第四十六話 「ねぇ、死んで?」
もうどれだけ走っただろうか。俺とセイラの二人は共に息づかいが荒く変化し、足を止めて酸素を深く吸っては二酸化炭素を出すのを激しく繰り返していた。息を吸う度に頭にジンとした痛みが走り、肺が圧縮されているように息苦しく感じる。
木影を出てからというもの、俺たちは敵影が付けたであろう地面の跡を訪ねて三千里していた。初めはどうせすぐに追いつくと思っていたのだが走れどいつまでも姿は見えない。
「くっそ……何時になったら……」
「恐らく戦いながら逃げていると思います」
俺と同じくリズムが乱れた呼吸でセイラが言う。
攻撃は最大の防御というように、ただ守るだけでは一方的にやられることを理解しているのだろう。だが、あの敵はこちらの攻撃を上回る圧倒的な破壊力でこちらをジリ貧に追い込むことを得手としている。
「そういえば」と何かを伝えそびれたのかセイラが口を開く。
「気がつきましたか?」
「何かあったっけ?」
「私たち、ぐるぐる回っていたんですよ」
「回っていた? 同じ場所を?」
「いいえ、円周の大きい円を回っている感じです」
なるほどつまり、俺たちは知らず知らずのうちに鬼ごっこのようなものをしていたのか。よく数学の問題で見かける、AさんとBさんが時間差で出発して後を追って合流するのは、という嫌な問題を再現していたのだ。追って追って追って、追いまくったとしても意味が無い。道の先に終わりが無い限り、永遠に追いつくことは出来ない。そうとくれば俺たちのすべきことは一つ。
「なるほどつまり俺たちは――」
「はい。逆走すべきです」
白く細長い大人の指をピンと立たせご名答と言いたそうな表情で微笑む。
「マジか。時間の無駄だったな」
「ですがここで気がつけたのが幸いです。そうでなければ無限鬼ごっこが始まっていたので」
「よし、そうとくれば行きますかね」
安静にしていたことで低酸素状態からは脱却した。先程まで少しクラクラしていた頭の症状もはた止みし、いつもの調子に戻って来た。
地面を支えに立ち上がると腰に帯びている剣の柄を力いっぱい握る。いつ来るかは分からない。常時剣を振れるように構えは取っておかなければ一瞬で死ぬ。
「行きましょう」
「あぁ、絶対に勝つ」
次こそは勝ってみせる。恐怖と何が何だか分からず右往左往していた俺とは違う。今、勝算が無いわけではない。勝ちの算段はある。それがどこまで通用するのか分からない、だが念の為彼女とは共有しておく必要がある。
「セイラ、あいつと対峙したら絶対に――」
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一方その頃、トウマ・セイラ組と別れたアナゼル・リリア組は反撃の隙を見つけられず苦戦を強いられていた。どの一撃でも必殺。直撃すれば跡形もなく散る。掠れば肉が弾ける。瞬間の判断ミスも許されない高次元の領域。
「おいおい! この女何もんだよ!」
「軽口叩く余裕あるなら前に出なさいよ!」
本来であればアタッカーのアナゼルが攻め、補助として立ち回るリリアはアナゼルが戦いに集中できるように敵の攻撃を魔法で防いだり、隙を作り出すのがいつもの戦い方なのだが……。
二人は自身の命を散らすことが無いように立ち回ることで手一杯だった。隣の人間を気遣う余裕も無い。
避けては時に防ぎ、防いでは時に避ける。これの繰り返しだった。
「バカか! どこに攻める隙があるってんだ」
「あたしの魔法でも落とせない。見たことがない魔法攻撃……!」
爆発的な殺傷能力を誇り飛び交う武器を見てリリアは魔法攻撃と言った。それは間違っていない。ブラックホールのように終わりを感じさせない量の武器。ストックがあるとは到底思えない。
「ええいいですよ、いいですわね、いいでしょう。教えて差し上げましょう。何故なら私が教えたいので教えて差し上げましょう」
永劫に続くかと思われた攻撃が嘘のように止まった。光の当たらない木々の影から姿を現したのは――
「えへへ、驚いたー?」
「えっ……あの子、確か」
