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二章#29 義妹との話(転)

 開会式が迫り、既に多くの生徒が校庭に出てきていた。

 ある者はハチマキを腕に巻き、ある者は雫のように猫耳を作り、またある者は手元で遊ばせ……ってちゃんと着ける奴はいねぇのかよ。

 いや実際にはいる。ただイレギュラーな奴らの方が目につく、というだけのこと。世の中そういうところあるよね。


「なぁなぁ友斗!」

「お、よう……ってどうしたんだよ、それ」

「それって?」


 くだらないことを考えられるくらいには暇していたところ、八雲がハイテンションで声を掛けてきた。

 声色からして何か用事があるのは分かったのだが、それ以上に八雲の恰好に意識がいってしまう。


「眼鏡だよ眼鏡! 眼鏡キャラが眼鏡外すとかどんだけ罪深い行為をしてるんだよ……ッ!」

「まさかのマジギレ⁉ いやだって普通に考えて危ねぇじゃん。俺、今日は騎馬戦やるんだぜ?」

「ぐッ――! そうだけど! そうだけどもっ!」


 分かるだろうか、諸君。

 眼鏡キャラが眼鏡を外しちゃいけないんだよ。男であれ女であれ、眼鏡キャラの看板を背負ったら眼鏡を外してはいけない。眼鏡というおしゃれ道具かつキャラ立ちする要素をギャップ萌えのための道具みたいに使っちゃダメなんだ……っ。


 ……あ、でも眼鏡なしの八雲も結構いい顔してるな。綺麗な瞳だし、無邪気な感じが強調されて子供っぽい。存外、チャラいという印象も霧散しているではないか。


「ふぅ、怒って悪かった。やっぱりお前は正真正銘イケメンだよ」

「謝られ方が腑に落ちないんだけど……まぁいいや。それよりも聞いたか?」

「何の話か分からないのに聞いたかどうか分かるわけがないだろ」

「それもそうだな」


 とはいえ何となく予想はつく。

 どうせ『可愛い女子ランキング』1位2位が応援団長で学ランを着るって話を聞きつけたのだろう。

 そんな予想を、


「突然現れた学ラン美青年の話だよ」


 八雲は絶妙に裏切った。


「学ラン美青年……? それって生徒会長のことか?」

「何言ってんだ? 霧崎先輩は女子だぞ」

「いや知ってるけど」


 かと言って入江恵海を美青年と見紛うはずもないだろう。

 じゃあ誰だ……?

 もしかして副応援団長だろうか。二年生って言ってたよな。けど二年生に噂になるほどイケメンっていたか?


「その様子だと聞いたことないみたいだな」

「まぁな。けど多分そいつは応援団だよ。赤か白かは知らんけど、副団長」

「へぇ、そうなのか。じゃあどっちみち開会式でお目にかかれるんだな!」

「おそらく、な。だからさっさとクラスのとこ行ってこい。俺は俺でやることがあるんだから」

「お、おう……頑張ろうな、友斗!」


 ちょっぴり気恥ずかしかったけど。

 友達っていうより仲間みたいなその声に、俺は胸を張って『おう』と答えた。



 ◆



 開会式の時刻が近づく現在。

 本部の準備も完了し、俺は念のため一度校舎に戻っていた。基本的には昼休憩までずっと本部に滞在しなくちゃいけないわけだし、お手洗いはしっかり済ませておかなければならない。


