三章#19 雫とデート
「ねぇねぇ先輩! お姉ちゃんの誕生日そろそろなんですけど、どうしますか?」
土曜日のこと。
風呂上がりに録画したアニメを消化していると、雫が声をかけてきた。先んじて風呂から上がって色々とケアをしていた彼女は、つるんと無垢な可愛さのベールに包まれている。
この隙を垣間見るみたいな瞬間は嫌いじゃない。
雫は可愛くなるために努力をする子なんだなってことを改めて実感するから。この前澪と雫がやっているケアについて話したこともあって、余計に今日はそれを認識する。
可愛いんだよな、この子。
姉のプレゼントのことをわざわざ俺に相談してくれるところとかも含めて。
「えっと……再来週だっけ?」
「ですです。来週とかに準備っていうのでもいいんですけど、それだとテストも近いのでゆっくり見れないかなー、と」
「あー……」
そうだった。来たる期末テストは今月末にある。厳密に言えば、澪の誕生日を挟んで木金と月火の四日間だ。
七夕フェス直前にテストをぶつけてくるあたりやっぱりスケジュールがえぐいよなっていう、関係者にしか分からない愚痴はさておき。
雫の言う通り、来週はやめておいた方がいいかもしれない。八雲と話してたあの件が入るかもしれんし。
「先輩一人で選ぶっていうなら、私もそうしますけど……」
と言ってはいるが、流石に俺にでも雫の意図は分かる。
俺のプレゼント選びの相談に乗ろうとしてくれているのだ。本来なら俺から言うべきなのに……いい子だよなぁ。
少し考えてみる。
澪に欲しいものを言ってもらう予定だが、いつ言ってくれるかについては未定だ。どんなものなのかも分からないし、そもそも雫に知られてもいいような物を頼まれるのかは分からない。
だってあれは、兄と義妹の会話だから。
なら頼まれるものとは別に、こっちで他の物を用意してもいいかもしれない。というかそうすべきだろう。頼まれるものを渡すだけではサンタクロースにすら見劣りしてしまう。
「いや、俺一人だと変なもの選びかねないからな。もしよかったら一緒に見に行ってくれるか?」
「ふふっ、もちろんです! そーゆうと思ってましたよ」
「ありがとな」
「いえいえっ!」
キラキラ星みたいに眩しく笑って、雫は話を進める。
「それじゃあ明日出かけるって感じでいいですか?」
「そうだな。面倒ならネットショッピングでも――冗談だから俺の目を潰そうとするのやめてね?」
「まったくもう……先輩は本当に先輩ですね」
なんだか『先輩』って言葉を罵倒みたいに使われていた。
そもそもその言葉は俺を指し示す代名詞ではないんだけどな。雫はしょうがないなぁとでも言いたげに微笑む。
「けど先輩。明日はちゃんとしてくださいね?」
「ん……? まぁちゃんと選ぶけど」
「そうじゃなくて、ですね。いやそっちもなんですけど」
そっと雫が耳元に唇を近づけた。
ふんありとシャンプーの匂い。甘くも爽やかな香りはこそこそと鼻孔をくすぐって、からかうように余韻を残す。
「明日は初デートなんですから。そういう意味でも、ちゃんとしてほしいなっ、て」
「…………」
あぁ、と俺は気付いた。
付き合ってから二週間ほどが経ったが、まだ俺たちはデートらしいデートをしていない。
……なんてことはなくて。
「先週のカレーパンはさらっとなかったことにするのな?」
「あれ、落とすの大変でしたし。デートって言うよりただの食事でしたし」
それでも先週のあれは一応デートだったと思うんだけどな?
