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三章#27 先輩との話(異)

 SIDE:大河


「私も手伝うよ」


 ご飯が炊けるホカホカとした匂いがし始めた頃合いになって、誰かが後ろから声をかけてきた。

 振り返ると、とても綺麗な人がいる。

 闇色の髪が肩甲骨のあたりまで広がる、息を呑むほどの美人。姉と比べても見劣りしないのは、霧崎会長を除くとこの人くらいかもしれない。雫ちゃんは美人っていうより美少女だから。


 綾辻澪先輩。

 雫ちゃんのお姉ちゃん、なんて薄っすらとした認識しかしていなかったのはあくまで体育祭の日までだ。

 あの日を境に、澪先輩に関心を持つようになった。


 そういえば二年生の中間テストの結果を見に行ったときに、百瀬先輩に並んでいたのが澪先輩だった。百瀬先輩が1位だったことが少しだけ嬉しくてそっちに気を取られていたけれど、よく考えてみれば澪先輩も凄い。

 体育祭での活躍を鑑みれば、澪先輩が霧崎会長並みにハイスペックな人だ、と実感する。高校に入学してから、ずっと敵わないと思っていた姉に並ぶ人ばかりだ、と辟易してしまう。


「えっと……」

「台所に立たれたくないってことなら遠慮しておくけど……ダメ?」

「あ、い、いえ。そういうこだわりはないです」

「そっか」


 こうして距離が近づいて、改めて思う。

 怖いほどに綺麗だ、と。

 底が見えない深淵みたい、なんて思ってしまうのは澪先輩に失礼だろうけれど。


 私一人でやるつもりだったけれど、澪先輩が手伝ってくれる気なら、断るのもよくない。

 ぴー、ぴー、と炊飯完了を報せる音が鳴る。

 かぱっと開けると、心地いいご飯の匂いがふんありと台所に広がった。


「いい匂い。このお米、どこの?」

「えっ……確か、福井の『いちほまれ』だったはずです」

「あー、そうなんだ。今度買おうと思ってたけど、よさそうだね」

「そ、そうですね。お米にこだわりがあるわけじゃないですけど、美味しいです」


 うんうん、と澪先輩が朗らかに頷いた。

 あれ……?

 思っていたよりも親しみやすくて驚いた。如月先輩に勉強を教えているときは、もう少し無口というか、静かな感じだった気がする。


「ん、どうしたの?」

「えと。居間にいたときと少し印象が違うな、って思いまして。すみません、失礼なことを」

「そっか。全然失礼じゃないから大丈夫だよ。入江さんの言っていることも分かるし」


 具はこれ? と台所に置いておいた具材を指さした。

 梅干し、こんぶ、しゃけ、おかか、それからデザートにさくらんぼ。


「そうです。すぐご飯用意します」

「うん、ありがと。種抜いとくね」

「お願いします」


 そういえば梅干しの種を抜いていなかった。私一人なら何が入ってるか分かるからいいけれど、分からなかったら急に種を噛んじゃうかもしれないもんね。

 考えが浅いなぁ、と少し自己嫌悪に陥る。


 いいや、気にしている暇はない。

 炊飯釜を炊飯器から取り出して、濡れ雑巾の上に置く。

 二人分のしゃもじを炊飯釜の壁に立てかけた。


「一人に三つくらい食べれられたらいいかな」

「そうですね。サイズはお任せします」

「うん。上手く調整するよ。海苔は後で一気に巻こうか」

「はい」


 ミニボウルに入れた水と小皿に持ったお塩を少量手に付けて、熱々のご飯を掌にとる。

 熱っ……。

 きゅっ、きゅっ、と強くなりすぎないように握る。少し平たくしてから梅干しを入れて、追加のご飯を盛りつけたら成形していく。


 ほくほく、ほくほく。


 そうしてようやくできあがった一つ目を並べたときには、もう澪先輩は二つ目を作り始めていた。

 早いなぁ……。

 握っている姿を見て、慣れているんだな、と思った。

 リズミカルに握っている姿は、実家の台所にいた祖母を彷彿とさせる。


 さっきの息を呑むほどの綺麗さと、祖母のような柔らかい雰囲気。

 その二つはどうしようもなくアンマッチであるように思えた。


「先輩、なんだか慣れていますね。よく料理とかやられるんですか?」

「ん? そうだね。料理というか、家事全般やってるよ」


 それに、と澪先輩が続ける。


「私、和食好きなんだ。逆に雫は洋食の方が好きだけどね」

「へぇ……二人で作ってるんですか?」

「ううん、三人。当番制なんだよ」


 三人……ということは、お母さんなのだろうか?

