第十七話 昼に起きたよ
「――――う、ん? ふぁぁぁあ……ここは?」
トウマは見慣れない一室で目を覚ました。
この世界にやってきて間もないために知らない場所は当然多い。
だが、彼が思い出す限り外でワンジュと筋トレをしていた。決してマッチョになりたいわけでもないのに、
「ようやく起きましたか、初日がこれでは先が心配ですぞ」
「―――っ!」
扉の正面に直立する初老の男性。和を彷彿とさせる亀甲紋が刺繍されたネズミ色の羽織。髭も髪も真っ白である。
「トウマ、ついて来い。諸々の説明を行う」
「あ、はい……」
ジュラルを見たトウマは少し驚いていた。昨日、門前で別れた後、ジュラルの姿を一度も見ていなかったのである。苦悶の表情と八つ当たりのような問答になり、頭を冷やせと言われた彼がどこ行っていたのかは誰も知らない。
部屋を出て、ジュラルの後に続くトウマ。
まだ少し眠気が残っているせいか、少しフラついていたがジュラルの背中をなんとか追った。
「トウマ、足を止めろ」
「え、あ、はい」
そう言ってジュラルは前方を見つめ続け、直立不動となった。
ジュラルの陰からこっそりと顔を覗かせると、誰かがこちらへと歩み寄って来ていた。
「こんにちは、今日はいい天気ですね」
「はい、シャウラさまもお元気そうです何よりです」
シャウラと呼ばれた女性。
春に咲き誇る桜のような髪、宝石のような赤い瞳。丸顔で、垂れ目であり朗らかな雰囲気を醸し出している。
何より、豪勢なベルラインのドレスを着用しているあたり貴族か皇女であるに違いないとトウマは内心思っていた。
「トウマ、挨拶を」
「はい」
ジュラルの陰から出て、いざお嬢様と対面。トウマよりやや一回りくらい小さい。つまり、彼女が見上げているのである。それを感じ取った彼はハッとなり咄嗟に膝をついた。
「トウマ・カガヤです。ご無礼をお許しください……」
「あらあら、ご無礼だなんて。それに、すぐに膝を曲げるなんて簡単にできることではないですね。すばらしいです」
口調から推察して怒っていないのはトウマも感じ取っていた。
「新しい使用人です。作法がなっていないのは私の責任です」
そう言ってジュラルは頭を下げた。
作法、と言われても仕方がないのである。トウマとて、これまで皇族と関わりがなかったわけではない。
皇族とは呼べないような自由人と居続けたせいである。
「まぁまぁ、お立ちになってください」
そう言ってトウマの立ち上がらせようとしたが、ジュラルがそれを止めた。
「トウマ、皇女さまの手を煩わせるでない」
「は、はい! すみません!」
すぐさま立ち上がり、半歩後ろへと下がった。
彼は今、十八歳の高校生である。ちょっとした礼儀やマナーはもちろん学んでいる。しかし、いざ本番となるとどうしてもできないのである。
「ゆっくりと確実に覚えていけば良いんですよ。何事も焦らず頑張ってくださいね」
天使のような微笑みを向け、歩いて行った。気品溢れる素ぶりに全てを包んでくれそうな雰囲気。
「シャウラ皇女さまだ、必ず覚えておくことだ」
「はい、分かりました」
そうしてトウマは再びジュラルの後に続いた。次に誰かに会った時は自分から必ず挨拶をする。心の中でそう決めていた。
現在、トウマにとってジュラルは職場でいう先輩にあたる。先輩の中でも部長とかに当たる具合だ。
ここでいう人との出会いは取引先でお互いに対面すること。そして、挨拶することは名刺交換のようなものである。そんな場面で部長の指示待ち人間の木偶の坊など、印象が悪いに決まっている。
何より、この世界では殺しが当然なのだ。そのひんどは身分に比例する。どんな国や世界にも必ずいるんだ、いじめっ子のようなやつが。だとしたら、ご機嫌とりをしなければいけない。
ふーっと大きく息を吐いて、落ち着きを取り戻そうとするトウマ。
大丈夫だ、大丈夫。いつも通り、いやいつも通りじゃあダメだな。少し上品に、あれ? だとしたら歩き方をもう少し変えたほうが良いかな? なら背筋を伸ばして、顎を引いて………。いやいや、待て待てそれじゃあ逆に気持ち悪い。リラックスしてる自分で良いんだ。
あれでもいつもの自分ってどうしてたっけ。もう少し猫背か? もっと笑顔だっけ? やばいやばい、次は無いって感じだったし……完璧なやらないと。
ていうか―――
「いでっ」
すると、誰かにぶつかった。現実ではなく頭の中の世界にのめり込みすぎたのである。やや後ろに後退しつつ頭をさするトウマ。顔を上げれば、ジュラルがやや苦笑いをしていた。
「過度の緊張による視野狭窄、緊張など不必要ですぞ」
「はい……」
「初日に心をへし折ることなどせん。今日はただ見ていればいいのだ」
「は、はぁ」
ジュラルは振り向き、再び廊下を歩き出した。
その後は特にこれといって人と会うことはなく、目的地へと辿り着いた。
「中へ」
その言葉とともに一室の扉を開けた。隣にはこう書かれている。
「正教騎士団団長 ジュラル・ぜべルア」
「正教騎士団……しかも団長?!」
扉の前でそう叫ぶと振り返ったジュラルは「そうであった」と何かを思い出したかのように手を叩いた。
