三章#11 補佐への報告1
「今日はお疲れ様。とりあえずあと少しでなんとかなりそうだし、そろそろ七夕フェスの方の準備にも取り掛かれそうだね」
「折角仕事が終わったのにまた仕事の話を……まぁ覚悟はしとくよ」
午後6時半。
体育会系の部活が片付けを始めた頃に、本日の生徒会の仕事は終わった。まだ若干体育祭の事後処理は残っているものの、後は教師にチェックをしてもらうようなものばかりだ。時雨さんに任せておけば問題ないだろう。
だから晴れやかに帰れるかと言うとそういうわけでもなく。
俺は目下、隣席の少女の不機嫌をどうにかしなければならないところではあるのだが。
「じゃあ私は帰ります。会長、お疲れさまでした」
「うん、ありがとね」
「いえ。あ、それと百瀬くん。私は知らなかったけれど……誕生日おめでとう」
「……っ! このタイミングでそれを言うのは絶対確信犯だよなそうだよなっ?!」
「さあ。後は頑張って」
最後に素の片鱗を見せて、如月は生徒会室を後にした。
心なしか隣から聞こえる帰り支度の音が大きくなっている気がする。
いやね、俺も分かってはいるんだ。あの状況で入江妹が不満そうになった理由を察せないとしたら、それは鈍感主人公くらいのものだろう。
でも、ここで入江妹に俺から何を言えるんだって話だよな。
俺と入江妹の関係は上司と部下だ。
学生の身で生意気だと言われるかもしれないが、おそらく俺も入江妹も、この関係性は共通認識として持っているはずだ。
この“関係”は、果たしてわざわざ誕生日を伝える“理由”になり得るのか。
俺にはそれが分からない。
「二人とも。戸締りするから、準備が終わったら出てくれるかな」
「うっ。時雨さん……」
「了解です。今日も勉強になりました。ありがとうございます」
戸惑う俺とは違い、入江妹はあっさりと生徒会室を出る。
時雨さんと目が合うと、はぁ、と溜息をつかれた。
「行くかどうかはキミに任せるよ」
「…………行ってきます」
「うん。じゃあ、また」
よろしいとばかりに頷く時雨さんと別れ、俺は入江妹の後を追う。
生徒会室と出たときにはもう、入江妹は随分と遠くまで歩いていた。歩くのはっや……。
「な、なぁ妹子。もう遅いし送ってやるよ」
「夏が近いのでそれほど暗くないので結構です」
「ですよね~」
その通り。夏の足音を感じつつある今日この頃、夜はどんどん短くなっているのである。
けどまぁ、このまま行かせても今後に差支えそうな気がする。大したことではないんだが、俺としては入江妹とも良好な関係を続けていきたい。
それくらいには……こいつのことも気に入っているのだ。
「この前の件で報告したいんだ。帰り道、どっか寄らないか?」
「今日はもう遅いので」
「それほど暗くない、って言ったのは妹子だろ」
「……汚いですね」
「それが俺のやり方だってことくらい、補佐なら分かってほしいところだけどな」
キィ、と空気が軋む音が聞こえそうなほどの眼力で睨まれる。
けれどこの“理由”でなら、俺は入江妹と関わっていいはずだ。だって、そういう約束だから。
まったく、と観念したように入江妹は吐息を漏らす。
元気がなさそうなポニーテールが、首を縦に振ったせいで少し揺れた。
「時間も時間ですし、どこかでお夕飯にしませんか? もちろんモモ先輩の親御さんが用意していらっしゃるなら、無理にとは言いませんが」
「分かった、それでいい。まだ作ってないと思うし、連絡だけさせてくれ。そっちは?」
「私は一人暮らしなので」
「ほーん」
納得しかけて、寸でのところで疑問が浮かぶ。
「あれ、姉の方は?」
「……色々あるんです」
「そうか。悪い、そういうこともあるよな」
家のことにまで首を突っ込んでいい“関係”ではないから。
すぐに踏み出しそうになっていた足を引いて、代わりにスマホで家族ラインに夕食が要らない旨のメッセージを送る。
【ゆーと:今日はちょっと用事があって、外で夕食食べる】
【ゆーと:悪いけど、二人で食べておいてくれるか?】
【MIO:了解】
考えてみると、夕食を一緒に食べないのはこれで二度目か。
一度目は雫が勉強合宿に行っていたとき。
あのときと今を比べる気にはならないけれど。
「じゃあ行くか。食いたいものは?」
「特にありません」
「ならファミレスだな。あそこなら色々あるし」
そういうわけで。
まだ不服そうな入江妹と共に、俺は近場のファミレスに向かった。
◇
「ハンバーグセットの方は――」
「あっ、私です。ミートドリアとチキンも私なので、ここにお願いします」
「えっ……か、かしこまりました」
「…………」
目の前にハンバーグセット、ミートドリア、チキン、ポテト、サラダ、それからプチフォカッチャが並んでいる。
そのどのメニューも俺が注文したわけではない。俺が注文したのは、つい先ほど届いた和風ハンバーグと白飯のみだ。あとはドリンクバーだが、それはもう一人の方も頼んである。
さっきの店員さんの『嘘だろ?』みたいな顔もしょうがないと思う。客商売である以上、顔に出すべきじゃないだろうけど、入江妹みたいに細い女子がこんだけ食うって聞いたら……ねぇ?