 ちなみに、このことを入江妹にも注意したら、『お気遣いありがとうございます』と『セクハラです』の両方を言われた。後者の方が口調が強かったのは言うに及ばず。


 そんなこんなでトイレを済ませ、校庭へ戻ろうとしていたときだった。

 人気(ひとけ)の少ない廊下の曲がり角。

 突如現れた誰かが、俺のことをぐいっと引っ張った。


「うおっ――だ、誰だ?」

「やっと見つけた……っ」


 ゼェゼェと息をするその誰かさんは、ドシーンと壁に手をついた。

 誰かさんと壁に俺が挟まれた状態。

 少女漫画で言うところの壁ドン的なシチュエーションに陥っていることに遅ればせながら気付けたのは、目の前の相手の吐息の甘やかさを意識したからだった。


「えっと……」


 混乱している頭を無理くり動かし、現状を冷静に把握しようと努める。


 目の前にいるのは――学ランを纏った生徒だ。

 髪は長いとも短いとも言いにくい微妙な長さ。やや長髪の男子が運動のために束ねた、といった感じのヘアスタイルだ。

 それなのにその姿は驚くほど様になっている。


 二又の猫妖怪を彷彿させるような赤いハチマキが頭に巻かれていた。

 雫のような可愛い系とも、入江妹のような真面目な感じとも違う、やたらと気合の入った巻き方だ。


 なるほど、と思う。

 八雲が言っていた『学ラン美青年』とはこいつのことなのだろう。

 一人で勝手に合点がいくと、今度はケラケラと可笑しさが込み上げてきた。


 ぷっ、とつい吹き出してしまう。

 目の前の相手は――()()は――、耳を赤く染めながらムッとした顔をした。


「兄さん……笑わないでよ。私だって変なの知ってるし。美緒ちゃんらしくないだろうとも思ってるし」

「ごめんごめん。別に変だから笑ったわけじゃないって。ただちょっと可笑しくてさ」

「~~っ! 可笑しいって思うのは変だからなんじゃないのっ?」

「違う違う! むしろ逆だから」


 変だなんてとんでもない。

 だって多くの生徒がみおの学ラン姿を見て、本気で美青年だと思ったのだから。


 体育祭で浮足立っていたこと、慣れない学ランでみおが緊張していたこと、今日のみおの髪型が普段と違うこと。

 そういう色んなことが絡み合い、今のみおはパッと見ると美青年、よく見ればイケメン男装女子になっていた。


「逆って……ああ、もう。本当に失敗した。こんなことしたくなかったのに」


 不服そうにぶつぶつと呟くみお。


「副応援団長、自分で立候補したわけじゃなかったのか」

「当たり前じゃん。こんな面倒なこと、私がするわけない。目立つし、恥ずかしいし、兄さんから聞いた美緒ちゃんのイメージからも離れるし」


 時雨姉さんのせいだよ、とみおが口を尖らせた。


「色々時雨姉さんに言われてさ。救護班が仕事少なめなのは事実だし……兄さんとか雫が頑張ってるのを見たら、なかなか断りにくくて」

「そっか」


 時雨さんに呼ばれて色々やってたのは応援団関連だった、ということか。

 言われてみれば納得だ。

 みおは『可愛い女子ランキング』3位――もとい、2位にランクインするほどの人気者。時雨さんと入江恵海以外ではこれほど適任な生徒もなかなかいない。


「それで……着替え終わったはいいものの変な感じがしたから、兄さんが来るのを待ってた。兄さんが嫌だと思うなら今からでも誰かに代わってもらおうと思って」


 俺が嫌だと思うなら。

 その発言の意図は、先ほどからみおの言葉の端々に見られていた感情から汲み取ることができる。


 百瀬美緒はきっとこんなことをしない。綾辻澪は百瀬美緒との乖離を恐れているのだ。


()()が雫と()()()()関係になるのなら――私は、いつまでも百瀬の義妹でいたい。そうすることで、私の心は満たされるの」


 ついさっきまで学ランを着て恥ずかしがっていたとは思えないほど、《《綾辻》》の声は真剣だった。


 俺のことを全て分かっているんじゃないか、という考えが頭をもたげる。それほどまでにみおの瞳は透き通っていた。カラカラと輝くビー玉のような眼に吸い込まれそうになる。


 だから、と綾辻は力強く続けた。


「私のことを義妹として見れなくなるようなことは絶対にしたくない。だから教えて。今の私は、ちゃんと百瀬の義妹でいられる?」


 喉の奥が焼けるように熱くなった。

 飲み込んだ息が焦げ付く。


 あの夜の再現みたいに、綾辻は告げた。

 けれどもこれは、単なる再現ではない。

 後戻り()()()のではなく、後戻り()()()()方向へと道を踏み外す。その意思があるのかを尋ねる、あの夜よりも強くて非倫理的な言葉だった。


 綾辻は問うているのだ。

 俺が綾辻に求めるのは『美緒の代わり』なのか、『妹の代わり』なのか。

 前者であれば、美緒を逸脱した行動をすべきではない。逆に後者ならば何をしても構わない。だって妹らしく在りさえすればいいのだから。


 わざわざこのタイミングで確かめようとしてきたのは、俺が雫との関係に答えを出そうとしていることを察したからだろう。

 ならばこそ、俺は選ばねばない。


 せめてこれ以上間違えない道を。


「いられるよ。たとえどんなことをしようとも、()は俺の義妹だ」

「……っ」

「美緒らしくある必要はない。美緒の代わりじゃなくていいから――義妹として、俺の傍にいてくれ」


 だからもう、美緒と澪が綯い交ぜになることはない。

 目の前の澪が今の俺にとっての義妹なのだ。

 美緒の面影を被せるのは、もうやめる。


 今日からは『みお』じゃなくて『澪』だ。


 義眼みたいに、義手みたいに、義足みたいに。

 一か月ほどの歳月をかけ、俺は『百瀬澪という義妹』をこの身に馴染ませたから。


 澪は青空に浮かぶ雲みたいに幸せそうな笑顔で、うん、と言った。


「分かったよ、()()()()()

「なっ……なんだよ、その呼び方」

「私なら『兄さん』じゃなくて『お兄ちゃん』だから。嫌?」


 嫌なんて言うわけがなかった。

 そういえば澪は未だに義母さんのことをママって呼んでたっけ。

 それなのに兄のことを兄さんだなんて呼ぶわけがないか。


「それでいいよ、澪」

「ん。じゃあ行こっか。義妹の晴れ舞台、少しは見ててね」

「もちろん」


 もう俺は、美緒を忘れられない弱さを澪に委ねずに済む。

 澪との絆に義兄妹という名前を付けただけだから。





 ――だから間違えていないのだ、と。

 このときはそう、思ってしまっていた。

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