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三章#01 恋人との話（起）

「さて、と。これで片付けも全部終わりだね。遅くまでありがとう！　戸締りはボクがやっておくから、皆は気を付けて帰って」

　体育祭が終わり、計三回のうち、最初の後夜祭も終焉を告げた。

　他の生徒は既に帰り、火の始末やテントの処理なども済ませた。校庭に残っているのは生徒会メンバーと祭りの後の仄かな寂しさだけ。

　そういえば小さい頃、家族で遊園地に行ったことがあった。

　閉園ギリギリ午後１０時まで遊び回ってると、閉園を報せる音楽が流れる。まるで夕方に鳴る『夕焼け小焼け』のようなのに、それよりもちょっぴり豪華な感じがした。

　だからこそ寂しさも少しだけ多くて、帰りたくないなって思ったっけ。

　今は、そうは思わない。

　帰りたい、と積極的に思っているわけではないけれど。

「モモ先輩……お疲れさまでした」

　さて帰ろうかと思っていたところで、声をかけてくる奴がいた。

　振り向けばいつも通りのポニーテールが揺れている。ただ、昼間からずっと、いつもより活力が足りていないようだけど。

　きっと疲れてるんだろうな。

「そっちこそ。お疲れさん。初めての行事は流石に疲れただろ？」

「正直クタクタです。思っていた以上に疲れました」

「だろうな。だから後夜祭の片付けはいいって言ったんだよ」

　妹子こと入江(いりえ)大河(たいが)の顔には疲労の色が滲んでいる。

　入江妹は俺の補佐という形で今回の体育祭運営に携わっていた。この補佐というのが微妙な立ち位置なもので、彼女は生徒会とも学級委員会とも言いにくい存在なのだ。

　だから後夜祭の片付けはせず帰っていいと言っていたのだか……なんだかんだ理由をつけて、彼女は帰ろうとしなかった。

「帰るわけないじゃないですか。私はモモ先輩の補佐なんです。モモ先輩が働く以上、私も働くのが筋というものでしょう？」

「うわぁ……妹子ってほんと、そういうとこ融通が利かないよな」

「そんなことは百々承知です。というか、モモ先輩にどう思われようと私は構いませんので」

　ぴんと背筋を伸ばし、入江妹は言い切った。

　そりゃそうか。

　俺にどう思われるかなんて、入江妹にとってはどうでもいいよな。だからこそ真っ直ぐに俺を否定してくれるわけだし。

　そういうところが心地いいからこそ、俺は入江妹に補佐になってくれたわけだしな。

「それに、モモ先輩に聞きたいこともありましたから」

　ひゅうぅと優しく風に紛れて、入江妹がそう言った。

　ああそうだな、と思う。

　こいつには言わねばならないこともたくさんある。

　だが――

「そういうことなら、悪い。人を待たせてるんで今日は長話はできないんだ」

「えっ……？」

　俺が人を待たせてることが意外だったのか。それとも俺が待たせている人が誰なのか察しがついたのか。

　入江妹の眉がピクリと動いた。

「それって……」

「校門で待ち合わせしてるし、一緒に来るか？　相手次第では妹子を送ってくぞ。もう暗いしな」

　というか、あいつなら妹子と一緒にいたがる気もする。

　後夜祭の間は一緒にいられなかったんだ。友達と過ごすロスタイムくらい設けてやりたい。

　いいえ、と入江妹が首を横に振った。

「そんなの、私が邪魔したら嫌われちゃいますよ。結構です。家近いですし、防犯ブザーも持ってますし」

　バッグをかさかさと揺らす入江妹。

　キーホルダーみたいにぶら下がっている防犯ブザーが、その存在をどっしりと主張していた。不審者さんにはクリティカルヒットだぜ。

「そっか。そういうことなら今日はここで解散だな」

「……ですね」

「えっと。それじゃあ、また今度」

「はい。また」

　少し歩いてから、そうだ、と入江妹がこちらに向きなおす。

　何かを思い出したらしい彼女は、作り笑って言った。

「雫ちゃんを泣かしたら許しませんからね」

「はっ……分かったよ」

　こいつらしいな、と短い付き合いのくせに思う。

　そうだ、短い付き合いなんだ。だから『作り笑って』だなんて捻くれた見方は頭の片隅に蹴飛ばしておくことにしよう。

　にかっと笑い返して、俺は校門に向けて歩き出す。

「あっ、やっときた……！　もーっ、超待ったんですからね」

「こういうときこそ『待ったか？』『今来たとこ』ってやり取りをする場面じゃねぇの？」

「そーいうのはデートのときにきちんとお決まりを守ってからにしてください」

　にぃっ、と意地悪な笑顔を浮かべながら体の前で大きくばってんを作る。

　彼女の名前は……まぁ、もう言うまでもないわな。

　綾辻雫。

　俺とは書類上では義理の兄妹であり、そしてついさっき恋人にもなった大切な後輩である。

「だから待たなくてもいいって言っただろ。夜は冷えるんだし、綾辻と一緒に帰ればよかったのに」

「うわっ。それ完全に彼氏失格な台詞ですよ。うわっ」

「『うわっ』で台詞を挟むな」

　それだけ俺の台詞に『うわっ』って思ったのだということは、数歩引いた雫の体勢を見れば容易く理解できる。

　なのでそれ以上ドン引きしないで？　泣いちゃうよ？　長男だけど耐えられないから！

　けどまぁ、と雫は唇をとんがらせて言った。

「私のことを心配してくれてるのはポイント高いですし普通に嬉しいので今回は不問とします。感謝してくださいね？」

「……そりゃどうも」

「んー？　お声が小さいですよー？　もーいっかい！」

「なぁ雫」

「何ですか先輩。早くもう一度――」

「そういうのは顔を赤くならないくらい慣れてからの方がいいぞ。完全に自滅してる」

「～～……っ！」

　瞬きする間にばさっとしゃがんで顔を隠す雫。

　耳までは隠しきれておらず、月の光と街灯で小ぶりで赤らんだ耳たぶが照らされている。ここまで計算……ではないだろうなぁ。

「むむむ～。先輩、なんなんですかっ！」

「何が？」

「さっきから急に攻めてくるじゃないですか。今までは私が攻めたい放題だったのに。そういう唐突なキャラチェンジはよくないと思います」

「俺の知る限り、お前ほど唐突なキャラチェンジをする奴はいないんだが、それはさておいて。別にそこまで唐突な変わり方をしてるつもりはないぞ？」

　むしろ、と思う。

　俺は変わりたくなかったから、雫と恋人になることを選んだ。

　雫との関係を失いたくないから、先輩と後輩以上の強固な関係を築きたかった。

　もっとも、浮足立っている自分がいることも否定できないのだけど。

「それよか、そろそろ帰るぞ。流石に腹減った」

「またそうやってテキトーに流す」

　先輩らしいですけど、と雫がくすくす笑った。

「そだ。さっきお姉ちゃんから連絡があって、今日はピザを注文するらしいですよ」

「……綾辻って、ほんとピザ好きだよな。普段は和食ばっかのくせに」

　一か月ほど前にもピザを注文したっけ。

　あの日、俺は間違えた。

　その間違いを正す一か月だったように思う。

　雫との関係を、ちゃんと自分で進めた。

　澪との関係を、改めて定義しなおした。

　せめてもう間違えないようにと祈りながら――。

　見上げた夜空は、不思議と泣いているように見えた。