「なんですか、その目」
「結構食うなって思っただけだ。ほら、昼飯とかはそんなに食ってなかっただろ?」
自前の弁当は、雫や澪が食べているのと同じくらいの量だった覚えがある。かといって空腹を堪えている様子もなかったはずだ。
入江妹はムッとした表情を見せると、サラダをもぐもぐ食べてから答えた。
「別に、いつもこんな風に食べているわけじゃないです。今日はちょっと虫の居所が悪いのと……あと、色々あって」
「色々?」
「それ以上はモモ先輩のデリカシーを疑うことになるのでご遠慮願います」
「あっ、悪い」
人によってはそういう日に食欲旺盛になるって言うしな。これ以上踏み込むのは“関係”以上に、人としてNGだろう。
だから、と入江妹はやや遠慮がちに、けどツンツンと尖った口調で言う。
「さっきからモモ先輩に強く当たってしまっているのも、それが原因です。兆に一つも、他の理由だなんてことはありえないのでご理解願います」
「そっちがそうしたいなら、別にいいが……」
「というか私が怒る理由なんてないですし。たかが部下に誕生日を教える理由とかないですもんね。人と人との関係って、そういうものだけじゃないと私は思いますが」
「ご理解願う気ないよな?! 実はチクチク心を突き刺したいんだよな?!」
そうは言いつつも、入江妹の言う通りだと俺は思っている。
俺は“関係”を“理由”をすることでしか、人と関われない。
澪や雫になら、義妹や彼女という“関係”があるから、それを“理由”にして大切にできるし、心配もできる。
けど入江妹は、あくまで部下。
その“関係”を逸脱する真似はできない。
そうこう考えている間にも、入江妹はがつがつと注文したものを食べ進めていく。
っていうかめっちゃ食うの早いな。そういう日であることは間違いないんだろう。
それなのに些細なことでストレスをかけてしまうのは申し訳ない。
なら俺は――。
「なぁ妹子。よく考えたら、俺って妹子のRINE知らないよな」
「はぐっ……んっ。そうですね。体育祭のときはそういう話にならなかったですし」
「だよな」
世の中にはスマホを使ってない奴もいるし、RINEに抵抗がある奴だっている。だから学級委員や生徒会では、個人同士が繋がることはあっても、グループを作ることはないようにしている。それが時雨さんの方針であり、俺も一理ある考えだと思っていた。
「今後、色々あるからな。今更だがID交換しないか? 嫌ならいいけど」
「…………十歩譲って、それって食事中に言うことですか?」
「譲る歩数が少ないのな」
つい、からかうような言葉が口をつく。
入江妹はふくれっ面になる。ほんのり恥ずかしそうな桃色が肌に混じっているように見えるのは……多分、見間違えじゃない。
「別に……嫌、ではないので。食べ終わったらぜひお願いします」
「おう。じゃあさっさと食うか。その量だと食べながら話すのはきついしな」
入江妹は面倒だけど。
やっぱり大切な存在なんだよな、と思った。




