64.エッセンス
お読みいただきありがとうございます。
夕方、メールが送られてきた。
『本文:
昨日、杉近に見つかったんだ。突然入ってこられたから、隠す時間もなかった。杉近は、もう入れてもらってもいいでしょとか言ってたけど、連絡くらいとってほしかった。
第一、物置にでも隠しとけばよかったんだけどね。
でも、杉近に「現実逃避するなとか言いそうだったから隠してた」なんて流石に言えなかった。』
僕が蘭花に『あの装置』を見せられたのは一昨日のことだった。一昨日の夜突然呼び出されたのだ。
『それから結局今日も何も話せてないけど、連絡くらい取るべきかな』
それは蘭花がしたいようにすればいい。そう思ったが、わざわざメールを送ってまで僕はそれを伝えたいわけではなかった。ただ思うのは、一緒に過ごす時間が長い身として完全に無関心ではいけないということだった。
一昨日のことと思えば、蘭花のことよりも正直友人といった温泉旅行のことを思い出すようになっていた。あまり、蘭花のことはインパクトがなかったということだろうか。
いや、もしかしたらそれはただの思い込みかもしれない。その出来事の時間が旅行のほうが長かったから、インパクトがあった。そう思っているだけではないだろうか。
しかしあの装置のほうがインパクトが強かったとしても、その強さで蘭花の本当の思いがわかるわけではなかった。
『でも、昨日思ったんだ。』
蘭花のメッセージにしては長文だ。なにか重要なことが書いてあるのだろうか。個人的な常識としては、長いメッセージだと必要なことで、短いメッセージだとどうでもいい世間話。そんな感じがしてしまう。
『一晩置いて思った。結局、現実から逃げるべきじゃない。私が思う杉近の方が、正しいのかもしれない。』
『私の思う杉近』という表現は、深く話し合えていないということを自覚している蘭花の思いを象徴している気がした。やっぱり蘭花は、もっとまともに突然一緒にいるようになった杉近のことを理解したいのではないだろうか。
『夢の中で自分のやりたいことをしている時間があるんなら、現実で社会の役に立つことをしたほうが良い。夢の中で世界を救おうとしてるよりも、現実で自分の生活を充実させていたほうがよっぽど自分のためになる。そう思うでしょ?』
蘭花は、自分で作ったその仮想空間が無駄な要素と言っているのだろうか。
...だとしたら、この社会は無駄で溢れかえっていると思う。娯楽なんていくらでも存在するのだから。僕が一昨日行ってきた温泉旅行さえ無駄だと思えてきてしまう。
いや、実際無駄なのか。
『この装置は私の人生の本質的な意味ではないし、杉近に隠した理由をずっと隠し通しているのも私のやりたいことじゃない。
この装置は、時代にそぐわない特異なものでしかなかった。』
無駄と不要は違う。なくても生きていけるからって、ばっさり切り落とすのが人生ではない。生きる価値ではない。僕は本質ただ一つを見つけ出すために生まれてきたのではないはずだ。
確かに無駄をなくすことも重要なのかもしれない。周りが無駄で溢れかえっていたら頭がごちゃごちゃになってしまうからだ。
...ただ、痩せ過ぎも太り過ぎも僕は嫌だ。
『だから私はこの装置を手放そうと思う。一年後、自動的にこの仮想空間がなくなるよう、設定しました。』
わざわざ一年後に設定した理由はなんだろうか。滅ぼすなら今この瞬間でも良いはずだ。
突然敬語になったことで、なぜだか僕は蘭花のある種の『覚悟』を感じ取った。
―蘭花はやっぱり、この仮想空間を愛していたのではないだろうか。
まだ完成してからはそんなに経っていないだろう。僕が見せられてからまだ二日くらいしか経っていないのだから。
...蘭花のところへ行こうか。ただ行ったところでどうするのだろう。杉近に対する気持ちを聞くだろうか。わざわざ一年後に設定した理由でも聞くだろうか。
やっぱりやめておこう。
『これくらいしか話すことはない。もうこのことは忘れてもらって構わないよ。私になにかあったわけでもないから心配してもらわなくて良い。変な欲望が芽生えたわけでもない。
だから明日から、また研究室に来てもらえると嬉しいです。』
そんな事を言われたら余計心配してしまう。ただ結局、これが蘭花の欲望だったのだろうか。常識的な価値観でマイナスでも、蘭花にとってはプラスだったのだろうか。
もしかしたら、マイナスもプラスもわからず、ずっと『0』の近くで小刻みに震えているだけかもしれない。
...もしかしたら、数直線という一次元でなく、二次元なのかもしれない。
ただただ、周りを見渡せても行けない場所が、あるのかもしれない。
『明日、もう一回この仮想空間を楽しんでみようと思います。...それで、念の為、この島が滅びることを忘れないように、爆破予告ってことでなにか残しておこうと思うんです。長文ごめんなさい。でもこれを読んでくれたなら、心配させているということでしょうか。
こんなこというのも、自己中心的かもしれませんが。』
なにか残しておくとは、なんだろうか。
次回、最終回です。