森から出てきたのは黒装束を纏った幼い少女。しかし、ただの少女ではない。闇雲のように深い紫の髪と、滝より流れる清水のように透き通ったブルーの瞳。頭の上には髪色と同じ色をした小さな猫耳。元気いっぱいの声色で二人の前に姿を現したのは――
「ミユちゃん、じゃない?」
「嘘だろ……トウマはこのこと知ってるのか?!」
「ミユ心配だったんだー。そこのお姉さん!」
小さな指で彼女は自身と同じように低身長のリリアを指す。何事かと彼女は宝石のように大きな瞳に雲を宿らせた。
「ミユのトーマに色目使ったでしょ! ミユ許さないから!」
「……色目? 何言ってるの。あたしがそんなことするわけ――」
「ううん! ミユ見てたもん! トーマの腕に巻きついたり、抱っこしてもらったり、一緒に寝たり、ちゅーしたり、結婚したり、子どもも作ったり。ぜーんぶ知ってるから!」
「おいおいマジかよお前。俺たちに隠れてそんなことしてたのか。見損なったぞ」
「なに信じてんのよ! あたしがそんなこと出来るわけないってあんたが一番分かってるでしょ」
自分の体の小ささと女としての魅力の無さを自分で傷つけながらリリアはアナゼルの足にローキックをお見舞いする。
「いてて……まぁんなことは分かってるよ。冗談だ冗談」
「あんた本当にぶっ飛ばすわよ」
睨みを効かせた眼差しを受けたアナゼルは「やれやれ」と言いながら頭をポリポリとかく。その間彼は必死に彼女から視線を逸らしていた。目線を合わせようとしても合わないことに気がついたリリアは「わざとね」と見抜く。再び彼女がローキックを放とうとした時、
「もー! ほんとに許せない!」
静観していたミユが怒りを顕にした。怒りと言っても彼女の口ぶりや声量からは微塵もそれは感じられない。頬を真っ赤にし、その場でピョンピョン跳ね不満を体現しているだけだからだ。まるで子供のように。
「トーマに色目使ったのに浮気するのー?! 許せない! ミユ本気で怒ったから!」
「いやだからあたしにそれは――!」
またしても自身のプライドを傷つけられたリリアは無意識に魔法を発動させようと手に魔力を込めていた。だが、彼女の行動よりも先にミユが動く。瞳のハイライトが消え失せ、死んだ魚のような目を見せた直後、
「こっちだ!」
「――っ?!」
アナゼルの叫び声が聞こえたと同時、地面を大きく割り、地響きと共に錆び付いた鉄の刃が現れた。咄嗟の判断でリリアを抱えてサイドステップを踏んだアナゼル。彼がいなかったらリリアは今頃串刺しになっていた。
「決めたから。女の子だけは絶対に殺す……恨めしい。憎たらしい。虫唾が走る。悔しい。残念。無念」
ミユの口からは出ない乱暴な言葉とともに氷結の空気が辺りに緊張を張り巡らせた。緊迫の雰囲気を肌感で感じ取った二人はゴクリと固唾を飲む。
「なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで」
「恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい。恨めしい」
「死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで。死んで」
怨念に近い何かが二人を恐怖という闇の世界に誘う。
「マズイな。化けの皮が剥がれて正体が分かったのは良いが、人間じゃなくて怨嗟の塊みたいだ」
「えぇ。ほんとね言い掛かりも良いところだわ。誤解を解く必要があるわね」
瞳をから紅色に変化させたミユが両手を振るう。彼女の挙動に呼応するように天空から血に濡れた憎悪の一撃が落ちる。二人はそれを髪一重で回避。二人は左右に分かれ、自分たちの間を広く保つ。アナゼルが剣を構える。リリアが両手に紅蓮の炎と、冷気を放つ氷を作る。ミユはそれを見て人差し指を二人に向ける。
次の瞬間、申し合わせたように三人が突っ込む。開戦の掛け声は……不要だった。
次回 第四十七話 「ねぇ、驚いた?」
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