二章#34 後夜祭1/3
「こんの~! 美味しいところ持っていきやがって」
「ああやかましいな、まったく。いいから八雲は彼女のとこ行けよ。何でもうちの学校には」
「『3分の2の縁結び伝説』だろ? 去年3分の3コンプリートしてるけど、やっぱ高校生活全体を通して3分の3にしたいもんな。行ってくるわ」
「やっぱり言わなきゃよかったわ……ったく、お幸せにな」
体育祭が幕を下ろした。
勝敗はうざったく絡んでくる八雲の言葉を聞けば分かると思う。僅差で俺たち赤組が勝つことができた。
とはいえ白組が盛り下がっているかと言うとそうではなく、終わってしまえば後はとにかくはしゃぐのがうちの校風みたいな部分がある。
色々と気にしたくなるようなことがあっても全ては後の祭りだ。なら変に気にするよりも後夜祭を楽しもう、ということなのだろう。
或いは、そんな流れだからこそ、後夜祭における『3分の2の縁結び伝説』なんてものが生まれたのかもしれない。
そんなわけで、くたくたな徒労感と達成感が体に残ったまま、俺は後夜祭を迎えていた。
校庭のど真ん中には小さめの火が燃えている。
仄かな暗闇のおかげでセンチメンタルな気分になってきた。
まぁ、あれを準備したのは生徒会だし、片付けに関しては俺も手伝う手筈なんだけど。
定番曲と共にフォークソングを踊る者もいれば、今日の思い出を語らう者もいる。ぱしゃぱしゃと写真を撮って回っている奴だっているし、『3分の2の縁結び伝説』のためにコソコソと人目がつかないところでイチャついているカップル未満もいることだろう。
正直に言えば、ここで雫を誘うのは、とても気恥ずかしい。
雫は人気者だ。友達と写真を撮っているだろうし、喋ってもいるはずだ。後夜祭を共に過ごしたい奴は男子にしろ女子にしろ、たくさんいるに決まっている。
雫と約束をしているからと言って、今日ばかりは雫が来てくれるのを待ってはいられない。
いや、違うな。
こんな風な状況じゃなくとも、俺から声をかけるべきなんだ。そうでなくては、俺がこれからすべきことと矛盾してしまう。
澪や入江妹とは話していない。
澪は俺がしようとしていることを分かっているだろうし、入江妹とも午前中に対話を終えた。
だから俺が話すべきは雫を除いて他にいない。
うろうろと校庭を散策すること暫く。
ようやく出会えた雫は、ハチマキどころか髪をまとめていたゴムをも外していた。
「いた……ってか、一人なのか?」
「はい。だって先輩と過ごすって約束しましたし」
「そっか」
「それにしては遅かったですけどねー。もうちょっと早く見つけてほしかったです」
「それは……悪い。ほらさっきまでと髪型が違うから遠目じゃ分からなかったんだよ」
そうですか、と雫は微笑んだ。
下ろされた雫の髪は腰のあたりまでサラサラと伸びている。まだ暗く空よりもよっぽど夜に近くて、雫の瞳がお月様の代わりのように思えた。
「ここじゃあれですし……少し移動しませんか? 二人きりになるのが嫌じゃなければ、ですけど」
「前から雫とは二人きりになってばっかりだっただろ。何をいまさら」
「それはそうなんですけど……」
「あーもう、お前はギャルゲー主人公か。しゃきっとしろ、しゃきっと」
所在なさげな雫の手を取り、引いていく。
雫の手は熱かった。
運動してたし、今日は37度くらいかもしれない。
シャワーよりも低い体温に火傷しそうになるのは、それだけこの熱を尊く思っているからなのだと思う。
人気がないところまで移動すると、額に滲んでいた汗が風で冷えた。
火から離れたからか、随分と涼しく感じる。
手から伝る温もりが今度は愛おしく思えて、立ち止まってもなお離す気にはなれなかった。むしろさっきよりも強く握りたくなってしまう。
ただ手を繋ぐだけじゃなくて、もっと。
たとえば指を絡めて、お互いの微熱を感じやすい繋ぎ方で。
「先輩、手を……」
「悪い、痛かったか?」
ふるふると首を振る雫。
「いえ、そうじゃないんですけど。なんかこう……前よりもぎゅっと握ってくれるので驚いて。あっ! も、もしかして私と話せるのが嬉しくて我慢できなくなっちゃった、みたいな?」
「……まぁ、そうかもな」
「へっ? そ、それって……」
口をパクパクと動かす雫を見て、俺はくすっと笑った。
「借り物競争でぐいぐい来た割に消極的だな。てっきりこういう展開になるところまで予想してるのかと思ったぞ?」
隠すことでもないので正直に言った。
雫のことだ。
何の考えもなしに俺を『大切な人』というお題で連れていくとは思えない。雫の勘定には俺がこういう行動に出ることも含まれているのだと思っていた。
それは……と雫が口ごもる。
後ろめたそうに俯いた雫は、ぶんぶんとさっきより激しく首を振った。
「あー、もうっ! 先輩は全然騙されてくれないなぁ……折角フラットで無垢にやり直そうって思ったのに。……やっぱり、戻れないんですね」
吹っ切れたようにパァと表情を明るくすると、雫は、そうですよ、と続けた。
