です」
女の言葉を聞いた直後、ミユは耳を両手で塞ぎ込んだ。彼女が拒絶する相手。まさか、こいつが手帳の記述にあった──
「あら、殿方もおいででしたか。初めまして怪しい者ではありませんよ。ただ、傷つけば救われるという教えを広めていただけですので」
あまりにも矛盾した言葉に、俺は嫌悪感を抱いた。俺は出会って直ぐに人に優劣とか、好き嫌いをつけたくないが、ハッキリと言わせてもらう。コイツは嫌いだ、嫌な空気感を纏っている。
ピエロの仮面のように怪しく笑う女の顔の裏にはとんでもないものがある。直感でそう思った。
だが、女の言葉の節々に感じる邪悪な悪鬼が耳に入る度、精神を揺さぶられる感覚になる。長時間になると、恐らく精神を操られる気がする。
行動しろ俺! 動かないと、最悪は免れることは出来ない!
俺は徐々に蹲りつつあった彼女を無理やり抱き上げると、路地裏を適当に走り出した。その背後で女が言う。
「大丈夫ですよ、あなた方も順に助けるので」
闇雲に路地を走ると、市井に出た。路地から少し離れた果物屋の隣で俺はミユを下ろす。彼女はこれまでの明るさなどなく、見てはいけないものを見たかのように青ざめていた。
きっとトラウマか何かがあるに違いない。会わせたらダメな相手だ。
「今すぐヘルメスと合流してくれ、俺はその間にあの子供達を助けに行く」
俺の言葉に青くなっていた彼女の顔に焦りが浮かぶ。それはダメだと首を大きく横に振りながら行かせまいと服をギュッと握る。
「あの女が街に出たら沢山の人が犠牲になるかもしれない。だったら俺が時間を稼ぐから、その間に誰か助けを呼んで欲しいんだ」
「で、でもトーマが──」
「大丈夫、死なないから。女の人を殴るのってあんま乗り気じゃないけど、いざと言う時はやるからさ」
冗談混じりにそう言うが、ミユの表情に明るさは戻らない。
「トーマ! ダメだよ!」
「一人の犠牲で多くを救える。最前の手だ、ミユ頼むから行ってくれ、絶対無事に戻るって約束するから」
そう言って俺は小指を差し出した。先程よりも心配の念が深くなった顔で同じように小指を俺の指に合わせる。俺はそれをギュッと握り指切りをした。
指切りが終わると俺は即座に方向を反転し、再び路地裏へと入った。人気の無い通路を走りながら自己問答を繰り返した。
(何してんだよ俺! これで俺が死ぬ未来になってたらどうするんだ! 第一にこの判断でミユが死なないと確定したのか分からないのに! ここで死んだら帰ることなんて出来るわけない!)
『守らないとって思わせる』
ヘルメスの言葉が過ぎった。
あぁそっか、そういうことか。
俺、守らないとって心のどっかで思ってたのか。ヘルメスの言葉が少し分かった気がするよ。
かくして俺は、来た道を一人で遡り、未だに卑しく勧誘している女の元にたどり着いた。
「あら、おひとりなんですね。ではあなた方から救ってさしあげましょう」
「ウフッ」と手を口に当てながら口角を上げる女。紅の瞳に宿るのは本物の狂気。俺はその時、仙人のような青年早く来てくれと祈っていた。




