44.事実確認2
お読みいただきありがとうございます。
なぜ日付がずれていることに気づかなかったのか。それは日記を見てみればわかった。十年目に関しては日付ぴったりだったのだ。
そして、ミュウさんはずっとピッタリだったと言っていた。つまり日記が途切れてから今に至るまでのブランクの中では日付がずれていなかったことになる。一つ可能性として考えられるのは明訓さんが日付をずらすよう指示していた、という説だ。遺言を残したことに対しても辻褄が合っている。
どっちにしろ、その『日付の差』で『苗字の頭』をずらせばいいのだ。『祭りの年の差』というのは『祭りの、年の差』ではなくて、『祭りの年の、差』だったということだろうか。そう思った。
あともう一つ気づいたのは、一年を確認しても(結構時間がかかったが)祭りが行われていなかった年が二年間あった。残念ながらその理由はわからなかったが、日記の十年間、そこから祭りがなかった二年間を引くと、ちょうどこの場所の部屋の数八個に一致していた。ただ、対象となる人数は七人なはず...。俺は、遺言を残した明訓さんが亡くなった、ずっと後にこの場所に来たのだから。
日記の八年間を確認すると次のようになった。
一年目:十五日前(八月十五日)
二年目:八日前(八月二十二日)
三年目:十日前(八月二十日)
四年目:七日前(八月二十三日)
五年目:一日前(八月二十九日)
六年目:十三日前(八月十七日)
七年目:八日前(八月二十二日)
八年目:ズレなし(八月三十日)
八年目がズレていれば、ミュウさんは祭りの日がズレているのだと知ることができただろう。しかし明訓さんが亡くなってしまい、祭りは当日に行うようになり、ミュウさんがそれを知ることはなかった。
『祭りの年の差ずつ後へ』という内容だったが、後へと言っているのだから日付の差は何日後とかであってほしい。もしその感覚が正しいとしたら、何日前というのはマイナスになるのだろうか?
とりあえず俺は飯尾さんのところへ来る前、カッコウが持っていたメモ帳に、カッコウの持っていた鉛筆を使って、八つの四角形をかいた。横二マス、縦三マスだ。その四角形の中に間取り通りそこに生活している人の苗字の頭文字を書いていく。左上はサイの『さ』、その下はダンの『ダ』、その下は西島の『に』、その下は今田の『い』。で右上は飯尾の『い』、その下は秋元の『あ』、その下は...とりあえず保留にしておいた。その下は滝沢の『た』だった。
で、それらのひらがなを、五十音順にさっきの日付の差ずつ前に変換したのだが...出てきたのは意味不明の言葉だった。前にするんじゃなくて後にやっても結果は同じだった。なんでだ...。
諦めそうになったが、一つ思ったことがあった。サイさん、ダンさん、さっきも言ったようにこの二人は中国人だ。
中国語では発音の仕方としてアルファベットを用いるそうだ。だから名前をひらがなで表すのは少し適していないのではないか...?
そのアルファベットやらはピンインというそうだ。一旦全員の名前をローマ字に変換する。サイさんとダンさんに関してはスマホで拼音を調べる。中国人の名前を日本語に直す場合、漢字自体日本語にあれば日本語の音読みをすることが多いそうだ。色々あるそうだが、サイさんは蔡とか崔とか(中国語読みでサイと読まなくても日本語読みだとサイらしい)あり、どちらもピンインはcから始まっていた。ダンさんは段というのがあってこれがかなり中国人に多いらしい。dから始まっていた。
アルファベットに直した頭文字をアルファベット順にずらしてみる...すると、こんな感じの言葉が出てきたのだ。
『なしたたみ□した』
読む順番としては左上→右上→左二段目→右二段目→・・・→右下という感じだ。ちなみに□というのは俺の部屋のやつだ。
なしたたみ...?それを聞いて(見ての方が正しいか)、それを思い出した。
...梨。和室に梨の絵画があったはずだ。
―「たしか、あれが飾られた何週間か後に、明訓さんが亡くなったんだ...。」
和室で西島さんが放ったこの言葉。これは絵画が飾られた時点では明訓さんがまだ生きていたことを示していた。あれも明訓さんの飾ったものだったのか...
どんどんバラバラだった記憶がつながっていく感覚でワクワクしていた俺は和室へ向かったのだった。梨の下には...畳があった。
で、その畳をめくったのだが何もなかったのだ。一瞬困惑してしまったが、俺の中ではまた新たな仮説が出来上がっていた。サイさんとダンさんに関して、まだわかったことがあったからだ。
...サイさんとダンさんは、途中からこの場所に来たらしい。それまでは中国で働いていたという。
―「あの、どこで働いてたかって、教えてもらえますか?」
なんで俺がそんなことを聞いたかといえば、りんがムーファースのことを秀和さんから聞いたのではないかと俺が勝手に思ったからだ。そして、見事に予想はあたっていた。
―「中国の、『ムーファース』っていう縫製工場だよ。」
中国人とは思えないほどに流暢な日本語だった。
それを聞いて、俺は思い出したことがある。
そのムーファースという工場は、日本の延享大学の月影研究チームという団体と協力しているらしい。どんな風に協力しているのか走らないが、その団体のページをよく見てみると、こんな文章があったはずだ。
『これまでの成果
私達はこれまで様々な難題に取り組み、簡単に言うと特に新たな物体を開発することに対して力を注いできました。
例えば下の写真の紙。なんと光が当たると消えてしまうのです!光とは日光に限らず、部屋の蛍光灯でもそうです。』
『蛍光灯』と言うところが少し古めかしさを感じさせる。今ではLEDばっかりだ。そんなことはどうでも良くて、この『光が当たると消える物体』。畳の下なら光など当たらないはず...そう思ったのだ。もしかしたらこれをサイさんたちはここに持ち込んだのではないか。そう考えた。
遺言的には確かにあの畳の下になにかがあるはずなのだ。いや、あったのだ。誰かが移動させたのかもしれない。そう思っていた俺は、その場所へ向かったのだ。
光があたって消えてしまう。もし遺書などだったら消えないほうが良いだろうと俺は思う。だから、移動させたとしても消えてしまわない場所に移動させたのではないか?
...もちろん、遺書だったとしてその紙でできているのかどうかはわからないし、移動させる理由もよくわからなかった。ただ、可能性があっただけだ。
―こうして俺は倉庫で、飯尾明訓さんの遺書を見つけたのだった。
なんで秀和さんが出てくる...




