第十話 「備えよ」
ワンジュとトウマが剣を交えている場面をヘルメスは王宮の高所から覗いていた。
「トウマは心配なさそうだ、彼なら適応するだろう」
新しい肉体へと変化したトウマが順応出来ないのではないかという心配をしていたが、楽しそうにしている姿がほんの一瞬だが、見られたことに安心したヘルメスは歩き始めた。
長い廊下を歩く中でヘルメスは思考を巡らせていた。
逃げの算段はほとんど出来ている。王宮の門はほとんどが敵に狙われ、きっと脱出は困難。抜け道ももう出来ている、後はそこに誘導して国外へと逃亡してもらう。
ジュラルにミユ様、トウマにソンヨ皇子、皆が生きるためならこの命、燃やし尽くすと。
「さて……おっと」
そこに一人の人物が現れる。まるで炭を塗ったかのように艶めいた漆黒の髪、氷柱のように透き通ったシアンの瞳、金に縁取られた黒装束の衣を身にまとい、ヘルメスと向かいからやって来る。
ヘルメスは足を止めて、挨拶をする。
「ご無沙汰しています」
「ほう、珍しいなこんなところで油を売る暇があるとは」
くっきりとした二重の瞳の奥には底知れない何かが眠っているかのように冷たい。第一皇子ソンヨである。
「たまには高所に来てぼーっとすることも大事です」
「お前のように多忙な身である人間が思いにふけっていて良いのか? 他にやることがあるんじゃないのか?」
「そうですね、ですがそっちの方も順調ですので心配ご無用です」
ソンヨの横を過ぎ、通り抜けていくヘルメス。しかしそれを遮るが如く声を掛けるソンヨ。その声色はどこか冷徹であった。
「無駄だ、運命は決まった。次は私の時代だ。そろそろ仕える気になったか?」
「全く……この身は陛下とあるので」
「後悔しても遅いぞ、今週末、ここは混沌の地獄絵図に変わる。大地は震え、火山は唸りを上げ、悲鳴がこだまする。守れるものなら守ってみろ。あらゆる生き物を、全て、皆殺しにする」
「……なんの事だかさっぱりです。皇子ともあろう御方がそのような発言をすべきではありません。自重なさってください」
そう言い残すとヘルメスは歩き去っていた。終末はもうすぐそこ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「……手帳の記述は特に変化無し、直前かはたまた事後に増えるのか」
その頃、トウマは地へ寝そべり件の手帳を眺めていた。最後に記録されている内容には一切の変化が見られない。具体的な人物の死亡記録なども記されるが、「いつ」示されるのか不明。所持者であるトウマもその手帳については分からない点が多い。
「あー! トーマみーっけ!」
太陽のように明るい声が響いた。声がする方向を見てみれば紅色のドレス、ではなく丈の長いローブを身にまとっていた。マリン色の大きな瞳、青紫のロングヘアーの頂点には对の猫耳がついている。
タッタッタッという音が聞こえてきそうな陽気なステップで駆け寄って、同じように寝そべった。
「何してるのー?」
「黄昏てた、時にはぼんやりとすることも必要だからさ」
「ふーん、って、あっ! 血が出てるー!」
そう言ってトウマの左胸を小さな指でさした。促されたトウマは自身の胸を見る。それはほんの少し前に負った軽傷、と言いたいところだが燕尾服に血が滲んでいる。それは時間が経過する度に血のシミが拡散している。
指摘されてようやくトウマは剣傷があることを思い出し、痛覚が戻ってきた。激痛とまではいかないが、穴が空いていることには変わりない。顔が苦悶の表情へ変わり出す。
「いたた……忘れてた、治療して貰わないとな」
「動かないでー! ミユに任せて!」
双掌を傷部分に当て、目をそっと閉じると、緑葉のような光に包まれるトウマ。自然のように優しく暖かいそれはみるみるうちに傷を塞いでいく。やがては完全に塞がれ跡すらも残らなかった。
