三章#02 彼女と義妹なら二股じゃない
誕生日。
それは年に一度の記念日だ。
大人になれば喜ぶべき日ではなくなるのかもしれない。また一つ年を取った、と嘆きたくなる人だっているだろう。
友達がいなかった俺はせいぜい家族ぐらいにしか祝われたことがないのだけど、やっぱり記念日という感覚が強い。
5月31日。
月の最後に生まれたというのがなんだかかっこよく思えて、美緒に自慢したことがあったっけ。
寝起きの俺は、ぼやけた頭でそんなことを思い出してい――
「――おはようございますっ、先輩!」
気持ちのいいモノローグを打ち切ったのは、眩しいくらいに弾けた『おはよう』だった。いつも俺を起こしてくれる義妹は、こんな無邪気で燦々とした声を出さない。
ドアの方に目を向けると、あれっ、と残念そうにしている雫がいた。
「なんだ、もう起きてたんですね。私が起こしてあげようと思ったのに」
「んあ……今起きたばっかだ」
「それは分かります。髪ぼさぼさですし、顔もヤバいですもん」
「自覚してるからあんまり言わないでね? 傷付いちゃうから」
顔を洗わないとシャキッとしないタチなのだ。昨日は特に疲れたから尚更。
「ふふっ。よだれの跡もついてますよ。だらしないなぁ」
「……悪かった。顔洗ってくるから」
「いいですよ、謝らなくて。こーいうのいいなって思ってたので」
「さいですか」
まだイマイチ頭がぽわぽわしている。
気の利いた台詞が思いつかなかったので素直に諦め、ベッドから起き上がった。
「ふふっ。先輩、おはようございます」
「ん。おはようさん」
「それと……誕生日、おめでとうございます。今日はお祝いしなくちゃですね」
「そう、だな」
少しだけ訂正。
家族以外にも一人、誕生日を祝ってくれてた奴がいる。
プレゼントだって貰っていたのに忘れるなんて、やっぱり頭が回っていないらしい。
「ありがとさん。じゃあ今日を始めますかね」
何と言っても、今日は土曜日。
天気もいいし、まさに誕生日日和って感じだ。
部屋と廊下を分かつ扉は、何か別のものの暗喩であるように思えた。
◆
「お兄ちゃん」
と、俺を呼ぶ声がした。
美緒ではない。だって美緒は俺を、兄さん、と呼ぶ。
振り返ると、アンバランスな可愛さを兼ね備える綾辻澪がいた。
「雫は?」
「もう出かけたよ。なるべく早く帰ってくるって意気込んでた」
「あの子らしいなぁ」
くす、と微笑を漏らす。
何でも、雫は体育祭で忙しくてプレゼントを買えていなかったらしい。別にプレゼントなんてなくてもいいのだけど、雫はそれを良しとしなかった。
わざわざ本人に宣言して買いに行くところとか、早く帰ってこようとするところとか、呆れるくらいに雫らしいと思う。
そっか、と呟いて、澪は俺の隣に腰かけた。
革張りのソファーが僅かに沈む。
「それで……お兄ちゃん。私に報告することは?」
悪戯をするように言われて、そりゃそうか、と俺は苦笑した。
雫のことも、俺のことも、澪はお見通しなんだ。昨日の時点で察していたっぽいし、隠すことはできないらしい。
元々隠すつもりもなかった。
そんなことする意味がない。澪とは恋人と同じくらい強固な絆で繋がっているのだから。
「雫がいるときに、とも思ったんだが……こういうのは男が先に言うべきか」
「ん。というか、今はお兄ちゃんとして報告してよ。後で、雫のお姉ちゃんとして聞きたいから」
「ふっ、そういうことね」
義妹もお姉ちゃんも見事に合ってるんだもんな、澪は。
肩を竦めてから、俺は背もたれに体を預けた。兄として報告するのなら緊張する必要なんてどこにもないからな。
「えぇっと……彼女が、できた」
「目が泳いでてキモイんだけど」
「うっせぇ! 初めてなんだからしょうがないだろ!」
セフレはいたけど彼女はいなかったのだ。二つの関係の優劣なんてつけるつもりはないけど、セフレより彼女の方が報告するときにドギマギしてしまうのは事実。
っていうか、セフレがいることとか報告しねぇし。
だからめちゃくちゃこそばゆかった。
喩えるなら、そう。ぴかぴかの小学一年生が初めてできた友達を報告するときみたいな。
とっても誇らしくて、その分気恥ずかしくてむず痒い。それでも言わずにはいられないくらいに嬉しい。
考えるだけで、自然と頬が緩む。
「お兄ちゃん、そういうところ駄目だよね。不安だなぁ。相手の子を怒らせないかなぁ」
「それは、ほら、鋭意努力する方向で。っていうか雫の場合は俺のダメなところも分かってくれてるからさ」
理由がないと、“関係”を持っていないと誰かと関わることができない。
俺のどうしようもない性格を、雫は分かってくれている。その上で踏み込んできてくれるし、振り回してくれるのだ。
それになんだかんだ趣味も合うしね?