 色々と事情があるのかもしれないし、そんなことはないのかもしれない。詮索しない方がいいだろう、と結論付ける。


 きゅっ、きゅっ、きゅっ、きゅっ。

 ぎゅぅ、ぎゅ。きゅっ、きゅっ――。


 会話が生まれない。

 当然だ。私は澪先輩のことをあまり知らないし、澪先輩の私のことを知らないのだから。


 私が澪先輩について知っていることは、と。

 ふとそう考えたときに頭をよぎるのは、体育祭のときのことだった。


 息ぴったりな二人。

 百瀬先輩は、澪先輩のことを大切そうにしていた。まるで娘や妹のように。何か、誰にも分かちがたい絆で繋がっているみたいに。


 ――ずくん


 胸の痛みは、今は無視する。

 この胸の痛みよりも先に確かめなきゃいけないことがあるから。


「あの、澪先輩。一つお聞きしてもいいですか?」

「ん……私に?」

「はい。どうしても聞いておきたくて」

「そっか」


 眩しいなぁ、と澪先輩が呟く。

 その言葉の意図を汲み取るより先に、いいよ、と澪先輩が微笑んだ。


「答えられることなら答える。なにかな」

「それは、その……」


 もう一つ、おにぎりが出来上がる。

 一度手を止めて、私は水に触れながら言った。


「澪先輩は……百瀬先輩とどんなご関係なんですか?」


 言ってしまった、と言い終えてから思う。

 澪先輩は、この質問がくることを分かっていたみたいに、うんと頷いていた。


「クラスメイトで妹の彼氏。あとは不服ではあるけど、友達、かな」

「それ、は――」

「――なんてね。入江さんがそういう答えを求めていないことくらい分かるよ」

「……っ」


 考えていたことをズバリ当てられてしまい、息が詰まった。

 私が顔をしかめている間に澪先輩はおにぎりを作り終える。私のように手を止めることはなく、すぐにもう一つのおにぎりを握り始めた。


「けどごめんね。私に答えられることは少ない。だって私は彼の恋人の姉だから」

「それって」

「うん、そういうこと。彼は私にとって、世界で誰よりも大切な人だよ」

「っ⁉」


 世界で誰よりも大切。

 その言葉が意味するのは、きっと……。

 想像するまでもなく答えが浮かんでしまって、私は咄嗟に口を――、


「浮気はしてないよ。彼の恋人は雫。これは本当のことだから」


 開く前に、あっさりと噤まされた。


「これでおしまい。運ぼうか」

「えっ」


 澪先輩に言われて、もうご飯がなくなっていることに気付いた。

 おにぎりニ十個分。予定より少し多いけど想定の範疇だろう。


 二人で作っていたからなのか、それとも別のことに意識を取られていたからなのか。作っている時間が一瞬のように感じた。

 澪先輩の目は私に拒絶の色を示している。

『おしまい』という言葉は、この話にもピリオドを打ってしまったみたいだ。


「あの、澪先輩」

「ん、なに?」

「…………さくらんぼって、どうしました?」

「おにぎりに入れたけど」

「え?」

「え?」


 ぱち、ぱち、と私たちは顔を見合わせる。


「さっきここにあるものが具だって言ってたから、てっきりロシアンルーレットみたいにするのかなって」

「いや、あの。さくらんぼはデザートのつもりだったんですけど」


 言われて見てみると、梅干しだけじゃなくてさくらんぼの種も取り除かれていた。

 そういえばさっき、澪先輩はなんの種かとは言っていなかった。あのとき、さくらんぼの種のことも言ってた……?


「……言わなければ分からないですよね」

「う、うーん。まぁ、そうだね。何か言われたらはちみつ梅ってことにしておこう」

「それはちょっと無理がある気がしますけど」


 お茶目に笑う澪先輩を見て、また分からなくなる。

 掴もうとしても決して掴めない。


 だからこそ、


「大丈夫だよ。意外と美味しいかもしれないし」


 一つ一つに海苔を巻いていく澪先輩が悪い人なのかいい人なのか、私には見当がつかなくなっていた。





 ――ちなみに。

 こっそりさくらんぼ入りおにぎりを百瀬先輩に回したら、微妙な顔をしながら何も言わずに食べていた。しかも三つも。

 私と澪先輩は一個でギブだったので、二人揃って百瀬先輩に負けた気分になった。

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