三章#12 補佐への報告2
「ごちそうさまでした」
食べ始めてから30分ほどが経ち、入江妹は注文したメニューを全て平らげた。急に現れた二次元的な大食い設定には流石の俺も戸惑ってしまう。
先んじて食事を終えていた俺は、さっきからチビチビ飲んでいたぶどうジュースから口を外し、本題に入ることにする。
……もっとも、元々は今日話すつもりはなかったのだが。
「そろそろ話していいか?」
「はい。お待たせしました。お願いします」
「おう」
そう言われて、俺は居住まいを正す。
元はと言えば、俺が言い出したことだ。俺が逃げないか見ていてくれと頼み、体育祭当日には終わったらちゃんと報告するとまで伝えた。そしてきちんと終わった後、また今度話す、と告げた。
だから本来なら誰より先に入江妹に伝えるべきだったのかもしれない。
入江妹が指摘し、監視してくれたからこそ、俺は先月のうちに答えを出すことができたのだから。
ふぅと息を吐いて、噛みしめるように告げる。
「えっと……雫と付き合うことになった。それが俺の答えだ」
「はい、知ってます。学校でも噂になってましたし、雫ちゃんに聞きにいった男子もいたので」
「だよな。妹子に言うのが遅くなって悪かった」
いいえ、と入江妹はかぶりを振った。
「モモ先輩がちゃんと言おうとしてくださったことは一々承知しています」
「少なくない? あんまり承知してないだろ、それ」
「あのまま何もなければ、今日も声をかけようとしていなかったくせに何か言いたいことがおありですか?」
「……なにもございません」
高圧的に入江妹が言う。ネチネチ引きづるタイプでもないだろうし、報告が遅くなったことについては納得してくれるってことだろう。
「そもそもRINEのIDを知らないんですから、休むの間に話せるわけないですもんね」
「そ、そうだな。学校で一緒にいる時間が長かったから、すっかり失念してた」
「その言い方だと、まるで私とモモ先輩が仲がいいみたいじゃないですか。甚だ不服です」
「はいはい、悪かったって。こういうこともあるし、さっさとID交換させてくれ」
俺がポケットからスマホを出すと、入江妹もそれに倣ってバッグからスマホを取り出し、RINEを立ち上げた。
表示されたQRコードを読み込み、友達登録のボタンを押す。
【ゆーと:できたか?】
試しにメッセージを送ってみると、入江妹はパァと珍しく曇りのない笑顔を浮かべた。
っていうか本当に珍しいな。
そんなに嬉しいのだろうか……と考えたところで、何となく察する。入江妹みたいにクソ真面目だと、友達も少ないのかもしれない。放課後に生徒会室へ直行できているのも、話す相手がいないからだと考えると納得できる。
「……なんですか、その目。憐れまれている気がします」
「憐れんでなんかないぞ? むしろちょっとシンパシーを感じてるくらいだ」
「それはそれで思うところがありますが……それはもういいです。本題に戻りましょう」
カル〇スソーダをごくごくと飲み干してから、入江妹が真っ直ぐに視線を飛ばしてくる。
逃げることを許さない、正義の眼だ。
弱いところもずるいところも見抜いてもらえそうで、そして叱ってくれそうで、心がキシキシと軋む。
その音を理性でねじ伏せて、俺は尋ねる。
「入江妹が聞きたいことはなんだ? 雫を大切にしろって話なら、そんなの言うまでもないことだ。付き合い始めたって報告以外に何を聞きたい?」
「そんな……そんな突き放す言い方をしなくたっていいじゃないですか」
「――っ。すまん。今のは俺が悪い」
言われて、俺は息を吸い込んだ。
今のは本当によくない。自覚している心の隙間をこの子に見抜いてほしいと望んでしまいそうで、そんな情けない自分への苛立ちが声に滲んでしまった。
そういうのはダメだろ。ダサすぎるし、入江妹の覚悟に対して不誠実すぎる。
悲しそうに唇を噛む入江妹が痛ましく見えて、俺は慌てて言の葉を継ぐ。
「俺が言いたいのは、だ。純粋に何を言えばいいのか分からないんだよ。言うべきことと、言わなきゃいけないことの境界線が分からない。こういうのは初めての経験だから」
「そう、ですか……」
「あぁ」
入江妹が声が小さいので、こちらまでつられて気勢を削がれてしまう。
「だからさ。雫の親友として、何を聞いたら安心できるか教えてくれ」
「……っ」