そう思っていたんだけど、澪は呆れた風に深い溜息をついた。
俺は苦笑し、んんっ、と弁明を計る。
「いや待て。こう言いつつも何だかんだ改善するつもりではあるから。雫に見合うような奴になろう、とは思ってる。まぁ今までもやってたから大して変わらんだろうけど」
「ふぅん?」
太腿の上に頬杖をついた澪は、興味深そうにこちらを見つめる。
「そういうことならさ、明日は一緒に行こうよ」
「……明日?」
はて、明日は何かあっただろうか。
首を傾げる俺に、澪がムッとした様子を見せた。
「クラスライン。お兄ちゃんが入れって言ったから入ったんだけど?」
「あ゛」
不機嫌なその声が、体育祭準備期間での会話を思い出させる。
クラス内で体育祭のことを話すことも意外と多く、練習のスケジュール確認などをするためにも澪をクラスラインに勧誘していたのだ。
そして昨晩、クラスラインにはとあるメッセージが投下されていた。
【HARUHIKO:前から話してたけど、打ち上げって明日でいいよな?】
【HARUHIKO:打ち上げって言ってもカラオケになりそうだけど】
こういうとき、八雲は如才ない。
彼女がいて妬まれていても嫌われはしないのは、こんな明るさというか気の良さのおかげなのだろう。
学級委員二名はどっちも幹事には適正がないからな。実に助かる。
「――って、明日行くつもりなのか?」
「なにそれ。私が行くの、そんなに変?」
「変っつうか……だってほら。クラスの奴らとそこまで仲良くないじゃん」
「言い方が最悪」
「本当のことだからしょうがないだろ」
俺は今も始業式の朝のことを覚えている。
クラスを確認するときに無駄なぼっち力マウントを取られ、挙句の果てに目でのやり取りでぼっちにであることを開き直られたのだ。そんな奴が体育祭の打ち上げに参加とか……ぼっちとか言いつつ青春を謳歌するラブコメ主人公だってここまでチョロくねぇぞ。
むすっとむくれた澪は、もう知らないとでも言いたげにそっぽを向く。
なんだか雫を相手にしているみたいだ。でも雫とは全然違う。雫よりは無愛想で、面倒で、躊躇いがなくて――。
本当の妹のように思えたのが無性に嬉しかった。
「悪かったって。クラスに馴染もうとしてるのはいいことだよ」
「……別にそういうのじゃないよ」
照れている、わけではなさそうだ。
沈黙で言葉の先を促すと、澪はそっぽからこっちに目線を戻してから続けた。
「お兄ちゃんと出かける理由が欲しかったから」
「……っ」
ド直球な一言。
ずくんと胸を叩くには充分すぎる威力があった。
「私はお兄ちゃんへの恋心を捨てたわけじゃない。彼女より義妹でいた方が大切にしてもらえると思ったから、その関係を選んだだけ」
でもね、と澪は囁く。
「お兄ちゃんはそんなこと気にする必要はないよ。雫は彼女で私は義妹。それぞれと関わってるだけだよ。それは浮気でも二股でもないでしょ?」
一度胸を叩いた言葉は、心臓に毒々と入り込んでくる。
俺は、過ちを犯してはいない。
大丈夫、大丈夫。
きゅっと下がった澪の目尻が、そう安心させてくれた。
「そういうわけで。明日は一緒に行こ。……嫌?」
まさか、と俺は首を横に振った。
彼女がいるからって義妹と出かけちゃいけない決まりはない。むしろクラスの打ち上げなんだし、一緒に行く方が自然だ。
「行くよ。そうしないと誰かさんはバックレそうだしな」
「まぁ別にそれでも」
「よくねぇよ。自分が学級委員だという自覚を持て」
「誰かさんに押し付けられた地位だけどね」
「副委員長に名乗り出てる時点でその責任転嫁の効果は死んでるんだよなぁ」
朝食のときからチマチマ飲んでいたコーヒーに口をつける。
すっかり温くなったそれは苦くて、甘くて、苦かった。