「借り物競争で『大切な人』ってお題が出たとき迷いました。お姉ちゃんとか、大河ちゃんとか。私には大切な人がたくさんいますから」
「あぁ」
「けど一番は誰かって言ったら……それは先輩なんです」
どくん、と心臓が跳ねた。
「先輩を連れて行ったら困るんだろうなってことも分かってました。ほら。私って可愛いですし。実はもう結構告白されたりもしてるんですよ?」
「そっか」
「だからきっと、噂されちゃいます。私と先輩が付き合ってるんだって。先輩は嫉妬されちゃいますね。もしかしたらちょっぴり嫌われちゃうかもしれません」
自意識過剰だろ、とは思わない。
それくらいに雫は可愛い女の子だから。
ごめんなさい、と雫はしょぼしょぼ呟く。
「そういうことを全部分かってるのに我慢しきれませんでした。悩んでくださいって言ったのに、その前に外堀を埋めちゃうなんて……私、悪い子ですね」
たはは、と笑う雫の目には確固たる強さが込められている。ちっとも作り笑顔じゃなかった。
「――でも、もういいんです。私、悪い子でもいい。メインヒロインみたいないい子になれなくてもいい、って。そう思ったんです」
「……っ」
さぁぁぁ、と夜風が木々を揺らす。
もうすっかり桜は散って、葉桜がひそひそ声で喋っていた。雫の髪もカーテンみたいに揺れて、俺の気持ちを夜へと誘う。
「ねぇ先輩。今はまだ大好きだなんて思わなくてもいいです。ちょっとだけでいい。ほんのちょっとでも私を女の子として見てくれて、ドキドキしてくれて、恋人になってもいいなって思ってくれるなら……私を彼女にしてみませんか?」
一か月前に聞いた宣言とは丸っきり違う言葉。
きっと、と思う。
雫がこの一か月で心変わりしたのは俺のせいだろう。雫に好きだと言われてから今日まで、雫との関わり方が少し変わってしまった自覚はある。
何を話すにしても、雫への答えを探してしまっていた。そのせいでギクシャクしてしまったし、雫にも気を遣わせてしまっていたはずだ。
好きだと告げられたあの日。
俺はちっとも口を開かなかった。ただ雫に好きだと言わせて、雫のペースに乗って、最後に同意しただけ。
「断る」
「……っ」
だから今度は、きちんと自分の言葉で話す。妥協とか、そういうので関係を変えられるほど、俺は器用じゃないから。
ノベルゲームと同じ。
自分で進めなくちゃ、ダメなんだ。
「なぁ雫。俺はさ……『人を好きになる』ってことがよく分からないんだよ。いや……こんなこと自分で言っちゃう時点で相当痛い奴なんだけどな」
雫は何も言わない。
一秒、二秒、三秒。
目を合わせては逸らし、また目を合わせる。そんなことを繰り返しながら俺の話を聞いていた。
「可愛くて魅力的なキャラを見て『好きだな』って思う気持ちとか、可愛い女の子を見て『可愛いな』って素直に思う気持ちとか、尊敬できる相手に『凄いな』って思う気持ちとか、傍にいると落ち着く相手に『傍にいてほしい』って思う気持ちとか。色んな気持ちがあるうち、どれが恋でどれが愛なのか分からない」
義母さんは言った。
――私はね、愛っていうのは哀しみを共有することだと思うのよ
もしそうなのだとすれば、家族を愛おしく思う気持ちと何が違うのだろう?
恋とか愛とか、そんな風に名前を付ける必要性が分からない。
父さんが俺と澪の関係に恋人と名前を付けたとき、俺は憤りを覚えた。
どうしてそう名前を付けるんだ、と嫌気が差した。
願望の押し付けなのかもしれないけれど、澪はあのとき、義妹でいることを選んだ。
想い人としてではなく義兄としての俺に触れてくれた。
そうじゃなければ一緒の布団に入ったとき、週に一度のチャンスを使っていたはずだから。
「だから俺は、自分が恋をしているのかは分からない。雫を愛していると、胸を張れない。好きって一言を言えない」
「っ……そう、ですか」
「――けど」
続きを言わせまいと、空いている方の手で雫の肩を掴んだ。
手をぎゅっと握り、その熱を確かめる。
「雫は俺の『大切な人』だ」
目を逸らしてほしくないから、肩から顔へと手をスライドさせる。
頬を挟むように顎を掴んで、クイっと目線をぶつけた。
「雫は俺に関わってくれる。
俺を振り回してくれる。
俺だけじゃ見れないものを見せてくれる」
一秒、二秒、三秒。
今度はまだ、儀式は続いている。
「しょうがないな、って呆れるのが好きだ。
二人でゲームに集中してる瞬間も好きだ。
一緒に勉強してる時間も好きだ」
この気持ちに名前を付けるべきなのか、まだ定かではないけれど。
「これからも雫と関わりたい。雫と関わる理由が欲しい。雫が関わってくれるのに頼るんじゃなくて……俺が関わっていいって思える関係が欲しい」
四秒、五秒――。
3分の1の縁を結び終えたから。
その3分の1を今は信じることにする。
強引に、無理やりに。
それが間違わない方法だと信じて。
「だから――付き合ってくれ」
この日、俺は。
大切にしたいって想いのために――
「……っ、はい。もちろんです」
先輩と後輩から、彼氏と彼女へと関係をアップデートした。