入江妹のつま先がテーブルの柱にぶつかった。
「いったぁ……」と涙目になっている。
「大丈夫か?」
「万々問題ないです」
『全然』を十倍にされてしまうと、もうこちらは何も言えない。
っていうか入江妹の数を増減する言葉の意図をだんだん汲めるようになってるんだよなぁ……。
「それで。何を聞いたら安心できるか、でしたよね」
「あぁ。答えられることには、誠意をもって答える」
「じゃあ……二つ」
僅かな逡巡の後、入江妹は意を決したように口を開く。
「雫ちゃんのこと、好きですか?」
「大切だと思ってる」
「…………好きだ、とは言わないんですね」
「『恋とか愛とか、そういうの』が分からないって言っちゃってるからな。けど大切だと思っているのは本当だ」
こうして考えてみると、入江妹には割と包み隠さず話してしまっている。
入江妹の眉間に皴が寄った。
ぷるぷると肩が震え、テーブルの下に視線が落ちる。何を考えているのかは分からない。
「もう一つ。どうして雫ちゃんと付き合うことにしたんですか?」
恐る恐ると言った感じで入江妹が顔を上げる。
どうして、か。
上っ面の理由を言ったところで通じないんだろうな。ならはっきりと告げた方がいい。
「大切だからだよ。大切だから、雫と関わり続ける理由が欲しかった。先輩と後輩以上の、な」
「そんなの――」
「うん」
こくと頷き、入江妹の言葉を受け入れる準備をする。
けれども目が合った瞬間、入江妹はきゅっと口を結んだ。
「――っ……」
「妹子?」
悔しそうに、悲しそうに、切なそうに、入江妹は俯く。
そのまま、
「なんでもないです」
とだけ、呟いた。
「そんな風に正直に答えてくれたおかげで、私も安心できました。もう大丈夫です」
「そうか?」
「はい。でも雫ちゃんを泣かせたら容赦しないのでそのつもりでいてください」
「言われなくても、善処する」
ほぅ、と俺は安堵した。
同時に残念がっている自分を見つけてしまって、自己嫌悪に陥りそうになったけれど。
そういう感傷全部に『気のせい』ってレッテルを貼って、俺はほとんど残っていないぶどうジュースを、ワインみたいに飲み下した。
◇
「それじゃあモモ先輩。今日はここで解散ということで」
ファミレスを出ると、入江妹はそう言ってきた。
7時半を回り、夏未満の空は流石に暗くなり始めている。
「もう暗いし、送っていくぞ」
「はぁ……彼女がいる男性が別の異性を送ろうとするのは感心しませんね」
やれやれとでも言いたげに、入江妹は肩のあたりまで両手をあげて首を横に振る。
「雫の場合、妹子を一人で帰してもそれはそれで怒ると思わないか?」
「確かに、雫ちゃんらしいですね。でもどちらにせよ家がこの近くなので。ここで結構です」
きっぱりと入江妹がNOを突きつけてくる。
心配ではあるが、どうも嘘をついているようにも見えない。一人暮らしなら男に家を知られる方が怖いかもしれないし、ここは素直に引いておくとしよう。
「分かったよ。じゃあ気をつけて帰れよ」
「はい――と、その前に。モモ先輩、これをどうぞ」
「ん?」
解散一歩手前になって、入江妹はポケットから何かを取り出した。
差し出されたのは黄色い半球と透明の半球が合体した丸い物体。要するにガシャポンにアレだった。
「なんだこれ。急すぎて意味が分からないんだけど」
「誕生日プレゼントです。モモ先輩がお手洗いに行っているときにやったので、中身が何なのかは分かりませんが」
真面目な顔で言ってのける入江妹が可笑しくて、俺は堪らず吹き出した。
怪訝な顔をされてしまうが、それでも可笑しくてしょうがない。
「その反応はプレゼントを貰う側としてどうかと思いますが」
「悪い悪い。妹子があんまりクソ真面目だから、可笑しくって」
「私はクソ真面目とかじゃないですから。まったくもう……知りません。私は帰ります」
「ああ……。プレゼントありがとな。で、また今度!」
「どういたしまして。モモ先輩も、暗いので足元に気を付けて帰ってくださいね」
そこまで暗くはねぇよ。
そんな言葉は込み上げる笑みに流されてしまったけれど。
そっちもな、と。
心の中で、俺はちゃんと返事をしたのだった。
――ちなみに。
ガシャポンの中身は女子向け魔法少女アニメのグッズだった。
あいつが俺をどう見ているのか、ちょっと不安になった。たまたま、だよね……?