まぁあれがデートだったかどうかの論争をしても無駄なので、代わりに前向きな言葉を返すことにする。
「……あー。明日はちゃんとデートしような」
「約束ですからねっ」
もちろんだ、と頷いた。
俺と雫は彼氏と彼女だから。
その“関係”を保つためには、ちゃんとそれらしいことをしなくちゃいけない。
俺は安心させるように、雫の肩をぽんぽんと叩いた。
◇
翌日。
数日ぶりに雨がやんだとはいえ、未だ空は鼠色。じめじめとした空気が物語るように、地面には幾つもの水溜まりが残っている。雨は立つ鳥跡を濁さず、というわけにはいかないらしい。
雫に言われたからというわけではないが、いつも以上に身だしなみには気を遣う。
髪を整え、髭を剃り残さないようにし、着る服にも気を遣う。
まぁ服に関してはそれほどバリエーションを持っているわけじゃないのだけど。
父さんがそれなりの額を小遣いとして渡してくれるとはいえ、流行を追って服を買っていくとキリがないしな。そもそも私服を着る日は少ないので、どうしても数着でいいだろうと思ってしまうのだ。
部屋に飾ってあった懐中時計を腰につけ、ズボンのポケットに入れる。
使い方がこれで合ってるのかはよく分からんが、なんとなくそれっぽいし、いいだろう。
そんなこんなで準備を終えて向かう先は、もちろん最寄り駅。
到着すると、シックなワンピースを身に纏う雫がいた。サイドテールも相まってか、その姿は遠目にも大人っぽく見える。
その割に明らかにソワソワしているのが雫らしくて和む。おかげで気兼ねなく声をかけることができた。
「よう、雫」
「あっ、先輩。おはようございます」
「あぁ……おはよう」
朝起きたときに『おはよう』なんて交わしてある。
それでもこれはデートで、俺と雫は恋人同士だから。義兄妹関係はあくまで書類上のものでしかないから。
こうしてわざわざ待ち合わせをするし、挨拶もする。それは雫と俺の共通見解となりつつあった。
「綺麗だな、その服」
「服だけ褒められると、私がマネキンみたいなので減点ですね」
「採点制なのかよ?!」
「とーぜんです。場合によっては先輩には教育を施さなきゃいけませんからねっ」
えっへん、と雫が胸を張る。
……その恰好でそれをされると色々目のやり場に困るんだよなぁ。
浮かんでは消える煩悩を頭の片隅に押しやって、俺は雫の手を取った。
「じゃあ行くか」
「はい……っ!」
嬉しそうに笑う雫は、温かくて。
触れた手の温もりをいつまでも忘れたくないな、と思った。
◇
「で、どこ行く?」
「……先輩、さっきの威勢はどこにいったんですか」
電車を降りて早々に口にすると、雫がジト目を向けてくる。
ほんとね。エスコートとかめっちゃしそうな雰囲気だったのに、いきなり思考放棄ってのはやばいよね。俺も自覚はしている。
だがそんな俺にだって言い分はある。
「いや、今日の買い物の目的を考えたらしょうがなくないか?」
今日の目的はあくまで澪の誕生日プレゼントを買うこと。
それが結果的にデートになっただけなのだから、俺が勝手にプランを立てるわけにもいかない。そもそもプランを立てられるのかっていう問いは禁止カードなのでしてはいけない。できるわけないだろ。
「んー、それはそうなんですけど。折角のデートなんですし、お姉ちゃんのプレゼントを買う以外にも、先輩と遊びたいです」
「遊ぶ、ねぇ……」
そうは言われても、誰かと遊んだことってあんまりないからなぁ。
この前のカラオケを除けば、雫に連れ回された経験くらいしかない。かといってカラオケに行くのはどう考えても違うよな……?
いいや、待てよ。
何もこの手のサンプルは俺に留まるものではない。幸いこの前カラオケにいったとき、女子たちの会話には耳を澄ませていた。
「そういうことならあれだ。駅ビルにマンゴードリンクの店ができたらしいし、行くか?」
生徒会で色々と指揮していた関係上、くだらない雑談を拾って覚えておくスキルはそれなりに育っているのだ!
「ふむふむ……絶対誰かが話してるのを見て思いついた案だなって思いますけど、行ってみたいのでオッケーとします。じゃあ案内お願いしてもいいですか?」
「えっ。おう、任せとけ」
「とか言いながらスマホを取り出して調べようとしてるあたり、かっこつかないですよね~」
ほんとそれすぎるんだよなぁ……。
けどほら、分からないくせにぐるぐる歩き回るよりいいじゃん?
誰にしているのかも分からない言い訳をぶつぶつと心の中で呟きながら、俺はグー〇ル先生が教えてくれたマンゴードリンクショップへと向かった。
……すぐそこにあったけど。