いわゆる回復魔法である。ミユは高等な技術が必要といわれる魔法の基礎をマスターしていた。
「おぉ……すっげぇや。綺麗に治った」
立ち上がって腕を動かして見るトウマ。腕の筋肉を動かすと胸の筋肉も連動するため痛みが出るのだがそれも無し。
感嘆しているトウマとは反対にミユは少し首を傾げていた。それに気がついたトウマがどうしたと声を掛けた。
「うーん、なんかトーマの身体変わったー?」
「えっ……あー、あれじゃない? ワンジュさんと筋トレしているからかもねー、あはは」
「んー、トーマの身体って筋肉のせいちょー速度速いね!」
うまく誤魔化すことが出来たらしくトウマはホッと安心した。
そして、一つのことを思い出した。
ヘルメスから任された訳では無いが、自分がしなければならないことがあったと。
「ミユ様を頼んだ」、そう言われていた。隣をみれば鼻歌を歌いながら仰向けになっている。フーっと吹く風が心地良いのか小さな欠伸をする時もある。
ここを逃せばチャンスは無い、そう思ったトウマは意を決して話しかける。
「あのさ、これから―――」
「ミユ様ー!」
話そうとするトウマを遮り、一人の人物が駆け寄って来た。血相を変えて、走ってくる様子から察するに急用であるに違いない。
「急いで宮殿にー!」
「えぇー、せっかく楽しんでたのにー、バイバーイトーマ」
「……ぇ、ぁあ、ば、バイバイ」
使用人と共にミユは行ってしまった。呆気にとられ、見ていることしかできなかったトウマは頭を悩ませた。唯一のチャンスを逃した、こんな広範囲の中でたった一人を見つけるのは極めて困難。
一筋の希望があるとすればトウマがミユに仕えているということ。それを上手く利用して何とかできないかとトウマは考え込む。
「うーん……ついて行けば良かったな」
立ち上がって近くに突き立ててある剣を手に取った。数日後、この剣が折れることなく生存出来るか。それは当日、経験しなければ誰も分からない。
トウマは銀の鋼が煌めく剣を鞘へと納めた。本来であればビギナーには到底できないことだが、もう彼はビギナーではないのだ。
すると、どこからともなく音が聞こえてくる。ガシャガシャと何かが宮殿いっぱいに響いている。何事かとトウマは慌てて高所へと向かった。もしかしたら今日、大戦が起こるかもしれない。そんな嫌な考えがトウマの頭で警報を鳴らす。
それに呼応するか如く、歓声のような声が響いた。その声は地面を震わす地震のようだった。トウマは声の大きさに驚き脚を止めることが何回かあった。
数多の階段をかけ登り、トウマは景色を一望できる高台へとたどり着いた。そこで下の方に目をやればその声の正体が分かる。
「―――っ?!」
この宮は都市の中心、そして最も高い場所にある。トウマが下を覗けば街の様子を伺うことが出来る。遥か彼方まで続く晴天、降り注ぐ陽光。その天の下には無限とも言える人だかりが形成されている。しかし、誰もが隊列を組み、武器を携えている。一万くらいはいるであろう。
規則的に並んでいる人の間には旗印のようなものが見える。トウマの位置からはどんなに目を細めても見えるのは赤単色に埋め尽くされた中に金色で証のようなものが刻まれていること。
「戦争か……」
その景色にトウマは圧倒され、少し肝を冷やした。なぜなら彼の生きる時代では戦争が起きておらず、兵士として生きる人生など想像が出来なかったからだ。彼は平和な時代に生まれた平凡な男子である。
「これだけの人数を動員しても国を護れないなんて、敵はどれだけ―――」
突如として記述が加えられた出来事は必ず発生する。どんな未来であっても必ず……。
トウマは「はぁ」とため息をついた。これほどの兵士の中で生き残ることができるのは何人なんだろうか。いや、一人もいないかもしれない。だが基本的に人は生存本能を持ち合わせている。自身の命が危険に晒された場合は国なんか考えずにどこかへ行ってしまう。