「それも込みで話をするので、とりあえず中へ」
促されたトウマは疑問を抱きながらも、彼の自室へと入って行った。
中に入れば歳に不相応の光景が広がっていた。甲冑のようなものが飾られ、三本の異なる直刀が壁に立て掛けれている。
それだけに止まらず、壁を埋め尽くすほど大きな彼の肖像画が飾られ、無数の勲章もある。さらには彼の彫刻と、その妻らしき人物の原寸大の彫刻がある。
「こりゃあ、また………」
「やはり、窮屈と感じますかな?」
その言葉を聞いたトウマは周囲を見てみると、彼の言う通りやや歩けるスペースが少ない。だが、必要最低限とも感じ取ることができる。
「いえ、あの……圧倒されて」
「フフッ、ありがたいのか分からないですな。ここに」
部屋の中心にある、テーブルとソファー。そこだけは他の通り道よりも広くなっていた。というよりもこれがやや他を圧迫している感じである。
騎士の部屋、ということもありトウマは座り心地にあまり期待していなかった。しかし、それを嬉しいことに裏切ってくれたのだ。
弾力のあるソファー。ここでも十分に寝れる、トウマはそう思っていた。
「それで僕はまず、何をすべきでしょうか」
そんな余韻に浸りたかったものの、それではダメだと思ったトウマ。
場の流れ的にはジュラルが口を開くのが妥当である。ジュラルはまたしても苦笑いをした。
「落ち着いてくだされ、まずは私の話をお聞きください」
まるで孫をあやすかのような物言いである。年齢的にもそれにガッチリとはまる。
その時、ジュラルの纏う空気が一変した。やや重苦しい雰囲気になるのわ感じ取ったトウマも気を引き締めた。そして、ゆっくりと口を開く。
「まず、これからあなたには正教騎士団へ入ってもらう」
「………はい? 正教騎士団に、俺が?」
突然の出来事に頭の処理が追いついていないトウマは「僕」呼びではなく、「俺」となっていた。
「あの、魔法なんて……そもそも、剣すらも握ったことが無いんですが………。それに、誰が教えてくれるんですか?」
「知っている……だが、これはもう決定なのだ」
「決定って―――あの、聞かされてないのですが……こうなった経緯を教えてほしいです。勝手に型にハメられるなんて冗談じゃない」
「これは口外できないのだ」
「口外禁止って、その件の被害を受けている俺が知る権利はないんですか?」
「全ての責任は私にある、責任を持って私が―――」
「待ってください! 責任云々の前に俺は了承していません!」
突然の出来事にトウマは逆上してしまった。
「騎士団に入ることは了承できません。自分の身も守れない人間が騎士として誰かを守るなんて………この話は無かったことに―――」
「できません。この決定には陛下が関わっています」
陛下、その言葉を聞いたトウマは天を仰いだ。燦々と輝く光が目に入る。
それとは反対にトウマの心は霞みがかっていた。
陛下、つまりこの国の皇帝である。国の最高権力者、それに逆らうことなどできるわけがない。
「なんでだ………ただの平民に皇帝が関与なんて」
「正しくはトウマ、あなたではなくミユさまにございます」
「あなたが仕えると決めた以上守らなければいけません」
「つまり……皇族に仕えるなら騎士にならなければいけない、ということですか?」
「その通りです」
「では、ヘルメスはどうなるんですか。あの人は身なりからして騎士ではありません。何より、皇族に次いで身分が高いと聞きました」
それを聞いたジュラルは痛いところをつかれたのか言葉に詰まっていた。
「俺は、絶対に騎士になんてなりません」
「どうしても、ですか?」
「はい、絶対です」
「それが皇帝に背くことになってもですか?」
「もちろん、皇帝なんて俺は恐れません」
なんとかしてトウマを納得させようとするジュラルには焦りが垣間見えた。トウマは分かっていた。皇帝などという大きな言葉を出せば自分を納得させることができると。
しかし、トウマには効かなかった。本来であれば涙目になりやめて欲しいと懇願するものだが、トウマは怯むことなく真っ直ぐに断った。
「話が終わりなら僕は退出します」
立ち上がり、入り口へと向かう。その間、ジュラルは動くことは無かった。じっと顔を下に向けたままだった。ドアノブに手をかけ、押そうとした直後
「三十年前でした」
「―――っ!」
機会を伺ったかのようなタイミング。トウマは扉を開けることなく、後ろを振り返った。
「今でもハッキリと覚えています。我が手に生温い血が滴り、温度が消えていく。心が氷のように冷たく、夢であってほしいと何度も思いました。剣が重くなったのも」
「――――私が家族を手にかけたからでしょう」
それを聞いたトウマは自身の耳を疑った。家族を手にかける、読んで字の如く家族を殺めた、ということ。
先ほど以上に重々しい雰囲気。
「あなたが見た私の怒り。三十年、人生をかけて追ってきました」
トウマが見たジュラルの怒り、思い当たるのはただの一つだけ。アメルを撲殺した、あの時だ。
そして、ジュラルは語り出した。自身の過去を、怒りを、そして自身の贖罪を―――