するとそこにもう一人の人物がやってきた。
「トウマ、ここに居たのか」
パッと振り向いてみると、扇子で自分を軽く煽るヘルメスがいる。
「順調に進んでるかな?」
何が、そう言いかけたがそれは喉まで来て引っ込んでしまった。一体何が順調なのか、それは聞くまでも無い。
「すまん……まだ何も、出来てなくて」
ヘルメスは一瞬驚いた顔をしたが、「問題ない」と伝えるとトウマの隣へとやってきた。彼は下にいる兵士達と異なり、普段と同じ服装をしている。彼も国の存亡をかけて戦うのだろうが、鎧は着用しない主義なのだろうか。
「君はあの中に何人、顔見知りがいるかな」
そう言われても一人もいない、というのがトウマの答えである。そもそも、彼がここに来てから軍というものを初めて見たのだ。これまで何処に潜んでいるのか分からなかったのに、誰なんて分かるわけが無い。
無言でいるトウマとは反対で、ヘルメスは口を開いた。
「君は知らないだろうけど普段君と共に働いている使用人や街の住人らがあそこに集っているんだ」
普段は各々がやるべき仕事をやり、非常事態となれば兵士に化ける。直近で、一番最後に起きた戦はいつなのか知らないがトウマが来てからそのような事は一度も無かったし、知る由もなかった。
「大体だけど、全体の三割が王宮で働いている者たち、残りの七割が一般市民だ」
「一般市民の方が多いのはどうしてなんだ?」
「単純に母数が多いから、というのが一般常識だけど、本当は違う。王宮の使用人がいなくれば困るのは一体誰だと思う?」
「それはもちろん、その王宮に住む皇族だろうな」
「その通り。もしも十いるうちの九が死んだ時、残りの一人が死んだ九人分の仕事もしなければならない。
位の高い人達は雑務を嫌がる。自分の力でやれば良いと思うんだけど、何せプライドの高い人もいるから……ね」
どこの世界でも王族や皇族は掃除や洗濯などはやりたがらない。幼い頃からそのような教育は受けていないからだ。当たり前のことをしないのが彼らである。
「この国が最後に戦争をしたのは二年前。決して規模の大きいものでは無かったけれど、戦をする以上死者が出る。
その時の戦争に限らずだけど、遺体は回収され親族の元へと返される。僕はその仕事を担当している。誰もが僕に言うんだ。
この戦争は必要だったのか、と。
そのような問い投げられる度に僕も同じことを思うよ。戦はそれぞれの国が異なる意見を抱えているから発生する。あっちでは善であっても、こっちでは悪、それは逆も然り。
話し合いなんかで解決できる訳が無い。だから無理やり正しいものに書き換える。命という儚いものを使って。そんなものそれを主張する者たちだけでやれば良いと思うんだけど、良いのか悪いか、力を持っていないんだ。
だから他人を巻き込んで仲間をつくり、力で降伏させる。勝利した側はそれが正しかったと流布し、人々を洗脳して回る。それに感化された者たちもその考えにどっぷりと浸かり、やがて集団が形成されていく。それが国の起こり。そして再び始めへと戻る。
その過程で散る人を全て記憶している人物は誰もいない。時の流れと共に忘れられていく。だが、僕はそれだけで十分だ。たった一人の記憶に残れば、ね」
彼はまっすぐトウマを見つめると言った。
「君の中で生き続ければ」
その目は死を受け入れたかのように清らかで曇りが一切ないものだった。トウマはハッと何かを悟った。
「―――っ! ヘルメス!」
「強き者の定めはただ一つ、人を守り次の世代へと継承させること」
そう言い残すと彼はどこかへと行ってしまった。遺言のようなものを言い残しにわざわざ訪れた、それを知ったトウマは驚きを隠せなかった。
トウマはその背を追いかけ引き止めるような事はしなかった。いや、そうしてはならないと、そう感じた。




